第4,162号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー120-

 

人生では良いこと悪いこともいろいろやって来る。
ほとんどの人は、
そのどちらの出来事(現象)も、
それ自体が良いこととか悪いことだと受け止めがちになる。
ところが実はそうではない。
例えば、
結婚はおめでたいことで良いこと
離婚は良くないことで不幸なこと
結婚という現象も、
離婚という現象も、
それ自体は喜び不幸も成り立たせることはできない。
不幸”という感覚は、
自分自身の「感情」がそれを否定的に受け止めた時に生じる
喜び”という感覚もまた同じだ。
そういう「感情」が、
自分自身の心の中に存在しない限り、
そういう考え方思考)が生み出されることはない。

否定的な感情」”と”喜びの感情」”
このどちらにもその居場所を与えるのは、
自分自身が経験したことから生まれた、
過去の感情」”そのものということになる。

これに対応するには?

そのあたりは次のブログで。

 

第4,161号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー119-

 

目の前の出来事(現象)を前にして、
自分自身が”それをどう受け止めるか?”。
この選択だけがその先の自分の未来を決めていく。
これはもう何百回とお話ししていることだが、
多くの人はこの「原理原則」に気付けていない。
それ以前に、
好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
出来るとかできないとか、
やるとかやらないとか、
そういった「選択」をする時、
自分が”過去の経験体験」”の中で、
嫌な思いをした。
失敗をした。
恥をかいた。
上手くいかなかった。
挫折した。
こういうマイナスというか、
自分にとって、
悪いことは忘れようとする「感情」が強すぎるから、
『忘れたい!』
『忘れなきゃ!』と「思考」が強く働けば働くほど、
自分の「感情」の中には深く刻み込まれ、
忘れられなくなる
この絶対的な原理原則」にも気付けないままになる

そして、
苦手だと思い込んでいることや、
嫌いだと思い込んでいることが目の前にやって来ると、
『そこから逃げたい!』という「感情」が、
あぁ~でもないこうでもないと、
あたかもそれが正当な理由のように”言い訳”を口にし始める

第4,160号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー118-

 

爪楊枝で作り上げた安土桃山城の作品が総理大臣賞をいただき、
私の「感情」が”達成感”で満たされたのだろう。
それだけではなく、
いままで、
野球ぐらいしか取り柄の無かった一人の少年が、
区の広報誌には載るは、
周囲からは『凄いねぇ~』のシャワー。
挙句の果てには、
当時のTV取材は受けるわで、
もう私の「感情」は”優越感”にまで膨れ上がっていった。

この時の”経験”は、
その後、
社会に出ても私の「感情」の中に強く刻み込まれ、
面倒くさい”と周囲の人が感じることを、
あえて挑戦していくことで多くの評価をいただけた。
諸先輩や友人からは、
『お前さぁ~よくあんな”面倒くさい”ことやれるねぇ~』
『”面倒くさい”と思わないの?』などといろいろ言われたが、
確かに、
私自身も”面倒くさい”とは思っていた(笑。

その”面倒くさい”と感じる「感情」を超える「感情が、
私にやってみよう!』という「思考」を生ませ、
挑戦する”という「行動」に導いたのだ。

感情」と「思考」と「行動」は、
点と点のつながりでしかないが、
それを”線のつながり”さらには、
面の広がり”へと導くその大元が「感情」ということになる

第4,159号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー117-

 

感情
私達の”思考”や”行動”の原点になっているもの。
全てはここから始まっている。
そしてその感情」は人それぞれに異なる
なぜなら、
私達の感情」というものは、
概ね3歳以降の経験の積み重ねで作られていくから
食べ物の好き嫌いとどこか似ている。

例えば、
『なにも考えないで10秒間じっとしていてください』
こういわれてこのたった10秒間を、
何も考えない”でいられる人はまずいない。
『よぉ~し10秒間考えないぞ!』と意識した瞬間、
もう思考考え)している。
つまりは、
思考はそれを生み出す感情」が存在しなければ、
私達は何も始まらないというコトだ。

