第2,901号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -22-

 

”出来る人”とか、
”魅力的な人”というのは、
メール一つにしても、
その一つひとつに気配りを感じることが出来る。
どんな小さなことにも、
『これでもか!』というぐらいに無我夢中に取組むから、
チョッとした工夫をいろいろなところにしているということ。
例えば、
客先の方との会食のお礼メールなら、
相手の方が読みたくなくなるような、
起承転結形式の長いメールや、
ダラダラした文面は避けるだろうし、
かといって、
昨夜の話の中のポイントはしっかりと記録され、
さらには、
その気付きを具体的にどう行動に移していくかなどを、
簡潔に伝えてくる。
発信は?
”お礼”なら時間を空けずに送ってくるだろう。
明日の朝というの2流レベルのやることだ。
次に会った時に、
『先日はどうも・・・』などとやっていると、
例え面と向かって伝えたとしても3流以下のレベルになる。
そして、
メールは常に自分が最終便で〆るよう気を配る。
これがビジネスマンの最低限レベルの礼節。

それと、
大切なことは、
その人から学んだことは”直ぐに実行する”ことだ。
”出来ない人”というのは、
まず、
この”直ぐに実行”というのが無い。
その人のようにやれなくても良い。
自分流にアレンジして、工夫して、
いろいろ試行錯誤を繰り返しながら、
少しづつ自分流の「やり方」を作り上げていくことである。
”チープなイノベーションより工夫されたイミテーション”の方が
はるかに良いかもしれない。
だいたい、
オリジナルなどというものは、
ほとんどが誰かの物まねから生まれている。

大切なことは”やりつ続けること”だ。
”やり続けること”が「独自性」を築き上げていく。
「凡を極めて 非凡に至る!」だ。

第2,900号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -21-

 

昨日のブログでお話しした。
仕事が上手くいかなくても、
それは君に、
仕事の能力が無いのではなく、
「”やれること”をやっていないから」の第2弾。

君の周りにも、
『この人のようになりたい!』と思うような、
お手本となる人が一人や二人はいるはず。
職場の人だけではない。
取引先の営業マンや、
納品の業者さんの中にも、
素晴らしいレベルの人は意外とたくさんいる。
まずは、
そういう人の存在に、
君自身が気付けているかどうかということ。
納品業者だからと、
上から目線で接していたり、
社内の清掃を依頼している清掃会社の人だからと、
自分の損得勘定で人と接していると、
そういう”出来る人”を見逃してしまう。

ぼんやり見ているのではなく、
しっかりと目を見開いて、
研究する姿勢で観察してみることだ。
意外と、
肩書なんかとは裏腹に、
意外なところに”出来る人”というのは存在しているものだ。
”神は細部に宿る!”といわれるようにね。

例えば、
納品業者の人がどんな挨拶をしているか?
『お早うございます!』と入って来る時に
”同時礼”で挨拶しているのか?
それとも”分離礼”で挨拶をしているのか?
それだけでも十分な違いが見分けられる。
優秀だといわれるお取引先の担当者からメールが来たら、
その書き方とか、
案件に対して送信しているのはいつか?とか、
業務的な内容の他に、
私的な”一筆”がそれとなく加えられているか?とか、
ヒントはいくらでも転がっている。

続きはまた明日!

第2,899号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -20-

 

研修も終わり、
そろそろ基本的な作業が一つ二つと、
上司から与えられ、
初めての取組みに懸命になっていると思う。
でも決して、
「同期の奴に負けるわけにはいかない!」
「同期の中で”№1”にならなきゃ!」
「みんなに後れを取らないようにしなきゃ!」などと、
肩に力を入れて向き合わないことだ。
仕事が思うようにいかないからといって、
その人の”脳力”が無いわけではない。
上手くいかないのは、
「”やれること”をやっていない」これだけのことだ。
天が教えてくれている”反省現象”ととらえること。
それを見逃すと、
ただその現象に振り回されることになる。

