愛4,832号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー100

 

損得規準だけでとった選択」という行動は、
私達の人間関係の中にも入り込んでいく。
『あの人はうるさいから挨拶しておこう』
『あの人は影響力ある人だからお近づきになっていた方が良い』
『あの人は部長でもうちの下請けの様なところだから・・・・』
自分の仕事に役立つ。
知り合っていれば損はない。
得をすることがあるかもしれない・・・・となると、
積極的に出ていき。
自分にとって特にならないとか、
自分を認めてくれていないから・・・・となれば、
挨拶もろくにせずけんもほろろな態度でいると・・・・。
その見返りは全て自分に返って来る」ことになる。
人間関係で「関係性」を築くには、
「”損得勘定の上には成り立たない」ということを知ることだ。
そこに築け得るのは”ただの関係”だけになる。
関係”と「関係性の価値には雲泥の差がある

第4,831号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー99

 

人生は「カオスの法則」の中で動いている。
1秒先は何が起こるか?
自分はどんな状況になっているか?
これは誰にも判らない。
その「カオスの法則」の中で、
私達は物心ついた頃から、
数えきれないほどの「岐路」と向き合い、
その「岐路」に立たされた時の「選択」そのものが、
その先の状況を変えていく。
この「選択」と向き合った時に必要になるのが「判断基準」だ。
これは、
自分が今まで育ってきた環境や、
経験や体験、
そこから培われてきた価値観によって人それぞれに異なる
そしてもう一つ。
人間の行動原点となっている「」がそれに絡んでくる。
就職先を決める時に、
『ここは一流か?』
『将来性は?』
『給与体系は?』
「福利厚生は?』
こういう「判断基準」の傾向が多く出てくるが、
そこに見え隠れするのは”自分が考える損得規準”。
こういう”損得規準”だけで「選択」という行動を取ると、
その人の”心配事”にはずっとそれが付いて回ることになる。

人の「」とは“損得“とは違う。

第4,830号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー98

 

人というのは、
目の前の人がどんな人で在れ、
その目の前の人に生かされ生かし合って向き合っているもの。
自分が思い通りにならない相手はダメとか、
自分の話をよく聞いてくれて、
その通りにしてくれる人が良いとかという問題ではないのだ。
言葉遣いがキツク嫌味な上司も、
自分のことしか考えず、
チームワークの本質さえも理解しようとしない部下も、
今の「自分に必要な人」だからそこにいる。
清風明月を祓い明月清風を祓う」という言葉がある。
爽やかに吹く風と、
明るく輝く月はそれぞれに美しく、
時に、
お互いが主となり脇となって存在し、
お互いの美しさを高め合っていると意味の言葉だが、
人間関係もこれと同じだ。
よ~く周りを見渡してみることだ。
あの嫌な上司が・・・・・もしいなくなったら・・・。
次に現れる上司は、
自分の思い描く理想の上司なのか?
もし、
そういう展開になったとしても、
今のような受け止め方で相手を見ている人の前には、
必ずまた、
その嫌だと感じる上司に変わる嫌な奴”が現れてくる。

 

第4,829号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー97

 

自分の”心配事”を誰かに受け止めてもらうには、
自分自身が「聞き上手」にならなくてはならない。
自分の”心配事”ばかりを語り、
仲間や部下から相談事を持ち込まれると、
『なんだよぉ~また愚痴かぁ~』という姿勢をだして、
露骨に嫌な表情を出したり、
ただ相手の話を聞き流しているような態度では、
憂さが晴れるどころか、
かえってストレスを生み出してしまうことになりかねない。
聞き上手」になるために心得ておかねばならないことは、
まず真剣に向き合う意識と姿勢
相手の話の腰を折るような言葉を投げかけたりせず。
まずは、
しっかりと相手の話を聞いた上で、
共感するところは共感する
『それは違うだろ!』と考えるところは、
ハッキリと『その考え方は違うと思うぞ!』と、
ハッキリと自分の意見を伝える

