第4,254号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー11-

 

自分に対して強圧的な態度感じられない人
それは、
決して笑顔のある人とか、
いつも優しい言葉をかけてくれる人とは限らない。
その人の意見は意見としてきちんと伝えてくる。
時には、
父親のように強い口調の時もある。
そういう人をどう見つければ良いのだろうか?

これは私が若い頃に教えていただいたことだがご参考に。

①.自分の意見にブレがない人
②.耳に心地よい言葉だけを並べるようなことがない人
③.嘘をつかない人
④.他人と比べることをしない人
⑤.肩書や立場でものを言わない人
⑥.自分らしく生きていると感じる人(我がままな人ではない)
⑦.すぐに行動に移せる人
⑧.挨拶をいつも先にしてくる人
⑨.立場を自覚している人
⑩.自己開示ができる人

世の中には強圧的と感じなくて、
一見すると穏やかで、
笑顔にあふれ、
腰が低く、
いつも自分のことより他人様のことを考えているような人でも、
陰に回ると、
真逆の人も数多くいる。
第一印象は大切なことだが、
それに惑わされないようにするためには、
良く相手を観察して接することだ。
そうすれば自分の「感情」が害されることは少なくなる

 

第4,253号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー10-

 

自分が”感情的”になる相手はどこにでもいる。
上司にも部下にも、
家族にだって時々・・・・そうなることがある。
それは”自分の優位性”にこだわりが強い証拠。
そういう人は、
いつも自分に対して強圧的だったり挑戦的だったりする。
『お前には言われたくない』
『なんでお前が指示すの?』
こういわれると、
つい自分もまた、
優位性」へのこだわりが生まれてしまいがちだ。
相手が上司だろうが強圧的に来られると、
『ちょっと待ってくださいよご自分だってそうでしょ』と、
つい口にしたくなる気持ちにもなる。
これも”感情的”には自然の流れだ。
つまり、
感情」というものは、
押されれば押し返そうとする”のが常
相手が強く出てくるれば、
こちらも負けじとばかりに強く出たくなる。
そこに、
よほどの力の差権力とか利害関係
または性格の強弱の差がなければなおさらなこと。
気弱な人や、
立場の弱い人はそうでない相手が強く出れば引っ込みやすい。
でも世の中には、
自分が少しも気負わずに、
ゆったりとした気持ちで接することのできる人もいる。
そういう人達は、
よほどのことがない限り、
自分に対して強圧的にはならないはず。
たとえ強い口調で罵倒しているような言葉にも、
どこかに愛情が伝わってくるものだ。

そんなところに、
感情関係”のヒントは隠されているような気がする。

第4,252号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー9-

 

お互いに嫌な”感情」の思い込み”で向き合うと、
誰と誰が向き合っても火花が散る。
『こんな嫌味な上司の言うことは気にしないようにしよう』
『こんな使えない部下の言うことでも取り合えず聞くか・・・』
互いにいくらそう自分に言い聞かせても、
心の底にある、
嫌味な上司”と”使えない部下”という「思い込みが、
それを邪魔してくる。

これは二人の”感情パターン”がいつも同じだから、
結局は同じ展開になっていく。
最初にお話しした”感情の法則”。
感情は”放っておけば収まる」。
お互いが”「」にすればするほど”、
お互いが持つ、
嫌味な感覚”と”使えない感覚”から逃れられなくなるということ

そんな「感情」を”放っておく”ためには、
自分の意識を別のところに向ける以外に方法はない

それぞれが、
それぞれの立場で向き合わなくてはならない
仕事への向き合い方についてはここでは省くが、
簡単なところからアドバイスするなら、
こんな方法がある。
H部長の立場で言うなら、
仕事の評価ではなく”批評”になっている「ダメ出し癖を、
まずは、
『ご苦労さん。大変だったろ」というような、
労いの言葉から入ってみるとか・・・。
T君もH部長が巡回にきたら、
『遠いところお疲れ様ですお待ちしてました』と、
部長が声を発する前に明るく元気に発してみるとか、
お互いが、
あれ?なんかいつもと違う』と感じるだけの行動でよい。

些細なことかもしれないが、
これは、
自分の「感情の変化”を伝達するもので、
人と人との関係は、
言い換えるなら”「感情」と「感情」の関係”でしかない。
こういうことで、
自分の感情がどう変化するか試してみるだけでよい。
ここでは相手のことは考える必要はない
それは相手の問題でまずは「自分」だから

他人過去”は天地がひっくりけっても変えることはできない
そんなことにエネルギーを使うのは無駄なこと。

第4,251号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー8-

 

H部長とのことを、
誰に相談することもできないまま、
精神的に落ち込んでいったT君。
ついには、
からしばらく休職することが決まってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

