第3,542号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -24-

 

私のブログにときどき登場してくれるが、
部下の不祥事の責任を取らされ、
2階級も降格させられた人物がいる。
その”降格”という現象の受け止め方を、
彼自身が彼自身の意志でチョッとだけ変えることで、
一から取組み直し、
今ではその会社の取締役にまで上り詰めたY君だ。
彼が私のセミナーを受講したのは、
ちょうど降格の辞令が降りた直後で、
セミナー初日に初めて会った、
彼の”斜に構えた”反抗的な姿を今でも覚えている(笑。
自己紹介の時には、
『このセミナーが終わったら退職するYです!』と、
まるで私に喧嘩を売っているようだった(笑。
そんな彼が、
私のセミナーで”気付き”を拾い、
降格」という”現象”の受け止め方を自らの意志で変え、
一度は、
自ら来た道を”バック”し、
方向転換して、
その後は、
他の者よりはるかに速いスピードで追いつき追い越して行った。

人生には、
車と同じように、
Дというギィアだけでなく、
」というギィアも必要なのである。
人生も車も、
どんなに性能が良くて、
早いスピードを出せたとしても、
」・・・つまりが”バックギィア”が備わっていなければ、
狭いところ(窮地に追い込まれたら)方向転換が出来ないから、
目的地には到達できない。
時には、
後ろに下がることで、
道は大きく開けるものである。

第3,541号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -23-

 

最近は高層マンションが多くなった。
私の友人にも高層マンションの
それも38階という高さのところに住んでいる人がいる。
『なんであんな高いところに?』と尋ねると、
『まずは景色ですよぉ~。遠くまで見渡せますから・・・』
何回かお招きをいただいたことがあるが、
それは素晴らしい都会の夜景や、
遠くまでの素晴らしい眺めが満喫できる。
それに比べると、
我が家は夜景などには縁遠い、
郊外のどちらかというと、
片田舎といった方があっているような場所の2階建て一軒家だ。
時々、彼の住まいが羨ましくなる時もあるが、
我が家のリビングから見た庭先の花々も捨てたものではない。

いずれにせよ、
外の景色を見るには、
高さよりもっともっと大切なことがある。
それは定期的な”窓拭きを忘れない”ことだ。
どんなに美しい景色も、
窓が汚れていては奇麗に見えるはずがない。
キラメク夜景も、
色鮮やかな薔薇の花も、
みんなくすんで見えてしまう。

私達の”心の窓”もこれと同じだ。
どんな会社に勤めているとか、
給与がどれくらいかとか、
地位がどうとかいう前に、
自分の”心の窓”をしっかりと拭いて、
自分の今と向き合わないと、
目の前に現れる現象のすべてが曇って見えてしまう。

第3,540号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -22-

 

東日本大震災の後も、
異常気象といわるものは続き、
昨年も台風による被害が多くあった。
私の知人の多くもこうした災害に見舞われ、
苦しい生活を余儀なくされた人もいる。
私もあの震災で大切な人を亡くした。
亡くなられた多くの方がに心からお見舞いを申し上げるが、
その中でも、
被災する前よりもはるかに心を豊かにして、
人生に向き合っている人もいる。

大昔、
古代エジプト文明の頃のナイル川は、
毎年必ず大氾濫が発生したという。
でも、
多くのエジプト人はその氾濫を悲しむことはなかったそうだ。
それは、
上流から豊かな肥料が流されてきたから。
そのお陰で水が引くと、
土地は豊に肥えて、
多くの収穫につながったという。

私達の目の前に起こる悲しみや苦しみは、
もしかしたら、
こうした洪水のようなものかもしれない。
見舞われたその時は、
目にする光景や、
急変する生活で慌てふためくが、
そうした困難苦難に背を向けることなく、
新たな決意をもって生きていく人には、
目には見えないかもしれないが、
豊かな心の肥料”がもたらされているのかもしれない。
被災された前よりも、
はるかに心を豊かにして、
人生に向き合っている人というのは、
そういう受け止め方をしているのだろう。

第3,539号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -21-

 

モノが溢れ、
世の中は物質的には本当に豊かになった。
でも同時に、
心の貧困者”は増えてきている気がする。
自分だけの損得でしか動かない人。
例えば、
電車を乗る人でも、
降りる人が先というルールを守れない人も多くなった。
降りる人もまた、
『すみません!降ります!』と声をかける人も少なくなった。
車を運転すればウィンカーも出さずに車線変更をしたり、
人ごみの中でも、
電車のシルバーシートに座ってスマフォを手放さず、
自我の世界”に入り込んでいる人も多い。

モノは豊かになったのに、
考えてみると未だに「1円玉」はなくならない。
どうしてなのだろうか?
「1円」では何も買えない時代になっているのに。
単にスーパーの釣銭としての役割しかないのだろうか?