人生も仕事も、
結局は”一つ一つの積み重ね”でしかない。
誰だって最初っから上手くいくようなら苦労しない。
それに、
最初っから思うようにコトが進んだら面白みは半減して、
その内、興味も薄くなっていく。

私はいつも、
部下を見る時に、
ごくごく簡単な誰にでも”やれること”を支持してきた。
例えば、
メールや電話を受けたら、
「必ず3時間以内に返信をしなさい!」とか、
「遅れる時は事前連絡を入れなさい!」とか、
中にはこんなレベルもある。
「席を立つ時はどこででも(事務所でもレストランでも)椅子を中に入れなさい!」
「踵を引きずって歩かないようにしなさい!」

こういうこと。
つまり、
『なんでそんなことまで言われなきゃいけないのぉ~?』
部下がこんなふうに感じるようなことをあえて指示を出す。
自分の周囲を見れば解るはず。
真に仕事が出来るといわれる人。
カッコ良いといわれる人。
魅力的な人というのは、
そういう些細な、
誰でもが”やれること”を、
誰もやらないレベルで徹底的に”やっている!”。
積重ねの中で、
この差が出てくるだけのこと。

仕事の出来ないと思われる人は、
こういう小さな”やれること”が
継続してやれないという特徴をもっているから、
一時的に成功を収めるようなことがあっても、
直ぐに馬脚を現し正体が判ってしまう。

明日はもう少し、
職場の中での具体的なことを!

第2,898号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」」 -19-

 

『〇〇君!どうだ仕事は”楽しいか?”』
職場では新入社員が、
こんな言葉をたまに会う本社の幹部社員からかけられる時期。

「仕事は”楽しく”なくてはダメ!」
「仕事は”楽しむもの”だ!」
「”楽しみながら”仕事をしろ!」
「”楽しく”なかったら仕事じゃない!」
こういう言葉をよく口にする人がいるが、
私はそうは思わない。
やっぱり仕事って”厳しい”ものだと思っている。
人様からお金を頂戴するということは、
自分がそれに見合う”対価”を提供しなければ
頂けないものと感じているから。

それに、
”楽しさ”というのはどういう感覚のことをいっているのか?
時々、疑問に思うことがある。
私がゴルフが大好きだ。
ゴルフの前の日になると、
明日の朝は早起きしなくてはならないのに、
子供が遠足を明日に控えた夜のように、
興奮して眠りにつけないことが多くある。
でも、
ゴルフをやりながら”楽しさ”というものを実感したことは無い。
“楽しさ”とか、
”楽しい”という感情は、
そのことに夢中になって取組んでいる時には、
人はそれを自覚することはできないはず。
なぜなら、
楽しくて楽しくて、
時間も経過も忘れ、
”無我夢中”でそのことに取組んでいるから。

つまり、
上司のこの言葉。
『どうだ仕事は”楽しいか”?』とは、
「仕事に無我夢中に取組んでいるか?」
そう聞いている言葉なのである。
だから、
間髪空けずに、
『はい!楽しいです!』などと応えると、
優秀な上司はこう返してくる。
『そうかそれは良かった。
もっともっと仕事を楽しむようになってくれ!』と。

第2,897号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -18-

 

人には”成長角度”といわれるものがある。
22~25歳で社会人となり、
まぁ~3年もすれば、
会社の仕組みや、
仕事の基本的な手順、
職場の人間関係などにも自ずと慣れてくる。
この段階をクリアすれば、
少しづつ、
重要な作業も任されるようになる。
10年もすれば、
かなりの大きな仕事も任されるようになるだろう。
この33~35歳の時点では、
それほど他の人と差がつくことも無いが、
その人の”意志力”により、
仕事の取組み方、
コミュニケーションの取り方、
目の前に起こる”出来事(現象)”の捉え方、
そして、
何よりも、
自分自身と向き合え“自己開示”出来ているか否か、
それでそこから先の「方向性」がほぼ固められていく。
そして、
その人が一生かけて到達する地点は、
その向けられた「方向性」の延長線上に存在していている。

