第3,297号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-33-

 

心にプラス要素を作っていく上では、
次のようなことはまずやってはならない。
それは「自己否定」。
前にブログでもお伝えしたが、
「自己否定」というのは”反省”とは全くの別物。
『俺はダメな人間だぁ~!』
『失敗ばかりしてる!』
『自分で自分が情けなくなるよ!』
こういう言葉は、
自分が、
自分の心の中の”もう一人の自分”と、
傷のなめあいをしているようなもので、
生まれるものは何一つない。
こういう人に限って、
他人から同じような言葉を浴びせられると、
『それって言葉の暴力ですよぉ~!』
『パワハラですよぉ~!』と騒ぎ立てる。
よくよく考えてみればよい。
自分に対して、
キツイ言葉を真正面から浴びせてくれるような人が、
自分の周囲にどれだけいるだろうか?
「自己否定」をする人は、
そういう人の存在が無いからか、

「自己否定」する自分を見てもらって、
慰めてほしいという甘えがあるかのどちらかでしかない。

第3,296号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-32-

 

私達の心に潜む厄介な”マイナス要素”。
その第一は何といっても「楽をしたい!」だろう。
これは自分を見ていればよく解る。
妻から、
『洗濯物があったら出してくださ~い!』といわれると、
『ちょっと待ってぇ~』と必ず返していている。
洗濯物を数枚、
2階の自室から階下に持っていくだけなのだから、
ものの数秒だ。
それに対して『ちょっと待ってぇ~!』は、
考えてみればおかしな返事である(笑。
さらにいうなら、
帰宅して着替えが終わったら、
すぐさま自分でランドリー・バスケットの中に入れれば済む話。

まるで、
『早く結婚したいんだけど・・・誰かいい人いないかなぁ~』
と嘆くだけの結婚願望者。
はたまた、
『あいつは朝挨拶をしても挨拶を返してこない!』と怒り、
自分も同じように、
『だったら俺ももうしないよ』と拗ねる子供のようなもの。

行動というものは、
周囲の反応や、
出方によって取組んでいくとストレスしか残らない。
相手がどんな反応をしようが、
どう出ようが、
自分から、
自分の意志でアクションを起こすことだ。

 

第3,295号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-31-

 

いつも言っているけど、
「他人は他人 自分は自分」これを忘れないことだ。
表面的に、
相手のことばかり気にかけていると、
間違いなく自分自身の本来の姿を見失っていく。

”相手を思いやる”とは、
「自分自身がしっかりとやれることをやる」ということ。
『会社に感謝してます!』といいながら、
毎月のように遅刻をしたり、
報告・連絡・相談を怠ったり、
提出物の期限を守れない人間が、
周囲の人に向かって、
『大丈夫ですか?何かお手伝いしましょうか?』
『一緒にやりましょう!』などと声高らかにあげたところで、
その言葉に誰が耳を傾けるのだろうか?

心の中にプラス要素を植え付けていくには、
誰かの真似をして、
『あの人のように!』などといったスタンスではなく、
「自分が”やれること”」だけに目を向けることである。
そうすれば、
『出来るか?出来ないか?』といった
心への揺さぶりもなくなり、
最終段階に到達するまで、
コツコツと”やれること”を一つひとつ積み重ねていくだけだから
苦手なことも、
難しいと感ずることも、
”やれること”からなんだから、
『まずはやってみよう!』という心の状態を導き出せる。

そしてそれが、
”差別化”という相対的な欲望のレベルを超えた、
「独自化」という絶対的な自分を創り上げていく。
ビジネスもこれと全く同じだ。

 

第3,294号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-30-

 

心の中に強い軸をつくり上げていくには、
心の中にマイナス的要素のエネルギーを貯めないことだ。
マイナス要素を減らすには、
逆のプラス要素を多く取り入れるしかない。
でも、
「ありがとう!」をたくさん言いなさいとか。
「高い目標を掲げなさい!」とか、
はたまた、
言葉には魂が宿るから、
元気になる言葉、
楽しくなる言葉、
プラス要素の高い言葉を多く使えば、
自然とプラス要素が習慣となって、
自分の中に取り込まれていく・・・などといった、
新興宗教的なお話をしているのではない。

まずは”他人のストライクゾーン”に合わせないこと。
いつも自分自身の”ストライクゾーン”を基本に行動する。
先日お話しした「過剰適応」は絶対にやめること。

具体的なことを一つ例を挙げるなら、
「他人との約束より、自分との約束を遵守する!」
つまり、
①.誘いを断れずに簡単に「OK!」を出さない。
②.自分から「やる!(行く!)」と決めたことは必ずやる。

