第3,602号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -24-

 

本来の自分」に目覚めると、
私達はどうしても葛藤が生まれる。
それは”いままでの自分”と「目覚めた自分」との葛藤だ。
他人に合わせ、
体調が悪くても大きな声をだして、
満面の笑顔で挨拶することが良いことだと思い込み、
お客様の為に、
会社の為にと向き合ってきた
自分で自分を演じていたことにも気付けず、
それが自分だと”思い込んでいた頃の自分”。
古い思い込みの
受け止め方感情)と考え方思考)が逆戻りしてきて、
その板挟みになり葛藤する。
勇気を出して本音を伝えてみたものの、
相手が不快な気持ちになり『やっぱりなぁ~』と凹んだり、
断りたいのに、
これまでの習慣でつい引き受けてしまい後悔したり。
自分を優先すると、
なんだイケナイことをしているようで罪悪感を感じたり。
良い人」の仮面の奥に隠していた、
嫌な自分”、
情けない自分
ずるい自分”が見え隠れして自己嫌悪に陥ったりする。

これもいつも言っているけど、
人間の命の源は地球と同じだ。
地震が起きると、
地球が自分の体調を正常に戻そうとさらに”揺れ戻し”を起こす。
私達も「本来の自分」の戻るためには、
この”揺れ戻し”を経験しながら、
少しづつ少しづつ一歩一歩、
底上げしていけば良い。
この”揺れ戻し”の時期は疲れやすい。
必要以上に「」を遣うから。

第3,601号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -23-

 

ブログも連続3,601回目を迎え、
今日から新しい節目のスタート。
そして奇しくも、
今日は私の69回目の誕生日。
ブログを始めて毎日欠かさず連続3,601日、
ほぼ10年だ。

時代は大きくシフトして、
人材教育も実在意識を刺激して、
お客様に喜んでいただくために、
会社に役立つためには、
苦しいことは我慢して、
どんどん勉強して、
勉強し続けていると、
見えないものも見えてくる、
新しい発見”こそが勉強の「楽しみ」につながるから・・・・。
こういうことが全く通じない時代になってきた。
実在意識より一人ひとりの潜在意識に向かって、
研修やトレーニングに取組んでいかないと、
一時的にテンションは上げられても、
潜在的モチベーションを刺激することは難しい。

人の持つ”価値(魅力)”というものは、
大げさにいうなら、
一人ひとりがそれぞれに、
宇宙に匹敵すような大きなものを持っている。
宇宙に匹敵する”とは、
それだけ素晴らしいエネルギー)を、
各自が持ち合わせているということ。
だから○○さんのようにとか、
№1にならなきゃとか、
他人との差別化を強くしなくちゃなどと、
考える必要も意識する必要もないのだ。
それよりもしっかりと、
本来の自分」を自覚して、
誰かに合わせたり、
誰かに伝わるようにとか考えるより、
つねに自分が、
いまどんな自分?」なのかを検証していくことだ。

ダメなところを補って、
目標を強く意識して、
誰かと競争して、
必死になって頑張って・・・・・・・、
今の時代の流れはもはやそういう意識や姿勢や不必要な時代。
それよりも大切なことはあくまでも「自分らしさ」だ。

69回目の誕生日を迎えて今さらのように強く想う。

第3,600号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -22-

 

誰かの為にとか、
会社に役立つためにとか、
目線を自分ではなく他に向けていた時、
人は間違いなく”本来の自分自身”を見失っていく。
職場でリーダー研修などをすると、
必ず出てくる言葉が”率先垂範”。
面倒なことも、
辛い作業も、
リーダーが率先して行動に移していくこと自体は大切なコト。
でもこれを、
「部下にその背中を見せるため!」と向き合って行くと、
目指すところは全く異なる方向に向いていく。
いくら自分で、
「これ良いでしょぉ~!」といったところで、
人の受け止め方は人それぞれだ。
その姿を部下が観て、
どう受け止めるかは部下自身の問題で、
リーダーにはどうすることもできないこと。
この「原理原則」を忘れて、
リーダーはこうあるべき”と説いたところで無意味なことだ。

