第4,893号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー49

 

この感情は自分が作り出している
こうして「自分を客観視」できるようになると、
目の前の出来事の受け止め方は自ずと変わって来る
これがやれたら、
次は静かに「自分自身に指先を向け始めて行ってみること。
「あの時・・・・自分がもし○○していたら・・・・・」
「自分がもしあそこであんな言い方をしなかったら・・」
「もし自分が別の受け止め方をしていたら・・・・・・」
相手はどんな出方をしただろうか?
今のこの自分の「感情」はどうなっていただろうか?
誰にでも過ちはある。
ましてや、
一時の「」の状況変化の中で、
つい口から出てしまった言葉もあろう。
つい、つい・・・・・・。
そこには他意も嫌味もなかったのに、
相手には少し曲がって伝わってしまったことも・・・・。
こういうことの繰り返しの中で、
私達は少しづつ少しづつ誰でもが成長をしていっている

第4,892号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー48

 

心が折れやすい人”というのは、
自分が『嫌だなぁ~』と感じるたことを、
いつまでも忘れないでいる。
他の人から見れば、
『なんでそんなこと気にするんだ』と思うようなことも。
でもそれは何度も言うが、
に負荷を負わせマイナスのエネルギーしか生み出さない

でも、
『忘れよう!』
『忘れたい!』
強く思えば思うほど私達の「」の中に、
その根は深く息づき広く根を杯巡らせていく。
この悪循環を止めるには、
そんな感情がどこから起きてくるのかしっかりと探ることだ。
つまり、
誰かから酷いことを言われたら、
多くの人は、
『”その酷いことを言った人が悪い』と決めつけたくなる。
そう、
言ったのは確かにその人だが、
それを『あぁ~嫌なコトを言われたと受け止めたのは、
他ならぬ自分自身だということ
その「感情は紛れもなく”自分自身が作り出している
まず、
これを自覚することに向き合ってみるとよい。
必ず何かを感じ取れるはずだから・・・・。

 

第4,891号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー47

 

私達は誰もが「日に日に成長している」。
毎日たくさんの経験をし、
そこから悔しと辛さと、
そして嬉しさと喜びの中で「」も少しづつ育まれていく。
『いやぁ~私なんかダメですよぉ~』と語る人でも、
決してそんなことはない。
自分の3年前、
あるいは5年前のことを思い返してみると良い。
あの時は、
『もぉ~駄目だぁ~』
『あぁ~どうしよう?』と悩み喘いでいたことも、
いつの間にかどこかに消え去られ、
『なんで?あんなことで悩んでいたのだろうか?』
そう感じられることが一つや二つはあるはず。
それは自分が成長している何よりの証だ。
それと同じで、
いま自分が心の中に抱え込んでいる”悩み”も、
3年か5年後の自分からはどう見えているのだろうか?
それを感じることがやれるなら、
3年後5年後の自分」を想像して、
そんな自分から、
今のその自分に声をかけアドバイスしてやることだ。

第4,890号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー46

 

いつも言っているけど、
私達の目の前に起きる出来事は、
実は、
その出来事そのものが起きているのではなく
それを自分自身がどう受け止めたかということが起きている
私は4~5歳くらいまでは何不自由なく過ごせていたが、
父親の事業の失敗から、
その後は貧乏生活が続いた。
でもそのお陰で、
わずかな賃金でも働ける喜びを手に入れられた」。
高卒で就職したての頃は学歴コンプレックスもあったけど、
そのお陰で、
人にものを教わることにまったく抵抗感が無かった」。
専門的な知識も無かったので、
知識を持った人に教わり、
その人を信じ切る」ことしかやれなかった。
お陰で、
自分を信じてくれる人が周りに多く集まり残ってくれた」。
まっ、
こんなことは逆境でも何でもないが、
要は、
全て「自分の受け止め方”」だということ。
今では偉そうに語ってはいるが、
こういうことに気付けたのはもう50も半ばを過ぎてからのこと。
若い人には、
可能な限り早くこれに気付いていただきたい。
それだけで人生の受け止め方そのものが変わる

