第3,663号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「30年前の自分に出逢えたら言ったやりたいこと!」 -2-

 

もし・・・・もしもだ。
人生での生涯収入を超えるような大金が入ってきたら、
あなたは今の仕事を辞めますか?
離婚をして新しい人生を始めますか?
私の友人にも、
サラリーマン時代の副業で億というお金を稼いだ人は、
その後、
全員が会社を辞めていった。
上司にはパワハラで責められ、
お客様には無理難題をいわれ、
サービス残業が続いているうちに・・・・、
『よく考えたら自分はもうこんな思いをしなくていいんだぁ~』
こう気付くと、
いつの間にか嬉々として辞表を片手に、
上司の前にいる自分がいたと、
その誰もが語っていたけど、
私はチョッとだけ羨ましいとは思ったけど(笑。
心底からそうなりたいとは思わなかった。

生涯賃金を稼ぎ終わったら、
いまと違う生き方をしようと感じているなら、
それは今あなたが、
自分の人生を「無我夢中」で生きていないということだ。

無我夢中で生きる」とは、
無理をして頑張るとか、
歯を食いしばってもやり遂げなきゃということではなく、
時間を忘れ、
疲れも感じずに、
気が付いたら、
一心不乱に取組でいる姿勢のことだ。

無我夢中」に生きる人生を謳歌するために必要なのは、
お金でも条件でも環境でもない。
それは、
自分自身が
やってみたいやってみよう」と決断することだ。

自分を夢中にさせる何かを追い求めること
これこそが人生の醍醐味といえる。

 

第3,662号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「30年前の自分に出逢えたら言ったやりたいこと!」-1-

 

今日からまた新しいシーズ、
私が30年前の自分に出逢えたら言ってやりたいこと!」。
人生を70年近く生きていると、
今まで正しかったと思うようなことがそうではなかったり、
今までおかしいと思いこんでいたことがおかしくはなかったり、
やっぱり、
経験してさまざまな学びを得ると、
見るモノの角度も変わってくる。

セミナーやブログでよく言っているけど、
『人生は”好きなコト”ことをやるのが一番!』
『自分が”やりたい!”と思うことをやりなさい!』
こういう話をすると、
その”好きなコト”とか”やりたいこと”いうのを、
また身勝手に解釈する人がいる。
好きなコト”とか”やりたいこと”というのは、
自分が苦手でやりたくないことはやらずに、
自分が間違いなく成功するだろうと思うこと、
そうしたことだけやれということではない。
そういった”感情的”なとらえかたではなく、
もっと「原理原則」にそったとらえ方を言っている。

この「原理原則」こそが、
私達がこの宇宙の中で生きていく上で、
最も重要な行動指針となっていく。
70歳を迎える歳になり、
30年前に、
もしこういうことが理解出来ていたら、
ストレスもなく、
悩みもなく、
無我夢中で人生を歩いていたと思うと、
いま30代~40代の人達に是非伝えたいと思い、
このシリーズを始めることにした。

是非ご参考にされてほしい。

第3,661号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -83-

 

83回目となるこのシリーズも今日が最終回。

人生を
まだ70年弱しか生きていない私が言うのもおこがましいが、
この頃、
この歳になって”信条”としていることがある。

それは・・・、
もう何回も口にしているけど、
人生はこれまでこれからを創るのではなく、
これからこれまでを創り上げていく」ということ。
この激動の時代には、
さまざまなアップダウンが待ち受けている。
変化を恐れ諦めるか?”
ワクワクしながら挑んでいくか?」
それは私達自身がそれぞれに決めるコト。

人生はいくつになったって「上書き可能」だ。
70年近く生きても、
まだまだ自分に気付けない。
『こんなもんだぁ~』と思い込んでいることが山ほどある。

こうして受講生に向けて、
ブログを書いているけど、
結局はこれ、
全部、
自分に向けて言っていることばかり。

私にはもう残された時間がどれだけあるのか?
これも全ての人が決められて生まれてきているはず。
決められて”いることなら、
もがいたところで仕方がない。
今日が人生最後の日」と、
自分に言い聞かせ覚悟して生きていく以外に道は無い。
そして同時にまた、
今日が人生始まりの日」としっかり認識して生きることだ。

どうか受講生諸君も、
自分自身が人生の”主役”で生きる上で、
最も大切な「自分を大切にする」という、
このことを忘れずに、
今この瞬間瞬間に挑んでいってほしい。

長いシリーズをお付き合いいただきありがとうございました。
明日からはまた新しいシリーズでお逢いしましょう。

第3,660号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -82-

 

