第2,750号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -51-

 

言っていることと行動が一致する人は、
全ての行動を”使命感”で動かしている。
仕事だから、
言われたからといった角度ではなく、
自分自身の心の底から沸き起こる「意志力」で動かしている。

ある有名な料理家がいる。
その先生は卵料理をすると、
条件反射的に卵の殻の内側に残る白身を掬い取る癖があった。
ある生徒さんが、
『先生はお金もあるのになんで一つ何十円かの卵の白身まで気にされるんですか?』と質問をした。
すると先生は、
『お金で換算して考えていないからかな?』と応えたという。
料理を教えることを生業にしている先生にとって、
例え何十円の卵でも、
それは大切な商売道具の一つ。
もちろん、
料理道具も手入れが万全になされ、
まるで、
宮大工のノコギリやカンナのような感じ。

この先生は、
誰かに評価してもらおうとしているのではない。
誰かに認めてもらいたくてしているのでもない。
誰かを喜ばそうとか、
誰かを驚かそうとか言う気持ちも微塵もない。
ただただ、
自分が取組むべき”やれること”に愚直に取組んでいるのである。

私はサービス業関係の顧問先では必ずこの話をする。
とかくサービス業では、
お客様を喜ばすためとか、
お客様のお役に立つためとか、
表面的なパフォーマンス視点になりがちだけど、
大切なことは、
一人ひとりがこの先生のように、
商売だから、
ビジネスだからではなく、
自分の”信念”として行動することでしか
相手に伝わることは無いということ。

第2,749号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -50-

 

”謙虚”ということが身に付いてくると、
必然的に行動が伴ってくる。
自分が口にしていることと、
行動はどのくらい一致しているのか?
こういうことも、
時折、
自分と向き合って振り返れるようになっていく。
100%とはいわない。
そんな人は存在しないだろうから。
私は50%で十分だと思っている(いや!私が50%にも満ちていないので言っているわけではないですよ〈笑・・・どうかな?)
ともかく、
完全でなくても良いということ。
大切なことは「自省」を
”意志気(意識)”しているかということ。

大それた行動を指しているのではない。
これもいつも言っているけど、
身近なことだけ。

恩を受けたと感じたらまずは返す!
(金品で返すことをいっているのではない。定期的にこちらから連絡を入れて挨拶をしなさいということ)。

誰かを紹介されたら、
紹介してくださった人がいうまでは、
こちらから状況報告を入れる。
紹介してもらったら、
もう紹介者は関係ないでは小学生の遊び仲間レベルの世界だ。
こういうのを昔は”紹介泥棒”と呼んだそうだ。

それから、
借りたものがあるなら、
貸してくれた人に真正面に向き合って
礼を伝えて返却する。
仮にも、
ラインやメールで済ますような輩は一人前とはいえない。

電話やメールを受けたら24時間以内に返すこと。
会合に声をかけられたら、
返事をしなければ欠席と思うだろうなどと、
そこらの学生アルバイトでもしないようなことを、
平気でしているようなら、
これもまた半人前だ。

他人から紹介されたところに営業に出向いて、
契約が取れなかったからと、
次の日からは全く音さた無しでは、
ただの押し売りと同じレベル。

家に帰ったら『ただいまぁ~!』と無事が伝わるように。
食事をする時は『いただきます!』と、
食べられることの喜びを伝える。

こういうこと、
子供の頃に誰もが教えられたでしょ。
それと全く同じ。
こういうことをやっていない人間に限って、
世のため人のため、
関係する全ての人を幸せに!とか、
耳触りの良い言葉を口にする。

アウトプットの「本質」を見誤って、
そうしたところに「意志力」を無駄使いしているのだ。

第2,748号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -49-

 

”感謝”を語る人は多い。

でも、
その”感謝”の「本質」を伝える人は少ない。
いつも言っているけど、
”感謝”とは・・・
「感性で謝罪し、その結果沸き起こる新たな意識行動」をいう。
”感性で謝罪する”とは自己を振り返り、
自省と自制の中で向き合うこと。
そして足りないところに気付いたら、
すぐに行動に移すこと。
間違っても、
『ありがとう!』を多くいうことではない。
つまり・・・・
”感謝とは動詞”であることを忘れてはならないということは、
何度もお話ししているが、
人はこれがやれてはじめて、
次の”謙虚”というステップに上がれる。

”謙虚さ”を失った人間は、
意識が必然的に”他”に向く。
他人と比較したり、
他社と比較したり、
他店と比較して、
勝った負けた、
1位だ2位だ、
№1だ、№2だと、
自分だけが勝ち組と呼ばれれば
それで良いと思えるような言動に走る。

