第2,397号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的はここにあった!” -1-

 

新しいこのシリーズのタイトル”人生の目的”。
誰しもが抱く、
人として生きる上での最大の”?”かもしれない。
たった一度の人生。
やりたいことはやれているか?
やらなければならいことに追われ、
本当にやるべきことや、
やりたいことが、
いつの間にか後回しになるか、
中には、
何一つやれずに終わる人もいる。
恐らくは、
1,000人の人に、
『あなたは今の人生は充実していますか?』と尋ねれば、
ハッキリと、
『全てが上手くいってなんの問題もなく大満足です!』
こう答えられる人は・・・居ないかも?
なぜなら、
多くの人が、
”時”という流れの渦に巻き込まれ、
なんとなく毎日を流されるように過ごしているから。

私の2日間のセミナーで、
はじめて自分と向き合い、
小さな気付きを得ても、
この激しい”時”の流れは、
私達の心を、
右に左に振り回しながら、
どこかで、
自分自身を見失わせていく。

この新しいシリーズは、
そんな受講生の諸君に贈るささやかなプレゼント。
ここで、
改めて自分自身と向き合い、
自分に問いかけてみてほしい。
自分は何のために生きているのか?
自分の人生の目的って・・・なにか?を。

第2,396号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -25-

 

誰の言葉だったか?

”人生はアンデスやヒマラヤの山をよじ登るようなもの
上に行けば行くほど、
断崖は険しくなり、
振り向いて景色さえ見ることは叶わないが、
それは、
山頂に広がる絶景が控えている証。
その絶景が見たければ、
無理をしないで、
焦らずに、
自分の足元だけを見つめて進むことだ。
他人のことや、
まだ見ぬ山頂に夢見心地で思いを馳せていると、
突如、
横殴りの突風に奈落の底に突き落とされる”

人生やビジネスに取組む姿勢を言い表した言葉。
私はこの言葉に何度救われたことか。
若い頃は、
もう山頂ばかりを見て、
まだたどり着いてもいないのに、
心はすでに山頂で悠々としている己の姿を描き、
ただ、
『頑張るぞぉー!』と、
実は何もしないでいる自分に気付けず、
気が付くと、
『なんでぇ~?』と思うような”出来事(現象)”に囲まれ、
途方にくれたことが幾度もあった。
まるで夢だけを追いかけて、
地に足着かずの行動パターン。
口から出る言葉は、
『10年後見ていてください!必ず恩返しします!』
ある大先輩から、
『10年後・・・俺生きているかなぁ~?(笑)』
その笑いの意味も解らずに、
口先だけで生きていた30歳代。

「人生ではどんな”壁”も突破可能!」
そのためには、
常に、
今、
この瞬間に命を注ぐこと。
恩義・礼儀を忘れずに、
自分の本来の姿を見据えて進むこと。

明日からは新しいシリーズ。
「私の後悔から生まれた教訓」”人生の目的はここにあった!”
受講生の諸君は、
これを機に、
また自己と向き合ってみてください。

 

 

 

 

第2,395号・ブログ

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「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -24-

 

最後の共通点はこれ!
そういう人と話をすると話題に上るのはいつもこの二つ。

一つは”過去の成功話と後悔談”。

『あの頃は良かった・・・・』と、
『あの時の失敗が無ければさぁ~・・・・』の二つ。
もう帰ることもできない、
変えることもできない過去のことなのに。
私が過去話をするのは、
懐かしく、
楽しい思い出話。
失敗談はするけど後悔談は口にはしない。

そしてもう一つは”未来の絵図”。
将来の計画を語るのはいけないことではないが、
それを、
今の現状と無理やりつなげるようなことを口にする人は、
ただの”夢追い人”にすぎない。
『10年後には、20年後には・・・・必ず!』
明日生きている保障など、
誰にもどこにも無いのに。
こういうことを口にする人で、
そのとおりになった人を私は知らない。
私が知っている成功者(ある分野で)といわれる人は、
皆、
その時その時を、
懸命に愚直に生きていた人ばかり。
そして、
『成功の秘訣は?』と尋ねると、
誰もが口をそろえて・・・・『判らないなぁ~』と応えられる。

