第4,954号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー30

 

増税や値上げ問題で終始した2023年も今日一日となった。
この1年を振り返りどうであったか?
多くの人は、
『あそこでもう少しこうしておけばもっと・・・こうだった』
『あの春の時に手をまわしておけばあんな状態には・・・』と、
自分が逃したものや、
手に入れなかったことだけを振り返ることがあるが、
年末にこそ、
1年の自分の在り方”」を振り返る時。
自分自身が、
この1年で向き合った”出来事現象)”の数々を、
自分自身に指先を向けて受け止めたか?」
ただ”感情”で『嫌だなぁ~やりたくないなぁ~』、
『どうしよう?どうしよう?』と、
その”感情”だけに振り回されて終わってはいなかったか?
もう一度、
今年1年で向き合った人。
向きあった出来事。
向きあった結果。
こういうものと真摯に向き合うのが大晦日という日だ。

今年も1年間拙いブログを読んでいただき感謝します。
皆様がご健康で素敵な2024年を迎えることを心より祈願し、
今年最後のブログとさせていただきます。
ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。

新年からも引き続きこの、
天風哲学シリーズ」でしばらくお付き合いください。

 

第4,953号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー29

 

自分の人生を積極的なものにするには、
寝る前に何も考えずに寝る」ことだと、
天風哲学では説いている。
それが無理なら、
寝る間際に今日一日を振り返り、
消極的な出来事を思い出さないようにすること」だとも記されている。
もしどうしても思い出してしまうようなら、
その時の自分の「受け止め方」を振り返ってみる。
例えば、
昼間会社で上司に叱責されたとしたら、
『あぁ~もしかしたら上司はこんな気持ちで言ってくれたのかもしれないなぁ~?』
こう自分に問いかけてみることが大切。
私達の「受け止め方」というものは癖がつく。
特に夜寝る前の「)」の状態は、
特別無条件同化暗示感受性」という厄介な状態で後に残り、
あっという間に潜在意識の中に刻印されてしまそうだ。
寝る間際は可能な限り、
今日あった「楽しい」とか「嬉しい」と感じたことを思い出しながら床に就いた方が良い。

第4,952号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー28

 

私達の「)」が、
積極的か消極的かで次に迎える「」は全く違ったものになる。
)」が積極的であれば、
人生はどんな場合も明朗で颯爽溌剌とし、
勢いの満ち溢れたものになる可能は広がる。
反対に消極的だと、
その可能性はマイナスの方向にしか向かなくなる。
では、
この「)」とは具体的にどういうことを指すのか?
それは、
私達自身の目の前に起こる、
出来事現象)”に対する「受け止め方」を指す。
いつも言っていることだが、
一般的に私達は目の前に起こる”出来事現象)”を”感情”というもので受け止めがちになる。
感情”・・・つまりは好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とかと言った分類でしか受け止めていないことが多いということ。
出来事現象)”というのは、
私達に対して「何かを指し示している現象”」ということ。
それを積極的な意識で前向きに受け止めるか?
消極的な意識で、
『やだなぁ~』
『どうしよう?』
『困ったなぁ~』と、
その”現象”を消し去ることだけを考えれば、
必然的に「)」そのものが消極的になっていくだけ。
ただこれは、
何でもポジティブに受け止めて行きなさい」といぅような、
表面的なお話ではないことも理解しておかないといけない。
自分の足りないところに自分自身で気付きを持って向き合えということを忘れないことがポイント

第4,951号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー27

 

目の前の”出来事現象)”の「受け止め方」で、
その先の人生は両極端に変わって来る。
自分自身の「の持ち方でそれは大きく変わる。
自分の「が積極的な状態にあれば、
人生はどんな場合も、
明朗で颯爽溌剌で勢いの満ち溢れたものになる
ところが、
自分自身の「意志気)」が、
目の前のことから逃げているような状態の時
嫌だ。
やりもしないで『出来るかなぁ~?出来ないかなぁ~?』と、
身動き一つせずにうじうじとしているような時
または、
なんだかんだと、
理由」のように”言い訳を重ねては逃げ腰でいるような時
こういう人の人生はその先もまた、
同じようなことが繰り返されては勢いを失っていき、
その全てが哀れ讃嘆さんたん)となり、
やがては光を失った惨めなものとなっていく