その最大の原因はこれ。

それは・・・・、
お互いに悪いのは相手思い込んでいること
H部長からすれば、
『あいつのせいで毎回イライラさせられる』と、
自分は被害者であるかのような気持ち。
T君からすれば、
『肩書で話をしてその上、
言葉もキツイから言い返せない』とこちらも被害者意識

とかく人間関係というものは”自分から見たら悪いのは相手」”
でも、
仮にその通りだとして、
なぜ毎回同じような展開になるのだろうか
大切なところはここ
これでは、
管理職であるH部長はもとより、
店長という立場のT君もまた”無策”というしかなくなっていく。

T君に対する具体的な指導もなく、
ただT君に向かって、
結果論のダメ出し”をするだけのH部長は、
管理職としてはあまりにお粗末だ。
対してT君もまた、
『あの人にいつも振り回される』と感じているなら、
自分の仕事への向き合い方というか、
提出物や報告書の表現を変えるとか、
自分の中に何らかの変化を見出す姿勢が必要。

最大の原因は、
たがいに向き合う時に二人とも、
「嫌な奴」
「ダメな奴」という、
”「感情」の思い込みで向き合っていることかもしれない。

第4,250号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー7-

 

情的になりやすい人”というのは、
一般的には、
すぐに泣き出したり、
怒り出したりする人というイメージが強いが、
実はそういう一面的なことを指しているのではなく、
「いつも何かを気にしすぎる人」
「いつも同じ人(同じ場面)で引っかかる人」というのも、
感情的になりやすい人”と見ることができる
例えばこんな事例がある。
H部長と部下のT君。
この二人の「関係性」はよくこんな展開になる。
H部長は店舗管理部の責任者で、
部下のT君は、
H部長が管理する店舗の一つを任されているが、
T君は、
『H部長とはどうしても合わないんです。
普通に受け答えをしていても、
言葉もキツクて耐えられない時もあります。
仕事の評価でも、
「これじゃ全然ダメだ」それだけです。
挙句の果てには「お前は最低の店長だな」と、
罵声を浴びせられることも多くあります』。

こんな調子だから、
H部長が巡回視察に来ると、
「何とか早く終わらせたい」と考えるようになっていった。
対してH部長は、
『あいつはいつもおびえた感じで自信というものが感じられない。話しているだけでこっちが苛立ってくる』

互いに”感情的になりなかなかかみ合わない。
会うたびに嫌味を言われるT君は、
ムシャクシャした気分になり、
そのはけ口を向けるところもなく、
やがて」が滅入ってしまい落ち込むようになっていった
H部長はH部長で、
会うたびに自信無さげにハッキリしないT君に嫌気がさし、
巡回で出向くたびに、
『さっさと終わらせたい』という気持ちが強まっていく。

感情」に振り回されやすい人というのは、
この事例のように、
いつも同じパターンで、
いつも特定の相手と、
同じことを繰り返していること
に気付けない

この二人どうなるのか?

 

第4,249号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー6-

 

感情」に振り回されないようにするには、
これしかない!”という受け止め方ではなく、
いろいろある」という受け止め方を心掛ける。
物事を”やんわりと受け止める”こと。
私も若い頃は、
白黒つけないと気が済まない性格で、
この”やんわりと受け止める”というのがとても苦手だった。
だから、
会議の席上でも、
自分の意見が少しでも批判されると、
『じゃぁ~私が間違っているとでも言われるのですか?』と、
相手かまわずに反論していた(笑。
すると当然ながら相手も、
『そんなことは一言も言ってないだろ疑問点を質問しただけだ』
こう返してくる。
こうなると、
会議で”何を目的にしているのか”が不明になりだし、
自分の意見が正論と認めさせること」が
まるで目的のように変化していってしまう。

研修でも昔は、
受講生が批判的こちらが勝手にそう思い込んでいた)な意見を言ってくると、
『なんでこいつは理解出来ないんだぁ~?。
こちらがこんなに一生懸命に取り組んでいるのに・・・・』と苛立ちを感じたものだが、
今では、
『あぁ~そういう考え方もあるよなぁ~』と受け止め方を変えられるようになった。
そんな私を、
古い受講生は、
『先生丸くなられましたね』と笑うことがあるが、
歳を重ねて少し幅が出てきたと自覚はしているが、
実はあの頃の方がはるかに優しさにも溢れていたともいえる。

それから考えると、
いまは逆にドラスティクで厳しくなっているのかもしれない。
ただ自分自身を振り返ってみると、
あの頃の私は、
嫌な感情」”を放っておくのではなく、
それにこだわってどんどんと膨らませていたのかもしれない。
こうなると日常生活の中でも、
チョッとしたことで”嫌な感情」”につかまりやすくなる。
だとすれば、
それは周囲の誰のせいでもなく、
ましてや自分のせいでもなく、

自分自身の単なる受け止め方の問題ということだ。

 

第4,615号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー13ー

 