これが人の「成長角度」というもの。
この「成長角度」は一人ひとりの”意志力”によって定められ、
一人ひとりその角度が異なるが、
この角度の高い人が、
低いままの人に追い抜かれることはまず無い。

そして、
この「成長角度」の礎を築くのが20代といえるだろう。
40や50になってからでは手遅れとはいわないが、
私のように、
グズグズしていると、
40~50歳になってからではかなりの努力を要することになる。

ちなみに”意志力”とは、
私がセミナーで使っている造語に過ぎないが、
「自分の志に向かって意志を固め取組む基本行動姿勢」のこと。

第2,896号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -17-

 

これもしっかりと伝えておきたいことだが、
”仕事一本”の生活は絶対にダメだ。
よく、
「仕事は私の趣味だ!」と豪語する人もいるが、
私はそういうのを耳にすると、
なんとも寂しく哀れな気がしてならない。
趣味は趣味で、
しっかりと、
仕事も何もかも忘れて没頭できるモノを見つけること。
特に、
同期の仲間との仕事を離れての時間は大切にした方が良い。
他の部署や店舗の動きも聴けるし、
いろいろな上司の考え方も学べ、
多くの情報を得ることが出来る。
出来ることなら、
同期の仲間とコミュニティーを作って、
月に何回か定期的に集まり、
仕事以外のことでも、
毎月テーマを決めて語り合うとか、
ちょうど大学のサークルのようなものを作ることを勧めたい。
お酒を呑みながら語り合うのも良し、
たまには大空の下で身体を動かしながら、
お互いの意志気(意識)を確認し合うのも良いだろう。
そういう仲間は、
これから先、
必ずどこかで力を借りることになる。

同期はライバル!
職場は戦場だ!
ビジネスの世界は”優勝劣敗”。
他人より先に行ってなんぼがビジネスの世界という人もいるが、
私はそうではないと確信している。
ビジネスの世界は、
人と人とが、
互いの立場で”やれること”を精一杯やりながら、
互いに助け合って、
人としての「在り方」を磨き合う場だと思っている。

第2,895号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -16-

 

時間が流れるスピードというのは、
年齢を重ねるごとにどんどんと早くなっていく。
それは毎日毎日、
やることが増えてくるからではない。
1歳の時には、
1年という時の流れが、
脳の中では1/1に感じられていたものが、
20歳になると1/20になり、
60歳になると1/60になるからだ。
67歳の私に比べたら、
22歳の君は、
約3分の1のスピードで時間が進んでいることになる。
このスピードを活かさない方は無い。
よく、
『そんなことは若い内にやることだ!』といわれることがあるだろうが、
若いからこそ、
やれる作業があり、
出逢う人がいたり、
読む本があったり、
行くところがあるような気がする。
そうしたこともまた、
人として生きていく「糧」の一つになっていく。
君達新入社員は、
既に18年~20数年という時間を生きてきて、
いろいろなことを学習してきたはず。
でも、
これからは、
その学習したことを活かして、
「自責」で生きていくという、
初めての体験世界が待ち構えている。
自分が会得してきたこと、
自分の考えそのもの、
自分のやり方が正しいかどうか?
その評価は最初っから望まない方が良い。
まず3年は、
あれこれ考えないこと。
特に、
他人と競い合ったり、
一番になろうとか、
誰かの役に立とうとか、
余計なことに気を持っていかれないようにして、
何事に対しても、
”素直”な気持ちで向き合って、
目の前のことに、
無我夢中で取組んでみることだ。
結果はその都度、
必然的に付いてくるから・・・・。

第2,894号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人になった君に贈るメッセージ」 -15-

 

