第2,871号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -57-

 

他人との「関係性」を構築させていくには
大切なキーワードがある。

『私はどうも人付き合いが苦手で・・・・』
こう感じている人は世の中には少なくない。
でも、
仕事も毎日の生活でさえ、
他人との関り無しでは成り立たない。
人間関係がわずらわしいからと、
最近ではマンションの管理組合には入らない。
町内会も無視。
玄関には表札すら出さない人も多くいるが、
これでは自分が暮らす地域の中で、
その生活を楽しむことは難しいと思うのだが・・・・。
確かに世の中には身勝手な人も多くいる。
ゴミの分別もせず、
ゴミ出しの時間も守らない。
最近は車の運転でも、
ウィンカーを出さずに車線変更する
危険極まりない、
身勝手な論外人間が増えてきているが、
それでも、
お互いに存在を認め合って
生きていかなくてはならないのが私達の人間社会。

そのためのキーワードが
「恕(じょ)」という論語に出てくる言葉。

”おのれの欲せざるところ、人に施すことなかれ”

この言葉はご存知の方も多いだろう。
これが「恕」の精神。
「約束を破られて腹が立った!」
「口先だけで約束を守らない!」
「すぐに大声を出すから会話にならない」などなど、
自分が普段感じている”嫌なこと”。
それを他人に対してはやらないと決めること。
これはビジネスでも同じ。
作り笑顔のニコニコも大切かもしれないけど、
営業で納品日を明日に控えたら、
『明日は納品日になります。承りましたお品物は間違いなく明日お届けに上がります!』
こんな電話1本で信頼関係は積重ねられていく。

よく、
ニコニコしているだけで良いことが起こるとか、
「ありがとう」をどんどん使うと嬉しいことが起こるとか、
そんなことは在り得ないこと。
全ては自分自身の行動しか未来を変えることは無い。

第2,870号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -56-

 

目まぐるしく変化する世の中で、
今の人達は、
”超”のつくような速いテンポで毎日の生活の送っている。
電車に乗ってものんびりと車窓を眺める人は少なく、
ほとんどがスマフォ片手に忙しく指を動かし、
ベッドに入ってさえもスマフォを手放さず、
一日のほとんどの時間がそういうことに費やされている。
頭を使うことは多くあっても、
感性や感覚を刺激するようなことが
極端に減ってきているような気がする。
人間社会で生きていくうえで大切なのは、
知識や教養ではなく、感性や感覚だと思う。

桜の花が満開の季節だが、
桜の花そのものの美しさ、
花びらから繰り出されるような春独特の風情。
そういうものを静かに感じていたい季節なのに、
今は、
桜の花はインスタ映えする
”対象物”としかとらえていない人も多くいるような気がする。
私は脳科学の専門家ではないけど、
感性や感覚を育むには脳を休ませ、
脳の神経伝達物質であるセロトニンの分泌を
活性化させる必要があることぐらいは解る。
SNSの発達は私達に便利と楽しさをもたらしてくれてはいるが、
これに翻弄されるようになると、
私達の脳は休む暇が無くなってしまう気がする。
怒りっぽくなったり、
車の運転でも切れやすくなる人は、
脳を休める時間を作り、
感性や感覚を育んだ方が良い。

「花に逢えば花を打し、月に逢えば月を打す」
これは”花に逢った時はその花をしみじみと味わい、
月に出逢ったらその月を感じるままに味わう”という意味の言葉。
豊かな感性や感覚を取り戻すには、
「無為の時間」を少しでも意志気(意識)して持つように。

さぁ~人生67回目の歳を迎え、
さらに感性と感覚を磨いて生きていこう!