私はフッとこんなことを思う時がある。
『きっと「1円玉」は私達への”心の楔”として在るのだろう』と。
1はすべての始まり
物事のスタートを意味する数字だ。
どんなに世の中が豊かになろうと、
いつも人としての”原点回帰”を忘れずに、
謙虚な気持ちをもって、
自分の足元を見つめながら生きなさいといわれているような。
1円玉」は増えてくると、
財布の中で邪魔者扱いされるけど、
しっかりと心の貯金箱に貯め続けていきたいものである。

第3,538号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -20-

 

私は飲食の衛生管理などが専門分野の一つだからか?
自分が飲食店を使う時は、
安全衛生」が気になって仕方がない。
どんなに有名で、
どんなに行列のできる店だろうが、
まず髭を生やしたスタッフが厨房内にいるような店は使わない。
生ビールを注文して、
ジョッキの中に細かな気泡がついているような店では、
まず生ものは注文しない。
もう一つ、
オープンキッチンの店などに行くと、
もう厨房スタッフの動きや、
冷凍冷蔵庫の使い方が気になって気になって・・・(笑。
冷凍冷蔵庫の上が物置状態になっていたり、
何十秒も、
冷凍庫の扉を開けっぱなしで作業をしているのを見ると、
『あぁ~ここのスタッフは衛生管理に関する意識が低すぎるなぁ~』と感じてしまう。
冷凍冷蔵庫の温度は、
扉を開けっ放しにしていると、
概ね1秒間に0.5度上がるといわれている。
10秒開けていると、
冷凍庫の中の温度は5度上がるということだ。
電気代も無駄にかかるが、
何よりも食材のクォリティーに悪影響を及ぼす。

これは飲食店の話だが人生も同じだ。
厨房内の冷凍冷蔵庫の扉が開いているのを気になる人でも、
人生の冷凍冷蔵庫の扉”が開けっ放しになっているに
気付くける人は少ない。

人生の冷凍冷蔵庫の扉”とは、
自分が心に秘めた「想い」や、
信念」が詰められているところだ。
そこの扉が開けっ放しにされていると、
私達の身体からは、
元気やる気勇気陽気根気といったものが、
どんどんと溶け出していってしまう。

そして他人が気になり、
他人に合わせることだけを考えるようになる。

いくら他人に合わせ”いい人”演じていても、
それでは、
見た目には行列のできる人気飲食店で、
厨房をのぞき込んでみると、
冷凍冷蔵庫の扉が開けっ放し状態の店と同じようなものだ。

第3,537号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -19-

 

手放す」という言葉ある。
これの”本質”を知る人は少なく、
多くの人は、
忘れるとか、
気にしないことと受けとめている場合が多いが、
自分が抱える問題や悩みを「手放す」とは、
自制の中で振り返って検証しろ!”ということ。
忘れるとか、
気にしないという人は、
手放す」というその光景をこう描いている。
手のひらを床に向けて手のひらを広げ、
手の中に在るコトを捨てるというイメージ。
この”本質”はその逆だ。
手のひらを上にして、
手を開いてみることだ。
そして、
自分の掌の上に残る、
心の中に握りしめていた問題や悩みをじっくりと見つめ直し、
今一度、
自省の中”で検証し直せということ。
するといろいろなことが見えてくる。
自分勝手な思い込みや、
チョッとした物事の受け止め方の勘違いなどが、
少しづつ少しづつ見えてくる。

これは水の中で溺れた時の対処法と同じだ。
多くの人は溺れそうになると、
慌てて手足をバタつかせ動バタき、
沈まないようにしようとするが、
人は”沈まなければ”泳ぐことは出来ない。
ここでいう”沈む”とは、
水の中に身を委ねるということ。
水の中に身を委ねたら、
今度は身体の力を抜く。
『沈んではならぬ!』と力が入ってバタバタするから、
ますます沈んでいく。
力を抜いて、
身を委ねれば、
必然的に身体は自然と浮いてくる。

第3,536号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -18-

 