結局、
人生もビジネスも、
一つ一つの積重ねでしかない。
だから、
どんな一日も、
どんな経験も、
そこから外すと、
人生もビジネスも根底から崩れ去っていく。

明日はこのシリーズ最終章。

第2,394号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -23-

 

「扉」を”壁”だと思い込んで、
落ち込む人のもう一つの共通点は・・・・

『頑張ります!』
この言葉をよく口にする。
考えてみれば、
『頑張ります!』といって頑張った人はいない。
その代わりに、
口にしたことを達成できなかったり、
失敗といわれるような状況下に陥ると、
こういう人は必ずこう口にする。
『頑張ったんですけど・・・・』。

この言葉と同じように、
『任せてください!』
『・・・・のようになれるようにしたいと思います!』
前者は、
全くなにも考えていない。
ただ、
自分の勢いを鼓舞して、
さも”出来るかの如く”見せているだけ。
後者に至っては、
もうこれはただの願望に過ぎず、
結局は、
具体的にはなにもやらない。

”なにもやらない”とは、
自分自身が取組んだことを、
具体的に形にした「可視化」がなされていないということ。
よくいうところの、
”やったつもり”がこれ。

私のセミナーでは”頑張ります”はタブー。
その気持ちは「やります!」に変えて、
初めて行動につながるという原理原則を学ぶが、
そんな中でも、
安直に、
『やります!』を連発する人がいるが、
こういう人も、
具体的に何を”やる”かが自覚できていない。

よく、
『学びに終わり無しです!』という人がいるが、
こういう人も、
『何を学ぶの?』と尋ねると応えられない人が多い。
つまり、
表面的な現象思考だけが先走り、
全く、
自分自身が見えていないから、
こうした重い意味を持つ言葉を、
軽く口から吐き出せる。

第2,393号・ブログ

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「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」 -22-

 

昨日のブログでお話しした”受け入れる”。
この”受け入れる”ということ。
これを我慢しろとか、
開き直りのようにとらえる人がいるが、
この”受け入れる”とはそういうことではない。

”受け入れる”とは、
「自覚する」ということ。

遅刻も、
深酒も、
浪費癖も、
いつまで経っても、
その問題が解決できない人は
この「自覚する」という姿勢が欠如している。

例えば、
会社の中に良く遅刻をする従業員がいる。
何度も上司が注意をするが、
いわれた直後は数日良くなるが、
またいつの間にか、
元の状態に逆戻りしていく。
上司によると、
『非常に反省はしていて、
本人も「自覚」はしているんですけど・・・』というが、
これは、
”遅刻”という行為が
他の人に迷惑をかける
”いけないこと”ということを「自覚」しているだけで、
自分がその行為をしている「自覚」は持っていない。
上司に注意されると、
注意されているのは”遅刻”という行為そのもので、
自分自身の行動を注意されていると自覚していないために、
いつまで経っても”受け入れられない”でいる。

顧問先でこの従業員のことを相談されて、
私はその彼に
あることだけを義務付けた。
すると・・・
20日経過した頃から、
彼の遅刻はいっさい発生しなくなった。

第2,392号・ブログ

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「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」 -21-

 

目の前に現れる”壁”を、
「扉」だとも気付かずに”壁”だと思い込んで、
悩み落ち込む人にはいくつかの特徴だある。

その第1は、
”目の前の状況を変えようと必死になる!”