職業軍人だった亡父に、
はじめて係長になった時に、
指揮官意識”というの教えられたことがある。
陸軍少佐だった亡父が持っていた、
陸軍軍人勅諭」という堅苦しいものの中に書かれていた言葉。

指揮官先頭意識の見せかけに乗るべからず 
        指揮官たるものつねに己を己に見せしもの

これは指揮官というのは、
部下にその背中を見せるために動いているのではなく、
自分自身に恥ずかしくない姿かが問われている」という意味。
いつの間にかどこかでパフォーマンス・リーダーの
見せかけ意識だけが先行したようだが、
こんなところにも「自分目線」の大切さがあったということだ。

第3,599号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -21-

 

人生は決して思い通りには行かない。
仕事への取り組みも、
人間関係も、
お金の問題も、
子供のことも、
思うように行かず、
苦しんだり、
悩んだり、
辛かったり、
悲しかったりの繰り返しの方がはるかに多くあるはず。
出も我慢などしちゃダメ。
頑張って無理をしたらなおダメ。
いつも言ってるけど、
やれること”だけを懸命に取組んで、
そんな自分を時々は称賛してやることだ。
そしてなによりも、
辛い時には『辛いなぁ~』と、
悲しい時には『悲しいなぁ~』と口から出して言葉にすること。
『自分は今こんな感情を抱いているんだなぁ~』と、
自らを振り返ってみることで”客観的に自覚”することができる。
客観的に見えるようになれば振り回されることもなくなる。
言葉にして口から出してみると、
話す”ことでその感情は「離す」ことが可能になる。
気持ちを抑えずに、
素直になって誰かに”言える”ことで心は少しづつ「癒える」。
どんな感情も否定したらダメ。
『こんな気持ちじゃいけない!頑張らなきゃ!』
そうやって無理をしていることが、
実はこれ、
懸命にそれに向き合っているのではなく、
すなわちそれに振り回されているということ。

こういう「本質」に気付いたほうが良い。

第3,598号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -20-

 

人生という登山道ではいろいろなコトに出逢う。
言いたかったのに言えなかった”・・・「苦しかった」こと。
断れずに断れないで頑張った”・・・・「しんどかった」こと。
頑張ったのに認めてもらえなかった”・・「悔しかった」こと。
泣きたいのに泣けなかった”・・・・・「我慢した」こと。
解って欲しかったのに解かってもらえなかった”・・・
悲しかった」こと。
もっと甘えたかったのに甘えられなかった”・・・
寂しかった」こと。
信じていたのに裏切られた”・・・・「辛かった」こと。

多くの人が・・・・、
いや全ての人がこういう経験をしているはず。
でも、
「そんな姿を見せたくない」
「自分だけがそんな気持ちになっていたのか?知られたくない」
そうした気持ちが、
全てを飲み込むことで解決すると思い込み、
自分の殻の中に閉じ込めて、
自分じゃない自分”を演じながら生きていく。

もうそういうのはやめて、
自分の”魂()”に蓋などしないで、
一度、すべてを吐き出して、
出てきた感情をそのまま、
自分自身で受け留め、
自分で自分に優しい言葉をかけてあげることだ。

泣いても、
怒りがこみあげてきても構わない。
「寂しい」
「辛い」
「苦しい」と自分自身に本音で語り上げてあげることだ。

そして、
「悔しかったろぉ~」
「辛かったろぉ~」
「寂しかったろぉ~」
でももうこれ以上、
他人に無駄な「エネルギー)」を使って、
無理や我慢をしないで、
これからの人生の登山道をまた一緒に歩んでいこう!』と、
自分で自分に声をかけてあげてほしい。

第3,597号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -19-

 

人生という登山道で、
自分をその頂に置く””ということは、
自分勝手に、
我が侭を通すように過ごせということではない。
つねに自分自身を見つめ、
自分の足元を見据えて進むことで、
自省自制」が必然的に芽生え。
そこに自責の姿勢というのが必然的に身に付いてくる。