第2,869号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -55-

 

私はセミナーでいつも、
冒頭に受講生に伝えることがある。
それは、
『いろいろなお話をさせていただきますが、
私の言うことが正しいというものではありません。
私が言うことが絶対ということもありません。』

何かを学びに来ている人に、
こういう発言はどうかと思うが、
この世の中には
”正しい答え”などというものは存在しないような気がする。
常に自分の物差しで測った”正しさ”を言いつのって、
相手の言葉をねじ伏せるような姿勢でいたら、
お互いの「関係性」は築けなくなる。

『お前ねぇ~!これの価値が解ってないよぉ~!』
先日もある若者が、
高級靴を履いていて、
その高級品の靴を見たら、
その価値を台無しにしているような仕様がされていて、
思わず私の口から出てしまった言葉だが、
それを聴いていた他の人が、
『価値観は人それぞれですから・・・』と制してくれた。

正論だと語る人の目線は必ず高いところに在り、
相手との目線の位置が異なるから、
言葉も通じなくなり、
お互いの中も、
”関係”から「関係性」へと高まることは少なくなる。
ところが、
私に限らずこういう人が世の中には結構多くいる。

どんな考え方も意見もあって良い。
まずはいったんそれを受け止めたうえで、
淡々と持論を展開した方が、
相手との「関係性」はより築きやすくなる。

明日、67回目の誕生日を前に、
自分自身を振り返りながらこんなことを感じていた。

第2,868号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -54-

 

 

「お先にどうぞ!の”二番手”。
お陰様で私は、
サラリーマン時代からこういう人達に恵まれてきた。
バリバリの体育会系だった私。
なんでも”一番”を目指し、
”一番”でなければ価値は無いと思い込んでいた。
昇進も二次選抜では不満だった。
そういう姿勢がプラスになった時もある。
でも、
振り返ってみると、
もっと”自分らしく”生きればよかったと、
後悔はしていないが反省はしている。
自分でいうのもなんだが、
「俺が!俺が!」の人間は元来、身勝手が多い。
表情や言葉は柔らかでも、
態度はいつも上から目線。
『業界に20年もいるのに〇〇って知らないでしょう!』
『№1以外は№2も№100も同じだよ!』
『他の追随を許さない、断トツの№1じゃないと意味ないね!』
こんな言葉ばかりを口にして、
独りよがりの自分に気付けなかった。
妻にはよく「我がままさん!」といわれた(笑。

そんな自分に気付けたのは50も半ばを過ぎた頃かな?
これに気付けてから、
私の人生は変わっていった気がする。

先日もある先輩にこういわれた。
『禰宜は変わったなぁ~。
あの頃は生意気で負けん気が強くて独裁的だったもんなぁ~。
どんな管理職になるのだろうかと心配だったけど、
今は60も半ばを過ぎて、
30代、40代の若い人達と行動できているということは、
変わったということだよ』

確かに年齢を重ねて丸くはなった気がするが・・・・、
これからも、
「お先にどうぞ!」の意志気(意識)を強く持って、
残りの人生を歩んでいこうと思う。

 

 

第2,867号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -53-

 

ビジネスは優勝劣敗。
他社との闘いで、
それに勝つことこそがその目的と思い込んでいる人がいる。
いつも言っているが、
№1になることに何の価値も無い。
歴史を振り返れば、
この№1にこだわってきた人間が、
その地位をどれだけ守り通せてきたのか?
あの徳川幕府でさえ、たかだか260年。

『なんでも1番になるんだ!』
こういう言葉を口にする人を見ると、
確かに積極的で前向きなイメージは伝わるが、
同時に、
共鳴・共感の得られない人。
独りよがりの強い人だなぁ~・・・と感じてしまう。
人生もビジネスも二番手だって良いじゃないか!
人より前に出ることをひとまず忘れて、
もっともっと、
自分の足元見据えて、
自分を磨いていくことの方が大切な気がする。
そうして自分にしかやれないことを身に付けていけば、
自然と他人は自分を押し上げてくれる。
他人や他社を押し倒して№1になった人や企業は、
必ず他人や他社から追い打ちをかけられ、
中には足を引っ張られることさえ起きてくる。

”お先にどうぞ!”というステッカーの張られた車を見ると、
遅い走りをしていても、
なぜか?
追い抜いて行きたくなくなる心境。
これが”二番手”というポジションの強味かもしれない。

第2,866号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -52-

 

