第4,404号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー26-

 

昨日旅立った母の遺品を夜明け近くまで整理していたらこんなことが書かれている本を見つけた。
まるでいつも私がセミナーで語っているようなことが・・・。

過去に生きるのはやめよう。
過去に生きるには、
その生きられる命はあまりにも短すぎる。
現在も未来もあっという間に遠ざかってしまう。

悩むのはやめよう。
過去がいつまでも自分の側にいるのではないかと、
そんなことを考えていたら未来には進めない。

精一杯に生きよう。
一日一日を大切に、
一時間一時間を大切に、
一秒一秒を大切にしながら生きよう。
まだ来てもいない未来を案じるのはよそう。
そして昨日は忘れよう。

昨日はもう過ぎてしまったのだから、
今日という日は昨日とは全く違う新しい一日だ。
だから今日を新しく生きよう。

一日一日は生きている。
新しい可能や新しい絶望があり、
私達は時間と共に止まることはない。
全てのもはそこに止まったままではいられない。

あの忌まわしい過去だって現在だった。
そしていつまでもこうしていたいと思う現在も、
やがて過去となって過ぎ去っていく。

だから今日のために、
この一瞬を懸命に生きよう。
明日は勝手に一人で向こうからやって来る。
精一杯に生きよう。
全力で生きよう。
今は苦しくとも、
それが過ぎ去るのはあっという間だ。

私達には過去未来しか存在しない。
その内、
どうすることもできないのは過去だ。
どうすることもできないなら、
反省楽しかった思い出だけを鞄に詰めて、
あとは全て捨て去ることだ

そして、
未来は何が起こるか判らない
何が起こるか判らない”から「覚悟」が必要になる。
覚悟をしっかりと胸に立ち向かえば必ず道は開ける

改めて『ありがとう!母さん』。

第4,403号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー25-

 

私達が生きていく上では”悩み”はいつまでも付きまとう。
一つが解決したと思ったら、
すぐにまた新しい”悩み”がやって来る。
やって来る”というよりは「生み出す」といった方が適切かな?
悩み”を抱える人の多くは、
『私の目の前にはいつもこういうことが”起こる”んです』
『なんで私はこういうことが”起こる”んだろうか?』
実は、
それは”起きているのではなく”、
自分自身の「受け止め方」が、
小さなことまで”悩み事”にしてしまっているだけのこと。
いつも言っているが、
悩み”を解決する唯一の方法は、
悩みは無くならないと自覚することだ。
悩み”というのは、
その人その人に与えられた人生の課題」。
課題」である以上、
その人がそのレベルを卒業するまでそれは続く。

私達の目の前に起こること。
実際に”起きている”のだからそれは間違いなく”事実”ではある。
事実”ではあるが「真実」とは限らない。
事実は一つ 真実は無限”・・・これは原理原則だ。
〇のことが目の前に起きていても、
それをそのまま〇として受け止める人もいれば、
見方を少し変えて△と受け止める人。
真反対から見て✖と受け止める人。
人の数だけ受け止め方は存在する

つまり、
私達の目の前に起きていることは、
その起きていることが起きているのではなく
その起きたこと
自分がどう受け止めたか?」ということだけが起きている
このことに早く気付いた方が良い

 

第4,402号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー24-

 

人間関係」において大切なことの一つに”笑顔”がある。
ただ言っておくが、
この”笑顔”は決して「作り笑顔」ではないということ。
接客業のスタッフ研修などではよく伝えさせていただくが、
本当の笑顔”」というものは意識して作ることなど出来ない
自分自身が目の前のことにどれだけ無我夢中で取組んでいるか
本当の笑顔”」の条件はここにしかない
自分が無我夢中で取組むことは、
それが終わった時には充実感が残るが、
作り笑顔」で一日中、
誰かと向き合っていれば、
その後に残るのは解放感だけになる。
だから仕事が終わると精神的疲れを感じるのだ。

これもいつも言っていることだが、
好きなこと、
楽しいことをやるから笑顔になれるのではなく
無我夢中でやるから楽しくなれて好きになり、
自然と笑顔がこぼれ出てくる

本当の笑顔”」には不思議な力がある。
その人自身を素敵にも見せるし
何よりも、
敵対者に打ち勝つこともできる力さえ持ち合わせている
それはその”笑顔”の持ち主が、
誰にも恥じることなく、
自分自身で後悔もすることなく、
堂々と胸を張って生きている姿がそこにあるから

第4,401号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー23-

 