第4,889号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー45

 

心が折れそう”になったら・・・。
目の前に起きたことの「意味付け」を意識して考えてみる。
例えば、
具合が悪くなったら、、、、
『どうしようもっと悪くなったら・・・・・』ではなく、
『これは”休みなさい”と言われているんだ』と受け止め、
ゆっくりと休むことだ。
嫌なコト”が起こるのは、
起きたことを、
自分で”嫌なコトと意味付けているに過ぎない。
昔、
新調したスーツで出勤した時、
途中で、
鳥の糞に見舞われた(涙。
高級なスーツではないが、
気持ちも新たに胸を張って出たのに・・・・ドットと落ち込んだのを覚えている。
会社に行って、
肩口に着いた鳥の糞を拭きとっていると、
上司が、
『おぉ~受けたねぇ~「」の運び屋からか良いねぇ~』
『何がいいもんか・・・・』と心の中でぼやいていると、
『”鳥の糞にやられたと思うと心が落ち込む
そうじゃなくて、
”「)」が付くなんて
人生でそう毎日は経験できないくらいが良いこと”と受け止めた方が良いよ』と声を掛けられた。
そんな上司の言葉に、
『そうだなぁ~スーツはクリーニングに出せば済む・・・』と、
逆になんか良いことが起こりそうに感じたものだ。

そして現実にそれは起きた(笑。
これが48年前に妻と初めて出逢った日の朝の出来事

第4,888号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー44

 

心が折れにくい人”はいつも「自分らしさ」を無くしていない。
自分らしさ」ってどういうことだろうか?
誤解されるかもしれないが、
解り易く、
少し乱暴な言いかをしてしまうと、
自分がやる!”と決めたことは
他人が何と言おうがやり続ける意識を持ち”やり抜く“姿勢
そして

その結果の全てに自責で向き合う姿勢」をいう。
自分の感情好きか嫌いか得意か苦手か?)」だけで、
自分の好むように、
自分が楽と感じる、
自分が楽しいと感じられれば良いと言ったものとは全く異なる
例えば、
大好きな趣味がある。
『それが無くなったら何のための人生か判らない』とまで言うようなものがあるとする。
勘違いの自分らしさ」でいうなら、
『私は大好きな○○があるので残業は一切したくありません』
または、
会社の上司の指示命令にも、
『それは私の主義に反しますのでやりません』
よほど上司が非合法なコトをやらせようとしているなら別だが、
こういう「自分らしさの勘違いは、
ドンドンと自分の人生道の道幅を狭くしてしまう

第4,887号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー43

 

私達は、
他人と比べることでしか自分を知り得る術を知らない
『あの人は頑張っているなぁ~素晴らしいなぁ~』
『あの人は辛いことがあってもいつも前向きだ見習わなきゃ』
こういうふうに、
誰かを自分の手本にしてという意識は大切なことでもある。
ところが多くの場合、
『私もあの人のようになれたらいいなぁ~』と、
その表面的なものにあこがれ思い描くだけで、
自分は何もしないでいるとか、
『あの人に比べると私なんか・・・・』と自己嫌悪に陥るようなことがあるなら、
そういう意識はすぐに捨て去る方が良い
人はどんなに努力しても「他人の人生を生きることは不可能」。
他人からは
その人の言動の中から、
自分自身が何に気付けて、
それを、
どう自分の行動に移していくかでしか学ぶことはできない

他人を羨ましがってみたところで、
自分がその人と同じようになれるわけではない。
自分自身が『素敵だなぁ~と感じる人は、
その人が
その人の人生の中で
しっかりとやれることに向き合い
それを無我夢中になってやり続けてきた結果でしかない

その人の見えるところ
耳にすることだけ意識を奪われないようにすることが肝要だ。

第4,886号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー42

 