人はそうなってくると、
本来の自分というのが蘇ってくる。
心が緩やかになり、
今まで閉じこもっていた殻を内側から破り出て、
同時に、
今まで「見たくない!」と目を背けていた、
自分自身のネガティブな感情も垣間見え始める。
なんで自分がこういう姿勢で生きるようになったのか?
小さな頃のあの経験か?
若かりし時代のあのことか?
俗に”トラウマ”というようなものまで出始めてくる。

私のセミナーでは、
このプロセスを「素言(そげん)」というカリキュラムで取組んでいくが、
些細なことで涙する受講生もいる。
今までの、
演じていた”自分ではない自分”との葛藤の中で、
全く口ごもってしまう受講生もいる。
このプロセスはある意味、けっこう辛い時間かもしれない。
この「素言」という時間の中では、
無理に話す必要などない、
話したくないことは話さなくても良い。
無理に自分を奮い立たせようとしたり、
ポジティブな発言をしなくても良い。
ただただひたすら、
自分のこれまでを振り返り、
自分で自分と向き合い、
湧いてきた感情をそのまま吐き出してもらう時間だ。
素直に、
このプロセスに向き合った人だけが、
この時間で間違いなく、
自分で自分自身をはっきりと”自覚”することができる。
でも一部の人は、
そんな中でも、
自分を演じる”ことから抜け出そうとしない受講生もいる。

続きはまた明日のブログで!

 

第3,596号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -18-

 

旅行などに行くと、
「せっかくここまで来たんだから・・・・」
「あそこまで行くならここにも・・・・・」と、
訪問予定先をパンパンに詰め込んでしまう人がいる。
もちろん、
それでその人がゆっくりと楽しめればそれはそれで良いのだが、
私にも経験があるが、
無理に予定を消化していくのはしんどい。
いつも間にか、
旅行に行って楽しもう!」という目的が、
計画したところを完全に回る!”のが、
その旅の目的になっていることが良くあった。
友人知人との旅行なども、
相手に合わせすぎると疲れることがある。
「相手に悪いから・・・・」
「相手がどうしても行きたいというから・・・・」
これもさっきの、
せっかくだから・・・・」と同じだ。
自分に”無理”をさせるのではなく、
自分が満たされる選択をした方が良い。
自分の身体が疲れているなら、
『ごめん!私はちょっと疲れたから先に宿に帰って待ってるね』と正直に伝えた方が良い。
時には同行した仲間と、
一時的に別行動をとったりするのも知恵だ。

大切なことは、
何かをしたという経験体験」”ではなく、
自分自身がどう感じたか?」だ。
経験したこと、
体験したことを通して、
自分自身が満たされる」ことが目的のはずなんだから。

人生という登山道ではどんな時も、
仕事も、
遊びも全てにおいて、
自分がその頂にいる」ということが大切なコト。
そして、
それは身勝手”とは全く異なることを忘れないでほしい。

第3,595号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -17-

 

心の乾きが潤ってくると、
人は自然と、
自分の周囲に起こっている「小さな幸せ」に気付きはじめる。
日頃は当たり前と思っていたこと。
奥さんやお母さんが洗ってくれた真っ白な肌着。
『ただいまぁ~!』と帰宅すると、
『お帰りぃ~!』という暖かな声。
玄関にいつもはバラバラ脱ぎ捨てられいる靴を見て、
無意識にそろえてしまう自分がいたり。
日頃は『うるさいなぁ~』と感じた子供の遊び声。
仕事でいつもは物調面の上司が、
外回りから帰るとかけてくれた『ご苦労さん!』の声も、
いつも通りに笑顔は無いけどどこか違う感じがしたり。
自分のお店のお客様が何かをお探しのようだと、
仕事だからではなく、
『何かお探しですか?』と自然と声をかけてあげたくなったり。
「”ありがとう”は魔法の言葉だ!」なんていわなくても、
いつも自然と口から『ありがとう!』が出てしまう。
タクシー乗っても、
コンビニやスーパーで買い物をしても、
宴席で部下がビールを注いでくれても、
昼間の疲れからか?
妻が食事中に居眠りはじめても(笑。
心の中で、
いつもありがとう!』といえる自分が現れてくる。