私が学んでいる仏性セミナーでは、
人生はあらゆるところでのあらゆる場面、
あらゆる行いの中の全てが”修行の場”、
すなわち「道場」のようなものと教えていただいた。
挨拶もしかり、
健康管理はもちろんのこと、
時間管理や金銭管理から整理整頓。
さらには食事に向き合う姿勢や顔を洗う動作の中にも、
私達は常に”試されている”という訓練の中にいる。
だから挨拶も、
誰かに良く思われるためのイメージ作りでやるのではない。
時間管理も決まりだから守るのではない。
仕事も、
好きなことだから進んでやる、
不得手なことは避け、
実入りの無いことは適当に取組むということは許されない。
そういう姿勢は”悪縁”を呼び込む原因となる。
こうした根本的な姿勢で日々の取組をせずに、
夢を抱いて追い求め、
『夢実現のために諦めないで進もう!』などと大声出しても、
それは何もしないで『どうか幸せになれますように!』と
空念仏を唱えているのと同じこと。

好きだろうが、
嫌いだろうが、
得意だろうが、
不得手だろうが、
”今目の前にある「やれること」”
これが私達が真剣に取組まなければならない”仕事”。
そういう姿を、
見ている人は必ず見ている。
それは上司であったり仲間であったり、時にお客様であったり。

ビジネスの世界では、
今まさに、
こういう姿勢が求められている。
優勝劣敗とか、
№1でなければ価値は無いとか、
人生もビジネスも、
他人や他社に勝つために取組んでいるのではないことを、
改めて深く認識し直した方が良い。

第2,865号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -51-

 

人は誰もが汚れの無い、
無垢な美しい心を持って生れ出ている。
仏教の言葉でいうなら、
「一切衆生、悉く仏性有り」ということ。
誰もが仏様のような
澄んだ気持ちを持ち合わせているという意味。
実際、
生まれたばかりの赤ちゃんには、
我欲も無ければ、執着心も無く、
妄想も無ければ、憎しみさせも抱いていない。
これが3歳を過ぎたころから、
さまざまな環境に影響され、いろいろな人と関わり、
多くの経験をしていくうちに、
その心にもわずかに曇りが生じはじめていく。
それだけ、
関り合っていく人から、
私達は大きな影響を受けていく。
だから、
人との”出逢い”は大切にしたい。
ある人と良い縁が結ばれると、
その人の紹介でまた素晴らしい人との縁につながっていく。
私のセミナーは668回も行っているが、
ただの一度も営業活動をすることなく、
第1回目に受講してくださった某企業の社長さんのご紹介で
ここまでご縁をつなげていただいている。
それでも、
中には、
”出逢い”を活かせず、
数年、数か月、数日でその縁が切れていった人もいる。
”出逢い”の関係を「関係性」に高めていくには、
その準備が必要になる。
その準備とは「在り方」の軸をブラさないこと。
人は第一印象が大事とといわれるが、
67年間生きてきて、
第一印象はほとんどあてにはならない。
逆に、
第一印象が良かった人で
10年以上ご縁をつなげている人は数少ない。
逆に、
”出逢い”の時は印象が悪く、
中には激しく言い合いをしたり、
『この野郎!』と思った人が、
意外や意外、
永く深いご縁を結べている。
それはお互いが”素”で向き合えていた証だろう。

第2,864号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -50-

 

セミナーなどでいつもお話をさせていただくが、
私達の目の前に起こることに偶然ということはなく、
その全てが”必然”の中で生まれている。
同じ学校に通い、
同級生となるのも必然。
同じ会社に同期で入社するのも。
ましては、
同じ家庭に生まれ、
兄弟として育ち、
妻となり、
夫となって、
新しい家庭を築くのは”必然の極み”といえる。
この”必然”・・・・言葉を変えるなら「縁」ということ。
仏教の世界では
この「縁」を”因縁”という言葉で表現している。
つまり、
”要因・原因と縁”が結びついた現象ということ。
我が家の庭には桃の古木があるが、
間もなく満開の時を迎える。
でも、
去年と同じように、
同じ枝のつぼみが大きな花を咲かせるわけではない。
どの枝にもつぼみはつくが、
どれもが同じ硬さで、
同じ日、同じ時間に花開かせるわけではない。
受ける春風の影響や、
日差しの違いによって、
”必然的”に一つひとつのつぼみが花開く時は異なる。
このように、
この世の中のあらゆる現象は、
この”因縁”によって生じているというのが仏教の考え方。
それが正しいか否かは別として、
人と人の出逢いも、
そのようにとらえると、
全ての人との「関係性」は、
その出逢いの一瞬から決まることになる。
出逢った時、
出逢った場所や環境によって、
その相手との次の展開は”必然的”に変化していく。

