第4,111号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー69-

 

私達は、
他人や、
他人の考えを批判する時、
その相手に何かを言っているのではなく、
その相手または相手の考えに対して批判したいという自分の気持ち”・・・・を懸命に伝えようとしているのだ。

ビジネスの世界でもそうだ、
会議や打合せで、
相手の意見と食い違いが生まれ、
お互いに”批判しあう”場面があったとしよう。
こういうことがあると、
まず普通の人は、
帰宅してからも、
そのことが頭から離れず気になって仕方がなく、
落ち着いて帰宅後の団らんや、
仲間との時間を過ごす気分などには到底なれない。
それどころか、
批判しあったところで、
問題の解決には何一つ役立つこともなく、
翌日も嫌悪感は尾を引くことになる。

どうも、
この批判”と「意見交換」の違いが、
職場の中で共有化されていない企業
が、
ほとんどといってよいくらいわが国には多くある。

これは家庭でも同じ。
人は他人から”批判”されると、
2通りの道しか選べなくなる。
一つは・・・・。
「自己弁護のために反撃する」か、
二つ目は・・・、
自己保身のために固く口を閉ざす」かのどちらかだ。

続きはまた明日。

 

第4,110号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー68-

 

多くの人は、
自分の限界”を主張することに多大なエネルギーを費やす。
『そんなこと私には無理です』
『なんでそれをやるんですかその根拠が納得いかないんです』
目の前に出されたミッションに、
思いつく限りの”言い訳”を、
あたかも正当な”出来ない理由」”のように並べ立てる

人間の持つ「意志力」というのは、
生きるうえで最も強い武器になるが、
やるかやらないか?」の基準もまた、
この「意志力」の違いが表に出てくる。

やりたくない言い訳”を、
さも「やらない理由”」や「やれない理由”」のように並べ立ててその場を逃げるタイプは、
この「やるかやらないか?」が、
出来るか出来ないか?”に置き換えられ、
自分の評価を下げないように、
他人から見える自分をよく見せたいという我欲の心理が働く。
こういう人は、
表面的なものに対する基準が自分の”行動基準”にもなっている。
『自分をいつもよく見せたい。
だから失敗は出来ない。
失敗すれば自分の評価レベルが下がる。
他人からの評価レベルも下がる』と思い込みがちになっている。

そしてそんな基準の中に”自分の限界”を定めていく。

どんなに偏差値の高い有名大学を卒業しようが、
どんなに在学時代の学業成績が良かろうが、
こういう人材を採用してしまうと、
その”人材”を「人財」にすることはかなり難しくなる。

私達には表に出てくる成績(IQ)の前に、
人として自己管理を行う(EQ)が存在し、
その前には、
人としての聖域」ともいうべき「尊厳DQ)」”というもが存在する

人生道はどんな道を選択しても良い。
どんな進み方を選択しても良い。
でも、
この「尊厳」というもを身に付けていないと、
そこにその人の「自責」の存在は無く、

人としての責務を全うすることが難しくなる

 

 

第4,109号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー67-

 

中途採用で私の顧問先に再び応募してきたH君。
あれから14年が経過し、
彼は今、
取締役人事部長として私の顧問先で活躍している。
何よりも、
採用面接時の手腕は素晴らしく高く、
彼が面接して採用した従業員の定着率は98%を超える。
途中退職した人もしっかりとした退職理由があり、
その採用能力はほぼ満点といえるだろう。
60,000人を面接してきた私の経験上からも、
彼の右に出る採用担当者は出逢ったことが無い。

SNSが進み、
情報はいたるところからあふれ出るように入ってくる。
自分を演じ、
自分をよく見せる手法も増え、
企業の採用業務では、
その「本質」を見抜くのは難しい時代といえる。
応募者の「本質」を、
履歴書の中から見出すことはできない。
従って、
私の顧問先では、
採用業務にこの履歴書を使っているところは無い。
履歴書に書かれている、
卒業学校名や志望動機に惑わされるから。
いまの時代は、
履歴書代作成代行業”成るものまで学生の間では広まっている。
文章能力のある別の人間が書いた履歴書。
それもPCでうたれた機械的なものは、
本質」をお求める今の時代には無用の長物になっている。

採用業務における中にも、
応募者の「生き方」を見つけ出さなくては、
その役割は果たせないということだ。

 

第4,108号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー66-

 

このH君とは劇的な別れと出逢いがあった。
採用結果は残念ながら不採用。
理由は「自分に正直ではない」が第1の理由。
この時の採用面接で、
別れ際に、
私は彼に直接こう伝えたのを覚えている。
『表に出てきている成績表より君の心の奥底を出すんだよ』と。

そして、
それから6年の歳月が流れ、
中途採用の活動をしている時、
送られてきた応募者の履歴書の中に、
覚えのある名前と顔写真が目に止まった。
そう。
あのH君だ。
そして中途採用の第三次面接で私と再会した。
この時、
彼は自己紹介で、
新卒時の就職活動の経験談を語ってくれた。
6年前彼は、
世の中には名前の通った企業に入社したが、
その中で、
相手の素顔が見れない”ことで人間関係で悩んだそうだ。

同時に、
私が彼に最後に伝えた、
表に出てい来る成績表よりも君の心の奥底を出すんだよ
この言葉がずっと気になって仕方がなかったという。
転職の際、
ご両親には猛反対されたそうだが、
新卒の採用活動で私に伝えられた言葉を、
そのままご両親に話すと、
ご両親は、
『そこに中途採用として挑戦するならいい』と言ってくださったそうである。

続きはまた明日のブログで!