「過剰適応」のある人は、
あまり乗り気のしない誘いを断れずに、
簡単に、
『いいですよ!』
『やります!』
『行きます!』と回答をしがち。
そのくせ、
そういう人に限って、
自分で”やる!”と決めたくせに継続性に欠けたり、
自分で“行く!”と決めたのに、
直前まで何の連絡もなくドタキャンしたりする。

”自分の約束”を遵守できない人間に
「他人との約束」が守れる道理はない。

 

第3,293号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-29-

 

次に、
”争わない・競わない”だ。
人生もビジネスも”№1”には一時的な満足感のほか、
何の価値もないということを知ることだ。
いつも言っているけど、
ましてや今の時代は、
”差別化”という言葉が死語になり、
「独自化」の重要性が問われる時代。
中には、
『独自化のある差別化が最高!』などと書かれているマーケティング本があったが、
これなどもう愚の骨頂もよいところ。
対抗するものがあっての差別化と、
対抗するものが存在しない独自化を一色淡にしてごまかしているような論理だ。

争いや競い合いは、
「他と比べる」ところからはじまる。
『自分のところより〇〇はこういうところが凄い!』
『だから自分のところもそれに負けないように!』
こんなことをしていたら、
競合といわれるところの思うつぼにはまるだけのこと。

君は好きな人が出来て、
その人に告白をするとした時、
そこにライバルが現れ、
そのライバルが、
彼女に1本1,000円の薔薇を20本贈ったら、
君は、
1本2,000円の薔薇にするのか?
それとも同じ1,000円の薔薇を30本贈るのか?
もしそうだとしたら、
君はもうその時点でライバルに負けることになる。

 

第3,292号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-28-

 

折れにくい心を作る方法の一つに、
”他人と比べない・競わない・争わない”という大原則がある。
人生だけではない、
ビジネスだってそうだ。
『ビジネスは設けてなんぼ』、
『ビジネスは”優勝劣敗”の世界!』などと思い込んでいると、
どんどんと自分自身を見失っていくだけだ。

まずは”比べない!”。
心の病の一つに「過剰適応」というのがある。
どういう症状かというと、
その名のとおり、
必要以上に自分以外の周囲に合わせようとしてしまうこと。
頼まれたら「やれません!」と返せない・
指示されたことは
100%完璧にこなそうと考えてしまう。
周囲の人すべてに好かれようとする。
誰かのために”お役立ち!”と、
相手の反応だけが気になってしまう。
どれもこれも、
表面的な一面をとらえると素敵な姿に見えるのだが、
そのために自分自身の足元を見失っていくと、
悩みやストレスを生み出すことになっていく。
この「過剰適応」になりやすい人は、
一見すると、
他人様のことを考えている素晴らしい姿に見えるのだが、
その心の中は、
『良い人と思われたい!』
『他人から嫌われたくない!』
『他人から評価されなければ価値がない!』
こういう”自我欲望“を満たそうと必死になっている人が多い。

人生は他人のことより、
自分の足元をしっかり見つめていくことが大切。
ましてや、
他人に合わせようとしたりするのではなく、
自分の心に従って生きることだ。
その方が、
結果はどうあれ「後悔」の二文字は生み出さない。

 

第3,291号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-27-

 

ポジティブ思考をすすめる書籍には、
「夢を持つなら大きな夢を!」とか、
「目的を設定するなら高いレベルで!」・・・そうすることで、
あなたはどんどんやる気が出てくるし、
達成した時の達成感ははるかに大きなものになる。
こういうことが良く書かれているのを見かけるが、
やみくもに遠いところに目指す目的を掲げても、
心にマイナスの影響を及ぼすことの方がはるかに多い。
それは、
「物事は一つひとつの積み重ね」という”原理原則”の中でしか成り立たないから。
高い理想を掲げることは悪いことではないが、
”敵を知り己を知れば百戦殆うからず”・・・理想と現実の乖離をそのままにしていてはまず届かない。
その乖離を、
一つひとつ埋めていく以外に、
そこに到達する術などないということ。
ダイエットを思い出してほしい。
簡単で、
ただ立っているだけ、
ただ飲むだけ、
こういう術で一気に、
一時的に行ったダイエットほど危険なものはない。