こういうことを現した有名な言葉に
「一期一会」というのがある。
”あなたと出逢ったこの瞬間は二度と訪れることのないかけがえの無い大切な瞬間。
それを忘れずに、
相手と共にその時を過ごしなさい!”という意味の言葉。

人間関係の基本というのはこういうところに在るのだろう。

第2,863号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -49-

 

「調身・調息・調心」という言葉ある。
これは姿勢を整え、
呼吸を整え、
心を整えよという意味の言葉だが、
これは三位一体で
互いに深く連動し合っていることを意味している。
つまり、
呼吸を整えるには、
まずは姿勢を整えなくてはならない。
この二つが整わなければ、
心が整うことはない。

『はい!呼吸をしてください!』というと、
多くの人は、
勢いよく空気を吸い込もうとする。
”呼吸”とは、
まず、
「吐く」ことが第一。
その字のごとく、
まずは、
”呼子”を吹くように、
大きく息を吐きだすことから始まる。
大きく息を吐きだすと、
体内に空気を吸い込もうとする働きは
ごく自然に行われるようになる。

私達の命は心臓の働きによって維持されている。
その心臓の働きを支えているのは、
その周りを囲む筋肉。
そして、
その筋肉は、
血液の流れによって育まれていることはご承知だろう。
つまり、
私達の命は血液の流れによって維持されているといえる。
この血液の流れをスムースに行うのに
大きな役割を果たしているのも呼吸である。

私達の身体は常に「心身一如」の原理の中に存在し、
心と身体のいずれに問題があっても、
私達の健康は損なわれることになる。
そんな中で重要な役割を果たしているのが”呼吸”。

”呼吸”のポイントは「吐ききる」こと。
私が取組んでいるバレエストレッチの中では、
さまざまな動作の中にこの”呼吸”のコツが組み込まれている。
大きく息を吐いて吸い込むといっても、
背筋が曲がっていたり、
猫背のままでは意味をなさない。
バレエストレッチはその意味からも、
体幹(身体の軸)を調整しながら、
正しい呼吸法を身に付けることができる。

丹田(たんでん:おへその下約7㎝のところ)を意識した呼吸。
毎日数分行うだけでも効果がある。
是非、お勧めしたい。

第2,862・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -48-

 

いま、
さまざまな企業様で「健康経営セミナー」として、
”心身一如”の重要性をお話しさせていただく機会が増えてきた。
この「健康経営」。
一歩間違えると、
残業を少なくすることとか、
休みを増やすことと勘違いしているような取組みも多く、
健康管理を個人責任から、
企業の管理責任にまでしようとしている愚かな動きもある。
でも、
その「本質」はもっと別の高いレベルにある。
はじめに結論を言わせていただくと、
「健康経営」の基本は、
従業員の”やりがい”にしか存在していない。
でも、
その”やりがい”は会社が与えてくれるものではなく、
あくまでも働く人の自己管理からしか芽生えてこない。

組織の中で、
さまざまな環境の違う人達と共に、
同じ目標に向かって進むには、
一人ひとりの意識が、
「心身一如」の中に存在しなくてはならない。

当社で行っている2日間のメインセミナーでは、
”心幹(しんかん)”と題して、
自分自身と真剣に向き合いながら、
人としての「在り方」を学習していくが、
合わせて、
研修の一環として、
”体幹(たいかん)”を調整しながら、
健康の「原理原則」も学習してもらっている。

日常生活の中では、
喜びに溢れることもあり、
悔しさを噛みしめることもある。
その時々の”心の動き”は、
私達の行動や健康そのもの大きな影響を与えていく。
私達が感情の生き物である以上、
心の振れ幅があること自体は問題ではないが、
それがあまりに大きすぎると、
自分自身を見失うような事態も招きかねない。

禅の言葉の中に、
「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」というのがある。
いつも心穏やかで、
静かな心でいることの大切さを教えてくれている言葉。
そのために意識しなくてはならないのが”呼吸”。

この”呼吸”の大切さは明日のブログで!