例えば、
人前で話すのが苦手という人がいる。
こういう人の多くは、
『自分は人前で話すのが苦手』と思い込んでいるが、
実はそういう「感情」を生み出した原因となる出来事が、
必ず過去に存在しているからで、
その人が生まれつきそういうコトが苦手なわけではない。
もっと身近なところでいうなら、
面倒くさいこと”が好きな人もいれば嫌いな人もいる。
『”面倒くさいこと”はみんな嫌いでしょ!』という人もいるが、
それは大間違い。
なぜ好き嫌いの二極化が生まれるのか?
私などはどちらかというと、
面倒くさい”ことが好きな方。
それは小学生の頃の”経験”に遡る。
夏休みの宿題で爪楊枝を使って安土桃山城のミニチュアを再現。
総時間は126時間。
ほとんど毎日のように取り組んだ。
その作品が総理大臣賞をいただき、
その「結果経験」がさらに拍車をかけた。

続きはまた明日。

 

第4,158号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー116-

 

人間は”考える葦”だといわれる。
考える(思考)ことによって行動が決まる。
ではこの”考え(思考)”は、
いったいどこから生み出されれているのだろうか?
それは「感情」というものが概ねそれを生み出していき、
その感情」と”思考”は密接な関係におかれている。

私達の”思考”というのはまるで”呼吸”と同じ感覚がある。
いま、
このブログを読まれている君も、
自分が”呼吸”をしていることなど意識していないはず。
私達は息が止まらない限り”呼吸”をし続ける。
実は”思考”も全く同じで、
『何も考えるな!』といわれたところで無理なコト。
毎秒毎秒、
瞬間瞬間で”思考”を働かせている私達は、
自分が”考え(思考)”しているということを忘れがちになる。
これを「無意識」というが、
この「無意識」というのが恐ろしく怖い。
不満、
怒り、
葛藤、
ストレスなどは特に要注意だ。
それらの「無意識思考」は、
無意識」がゆえにそれに気付くのも遅れる

自分の「思考」。
これがどこから来ているのか?
これを時々は振り返り”自覚”していかなければ、
これから逃れることはできなくなる。
ここで向き合わなければならないのが、
思考」と深い関係にある「感情」だ

目の前に起きた出来事(現象)に対して、
逃げたくなるような意識が生まれた時、
問題なのは”逃げたい”というその「感情」ではなく、
その「感情」がどこから来たかというコト。
これを自覚することが大切

続きはまた明日。

第4,157号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー115-

 

私達が生み出す”失望”は2つの道を通ってやって来る。
1つは、
自分自身が楽しさや嬉しさといった歓喜の中にいる時、
『その時が永遠に続いて欲しい』と熱望し。
2つ目は、
苦痛と悲哀の渦に包まれた時、
『今すぐこの状況を変えたい』と悲願する。
しかし・・・・まずそうはならない。
この「原理原則」ともいえる、
人生の摂理に挑んで、
それをぶち壊そうともがいた結果、
そこに新たに”不幸の種”を蒔くことになる。

父が教えてくれた言葉・・・「この一幕もまた過ぎていく」。

これに気付かせてくれたことは、
私にはとても大きな支えとなった。
いつもこの瞬間の後には”次の瞬間”が訪れる。
どんなに苦しいことが起きても、
やがては別の何かがそれに取って代わる。
逆に、
『いまは絶好調!』と浮かれていても、
次の瞬間には、
別のところからとんでもないことがやって来るということ。

これさえ気付けていれば、
どんなことがやって来ようとも、
気付けていないよりは心穏やかでいられる。

 

第4,218号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「目の前の出来事の”受け止め方のコツ”を身に付けろ」 ー15-

 

生まれたてのアイディア。
それも「純粋なアイディア」というのは弱くもろい
これを外の世界に発表するまでには、
またいくつかの困難を乗り越えなくてはならない。
純粋がゆえに、
外の世界できちんと息をして生きていけるかは判らない。
否定的な意見にさらされいつ折れてしまうことかでも、
そのアイディアが弱弱しく感じれば感じるほど、
それを外んどんどんと出していかなくてはならない。
外に出して、
風雨にさらされてこそ初めて、
そのアイディアは筋肉をつけ、
行動判事が広がっていくように大きく成長してくれる。

アイディアを生み出すのは、
思考考える)」という一人の作業だったが、
ここからは違う。
自分が生み出したアイディアにより多くの人の意見を集める
この作業が必要になってくる。
紙に書き出したアイディアは、
今度はその言葉を、
文章にまとめて、
さらに自分の声を付けくわえながら、
伝える」という作業が待っている