私達は誰もが人間社会という組織の中で生きている。
そこから見ると、
私たち自身の”自己成長”に欠かすことが出来ないのは、
何よりも「他人」ということになる。

いつも言っていることだが、
人間関係」は上手くやろうとすれば、
上手くいかないようにできている
一人ひとりの価値観は違うし一人ひとりの特性もまた異なる。
大切なことは”上手くやろうとする”ことではなく、
目の前の相手をまず尊重することだ。
絶対にしてはならないことが3つある。
それは・・・・、
1.否定
2.批判
3.非難
相手に対して、
問題点と感じることを意見として伝えることはいい。
でもこの3つは、
相手に対して自分の意見を伝える」ことにはならない。
それはこの3つがすべて”押し付け”だから。
相手を受け身の立場に追い込み、
ただひたすら自分のやっていることを正当化しようと躍起にさせるだけのことでまったく無意味なことに終わる
さらには、
相手の大切な誇りや自尊心を傷つけ怒りを誘うことになる
そして何よりも、
自分自身の自己成長には何の役にも立たない

第4,400号・ブログ


《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー22-

 

自己成長への道”がここにある。
」がある限り絶対にやることは”前に進むこと”だ。
自分の行くべき道を”戻る時”というのは、
その「」は誤りだったと気付いた時だけ。
それまではひたすら”前に進む”。
これを忘れてはならない。

チャンスは後ろには落ちていない!”
チャンス機会”とは、
成長へに機会。
幸運への機会。
気付きへの機会。
感動への機会。
自省への機会。
機会”とはチャンスのこと。
チャンスとは「キッカケ」のこと。
人生でいつも何かを手にするには、
この「キッカケ」が無いと叶わない。
でもこれは自分の後ろには落ちていない。
『あぁ~あの時あれをしていれば・・・・』
『あぁ~あの時あんなことさえしなければ・・・』
こういうのは自省とは言わず”後悔”という
目も前に、
今までやったことも無いことが現れたら・・・まずやる。
『これをやってどうなるか?』などと考えること自体愚かなこと全て「やれば判る」。
意味が有るか無いか?
そんなことを考えることも無意味なこと。
この世の中には正解も不正解も無い。
意味も無意味も無い。
自分が納得するもしないも関係なく、
それに向き合わなくてはならないコトもある。
大切なことは、
それを「自分がどう受け止めるか」ということだけ。
チャンスは自分の”後ろ”ではなく「」に落ちている。
前に踏み出さない限り、
それは絶対に手には入れられないことを忘れるな!。

第4,399号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー21-

 

信じる」とは?
自分を「信じる」。
両親を「信じる」。
仲間を「信じる」。
自分が選んだ会社を「信じる」。

信じる」ということはその人に対して心を開くこと。
鎧を脱いで、
心の柔らかな弱い部分を無防備にさらけ出す「覚悟」のことだ。
たとえそれで不都合なことが起こったとしても、
『それでもいい!』と思えることだ。
信じること」は傷つくことと紙一重かもしれない。
『相手が自分を裏切るかもしれない』
そんなことを思ったら、
誰だって怖くて心を開くことなんてできない。
『この人は私を裏切るかもしれない』。
『陰では私の悪口を言っているかもしれない』。
『味方の顔をしていても巧妙に私を陥れるかもしれない』。
そんな疑惑が芽生えてきたら、
身構えるし幾重にもバリアーを張る。
人の本当の気持ちは笑顔の裏に隠されている。
悲しいことだが、
私達はなかなか本心を明かせない。
そこに触れられないようにしっかり守る。
だって・・・・・・・・・傷つきたくないから。
でもそれは、
閉じた心閉じた心”の関係でしかない。
綺麗な耳には心地よい言葉のやりとり。
表面だけを取り繕った笑顔。
それは表面だけをさらっとなぞる深みのない関係。
なにが起こったってこれなら傷つかないから。
たとえ傷ついても痛みが最小限だから。
自分を守ることが最優先であればそんな関係を築くしかない。
でもそれでは真の仲間は得られない。
それでいい?
傷ついてもいい
そういう「覚悟」がなければ、
君が生きていく世界はずっと社交辞令の域を越えられない。
敵は味方の振りをする
甘い言葉を投げかけ、
間違いを犯して叱られても『気にするな!』と声をかけ。
この壁を自分で乗り越えなければならない時に、
優しいまなざしでそこにハシゴを持ってきて、
『これ使いなよ』と差し出してくる。
そうすれば相手の身にならないことを知っているから・・・。
信じる」とは”傷つくコト
そんな「覚悟」を持ってこれからも進んで欲しい。

第4,398号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー20-

 

3月からの内定者研修に、
4月に入ってからの新入社員研修にトレナーナー研修。
1年で最も忙しい季節が先週やっと終了した。
今日の内容は「自己成長のため」の復習ととらえ読んでほしい。

コロナ禍が続く中、
テレワークなどで他人と接することが少なくなったせいか?
それとも時代の流れか?
最近は、
人間関係も”社交辞令の域を超えない人達が多くなった。
同じ会社に同期で入社する。
この「もの凄い確率の縁」を感じ取れない人。
同期の仲間の思い込みを指摘してやれない人。
チームワークの大切さ、
仕事に対する”情熱熱意”の大切さを学びながら、
自分の信念を強く語れない人。
優しさとか、
思いやりといったことを表面的にとらえ、
物事を強く指摘できない人。