借金を背負い込むと、
『どうしよう?どうしよう?返さなくちゃいけない・・・』
病気になると、
『どうしよう?どうしよう?治らなかったら・・・』
ビジネスでも新しいことに挑戦する時、
『どうしよう?どうしよう?失敗したら・・・』
口癖は「どうしよう?」。
これは目の前の状況を変えようとしているのではなく、
目の前の状況から逃れたいと思っているだけ。
このことにすら気付けない。

もっと深く考えてみれば、
私達が人生やビジネスで向き合う困難・苦難。
その解決策や、
回避策など本当はいくら考えたところで、
そんなものはどこにも存在していないのだ。
あるのは、
”まず目の前の状況を受け入れる”ということだけ。

これしか、
目の前の状況を突破する方法は存在しない。
誰かの力を借りて、
誰かに助けてもらって、
目の前の状況を、
一時的に回避したかのように感じられても、
そういう人には、
また、
場所や相手や、
環境や条件を変えて、
同じ”壁”が立ちふさがることになる。

第2,391号・ブログ

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「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -20-

 

”壁”を突破していくには、
まず、
自分と向き合うことからとはじめに述べたが、
どうも私達は、
時代の流れの中で、
自分よりも
他人や環境と向き合いながら
生きてきてしまっているようである。

私がサラリーマン時代は、
イエスマンこそがサラリーマンの鏡。
『従順な奴だ!』と、
上司から思われ、
いわれたことを100%やり遂げ、
加えて20%ほどの提案と補足があれば100点だった。
”ノーと言えない日本人”なんて本が出たが、
「ノー!」といってはダメな時代だった。
そして、
いつしか、
上司は具体的な指示ができなくなり、
部下は部下で、
指示待ち人間が増え、
表面的に元気で、
笑顔にあふれ、
仲間を思いやるような言葉だけを口にし、
そういう者が優秀とばかりに、
どこかに”本音”を置き忘れ、
良いところだけを褒め合って、
他のところは
見て見ぬふりをするような、
まるで演劇の世界にでもいるような感覚が、
いつしか、
家庭や、
学校や、
企業という組織の「在り方」を壊していった。

企業内組織の人材育成も、
これからの時代は、
”自分と向き合う時代”が待っている。
一人ひとりの「個」の「在り方」が、
組織の「在り方」そのものになっていく。
サービス業という取組み方も同じ。
お客様に喜ぶこと・・・・、
お客様へのお役立ち・・・、
もう商品やサービスが溢れかえっているのだから、
そんなところに価値など存在しない。
他人目線ではなく、
あくまでも、
組織を創る一人ひとりが、
”自分目線”で向き合うことが重要な時代になっている。

「人の道」とは、
他人様にお役立ちしていくことではなく、
自分自身で、
自分自身の人生を、
自省と自制の中から自責を感じて、
「意志力」と「行動力」で示すことこそが《人の道》。

一人ひとりがこの意志気(意識)にまず立たないと、
企業が進むうえでの”壁”は突破できない。

第2,390号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -19-

 

世の中は情報に溢れ、
多くの情報を整理するだけで
大変な労力を要する時代になった。
マスコミにネット、
今では、

誰もが簡単に、
なんでも調べることができ、
どこに行くにも、
地図など不要。
全てSNSが教えてくれる。
つまり、
情報そのものにも価値が無い時代になっている。
それだけに、
人からの情報は大きな価値がある。
そのためには、
より多くのジャンルから、
人と接する機会を作る必要がある。
私も仕事柄、
飲食関係、ホテル・旅館関係、生産関係に病院関係、
学校関係に放送関係、
パチンコ関係から、
果ては風俗関係まで、
先日、
古い名刺を整理したら、
40歳から今日までに、
78,555枚の名刺が出てきた。

ありとあらゆる貴重な情報は、
全てネットで収集すれば済むこと・・・とは、
決して思い込んではならない。
最高級に美味しい情報。
そして、
なによりも、
自分に対して貴重な情報は、
やはり、
自分の周囲に集まる人から、
人間的なリレーションを通じてのみ、
手に入れることができる。
様々なセミナーを受講し、
多くの資格を手にしたところで、
そうした、
人間的リレーションを通じて手に入れられる
情報や知識にはかなわない。
そんな生きた情報を手に入れない限り、
人生の”壁”を突破していくことは難しくなる。

人は1人では生きていけないから!