自分の人生で、
自分自身が「幸せ」になるのに理由など不要だ。
その”理由)”を見つけ出そうとするから、
多くの人は”幸せの条件”を追い求めるようになる。
誰かに負けないように、
№1になるために、
ダントツで他との差別化を図るために・・・・と。
これは、
どこか”笑顔”と似ている。
笑顔を出すのにも”理由)”など不要だ。
思わずこぼれる笑顔。
こらえ切れずにあふれ出てしまう笑顔。
こういう”笑顔”は全てが、
誰かを喜ばすためでもなければ、
誰かに良い感じを与えるためでもない。

つまり、
笑顔”も「幸せ」も、
いつ出す?』
いつなる?』というものではなく、
いま気付く
いま感じる”ものでなくてはならいのではないだろうか?
超有名人になれても、
大富豪になれても、
そうした社会的ステータスという””を着ていると、
必ず肩がこる。
心に負荷が生まれて来る。
なぜなら、
そういうモノを手にした時、

人は・・・
『これを守り続けなきゃ・・・・』
『もっと上を目指さなきゃ・・・』・・・・と、
どこまでも無理してでも、
頑張り続けることになるから・・・・。

第3,659号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -81-

 

もう、
他人と比べて生きるのはやめよう。
他人の喜びの為にとか、
会社の為にとかという意識も姿勢も捨てよう。
全ては、
この世の中で”たった一人の自分”の為に生きていこう。
だって、
私達は誰もがそのために生まれてきたのだから。
自分らしく」を心にとめて、
そしてまた、
それは君以外の他の人達も同じだ。
だから、
自分以外の他の人達の”らしさ”も尊重していこう。

そして、
誰かのようにではなく、
自分らしくの本質”」をしっかりと意識して生きていこう。

自分らしさの本質”」とは、
何度も言うけど、
自分がやれることを精一杯やる”ということ。
難しいことではない、
まずは共有すること・・・・時間とか環境とか、
意識すれば小さなことが見えてくる。
そしてそれに対して、
自分がどんな意識と姿勢で向き合っていたかも。
だって、
自分自身のこと”なんだから・・・・。

これが理解できない人は、
自分の人生を”自分主役”で生きていくことは出来ない。

 

 

第3,658号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -80-

 

人生で最も大切なコト。
それは・・・「自分を生きる」。
私達は誰もが、
自分が本当に生きたい自分を選ぶという
高い”潜在能力”を持っている。
どんなことでも最初の一歩は怖い。
不安だけが先走る。
なぜなら・・・・”やったことがない”から。
でも必ず、
君の周りには、
君がその第一歩を踏み出すのを待っている人がいる。

私達が自覚できる人生というのはたった1回だけ。
自分が表現したいこと、
自分がやれる精一杯のこと、
自分にしか届けられない”想い”というものが、
誰にでも必ず存在している。
自分が決め込んでしまっている自分の”エッジ(限界)”を超え、
結果なんか恐れないで、
無理はせず、
頑張らずに、
力いっぱい”やれること”だけに意識を向けて行こう。

『所詮、俺なんかこんなもんだぁ~』
『どうせここでやったところで・・』
そんな生き方は、
君が生きている世界では許してはもらえない。

それは・・・
何度も言うけど、
君の代わりはどこにもいない」から。

第3,657号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -79-

 

このシリーズの最初の方で書かせていただいたが、
私達は誰でもが、
この世にそれぞれのテーマ使命)を持って生まれてきた。
その使命に沿った時代、
そして親や家族に環境、
容姿に特性(長所&短所)も。
そして思い返せば、
一人ひとりがその使命に気付けるよう、
興味や関心も設定され、
出逢う人達、
体験する喜びや苦しみ、
楽しさや辛さも全てを決めて生まれ出でてきた。
それなのに・・・・、
ついつい他人を意識し、
他人と比べてしまいながら、
周囲の幸せ基準から外れたような思い込みをして、
焦ったり、
不安になったり、
明日という日に、
希望さえも持てなくなるようなこともあったかもしれない。

でも、
これまでの人生をしっかりと思い返してほしい。
きっと自分の基準でどこかに””を求め生きてきて、
その””をなかなか手に入れられなかった。
それは・・・・、
自分自身が”」ということに気付けなかっただけ。
考えてみてほしい、
君にしかやれないこと”ってたくさんあるはず。
もうこれ以上、
自分が足りないと感ずるものを数え、
追い求めないことだ。
他人と比べ、
他人の評価を恐れ追い求め、
自分自身を小さくしないことだ。