どれが正しくて、
どれが間違っているということではないが、
何事にも一所懸命に、
愚直になって無我夢中で取組む姿勢の大切さは、
今も昔も変わってはいないはず。

まだ20代の頃。
こんな言葉を教えられたことを思い出す。
自分の精神的若さは自分の持つ「情熱」に比例し、
自分の精神的老いは自分の持つ「弱さ」に比例する。
自分の精神的若さは自分の持つ「経験」に比例し、
自分の精神的老いは自分の持つ「恐れ」に比例する。
そして、
自分の持つ精神的若さは自分の「可能性」に比例し、
自分の持つ精神的老いは自分の「絶望」に比例していく

自分で選んだ会社とは、
自分のこれから先のリーダーその企業のトップ)を選んだことになる。
まずは自分が選んだそのリーダーを「信じる」ことからだ。
組織に入るとはそういう覚悟」をいう。

では「信じる」とはどういうことか?
続きは明日のブログで。

 

第4,397号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー19-

 

情熱熱意)”は「モチベーションやる気)」と似ている。
つまり、
大きな声を出したり、
やたらと騒ぎ立てるように叫んで、
一時的にテンションを挙げることとは大違い
心の奥底から、
沸々と湧き出てくる高揚した精神的資質をいう
それは目の前のことがいかなることであろうとも、
まずは「やるぞ!」という、
強い意志意識)だけがスイッチとなる。
その時に、
誰かのことを意識していたとしたら、
それはもう表面的な形だけを追いかけることになるだろう。
すると、
4~5日もして、
懸命にやっている自分の姿に対して、
誰一人声をかけてくれないような状況に陥ると、
すぐさま、
その意志から「が抜け出してしまう
何度も言うが、
だから、
向き合うのは自分自身」で他人ではないということ
誰が何と言おうと、
自分自身でやる!」と決めたことはやり続ける
そういう姿に、
何かを感じた人にだけ、
自分の”の波動エネルギー波”が伝わり、
相手から、
感謝の言葉や、
喜びの言葉が送られてくるのであって、
決してそれを目指して向き合うものではない

第4,396号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー18-

 

人の”情熱熱意)”というものは、
その人の全存在の「生気」で判る。
顔の表情。
歩き方。
姿勢。
他の人への態度。
些細な作業への向き合い方。
自分自身への向き合い方。
それは、
その人自身が、
人としての在り方”」に強い関心と喜びを持っているから
表面的に、
世のため人のために役立とう」などとは口にも出さない。
ただ黙々と、
愚直に、
自分のやれること”を無我夢中でやり続ける。
そういえば、
居合道の師範は何か月も山に籠って修行をしたという。
バレエの先生も、
現役時代は365日欠かすことなく1日12時間は練習したという。
情熱熱意)”というものは、
時に怠けがちな人意志意識を駆り立て
何事かを成し遂げさせる力を持っている
でも多くの人がこれに気付けない。
それは、
人はとかく、
自分の中に他人という存在を意識しがちになるから
誰かの評価を得る
誰かに喜んでもらう
誰かの役に立つ
自分以外の人を意識しているようでいて、
こういうことが実は、
自分のことしか考えていないという、
原理原則」に気付けないでいる・・・から。

バレエも居合道も、
どちらも向き合うのは自分自身」。
その意志意識)で目の前の練習に向き合うことが出来て、
初めてそれが結果として
見ている人の心を動かすのだ

第4,395号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”自己成長への道”はここしかない」 ー17-

 

人が”情熱熱意)”に溢れている時というのは、
」の使い方で判る。
その人の目の輝きはもちろんのこと、
身体全体に「活気」がみなぎり隙というものが感じられない。
私は居合道を初めて7年になるが、
この居合道とバレエの動きはとてもよく似た共通点がある。
それが”「の配りだ。
見ていて美しいと感じるバレエダンサーの動きは、
指先や足の先にまで「」を感じる。
もっと言うなら、
あれだけ激しい動きをしているにも関わらず、
背中にほとんど皺が寄らない。
先生によれば、
『単に表面的な美しさを見せるなら誰にでもできます。
難しいのは見え難いところの美しさにまで、
気を使っているか?”なんですよね』

居合道は剣さばきの速さと正確さが勝負だ。
素早く抜いて、
切って、
素早く鞘に納め、
また素早く次の太刀の流れを準備する。
これもまた師範の話を聞くと、
『表面的な動きは1~2年経てば誰にでもできます。
でもこれが敵を目の前に想定すると、
相手の動きはもちろん、
風の流れまで”意志意識)”しないと、
最初の太刀をかわされたらまずやられる』

こういう姿勢は、
企業で働く上でも極めて重要になって来る。
”「が配れない人”は「も遅れる
作業も表面的なところだけを追いかけ、
向き合ったことへの”詰めが甘くなる

続きはまた明日のブログで。