ここで勘違いして欲しくないのは、
誰かに打ち明けろ」というのは、
自分の言い分だけを伝えてスッキリしろ”ということではない。
誰かに胸の内を話したところで、
目の前の”心配事が解決すわけでもない
誰かに語って相手の意見を聞いたう上で、
そこから、
自分で新しい気付きのキッカケをつかみ取れ”ということ。
こういう会話を、
ビジネスの世界では「弁証法対話」とも呼んでいる。
議論とか対話というものは、
自分の意見は正しい”と思い込んで、
相手を納得させることではない。
対話や議論を重ねることで「第3の考え」をまとめることだ。

第4,828号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー96

 

仕事の場でも、
堪えがたいほどに苦しい”と感じてしまう出来事も多くある。
上司のパワハラかと思えるような言葉遣いに言い回し
みんなが力を合わせて一つのことに向き合っているのに、
『私はこれやっているから・・・・』とばかりに、
空気の読めない部下や同僚の存在。
時代遅れも甚だしいような根性論で責めてくる上司に、
ワークバランスのうんちく並べて残業があってもやらない部下
こういう人間社会の中で、
一人で”悩み”を抱え込もうとすれば、
精魂尽き果てて、
やがては精神的に疾患を生み出してしまったり、
それが度を増していくと過労死にまで至っていくこともある。
どんな小さなことでもいいから・・・自分で抱え込まないコ
『自分は管理職だから・・・・・』
『自分は新入社員だから・・・・』
『自分はもう役員だから・・・・』
そんなことより、
みんな同じ人間」なんだから。
素直な気持ちで、
自分の足元を見つめて、
誰かに語れば必ず手を差し伸べてくれる人はいる

そして、
後は、
自分がそういう人からのアドバイスをどう受け止めるか?」
これだけのことだ。

第4,827号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー95

 

私達の国民性の特徴の一つかもしれないが、
日本人は「慎み深く忍耐強い」。
これは誇れることでもあるが、
時に、
自分を必要以上に追い込んで苦しめてしまうことがある
典型的なのが”介護”だ。
高齢化がどんどんと進んで、
これからますます”介護人口”は増えていくだろう。
それに伴って、
そうしたお年寄りを”介護する側のご家族の負担も増えていく
こういうことも私達の国民性の特徴としてか?
『私がやらなきゃ!』
『大切な親の介護だから・・・・』
『愛する妻(夫)の介護だから・・・・・私が・・・・』
こういう思いから、
しんどくても、
辛くても、
苦しくても、
寝る間さえ惜しんで黙々と”頑張り続ける”。
その結果、
高齢者が高齢者を介護するという”老々介護”に陥り、
どうにも背負いきれなくなっていきかねない・・・・、
介護環境が十分に整っていないことが大きな原因ではあるが、
その改善を待っていても仕方のないこと。
こんな時は、
可能な限り多くの人に、
自分が向き合っている現状を語ることから始めることが大切。
一人で頑張ったら・・・・・ダメ”に気付こう。

第4,826号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー94

 

心配事”がやってきたら絶対にしてはいけないコトがある。
それは”独りで抱え込まないコト”だ。
一人で『どうしよう?どうしよう?』と考えたところでどうにもならないものはどうにもならない。
こういう人は、
実は”悩み考えているのではなく
『どうしよう?どうしよう?』と狼狽えているコトが、
考えているコト」だと勘違いしている。
私達が抱える”心配事”の多くは、
実はその”心配事”そのもので”悩んで”いるのではなく、
『こういうことが他人に知れたらどうしよう?』
『こんな自分を周りはどう見るだろうか?』を”悩みにしてしまっていることがほとんどだ。
門を開けば福寿多し」という禅語があるが、
心配事”が起きたら、
自分が信頼している人に、
何もかも包み隠さず、
あからさまに話してしまうことだ。
苦しいことを抱えている。
困ったことが起きてしまった。
自分は何をやったら良いのか判らない。
何もかもを”自分だけで背負う必要”などどこにもない。
助けてほしい時は、
素直な気持ちになって助けを求めればいいだけ。
概ね、
ほとんどの人が形は違えど、
同じような”心配事”を抱え込んでいる。

 

第4,825号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー93

 

有名な論語の格言の中に、
過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ」というのがある。
これを実践することを”やれる人というのは数少ない
特に年齢を重ねたり、
役職が上に上がっていく人ほど実行力は落ちていく。
多くの人の場合、
自分にも「その原因の一端」はあると気付きながら、
『でもあいつが先に・・・・・』
『だって上司のあの言い方が・・・・』
『あいつが何度言っても解らないから・・・』と、
自分のことより先に、
まず・・・・”他人にある原因の一端”を指摘したがる。
先に謝罪するのはどこか”憚られる”のだろうか?