もう一度、
自省の中でこれまでの自分を振り返り、
自分の)」の声”に耳を澄ませてみてほしい。
他人に迷惑かけて、
他人を犠牲にして好きなことをやれと言っているのではない。
自分に正直に「自分らしさ」を、
もう一度、
しっかりと考えてみて欲しいといっているのだ。

君の代わりはこの宇宙の中のどこにもいないのだから

 

第3,656号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -78-

 

古代マヤの人々は、
君も私も、
動物も植物も、
全ての命の源は同じで、
その一つひとつがしっかりと生きることで、
地球という一つの星も生かされ、
同時に、
そこに住むすべての生命体は地球に生かされている。
その「関係性」は、
さらに宇宙全体に広がっていて、
何よりも大切なことは、
誰かになろうとしたり、
誰かを演じて生きたりせずに、
自分自身の命」を生きるということと記されていた。

職場での上司や部下との関係、
仲間とのチームワークも、
サービス業でのお客様との関係も、
表面的な関係性」の追求は捨てることだ。
誰かの為に・・・”
誰かが喜ぶ為に・・”という姿勢と、
『もし自分だったら・・・』と考える姿勢は全く異なる。

私は行動心理学を永く学んできたためか?
サービス業でのお客様への姿勢も、
会社の一員として業務に向き合う姿勢も、
人間関係も、
大切なことは”相手軸”ではなく「自分軸」だといい続けてきた。
これは、
相手を無視しろということではない。
まずは「自分の幸せこそが周りの幸せ」であり、
その上で、
周りの幸せもまた自分の幸せ”になるということ。

この「原理原則」をしっかりと伝えないで、
ただ、
「相手の身になって、
相手の心に自分の心を寄せて、
相手の人の心に、
自分のアンテナを向けないと、
相手の心を察することはできない」・・・などと指導しても、
それでは指導された側は、
ストレスだけを生み出していくことになる。

これからはそこまで掘り下げた人材教育が求められていく。

 

第3,655号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -77-

 

古代マヤ文明に関する書物を、
昨年末からずっとはまり込んで読んでいたら、
『これぞ”原理原則”だ!』と感じる言葉に出逢った。
それは・・・・、
In Lak ech(イン・ラ・ケチ」という言葉だった。
意味は、
あなたはもう一人の私であり私はもう一人のあなたである
これは単に人間だけの世界の話ではなく、
この宇宙の生命体は、
別々に生きているように見えるが、
根本は全ての命がつながり、
この宇宙全体の生命として存在している。
源は一つということ。
例えるなら、
地球が1本の大きな木なら、
私達はそれぞれ、
幹の皮であり、
根の一部であり、
枝の一部、
葉の一部ということ。
どれかがいい加減に生きると、
支える幹に大きな悪影響を及ぼす。

企業組織や、
スポーツチームで語られる、
チームワーク」というのも、
中には、
仲間のためにとか、
みんなが元気になる存在になろうとか、
どこか表面的なところばかりを追い求める人もいるが、
大切なことは、
一人ひとりが、
「”やれることを確実にやっていく」ことだ。
どれほど小さなことでも、
これを怠ると、
全体に悪影響を及ぼすことになる。

続きは明日のブログで!

第3,654号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -76-

 

自分がジグソーパズルの定位置にいられるようになると、
そこでは、
今まで短所だったところは欠点にはならずに、
他には無い、
たぐいまれなる「個性」も「能力」として生きてくる。
パズルのピースだって長いこと使っていると、
端っこが欠けてきたりもする。
そんなところは隣のピースが補ってくれる。
だから、
君は何も足さなくてもいい。
何も変える必要などない。
ただ、
目の前の”やれること”に全力で、
後悔の無いように取組むだけでいいのだ。
そうした姿勢の中にだけ、
必ず新しい「気付き」が隠されている。
それに気付けるか気付けないかは、
君の向き合い方次第だ。
誰のせいでもない。
環境のせいでもない。
凸凹状態のままで十分だ。
それで人は幸せになれるようになっているのだから。

職場のリーダーシップも、
いまの時代はどんどんとこういう考え方に向いてきている。
40年前のように、
『俺がリーダーだ!』
『俺の背中を見て着いてこい!』などというリーダーは、
いまの時代ではリーダーとは呼べない。

今の時代の”リーダー”とは、
他人を導く人ではなく、
他人と共鳴共感共存できる人を指す。