第5,046号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー121-

 

73年目を迎える人生最初の日。
天風哲学の中で学んだ「年寄りの引っ込み思案」にならぬようこれからも「より」の精神を忘れずに!
人生における高い目標とは、
大金持ちになることや、
会社で評価を得て出世することでもなければ、
本を出したりTVに出て有名人になることでもない。
人生における高い目標
これについて天風先生はこう話されている。
それは、
いかなる場合があろうとも自己を正しく向上せしめること。
今日よりも明日、
明日よりも明後日というように、
日々、
自分自身をプロモートさせることを忘れてはならない」と。
若い時は誰でもそうだが、
誰かに言われるまでもなく、
『やろぞぉ~!』という意識も強くあったが、
会社組織などの中で中心的な存在になり、
仕事も増えて、
身体だけはだんだんと衰えを感じるようになると、
人はいつの間にか「情熱が薄れがちになっていく。
これを、
年寄りの引っ込み思案」と天風哲学では教えてくれているが、
こういう状態に陥らぬよう意識して日々を送ろう。

 

第5,045号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー120-

 

『なんで私だけこんな苦労が・・・・』と嘆く人がいるけど、
人生における不幸とか不運というものは、
他から降ってわいてくるかの如く、
自分に向かってくるのではない
その出来事をよ~く振り返ってみると、

それは・・・・、
自分が知る知らざるとを問わず、
自分自身が原因となっているという内的事情」を見つけようとしない限り、
人は何か起こると、
その原因は全て””にあると思い込みがちになる。
これをやってしまうと、
自分に責任観念が無いがために、
自分自身でそれに対して向き合うべき思考や行動基準が、
いつまで経っても定まらずに、
その不幸の淵から、
自分自身を救い上げえることが出来ないままになる。

人生は「全ては自分”」であるということの教え。
今日は私の73回目の誕生日だが、
この日を無事に迎えられたことに感謝し、
さらにこの先もこの言葉を胸に刻んで歩いていく。

 

第5,044号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー119-

 

私達が人間社会で生きる上で一番厄介なこと。
それは”人間関係”。
いかなる悩み事も、
そのほとんどがこれに絡んでくると言っても過言ではない。
この”人間関係”において大切なこととして、
天風哲学ではこう教えている。
他人と相対する時、
常に元気に満ちた態度を保持し、
可能な限り積極的な言語を用いて会話することが肝要」と。
これをもう少し解り易く言うならこういうことになる。
決して意気消沈した態度や泣き言や愚痴、
ましてや相手を見下した態度や、
自分の意見だけを強く押し付けるような、
身勝手な欲念や感情情念を口にしてはならないということ。

私達が他人との会話における最大の欠点は、
相手を納得させようとする”ところかもしれない。
自分自身が信念を持って語ることは悪いことではないが、
それを他人に押し付けることはまったく別のこと。
それは押し売りや新興宗教の勧誘と同じになるだけ。

 

第5,043号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー118-

 

天風哲学の中にはこんな言葉も出てくる。
人生はオンリーワンページ
これも私の大好きな言葉の一つだが、
人生でもビジネスでも、
とかく人は”№1ナンバーワン)”を目指したがる。
ビジネスの世界では”差別化”という言葉が30~40年前までは持て囃されていたが、
差別化”で断トツの”№1”になったところで所詮は一時的。
特にいまのようなスペックやサービスでは他社と競い合うようなことが難しい時代ならなおさらのこと。
差別化”などという言葉はいまや化石化した言葉。
天風先生はこう続けておられる。
たとえどんなに人智が進歩してもそこに二生は絶対に無い
そう!
人生は一度しかないからこそ「一生」であり、
これは、
私達がビジネスやあらゆることに向き合う時、
その意識そのものが、
たった1回しかやれない」というくらいの意志気意識)で向き合うなら結果は必然的に変わっていくということも教えてくれている。

 

第5,042号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー117-

 

私達人間の「能力」について天風先生は次のように論している。
人間の本来の面目は創造的なものである。
それゆえに、
人間が万物の霊長としていっさいの生物を凌駕し、
優秀なる能力を生まれながらに賦与されているのは、
これがあるためである。
特に疎かに出来ないことは、
その賦与量はいささかも差別のない公平なものである」・・と。
この言葉を教えられた時に、
自分自身のそれまでの行動が嫌でも思い返された。
苦手なことからは避けるように逃げ、
やりたくない言い訳”をさも「やれない理由」の語っていた頃。
この言葉がキッカケで自分自身の行動というか、
物事に対する向き合い方が大きく方向転換したのは確かだ。

事業に失敗し多額の負債を背負った時も、
いままでやったことも無いようなことと向き合う時も、
自分が思い描くとおりに進んだとは言わないが、
少なくとも、
それまでの自分の行動よりはるかに「可能への転換」に大きく傾いていったことは確かだ。

第5,041号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー116-

 

人は目に見えるもの耳に聞こえるものだけを信じようとする。
でも、
私達の住むこの世界、
いや、
私達自身の身の回りにだって、
見えてはいないけど「存在するもの」が山ほどあるだろ。
酸素水素窒素
どれも目には見えやしないし手で触れることなども出来ない。
出来ないけど・・・・間違いなくそこに「在る」。
それだけじゃない。
この地球上には、
電磁波エネルギー)が縦横無尽に交差し合っているが、
これも事実としては誰にも見ることも触ることも不可能だ。
でも間違いなくそこには「在る」・・・。
これを「真実本質」という。