多くの人は”1人は寂しい”と感じやすいが、
実は、
独りになる」ことは心を落ち着かせ、
自分自身と向き合うには最良の方法と言える。
私達は、
ほとんど日常の生活の中で、
誰か他人)”を自分の中に引き込んで生きている
家族がいて、
仲間いることは素晴らしいことではあるが、
その中に埋もれて、
自分を見失ってしまう”ようなことになっては元もこうも無い。
孤立”は好ましくはないが、
孤独は自ら意識して作るに値する時間だ。
1人になって、
静かに、
自分と真正面から向き合ってみる。
誰もいない。
そこには自分しかいないのだから、
自分自身の」以外に「を遣うところは何もない
人は誰にでも隠しておきたいようなこともある。
誰かに知られたくないこと。
恥ずかしくて、
後悔ばかりが時間と共に積り、
いつも心の中に思い鎖のようにへばりついているようなこと。
そんな自分だけが知っている”自分の闇”の部分も、
静かに思い起こしてみる。
それはいずれも過ぎ去りし過去のこと。
どんなに忌まわしい出来事も、
その事実を変えることはできないが、
それを振り返りながら、
自省自制」の中で今をどう生きるかで、
過去の出来事そのものは変えられなくても、
その意味付けを変えることは誰にでも可能だ

 

第4,885号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー41

 

何かをやろうとする時、
『どうせやるなら”楽しくやりましょう!”」と、
簡単に口にする人がいるが、
行動心理学からいうと、
こういう人に限って、
仕事も楽しめず人生も楽しめていない。
自分が「楽しい」と感じるのは、
仲間と酒を呑んでバカ騒ぎをしている時か、
自分の得意とすることをやっている時だけだ。
私達は、
特に初めて経験することに対して、
『楽しくやろう!』などという心理になることはまずない。
そこには期待不安アンバランスに待っているだけだ。
楽しさ」という、
私達の「感情は何もしないところには生まれない
はじめて社会人としてスタートする人に、
『仕事は”楽しくやろう”」といえば、
大方半分の人は、
『”楽しく”って・・まだやっていないしなぁ~』と首をかしげ、
残りの半数の人は、
『そうか”楽しくやれ”ばいいんだぁ~』と、
その言葉を感覚だけで受け止め
楽しく」と”ふざける”さえ分別も無く行動しだす。
仕事もなんでもそうだが、
大切なことは、
まずは「真剣になって向き合うこと」だ。
好き嫌いとか、
得意とか苦手とか、
納得いくとか行かないとか、
そんなことを考えている暇があるなら、
誰でもがやれることを誰もがやらないレベル
トコトン無我夢中になってやることだ。
そういうことでしか人生や仕事での楽しさは手に入らない
折れない心”を作るには、
こういう意識で物事に向き合い続けることしかない。

何事も“楽しいからやる”とか“楽しんでやる”のではなく「やるから楽しくなるという原理原則を忘れないことだ

第4,884号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー40

 

人は普段から「自分自身に語り掛ける言葉」が、
そのまま「自分を創り上げていく」。
たとえ失敗をした時でも、
『あぁ~どうしよう?こんな失敗しちゃって・・もぉ~ダメだ』・・・・ではなく、
こういう時こそ冷静になって、
客観的に自分自身と向き合い、
『原因はいったい何だったんだろうか?』
『準備が不十分だったのか?』
『計画が不十分だったのか?』
『それともやり方が・・・・』
そして、
更にそのどこに具体的な問題点があったのかを探し出していく。
前に進める人」と”いつまでもそのままでいる人”。
その違いはそういうところに生まれてくる。
特に後者の人は、
『あぁ~ダメだなぁ~俺は・・・・』
『なんでみんなのように上手く行かないんだろうか?』と、
自分のダメなイメージを自分で作り上げていることが多い
それは反省でもなければなんでもない。
ただの”愚痴”にすぎない。
いつも言っているけど、
この世の中に「完璧な人」などというものは存在していない。
誰にでも失敗は在り後悔がある。
大切なことは、
その結果現象だけに振り回されているのではなく
自分自身を客観的に見つめ直して」進んでいくことだ。