論語にはこんな言葉もある。
過ちを改めざるこれ即ち過ちという
いつも言っているけど完璧な人などこの世にいない。
誰だって”過ちを犯す”。
過ちを犯す”ことが「過ちではなく
自分の”犯した過ちに気付きなが
素直な気持ちで謝罪することをやらない”ことこそが、
大きな過ち」だということ。

謝罪する」という行動には大きな原則が2つある。
これを「謝罪の2大原則」と言っているが・・・・それは、
直ちに
直接面と向かって
この2つどちらかでも手を抜くと伝わらない
つまり、
ラインやメールなど以ての外だ。
電話なら、
『取り急ぎお電話で申し訳ございませんが・・・・』
そう付け加えて直ちに先方に出向く。
今はこれが”やれない低能力者が多すぎる・・・・。

 

 

 

第4,824号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー92

 

親友」という存在があるが、
この「親友」というのは、
付き合ってきた時間とか、
逢っている長さは無関係。
自分の本心本音)はもちろんのこと、
相手の本心本音も受け止めて向き合える間柄である
これが絶対条件になるが、
そういう間柄の人というのは誰でもそれほど多くはいないはず。
私達自身の「人間関係の歴史」を振り返ってみるとよい。
ずっと「良い関係性」を保てている人・・・・って、
これもまた多くはいないはず。
何十年という永い付き合いの中でも、
チョッとした感情の行き違いや、
ボタンの掛け違いから生まれる誤解で、
突然、
仲たがいや諍いが起きたことも多くあるはず。
むしろ、
一度も喧嘩をしたことのない親友”などいるはずも無い。
大切なのはその後の「自分の行動」だ。
相手の行動は相手の課題だから・・・。
喧嘩両成敗」ではないがどちらにも”言い分はある”。
言い分はある”・・・・・・・・・・が、
まずは自分は自分のことだけ顧みて
詫びるべきことはすぐに詫びる」・・・・これが重要
こちらが先に詫びを入れても、
相手がそれにどう反応してくるかという絵図を描かないコト
これをやると、
せっかくの「詫びも活きてこなくなる
これでは、
せっかくの「必然の出逢い」という「もまた薄れ
大切な人生の彩を一つ失うことにもなりかねない

第4,823号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」   ー91

 

仕事社会では、
仕事”そのものよりも、
人付き合いでの心配事”の方がはるかに多くある。
『あぁ~今日もあの部長の元で・・・・』
『今日は○○商事の△△さんと商談だぁ~憂鬱だなぁ~』
こんな気持ちで商談に臨んだところで、
良い取引が結べるわけがない。
こういうことは仕事社会だけではない。
『あぁ~明日は町内会の会合だあぁ~行きたくないなぁ~』
これでは、
自分が暮らしている地域社会での暮らしも楽しいはずがない。
人付き合いが苦手と、
いろいろなデメリットだけに留まらず、
自分自身が精神的にストレスを生み出すようになってしまう
そこで生きてくるのが昨日のブログでお話しした「」だ。
これはなにも、
誰かの役に立とうとか、
人が喜ぶことをしようとか、
そういうことではない。
あくまでも、
己の欲せざるところ人に施すことなかれ」だけで良い。
これをよく、
自分がされて嬉しかったことは人にもしてあげよう!”という意見もあるが、
これはやめておいた方が良い。
なぜなら、
自分されて嬉しかったこと」を、
他人である人も、
同じように嬉しいと感じるかどうかは別だから。

結局のところ、
人間関係」も「人付き合い」も、
他人ではなく自分が全てということ