私達の人生は誰もがたった1回限りのもの
1回限りしかない人生なら
たった今からでも遅くはない。
意志気意識を常に積極的に持って向き合っていこう
上手く行くとか行かないとか、
成功するとかしないとか、
そんなレベルで捉えるのではなく、
自分自身が後悔の無い人生」を目指して生きることだ。

 

第4,950号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー26

 

私達の目の前には、
さまざまな”出来事現象)”が現れては消えていくが、
いつも言っていることだが、
実はその目の前に現れる”出来事現象)”は、
その”出来事現象)”そのものが起きているのではなく、
その”現象”を、
自分自身が「どう受け止めたか?」ということが起きている。

昔、
20代の終わり頃のことだったか?
『親父の考え方は古すぎる!』と反論した時。
その親父が、
私の前に、
ポンと投げ出したのが「天風道八十年」という本だった。

その中にこんなくだりが記されていた。
親が古いのは当たり前なコトだ
そりゃぁ~時代が前に生まれているんだから
自分より後から生まれてくりゃぁ~
その考え方も新しいかもしれない
だからそんな批評をすべきではないんだ
そんなことより
親父の考え方は古い!”と感じられるような自分に生んでくれた親に感謝をすることだ」・・・・・と。

何事も全ては「自分の受け止め方”」次第だということ

第4,949号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー25

 

腹が立つコト、
心配事に不安なコトと、
マイナス的に「感情)」や感覚に、
そうい叩ぎの刺激衝動を感じたら、
天風哲学では次のように対応しろと教えてくれている。
すぐに肛門を締めるようにおしりを一つにする
そしてお腹の中央部(「胆点」)と言われる部分に集中する  
  ように力を入れる
肩の力を抜くいて天井から引き上げられている意識で立つ。
この3か所をそうした状態に意識的にすると
脳が受けた感情や刺激衝動が、
には感じることがあっても
肉体の神経系統に影響を与えないという、
影響軽減効果というものを生み出してくれる
これは私が10年間やり続けているクラシックバレのストレッチの中でも先生がよくこの3つを口にされる。
その代表的な動きが
プリエという動作だ
私達の肉体は宇宙空間に流れる水素酸素窒素といった、
分子原子といったもので創られており、
それらは地球の地軸に流れるN極S極に沿って、
私達の肉体の中でバランスを保っている
つまり、
頭のてっぺんが天に突き刺さるように身体を引き上げ、
足は地に根が張るように、
しっかりと腹の中心である胆点に力を入れて、
姿勢を正して立つコトや、
歩くコトそのものが健康に直結しているという教えだが、
これらはすでに「量子力学」という学問の中でも立証され、
大リーグで活躍中の大谷翔平選手も心掛けている。

私自身もバレエのストレッチを初めて10年。
あれだけ悩まされていたぎっくり腰も、
今ではほとんど起きることが無くなり、
それどころかコロナにもかかることなく、
始める前は90kあった体重も今では65kになり、
体形はつねにスリムを維持して風さえひくことが無くなった。

第4,948号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー24

 

私が「霊長」であるなら、
その私達が発する”言葉”にも「」が宿っていることになる。
これが「言霊」と言われる言葉の所以と言える。
その点から考えるなら、
言葉は意識をコントロールする」と言えなくもない。
であるなら・・・・、
無意識の内にも”消極的な言葉”は意識して使わないことだ。
例えば、
自分では前向きな言葉」と思い込んでいる代表的なのがまずこれ『頑張ります!』だ。
頑張れ!」という言葉は、
自分が他人に送るエールの言葉。
これからスタート台に立ってレースに出る自分が、
自分で『頑張れ!』などと言葉をかける人間はいない。
なのに非常に多くの人がこの言葉を安直に口にする。
なのに、
『で・・・・”何をどう頑張るの?”』と質問すると、
まずほとんどの人間がそれに対して具体的に応えられない。
その他にも、
○○出来たらよいと思います』という言葉の使い方も同じ。