第2,389号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -18-

 

魅力のある人には、
周囲から人が集まる。
人の”魅力”・・・人が持つ「人間力」のようなもの。
私はこの「人間力」は、
次の公式からしか導き出せないと考えている。
それが・・・・

”人間力=意志力+行動力”

能力なんて潜在的には誰でも一緒。
いつもいっているけど、
この世の中に”凄い人”なんて存在しない。
誰でもが問題を抱え、
悩みを抱え、
日々、
改善を求められて生きている。
収入が桁外れに良いから、
地位が高いから、
有名だから、
その世界では第一人者と評されているから、
そんなことで”凄い人”と呼んでいるようなのは愚の骨頂だ。
人の魅力は、
そんなところにはこれっぽっちも存在していない。

人生では試されることが多い。
これでもかというほど”壁”が立ちはだかって来る。
そんな”壁”を突破していく人には、
必ず、
「意志力」と「行動力」がある。
事に立ち向かい、
『頑張ります!』なんて言っているようではまだまだ。
”壁”を突破していく人は、
『頑張ります!』とは口にしない。
彼らの口癖は・・・『やります!』
この一言だ。

そして必ず、
”行動基準”でやることを伝えてくる。
いつまでに、
なにを、
どのレベルまで、
どんな方法でやるか。
これがいつも明確に語られる。

世の中、
ほとんどの人が凡人だ。
恐れることはない。
臆することはない。

自分が”やれること”を、
愚直に懸命に取組む・・・これにあたる「意志力」と、
直ちに取り掛かる「行動力」が、
その先の現象に差を生み出させるだけ。

第2,388号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生ではどんな”壁”も突破可能!
”壁”だと思い込んでいるのは”扉”だから!」  -17-

 

”出来ることではなく「やれること」をやる!”
これが3つ目のポイント。

”出来ること”と「やれること」。
この違いを
本質に理解するまでに
私はかなりの時間を要した。
最初は、
『どちらも同じだろう!』と思い込んでいた。
これを教えてくださったのは、
あの名再建者といわれるⅠ先生。
初めてお会いしたのは昭和44年の秋だった。

当時、
百貨店の人事部で新入社員として働いていた私が、
急遽、
社長と専務のお供で京都へ。
初めての出張でかなり緊張していた。
実は、
私が人生で初めて名刺交換させていただいたのがⅠ先生。
その時に、
どういう話の流れからかはもう記憶にないが、
それも私に直接ではなかったような気がするが、
その言葉は今でも鮮明に覚えている。

それが、
『出来ることをやろう!という人が多くいるが、
実は、
私達に”出来たこと”は在っても、
”出来ること”など存在しないんですよ。
だから「やれること』だけを懸命にやるしかない。
”出来たか?出来なかったか?”はその結果判ること』

私ごときが発言する機会もないので、
心の中で、
(そうだよなぁ~。”できること”と「やれること」じゃ、
元々、時系列が別のところに存在しているしなぁ~・・・)
こんなことを考えながら、
懸命にメモを取った記憶がある。

”出来たこと”と、
”出来ること”をごちゃ混ぜにして、
私達はどこかで思いあがっているのかもしれない。
1秒後の保証などどこにも無いのがこの世の中なのに、
『出来ることをやろう!』・・・おかしな言葉遣いだ。
”出来ると”思い込んでいる。
だから、
”出来なかった”その時のショックは大きい。

最初から、
「やれること」だけを、
愚直に懸命に取り組んでいればそれで充分。
でも、
その「やれること」を疎かにして、
やれ10年後は!
やれ20年後は!と未来に描く夢は、
それは夢ではなく
ただの”欲”でしかない。

「意志力」を高めるのに、
最も大切なことはこのことかもしれない?