最近は”健康経営”などという言葉が叫ばれ、
中には、
従業員の健康管理さえも企業責任だなどと、
とんでもない本末転倒なことを考えている人もいる。
昔から、
欧米に比べると、
休日は少なく、
勤務時間と残業は多いのが我が国の特徴のようにいわれ、
その昔、
日本人は”エコノミックアニマル”などという呼び名さえ付けられたことがある。
(本当に欧米人が言っているのか?日本のマスコミが作り上げた言葉なのかは定かではないけど・・・・)。
良いイメージではないことだけは確かだ。

私は「健康経営=従業員のやりがい」だと確信している。
”やりがい”というのは会社が与えてくれるものではない。
誰かが整えてくれるものでもない。
全ては自分の取組方で決まる。
こんなことを言うと、
『先生!もう時代が違うんですよ』と
お叱りを受けるかもしれないけど、
働いて、
お給金を頂くということは厳しいもの以外には無い。
私は独立して、
はじめてこれを実感した。
以前にもお話ししたことがあるが、
私の本セミナー(2日間)は、
受講料をお一人120,000円頂戴している。
この金額は、
初めて企業内研修でこれを取入れてくださった
会社の社長さんが研修の終了後にご評価してくださった金額。

最初にセミナーを行った時、
価格をいくらにして良いのか判らなかった。
それなら・・・、
『受講してくれる人に決めてもらおう!』と決めた。
そして、
こちらの企業さんで研修セミナーをやらせていただいた時に、
金額欄に”0”を一つだけ記入して出させていただいた。
ちょうど10名受講され、
その3日後に、
基本料1,200,000円と消費税が振り込まれてきたのを覚えている。
それで今の120,000円という金額が決まった。
でも私は毎回、
「最低でもその金額の倍の”仕事”をしよう!」と心に決めている。
そうでなければ、
668回も続けてくることは叶わなかっただろう。
考えればサラリーマン時代は、
黙っていても25日になるとお給料がいただけた。
会社の業績の善し悪しは耳にしても、
直接的な危機感を持ったことはどれだけあっただろうか?
企業が組織として、
自分たちの”生業”を死守していかなければならいのが職場。
業績の落ち込んだ時や、
ここぞという時には、
寝食も忘れて動かなくてはならない時だってある。
むしろ私は、
身体が動く若いうちに、
そういう修羅場をたくさん経験した方が良いと思っている。

でも、
中には必要のない時に、
ダラダラと居残って、
まるで、
「上司が帰らなきゃ帰れない」とった
表面的に”やってます”を演じているような働き方や、
朝から晩まで、
何時間も延々と続く〇〇会議などというものは、
絶対にやめた方が良いというか、
そんなものは生産性を低下させるだけで、
企業組織の中に必要ないと思っている。

だから、
その場の評価を得るためだけのような、
無防備な働き方はしない方が良い。
この”無防備”というのは、
他人から後ろ指をさされるような取組み方はするなということ。
与えられた仕事は自分でコントロールする意志力を固めること。
そうすれば、
仕事の生産性を向上させるノウハウなど、
いくらでも生まれてくる。
それを忘れると、
前途したような組織の渦に巻き込まれていく。

人生はいつでも、どこでも”自分が主役”。
その分、
自分が持たなくてはならない責任も増してくる。
経験を積むとはそういうこと。
表面的に健康管理をやったり、
従業員の食事を改善したり、
残業を数字の上でだけ減らしたところで意味は無い。
「真の健康経営」とは、
そういう意志気(意識)の従業員が集まった企業しか
成し得ることはない。

第2,893号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春。社会人になった君に贈るメッセージ」 -14-

 