天風哲学では「習いは性」と言われている。
自分が無意に使っている言葉が、
いつの間にか、
自分の意識や行動までも、
どこかで支配していることに気付かなくてはいけない

 

第4,947号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー23

 

私達人間は「霊長類」と呼ばれる。
霊長類」とは、
動物分類学の上での霊長目Primatesに相当し、
動物のうちの首長たるものという意味だが、
これは、
量子力学」という学問の中でもすでに立証されていること。
この地球上の万物の中で、
宇宙のエネルギー(「」)というものを、
最も多く身体の全ての部位において有しているという意味。
こういう私達人間の有する無限の可能性を秘めた、
基礎能力」を有していながら、
私達の多くは、
コツコツと「やれること」を積み重ねることを疎かにし、
いかに楽をして、
己の”物欲”を満たすために行動しているか?
ここにいう”物欲”とは、
何も金品だけに限ったことでもない。
有名になりたい。
大きな会社の社長になりたい。
スポーツの大きな大会で優勝して注目されたい。
こうしたことが””という、
耳に心地よい言葉で包み隠され、
さもそれに向かって、
諦めずに行動すことが、
大切なことだ思い込んでいる人も多くいるが、
大切なことはもっと違う処に隠されている
だから、
いつの間にか、
生まれ出でてきたことへの「感謝」すら、
思い出せなくなっていく

第4,946号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー22

 

天風哲学では「働く」ということは、
生きている中において最大の「恩恵」であると説いている。
働ける」ということは健康である証
働ける場がある」ということは、
この世の中で、
自分を必要としてくれているところがあるということだが、
ところがこれに気付けていない人が多くいる。
毎日毎日、
来る日も来る日も同じような動きの中で、
自分が何に「気付き」を得て、
それを自己成長にどう生かしていくかは自分自身の課題。
それをいつの間にか、
給与が安いとか、
残業が多いとか、
休みが少ないとか、
人はいろいろと文句をつけ始めていく。
『ぜひ御社で働かせていただきたい!』
そう言って履歴書を手にし、
やって来たのは自分であるということさえ忘れ、
目の前の自分が思い描く絵図との違いを、
それも多くは、
自分が身勝手な物差しで描いた絵図との違いを感じ始めると、
この、
働けていること自体が人生における恩恵”」という、
大切なことを忘れる。
天風哲学の中では、
働く」ということは、
人生における「恩恵」でもあり、
慈悲」でもあると説いているが、
毎日元気に「働けている」ことがいつの間にか”当たり前”と、
感じるようになると、
この大切な教えに気付けなくなっていき、
いつしか、
自分が「やれること」を置き去りにして、
やりたいこと”だけを選り好みして行動するようになる。

第4,945号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー21

 

私達が「人として生きる」上で最も必要なことは?
それは紛れもなく「人としての在り方」を自覚することだ。
人としての在り方」といっても、
聖者のような生き方をしろというのではない。
これは天風哲学からの私なりの「気付き」だが、
目の前の「やれること」と真摯に向き合っているか?
生まれてきたこと生んでくれたこと感謝」してるか?
育ててくれたことに感謝」しているか?
挨拶」は進んでいしているか?
健康管理」に気配りしているか?
時間」を守っているか?
整理整頓」を心掛けているか?
金銭管理」をしているか?
礼儀礼節」を意識しているか?
誰かに手を貸してもらっても「有難うもいえない
『働けていることに感謝してます』と言いながら遅刻をする
自分が苦手は相手には、
ピョコンと首を垂れるだけで「挨拶をしない
退職する時に御礼挨拶もやれず
貸与物も礼儀礼節を持って返却してこない
最近は企業組織の中でもこういう人を多く見かけるが、
こういうレベルの人間は、
生きているうえで、
陰に陽に、
自分の人生を脅かす”出来事現象)”と出逢った時、
自分自身の愚かさを嫌というほど知らされることになる