『こんなこと考えたんだけど・・・・』
これが行動の始まりだ。
自分だけの純粋なアイディアは、
人に伝えることでさらに進化し成長していく
この場合、
ビジネスでは7W2Hの手法を使うと効果的だ。
この要素を満たしていくことが、
自分のアイディアをデザイン化することにつながっていく。

まずは身近な仲間や友人に。
誰かに伝えることは、
自分のアイディアの精査もできる。

 

第4,156号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー114-

 

私の人生訓の一つにこういうのがある。
これは亡父に教えられた言葉だが、
まだ結婚したての若い頃、
人生を左右しそうな出来事(現象)に見舞われたことがある。
そんな時、
父が私を小さな居酒屋に連れ出しこう言ってくれた。
人生ではこの一幕もまた過ぎていく』・・・・と。
良いこと。
悪いこと。
楽しいことに悲しいこと。
嬉しいことに辛いこと。
歓喜と悲哀。
成功と失敗。
名声と恥辱。
つねに現れては消えていく。
その現象が目の前に現れている時に、
自分自身が何に気付けるか
これが大切なコトだとも教えられた。

人生では自分が経験したこと全てはすでに過去のこと。
全てのことが終わっている。
今までに味わったどんな”感情”も、
それを永遠に持続することなど在り得ない。
あの辛い感情。、
あの苦しい感情。は
あの楽しかった感情。
嬉しかった感情はいったいどこに行ったのか?
それを知る人はいないだろう。
私達が知っているのは、
それらすべての感情”がやがては無に返るというコトだけ。

 

第4,155号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー113-

 

人生において、
多くの人が掲げる”悩みトップ”は、
何と言っても「人間関係」・・・つまりは「他人」だ。
なかなかダイエットに成功しないで悩んでいる人も、
その本質は、
痩せられないことではなく、
そんな自分が、
他人」からどう思われているのかというところにある。
仕事がなかなか覚えられない。
仕事でなかなか成功結果が出せない。
部下を上手く使えない。
上司からの評価が低い。
こういうコトを”悩み”に掲げる人も同じだ。

そして、
こんな”悩み”もある。
私達の葛藤の多くは、
他人の問題にお節介にも口出しをするところから始まる。
誰かに”悩み事”を相談されると、
多くの人は、
その全てを『受け止めてあげなきゃ!』と考えてしまいがちだ。
『どうも最近○○部長と上手くいかなくて・・・』と、
つい友人が投げてきたボールをキャッチして、
その全てを解決しようとする。
それが友情というものだし、
それが”良い人”といわれるような人のすることだと
思い込んでいるから。
それを断ったり、
無視するようなら、
『自分のことをどう思うだろうか?』という不安があるから。

こんな時は、
投げられたボールの全てをキャッチするのではなく、
自分の中で、
そんな時、
もし自分だったら」という立場以上には入り込まないことだ。

人生で大切な事の一つは”自分は自分、他人は他人”だ。
これはなにも、
友達を無視しろとか、
気にかけなくても良いということではない。

結局、
私達には、
出来たコトはあっても出来るコトなど何一つ無い
あるのは常に、
いま目の前の「やれることだけ」ということ

 

第4,154号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー112-

 

人には人生をナビゲートするような「羅針盤」が備わっている。
それは、
目の前の出来事(現象)に対して、
いつも”感情”に振り回されながら、
軌道を外れて、
人生道の誤った脇道に逸れていかないかを教えてくれている。
私達の”感情”というものは、
まるで天気を示すバロメーターのようなもので、
何かの考えに囚われたり、
悩み事に取りつかれていない時は、
概ね晴天のごとくポジティブに働いてくれ、
自分にとって良い方に考えている証といえる。
こんな時は、
意識してそれを修正する必要などない。
逆に、
何か不安なことや、
怒りや悲しみ、
ストレスや欲求不満に囲まれている時は、
感情警報器”は赤信号を点滅させ、
それに気付かせてくれようとしてくれる。

目の前の出来事(現象)を、
好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
納得がいくとかいかないとかではなく、
つねに客観的に受け止めることが大切になる。

辛いことが起こるのは自分に感謝が足りないから。
苦しいことが起こるのは自分に甘えがあるから。
悲しいことが起こるのは自分のことしか考えないから。
自分を理解してくれる人が少ないのは、
自分がになれていないから

これは私達の誰もが備える「内なる声」の装置だ。
この「内なる声」に気付けると、
人生道の先を指し示す灯りは明るさを増してくる。