よく入社式などの祝辞を聴いていると、
『どんなことでも良いから”夢”を持ちなさい!』といわれる方が多くいるが、
私はどうもその「夢」というのが”欲”と勘違いされて伝わっているところが多いような気がしてならない。
昔、
銀座の老舗のお寿司屋さんで、
某企業の会長さんと”夢”の話をしていたら、
そこの大将がとても良いことをいってくれた。
『”夢”を持とうというと耳触りは良いですが、
正しく伝えてくれないととんでもねぇ~ところに行っちまう。
つい最近、
内の若けぇ~のが、
ミュージシャンになりてぇ~からって、
辞めちまったんですよ。
親御さんも心配してたけど、
”夢”を持つことを否定はしねぇ~けど、
勘違いしちゃいけねぇ~のが”欲”とは違うということだ。
それに、
夢ってぇ~のは、
遠くにおいて叶えるモノじゃねぇ~ような気がするね。
諦めなきゃ必ず叶うとか、
口じゃぁ~何とでもいえっけど、
結局、
目の前のことをしっかりやることだ。
その結果、
何か大切なものと感じるようなコトやモノが手に入ったら、
それがそいつの”夢”なのよ』。
久しぶりにスポ~ンと腑に落ちた言葉だった。

私も”夢”否定論者ではないが、
なんの保証も無い。
生きていることさえも保証なんか無い、
遠い未来に”夢”を描いて、
それを追いかけて行くのはチョッと違うような気がする。
ましてや、
『まずその”夢”が実現した時をしっかりとイメージして!
それでもう君の”夢”は90%叶っているのと同じ!』などと、
新興宗教的な言葉は拒絶反応が生まれてしまう。

”夢”を持つなら、
具体的な人生設計を持った方が良い。

“人生設計”とはライフプランとは違う。
「自分は何を大切に生きるか?」
「自分は自分の人生で何をやりたいのか?」
他人様の役に立ちたいとか、
他の人にパワーを与えられるような人になりたいとか、
そんな抽象的なことではなくて、
自分が人生で一番大切にしたいのは?
仕事、お金、家族、友人、趣味?・・・それとも恋?
どれが良くて、どれが悪いなどということはない。
その目指すものを手に入れるために、
今目の前の仕事があるということ。

つまり”仕事”とは、
その位置付けが大切。
その意味での”仕事”というのは、
とても強い影響力を持っており、
下手をすると、
自分の人生さえものみ込まれてしまうことさえある。
だから、
一日も早く、
「具体的な人生計画」を持つことだ。

第2,892号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ!」 -13-

 

私に自分の「核(コア)」を与えてくれた人がいる。
その代表的な一人が社会人になって最初の上司であったT課長。
この人からの教えが無かったら、
今の私に「人生観」というものは
持ち合わせていられなかったかもしれない。

お酒の飲み方から、
風俗店での遊び方まで、
まるで父親のように教えていただいた。
厳しい方で、
人生で実の父親以外に殴られたのはこの方からだけだった。
その「核」となった教えがこれだ!

”人は過去の出来事を変えることはできないが
今をどう生きるかで、
その過去の出来事の「意味付け」を変えることは出来る!”

この「人生観」があったから、
私はここまで生きてくることが出来たと確信している。
40代の半ばまで、
私は中途半端は生き方しかしてこなかったと反省している。
他人に腹が立って、
相手を傷つけたいと思ったこともあったし、
実際に傷つけてしまったこともある。
もう少しで、
刑罰を受けなくてはならないようなことも
犯してしまったこともある。
少し裕福になって、
自分勝手に遊び惚けたこともある。
2回だけ『死のうかな?』と人生に迷ったこともある。
おそらく見抜かれていただろうが、
妻には言えない隠し事もあった。

でも、
いつもこのT課長が贈ってくれ、
私に与えてくれた「人生の糧」が、
私の「核(コア)」になって、
出来事を決定的に悪化させることなく、
ここまで生きてこれた。

君達にも、
私の恩師のような人にあたる人物が、
必ず存在しているはず。
もしかしたら、
目に見えること(現象)では、
気持ちとは裏腹の表現をしながら、
与えてくれている人もいるかもしれない。

新社会人になったのをキッカケに、
もう一度、
そういう人の存在を振り返ってみることをお勧めする。