人も「」もまた同じかもしれない。
キツク強い言葉で自分に物言いをしてくる人。
その人の言葉は自分を傷つけているように感じ取れるけど、
実はその「本質」は自分への””かもしれない。
人が発する言葉尻だけをとらえ、
『そういう言葉は相手を傷つけるから・・・・』などと、
軽々しく言う輩ほど、
相手のことなど全く考えていないことの方がはるかに多い。

第5,040号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー115-

 

多くの人が、
「世の中の人のほとんどが”悩み”を抱えている」と勘違いする。
こういうのを天風哲学では”取り越し苦労”といっている。
あるいは、
こういう考えを持っている人は、
その生き方が消極的な感情と思考から成っていると指摘
これを読んだ時、
私の中から”悩みというもののすべてが課題に変わった
具体的にいうなら、
目の前に起きた出来事(現象)の全て。
わからず屋の上司がいる。
使えない部下がいる。
病になる。
借金をする。
自分に否定的な人がいる。
こういうことは、
それを自覚した瞬間から、
私達の「=」にマイナスの刺激を与えてくる
ところがこれもすべては「受け止め方」でしかない。
わからず屋な上司がいたら放っておけばよいその人の問題。
使えない部下がいたら「やれることをやっているか?」だけ確認すればよい育てようなどと勘違いしないことだ。
病になったら食生活と運動を見直して治せばよい。
借金をしたら返せば良い。
否定的な奴には言わせておけばよい。
結局は、
自分の意志気意識だけは自分に目を向け積極的に受け止め方を成せば、
悩み”などという心理現象はすぐさま「課題」に変えられる。

第5,039号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー114-

 

」を老けさせたらお終いだ。
これは、
『爺様がいうようなことを言うな!』といっているのではない。
もちろん、
姿勢や歩き方というのも「」の状態によって大きく影響する。
いくら立ち姿の訓練をしたり、
笑顔作りをしたところで、
その人間の”意志気意識)=「」”が充実していなければ、
所詮はその姿も笑顔も”作り物”に過ぎない。
言葉遣いは語尾をハッキリと発して
溌剌とした「気分を自らで積み上げていく
そのためには日常での「小さなこと」が大切になる。
挨拶をする
返事をする
報告連絡相談を怠らない
整理整頓をする
健康管理をする
踵を引きずりながら歩かない
考えが決まったすぐに行動する
そして何よりも、
感謝」を忘れないことだ。
何かグループで活動していていても、
最初は出欠席をきちんと連絡してきた人が、
『何も言わなければ行かないと思うだろう!』といつの間にかまったく連絡をよこさなくなるような人が多くいるが、
こういう人にはまず、
人の持つ「意志力の活用全くされていないと判断できる。
ご自身を振り返ってみると良い。
そこでまた「気付けるか否か?」もその人の岐路だ。

第5,038号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー113-

 

私達、
人間のあらゆる力というものは、
その全てが「」というものから生まれている。
」とは「エネルギー」に他ならない。
この宇宙の中に目には見えないが存在する「エネルギー」。
この働きを促すのが、
仏教の世界では「」とされ、
科学の世界では「」とされえている。
」とか「」というものは、
私達の目の前に起きた出来事(現象)の受け止め方を左右する。

そこに、
」というものが存在しないでいると、
全ての受け止め方は”感情”だけに左右されることになる。
感情”とは、
私達が経験の中から培ってきた、
好き)」か”不快嫌い)”でしかない。
こうなると、
」と”肉体”は一つの存在としてではなくなっていき、
心身一如」には程遠い在り方になっていく。
私達が健全であるためには欠かすことのできない心身一如」。
この源は、
そのすべてが「」の内容量で決められ、
)」が弱まれば弱気邪気を招き、
肉体”に影響を与え小さな病気へと変化する。
生きる上での根本要素である私達の持つ6つの潜在能力
体力
胆力精力能力判断力断行力も、
この「」によって優劣化していく。

 

第5,037号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー112-

 

日常を生きる上で最も大切なことは、
常に「を明るく朗らかに活き活き感として受け止める
こういう意志気意識)が何よりも大切だと天風哲学では説かれている。
ところが、
大半の人は、
自分の気持ちの良い時、
言い換えるなら、
自分の思い通りに事が進んでいる時とか、
自分の意見が通った時のような、
自分にとって”都合の良い時”にだけ気持ちよく応接できるが、
自分の意見に反する人が現れたり、
自分の計画通りに事が進まないことが起きたりすると、
たちどころにその姿は豹変し、
暗く沈んだり、
他人を批判したりするのが世の多くの人の有様だ。
これは私見だが、
こういう時の人というのは、
振り返ってみると解るが、
自分自身に「確たるものが明確に存在していない時。
仕事でも、
趣味でも、
恋愛でも、
」の中に「自分)」が無いから起こることが多くある。
結局は、
人生は”他人”ではなく「自分」ということだ。
これに気付けると、
誰に何を言われようと揺るぎない応接が可能になる。、