結局は、
いつも当たり前と思い込んでいた
とっても小っちゃなことが、
本当はとても刺激的で、
嬉しいことばかりだったんだと気付けるようになる。

 

 

第3,594号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -16-

 

人は”渇望”をため込んでいくと、
それを改善するには、
その原因となったコト以上のモノやコトを求めるようになる。
つまり大きな刺激が必要になるということ。
水の入ったコップを乾いた部屋の中に置いておくと、
直ぐに枯れて空っぽになる。
乾燥している部屋なら、
次はもっと大量の水を準備しておかないならない。
反対に、
潤いのある部屋なら、
毎日少しづつ少しづつ水を数滴たらしていくだけで、
コップの中は満たされていく。

大きなご褒美や、
強い刺激を求めているのは、
無意識のうちに、
どこかでいつも自分に”無理”をさせているから。
心の中の乾ききった空間を、
一気に解消しようと、
いつも高額の買い物をしたり、
海外旅行に行ったり、
派手なイベントへの参加を望んだりするのは、
そういうことの表れだと思った方が良い。

それよりも、
もっと”自分目線”で日々を送ることだ。
だいたい人生なんてアッという間だ。
他人のことなど構っている暇などあるはずがない。

誰かに勝つとか、
誰々より上を行くとか、
一番になろうとか?
ビジネスだってそうだ。
”優勝劣敗”と叫んで、
他社を圧倒するような成果を上げることを目的にしていると、
間違いなく自分自身を見失っていく。
自分を見失えば”自分目線”にはなれない。
自分目線”になれないと、
自分の足元を見つめることは難しくなる。
だって、
誰かに、
誰々より、
一番に・・・・・・・、
これ全部、
相手”のことが「自分の」の中に入ってきている。
自分のコップの中の水を、
知らぬ間に他人に飲まれてしまっているようなものだ。
これでは”渇望”が溢れても仕方がない。

第3,593号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -15-

 

人は我慢や無理をしていると、
その期間が長ければ長いほどストレスや渇望は溜まってくる。
サービス業の仕事をしていて、
従業員に、
「お客様に喜んでもらうために!」
「お客様が嬉しいと思う行動を!」
こういう教育を永いこと続けてきたけど、
そういうやり方が通じたのは20年前まで。
行動心理学を学びだしてから、
特に今の時代、
これは大きな誤りだったとつくづく気付かされた。

こういう指導を繰り返していると、
従業員は間違いなく、
その”視線”がお客様から遠のいていく。
で・・・・、
それがどこに向くかというと、
自分の上司の方に向くようになる。
『ほら!私はこんなにやってますよ!』と。

恋人や奥さんにプレゼントをする時も同じ。
『これなら絶対喜んでくれるだろう!』
これはもう、
「こういう気持ちが相手を思いやるということ」と、
大きな勘違いをしていることに気付けないと、
万が一、
プレゼントを手渡して、
相手が大喜びをしてくれないようなことになると、
『なんでぇ~嬉しくないのぉ~?』
『これ探したんだよぉ~』
『これ高かったんだよぉ~』・・・・・と、
もう誰のためのプレゼントか全く判らなくなっていく。

サービス業での接客も、
恋人へのプレゼントも”自分目線”が大切。

つまり、
自分がいまやれること」を愚直に懸命に取組む。
サービス業の接客も形があるものでは無い。
君の”想い”。
自分が向き合っている仕事に対する”想い”を届ける作業で、
決してお客様を喜ばせるためのものでなく、
君の姿と接したお客様一人ひとりが、
その姿と姿勢を見てそれぞれに感じて反応するだけ。
まっ、これは接客に限らず、
いかなる仕事に向き合う時も、
自分の「」がその場に無いならやらない方がまだ良い。

自分を大切にするとはそういうことを指している。