 

 

第4,107号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー65-

 

私達は、
やりたくない」ことを”出来ない”という言葉によく変換する。
それは、
”自分が「やりたくない」”という姿勢に対して、
自分自身が間違いだと気付いているから、
その間違った思いを何とか相手に伝えたいがために、
まだ「やってもいない」ことを、
出来ない!”と強く主張してくる
そして、
『それは”出来ない”のではなく「やりたくない」んだろ?』
こう尋ねると、
決まってこう応えてくる。
『「やりたくない」わけではないんです』・・・・と(笑。
そしていろいろな言い訳を付け始める。
『なぜそれをやるのか?納得がいかないんです』とか、
『なぜ?今なんでしょうか?そこが解りません』とか、
中には、
『他の人もみんなやってるんですか?』
『やってるよ』というと、
『なら「やります!」』
こうなるともう手の施しようはない。
人生を一から学びなおす必要があるレベルだ。

人は否定的なことを口にして”自分の限界”を、
自分で作ろうとしてしまう
その方が楽だと思い込んでいるから。
その方が自分の評価を上げ易いと思い込んでいるから。

昔、
採用をしている時にこんな学生に出逢ったことがある。
時は「売手市場」で、
応募者はかなりの確率で自分が望む企業には入れた。
そんな時に応募してきた彼・H君。
有名六大学を卒業し、
学業精製も優秀。
なのに・・・・内定が無い。
この理由を聞くと、
『自分の納得のいく企業と出逢えなかったんです』
『内定はいただいたけどすべて辞退したということ?』
『そういうコトになります』
このH君。
その後はどうなったのか?

人生で自分自身をステップアップさせるには、
その方法は一つしかないのにね。

第4,106号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー64-

 

どうも私達は他人の「問題点」。
これも勝手に、
『あなたのそこが”問題”なんだよ』と、
自分で思い込んでいることの方が多くあるが、
一度、
気になりだすとどうにも仕方が無くなるのも人間。

よく、
他人は”貶すことより褒めるコト”といわる。
そして、
一日一つは相手の良いところを見つけて褒めよう”などと、
ビジネス本のコミュニティー・スキルには書かれているが、
企業内研修などで聞いてみると、
『まずそういうことは難しい』と口にする人がほとんどだ。
理由は、
『何と言っていいか判らない』
『照れくさい』
『お世辞じみて取られるのが嫌』

結局は問い詰められていくと、
人は「全てが自分」であることが解る。
これが解ったら、
自分がこよなく愛する人か、
我が子のように慈しむような人以外は、
他人事には首を突っ込まないことだ。

他人に対しては、
批判もせず貶さず・・・褒めもしないコト。
ただ、
気付いたことだけを”自分の意見”として伝える。
したがって、
なにか伝えたい時には、
『それではダメ!』ではなく、
『私ならこうするな!』という表現で伝える。
それをどう受け止めるかは”相手の問題”だ。

それ以上のことをして、
何とか相手を変えようとするから行き詰る。
過去と他人は変えられない

第4,105号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー63-

 

人助けとか、
お役立ちという言葉があるが、
これはどれも、
相手のために行っているのではなく、
自分自身のため」に行っていることに気付くことだ。
そうでないなら、
人は必ず、
その行為に対する”見返り”を求めるようになる。
挨拶」が良い例だ。
『相手を明るい気持ちにするために、
周囲の人達を元気にするために、
まずは自分から明るく元気な「挨拶」をしましょう』。
若い頃はこう教えられてきた。
いまでも、
学校や企業教育でこういう指導をしているところがあるが、
高度成長期やバブル期の時代のように、
表面的な現象を追い求めていた時代はそれで良かった。
でも時代はもう。
そういうところに価値を求めない時代になっている。

相手のために
周囲を明るくするために”と相手目線で向き合っているから、
『私が明るく挨拶しているのになぜあの人は?』と、
相手からの見返りを求める言葉がつい出てしまう。

人間なんだから体調の良い時もあれば悪い時もある。
誰にも挨拶をしないで、
静かに自分の席について深呼吸をしたい時だってある。
誰だってそれは同じだ。
それなのに、
『今日も周囲を明るくするために頑張らなきゃ!』と、
作り笑顔で笑みを浮かべ、
ふり絞るように『おはようございます!』とやるから、
ストレスを生み出す。
そして、
それに応えてくれる人は。
自分が考えるほど多くない。
そして凹む。
『私はやっているのに・・・・』と相手を責めて、
思い描く通りにならないその環境を責め、
一人で抱え込んでいく。

こんな無駄なコトにエネルギーを費やす時間など人生には無い。
しっかりと、
自分目線」で自分の”やれること”にだけ集中して生きる。
これが社会生活における「大原理原則」だ