私達の肉体も最近はめっきり弱くなった。
スーパーに行くと必ず消毒用のアルコールが置かれているが、
よくよく考えてみれば、
その後に、
誰が使ったか判らないカートのグリップを握って買い物をする。
本来なら、
手に振りかけるよりも、
カートのグリップ部分に吹きかけた方が、
よっぽど効果的ではと思う時もある。
いつからこんなふうになったのか?
本当に強くなりたかったら、
無菌室から出てバイ菌だらけのところに行った方が良い。
無菌状態というのが実はバイ菌に一番弱い。
それより、
体内にバイ菌を送り込んで、
免疫を作る方がはるかに強くなれる。
学校も会社も、
社会全体が人に良いと思ってどんどん殺菌しようとする。
バイ菌だけじゃない。
人間関係だって、
身の回りに起こる悩みといわれるものにまで、
どこか神経質になりすぎているような気がしてならない。
考えてみれば、
困難・苦難を多く経験した人ほど強い。
人間関係だって、
言いたいことを言い合って、
時には殴り合うぐらいのぶつかり合いをした関係の方が、
深く長くその関係を続けていける。
仕事だってスポーツだって、
何度も何度も失敗を繰り返して、
それでも立ち向かっていく人が強くなる。
「有難う」の””は、
困難・苦難を前にした時こそ、
『ありがとう!』と向き合えという意味かもしれない。
だって、
その陰でいろいろなことが学べ強くなれるんだから。

第3,535号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -17-

 

 

私はゴルフが好きだけど、
池があると・・・・、
チョッとテンションが下がる(笑。
バンカーが嫌いだという人も多くいるが、
私はバンカーが大好きだ(笑。
時々、
あえてバンカーをねらって打つことだってある。
ゴルフ場というところに作られた池やバンカーは、
コースに仕掛けられたトラップのようなものだ。
その罠にかからないように、
自分の腕(能力)を自覚しながら、
”やれること”だけに集中して攻略していくところに、
ゴルフの面白さ、
奥深さがあるような気がする。
もし、
池やバンカーが一つも無く、
邪魔に目に入る木も無ければ、
フェアウェイのアンジュレーションも無かったら・・・。
ホールの大きさだって、
両手を広げるくらい大きなものだったら。
そんなゴルフ場、
面白くもなんともないからまず行かないだろう。

人生だって同じかもしれない。
全てが自分が思い描くとおりになったら、
問題もなくなり、
悩みもなくなるかもしれないけど、
きっと、
考えなくなり、
工夫しなくなり、
ゴロゴロしてばかりいるかもしれない。

自由」は”ルール”があるからこそ人が求める。
闇の無いところに光の存在を確認できないように、
ルール”の無いところに、
自由」というもの存在もまた確認することは出来ない。
人生もまた、
さまざまな障害物が出てくるから楽しいのかもしれない。

第3,534号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -16-

 

人は感情の生き物だから、
目の前に起こる全ての”出来事(現象)”を
誰もが「感情」で受け止める。
そして、
その「感情」が「思考」を決定し行動という表現に移る。
決して悪いことではない。
悪いことではないが、
時々は、
別の”感覚”を使って受け止め方を変えたほうが良い。
人の「感情」というのは、
その根底に在るものは全てが””だ。
自分の願いや、
考えを叶えるという“”。
ボランティアをする時だって、
『良いことをした!』という気持ちに浸りたいという
これもまた””だ。
それを無理やりに、
自分を満たすだけのものにするな。
周囲との調和のために使えなどといったところで、
私達は誰もが、
自分のために行動する”ように出来ている。
それを別の方向に向けて、
さもそうすることが美徳のように振舞うから、
ストレスが生まれ、
継続性に欠けてくるだけのこと。

まずは、
自分は”感情の生き物”ということ、
自分の行動は全てが””が根底に在るということを自覚し、
時々、
別の角度から、
目の前の”出来事(現象)”を受け止め直してみる。

バラ色のサングラスをかければ、
間違いなく目の前のことは”バラ色”に見えてくるし、
灰色のサングラスをかければ、
間違いなく”灰色”に見えてくる。

どちらのサングラスをかけるかは自分の”意志”で決まる。
これが”感情とは別の感覚”。
意志力」という人が持つ能力の一つだ。

第3,533号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は全て上手くいくようにできている!」 -15-

 

誰だって”重荷”には背負いたくないと考える。
だから平穏無事を祈る。
その裏で、
誰よりも高く、
誰よりも遠くへ、
誰よりも早くと、
身勝手考えるのが私達だ。
でも、
多くの人が、
自分が願うほど高く、遠くに、早く飛べないのは、
その”重荷”を背負っているからだと思い込んでいる。

私達人間はティッシュペーパーのようなものだ。
目の前に起こる”出来事(現象)”に振り回され、
あっちにフラフラ、
こっちにヨロヨロ、
行先だってどこに落ちるか判りゃしない。
ティッシュペーパーを持ってて離した時のように、
フワフワとゆっくり、
落下していくだけ。

このティッシュペーパーを高く遠くに早く飛ばすには、
この方法しかない。
それは・・・・・、
石ころでも、
何か硬くて重いものを、
ティッシュペーパーに包み込んで投げることだ。

私達人間はまさしくこのティッシュペーパーだ。
苦い経験、
辛い時間、
苦しい出来事を経験して、
それを背負いながら、
はじめて高く、
遠くに、
早く飛べるようになるのかもしれない。