理想が現実にほど遠い状態を前に落ち込んでしまうなら、
まずは発想を切り替えて、
理想の設定を現実に近いものに変更することだ。

これは「目的達成の3原則」の一つ。
①.達成可能
②.測定可能
③.変更可能
ココから外れた目的の設定はまず届かない。

第3,290号・ブログ


《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-26-

 

気持ちが落ち込んだ時、
『何を弱気になってるんだ!まずは”出来る‼”と信じることからだ!』とはっぱをかける人もいるが、
こういう時は無理はしないほうが良い。
人間、
落ち込むと、
『何とかその状況を抜け出そう!』
『何とかこんなマイナスの気持ちを払拭しなくては・・・』と、
無理をして、
『頑張らなきゃ!』と、
やれもしないことに挑んでいく人がいるが、
そういう結果はまず良いことが待つことは少ない。

行動心理学の中に「逆説療法」というのがある。
不眠症の人に、
『寝るんだ!と強い気持ちを持つことです』といったところで、
『眠らなきゃ!眠らなきゃ!』と、
ご経験された方も多いと思うが、
そう思えば思うほど眠れないものだ。
こんな時はそのまま寝ないで、
好きなことをやる。
これが一番。
ベッドに入って5分で寝入ってしまう人は、
何か特別なことをするわけではない。
『寝よう!』とすら思わない。
この療法のポイントは、
”執着を捨てて「やれることをやる!」”ということ。
眠ろうとすることを、
”義務感”でとらえている自分に気付くことが大事。
目的を遠くに描いて、
なかなか、
それに近づけなくてイラついていくのと同じ。

 

第3,289号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-25-

 

何か”問題”が発生すると、
多くの人は、
それを解決する答えが
どこかに存在していると思い込んでしまう。
人生にはそんな答えは存在していない。
ビジネスにおいても同じだ。
自分の50年間のビジネスマン人生を振り返ってみれば解る。
『これなら絶対だ!』と思った答えが、
全く役に立たなかったどころか、
二次問題まで誘発する引き金になってしまったり、
逆に、
『こんなので大丈夫かなぁ~?』と、
不安だらけに出した答えが、
思いもかけない成果となって帰ってきたり・・・・。
誰にでもそういう経験が必ずあるはず。
大切なことは、
「これが答えだ!」というものを探し求めるのではなく、
いつも言っているけど、
「いま”やれること”を愚直に懸命に、
誰もがやれることを、
誰もがやらないぐらいトコトンやる!」
この意志気(意識)と姿勢を忘れないことだ。

人生やビジネスというのは、
誰かに勝った負けたとかじゃない。
「すべては己の中」に存在している”本性”を試されているだけ。
これに気付けると、
楽になれるし、
戦う相手もいないし、
『誰かの役に立たなきゃぁ~!』という気負いもなくなるから、
”心が折れる”ことも少なくなる。
だっていつも見つめているのは自分のことだから。

第3,288号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-24-

 

鎌倉時代の古典”平家物語”にこんなこと言葉が出てくる。
ご存知の方も多いとおもうが、
あの「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。
ここに出てくる”諸行無常”という言葉は、
「この世のすべてのものは生まれては消えていき、
絶えず変化し変わらないものなどこの世の中には存在しない」
そういう意味の言葉。
”諸法無我”(「この世の中のものはすべてが関係しあっている」)という言葉と並び、
この世の中に”真理(摂理)”を示した言葉の一つである。
私達の多くは、
辛いことや苦しいことが立て続けに起こったり、
いつまでも、
その苦しい現象が変わらないでいると、
『この先、俺はどうなってしまうのだろうか?』と、
追い詰められたような気持になる。
でも、
ほら!
あの10年前に悩んでいたこと。
あの20年前にあれほど苦しんでいたことも、
その時は大変な思いだっただろうが、
今はこうして元気に生きていられる。
今抱えている問題も、
それと同じで、
数年後の自分から見たら小さな問題になっているかもしれない。
ただし、
今「”やれることをやらずに”」いれば、
その問題はもっと大きなことになるかもしれない。

そう!
いつも私達はその姿勢が問われているだけ。

奇しくも今日は、
この「諸行無常・諸法無我」という言葉を私に教えてくれた親友K・Оの納骨式。
あれは53年前中学二年の夏休みのことだったなぁ~。
必然の流れとは怖いほどにおもしろい。
5月1日に逝って以来、
まだ私の気持ちの整理はついていない。
そんな私の気持ちに対して『切り替えろ!』と教えてくれているようだ(合掌)。