有難う」は感謝お礼の言葉じゃない
『えっ?』と思う人もいるだろうが、
有難う」という言葉は、
一時期、
魔法の言葉”などと言われ、
組織の中で「有難う」と多発すると、
自分だけに限らず、
自分を取り巻く周囲の人までも明るくし、
その人達のモチベーションまでもを挙げるようになる・・・・・などと書かれた本も多く出たけど、
信頼される人」というのは、
そういう表面的なところに着眼点を置いてはいない
信頼される人」にとっての「有難う」は、
いつも自分を振り返るための言葉”なのだ。
この世の中で、
私達は、
自分で働いて、
自分で生活費を稼いで、
自分で頑張って生きているかのように思い込みがちだが、
そうではない。
私達は”生きている”のではなく「生かされている」ので、
これは人間だけに限ったことではない、
人も動物も植物も昆虫も、
この宇宙の生命体の全てがお互いに関係性を持ちながら
生かし合って生きている」ということ。

信頼される人」というのはこの大原理原則を知っている
だから、
有難う」という言葉を、
言葉として意識することはまずないのだ。
無意識に、
自然に、
すんなりと、
いつもこの有難うという言葉が出てくる

 

第4,248号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー5-

 

感情」を表現することは決して悪いことではない。
でも、
その「感情」をむき出しにした状態にするのは、
自分自身の「感情」を、
自分が支配しているのではなく、
感情」に逆支配されていることになる
こういう状態に陥りやすい人の特徴は、
物事を表面的にそれもまともに受けてしまう人”だ。

よく言えば生真面目。
悪く言うなら、
融通が利かないところが多くある人。
だから、
相手の言葉や表情に必要以上に敏感で、
自分の基準と異なる”言葉や表情が、
目に入り、
耳に聞こえてくると、
それをそのまんま,
まともに受け止めがちになる。
ちょっとした皮肉や嫌味も受け流せず、
冗談さえ通じないところが多くある。
こういう人は、
自分が信頼している人や、
頼りにしている人からのそういう態度は、
普通の人から受けるより何十倍も刺激を受けやすくなる。

それは、
『この人ならこうしてくれるはず』
『こいつなら絶対に解ってくれるはず』と、
こういう”思い込み”が人一倍強く持っているから。
そしてそこにはもう一つ。
自分が正しい”という、
絶対的な思い込み」がそれをさせてしまう

でも、
世の中は、
正しいことが正解とは限らない時もあれば、
正しいと思い込んでいいるとおりにはならないことも多くある。
こういうことが目の前に起こると、
こういう人達は、
自分の意見に対する批判や異論”は、
全てが”自分への悪意”と「感情」が受け止めてしまう

 

第4,247号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー4-

 

感情」というものは、
その姿形を目視することができない。
例えば、
他人の言葉に”悪意”を感じるようなことがあっても、
それはあくまでも”言葉の持つ表面的なものだけで、
それがその人の心根の中で、
どれほど根深く、
執拗な思いがこもっているのか?
実のところは誰にも判らないことだ。
そもそも、
発した言葉の通りに”悪意”が存在しているのかどうかも同じだ。
例えば、
父親が息子がしでかしたことに対して、
『”馬鹿野郎”こんなことしでかして!』と怒鳴り飛ばしても、
その”馬鹿野郎”という口汚い言葉には、
間違いなく「が存在している場合が多くある

自分自身が発する言葉を振り返ってみれば解るはず。
カッとなって、
全身怒りに包まれ発した言葉も、
時間が経つと、
『なんであんなことを言ってしまったのか?』
『なんであんな言い方をしてしまったのだろうか?』と、
誰にでも後悔することが多くあったはず。
そして時間が経過すると
その時の”怒りの感情」”は取り戻すことさえ難しい

だったら、
怒りや憎しみをいつまでも抱いて、
姿形の見えない「感情」をいつまでも相手にするのではなく、
現実の中で、
変えられることやれること)”から向き合った方が、
どれだけ効果的だろうか

 

第4,246号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー3-

 

私達の「」はそんなに広くない
誰だってそうだけど、
ほんの些細なことで泣いたり笑ったり怒ったりもする。
一時の感情に支配されやすいのが、
私達の持つ特性のようなもの。
」が小さいということは、
器が小さく、
中に入る「感情」が入れ替わりやすいということ。
自分のこれまでを振り返ってみるとよい。
悲しいことや、
辛いことが「」の中いっぱいに支配していても、
ちょっとした嬉しいことや楽しいことが入り込んでくると、
そんな辛いことや悲しいことも、
たちまちにして追い出されてしまう。
このように、
感情」というものは簡単に入れ替わる特性をも持っている

つまり、
些細なことをいつまでも引きずって、
クヨクヨしたり、
悲しんだり、
悔しがっているなら目の前のやれることを懸命にやることだ。
そういう人間の前にだけ、
声をかけて励ましてくれる人達が現れてくれる。
いつまでも自分の「感情」を引きずっているのは、
単に、
感情」そのものに振り回されているに過ぎない。