 

第4,104号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー62-

 

人はそれぞれにそれぞれの考えがあるように、
人の生き方もまたそれぞれだ。
その違いは文化の違い以上に多く存在しているかもしれない。
異なる文化圏の人達が、
自分達と見方や受け止め方が違って当然。
もし、・・・・同じだったら、
海外旅行に行った時の、
感動のようなものはもっと少ないかもしれない。
そしてそれは同じ文化圏の中にも存在する。
それをしっかりと認識したうえで、
人間観察をしてみると意外なことに気付ける。

昔、
まだ孫娘が3~4歳の頃、
近くのショッピングモールに買い物に行った時、
ゲームコーナーのところに数名のパンクロッカーが、
お決まりの”ウンコ座り”のスタイルでたむろしていた。
腕にはタツッーがあって耳にはピアス。
髪型はツンと立たせ奇抜なものだったが、
孫娘はそれを見ると、
『なんであの人達はあんなオシャレをしているの?
なんの衣装?』と私に聞いてきた。
以前の私なら、
そんな若者を見ると批判めいた見方をして、
『あいつらはおかしい!』と、
自分が常識のある正しい人間だといわんばかりに、
孫娘の質問にも批判めいた回答をしていただろう。
私はその時、
孫娘に『うぅ~ンおしゃれだねぇ~』と返した。
すると孫娘は、
『でもミーちゃんはこの髪型が好きだなぁ~』と、
自分の頭を指さした。

人には好き嫌いもある。
私は今でも、
パンクロッカーの生き方を自分では選ばないだろうし、
他人にそれを勧めるつもりもない。
しかし同時にそれを批判するつもりも毛頭ないし、
そんな立場にもいない。

人にはそれぞれ選択の「自由自責」があるのだから。
どんな生き方、
どんなスタイルでも構わないが、
この「自由自責」のバランスを失わないことが大切だ。

 

第4,103号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー61-

 

自分の人生は誰かのためにあるんじゃない。
自分の人生は自分のためにある
誰かのために生きようとしても幸せは感じられない。

受講生の一人にKさんという女性がいる。
数年前に離婚され、
いまはお嬢さんんと二人暮らし。
セミナーに来られた時、
Kさんはこう口にされた、
『私は良いんです。
娘さえ幸せになってくれれば・・・・』
こんなKさんに私は、
『身勝手ですねぇ~。それは”自我”の何物でもありませんよ』

つまり、
Kさんはお嬢さんが、
毎日笑顔で楽しく生活してくれれば、
Kさんご自身は満足だという。
では、
お嬢さんから見たその生活はどうなんでしょうか?
Kさんがいつも歯を食いしばって頑張っている。
疲れ切った横顔を覗き込んで、
お嬢さんは笑みを受けべるのだろうか?

お嬢さんの幸せは、
お母さんであるKさん自身が幸せになること

よく、
『相手が喜んでくれれば、
相手の役に立てれば幸せなんです』と口にする人いるけど、
結局、
それは自分のためだけに動いているということ。

この「原理原則」をしっかりと理解しないと、
家族のため、
誰かのため、
会社のため、
世の中のためと口にしながら、
結局は、
自分が自分のことしか考えていない
偽善者”だということにさえ気付けないまま生きるコトになる。
こういう人が一番の”自己中人間”なのだ。

第4,102号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー60-

 

昨日のブログでご紹介した取締役のY君。
彼の部下にも素晴らしい人がいる。
私のセミナーでは、
もの凄くエネルギーを使わせてくれたⅯ君だ。

Y取締役の部署は会社のメインでやることが山のようにあり、
他の部署とは比較にならない。
そんな部署の中でも、
彼の席の後ろには、
出来るか?出来ないか?を問うなやるか?やらぬか?を問え
この言葉が大きく掲げられている。
したがって、
部下の面々は「やれること」を懸命に取り組んでいる。
彼らが“愚痴と感じるようなことを口にするのは1年に1~2回か?

そんなチームでも、
時折、
ごみ出し”という作業が、
誰の当番だったのか判らなくなってしまうことがある。
『それなら当番表を作ればよいのに・・・・』
そういうご意見がすぐに出るだろうが、
これも、
Y君の理念で、
『こういう小さなことまで当番決めなきゃやれないチームか?』
この一言で表面上だけで当番を決めていた。
それでも突然忘れることもある・・・人間なんだから。

そんな時、
誰かが『あれ?今日は誰の当番だった?』という声が出るか出ないかのタイミングで、
すぐさま、
ゴミ出し作業”と向き合うのがⅯ組んだ。

Ⅿ君はセミナーでのコミットメントで、
『社内事務所と、
家庭内の”ごみ出し”は自分がやります』と誓約した。
それを、
もう7年継続している”凄い奴(こういうのを凄いという)”。
やり続けているうちにⅯ君は気付いたそうだ。
『こういう小さなことは誰か気付いた人がやる。
そうすればチーム全体の責任範囲ももっと小さくできるから。
誰も気付かないなら自分がやればいい』・・・・と