会社だってそうだ。
問題の無い会社など存在しない。
いろいろ不満もあるだろうが、
それでも、
まずは、
「自分がそこで働けているということ、
働ける環境を提供してもらっている、
こういうことを認識しているか?」
そこから向き合うことである。
いきなり、
『働ける場を提供してくれている会社に感謝しなさい!』などと突拍子もないことをいう気はない。
あくまでも、
自分の心の中と向き合ってほしい。
そして、
その中から、
『あぁ~自分はこういうところが足りなかったなぁ~』と気づけたら、
気付けたことの”やれること”から始めればよい。
これが”感謝をする”ということの「本質」である。

「意志力」はそういうところから使うことだ。

第2,747号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -48-

 

「ありがとう」が素直に言えない人は、
自分自身に”素直”に向き合えていない証。
漠然と、
自分の問題点も感じているのだけど、
向き合えないでいるから、
ハッキリと把握できない。
ハッキリ把握できないものは他人に知られたくないから、
”殻”をかぶって隠そうとする。
時には異常にテンションを高め、
明るく元気な自分を演じ。
時には暗く、
悩み多い自分を演じて口数を減らし、
時には、
大きなことを口にして、
自分を大きく見せようとしたり・・・・。
そして、
そんなことを積み重ねているうちに、
”本来の自分”をどこかに置き忘れてくる。

こうなると、
語れることは表面的なことしか無くなっていき、
後は、
儲かるか?
損をするか?
勝つか?
負けるか?
こういう現象的なことだけが基準になっていく。

よく「感謝」をするから、
心の状態が平穏に保てる。
広い心の状態になり包容力が高まる。
素直な謙虚な心になり自分を高められる。
こんな言葉を耳にするけど、
それは全くの逆。

いつも自分の足元を見据え、
自分の心と向き合い、
平穏に保って(他人と比較することも無いから心も乱れない)、
まずは自分自身を受け入れる”素直”な心を持つことでしか、
「感謝」という波動は伝わっては来ない。

”嬉しいことや喜びを感じるから
「ありがとう」をいうのではなく、
「ありがとう」を行動で示している人のところにしか、
嬉しいことや喜びを感ずることは生まれてこない!”

この順番を勘違いすると、
「感謝」も「ありがとう」も、
演じた言葉、
演じた思いとなって留まるだけ。

第2,746号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -47-

 

自己開示がやれるようになると、
心はすごく軽くなっていく。
「ありがとう!」という言葉も、
誰にでも、
どこででも素直に口から発していけるようになる。

感謝の心を忘れずに!
「ありがとう」は魔法の言葉です!

こんな呪文のようなことを意識しなくても、
素直に”出せる”というより、
自然に「出ていく」ようになるから、
「感謝」の〈本質〉までもが見えてくる。

「感謝」とは”ありがとう”という言葉を口に出すことではない。
ある本に、
「感謝」とは”有難いコト探し”と書かれていたけど、
”有難いコト探し”でもない。
元来、
「感謝」という思いは、
何かをやれば身に付くとか、
そういう視点でのものではないはず。
”有難いコト探し”などしていると、
自分の損得で「感謝」を捉えるようになる。

「感謝」とは
”感性で謝罪しその結果沸き起こる新たな意識行動”。

”感性で謝罪する”とは、
自分自身を振り返ること。
両親はじめ周囲の人に対して、
会社に対して、
環境に対して、
これまで自分がどういう”行動”をしてきたのかを振り返る。

”新たに沸き起こる意識行動”とは、
その結果、
この瞬間から自分はなにをやれるのか?
それを決めること。

そして、
自分が決めた(コミットメント)ことは、
何があろうとやり続けること・・・これが「感謝」。
このことに「意志力」を投入する。

ご両親に何か月も連絡を取っていなかった自分がいたとしたら、
これからは・・・、
『月に1回は声を聴かせよう!』とかそういう小さなことでよい。
これをやれていない人が、
いくら「感謝」だ、
「ありがとう」だといったところで、
口から音を発しているだけ。

そういえば、
66年半生きてきて、
『有難いことです!』
『有難く思っています!』と口にする人ほど、
何もしていない人の方が多くいた気がする。

第2,745号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -46-

 

「意志力」を最も使わなくてはならないところは”自分”。
”素”の自分を出すことに「意志力」を最大に使うことである。
つまり、
自分を隠さずに素直に表現して付き合いをしていると、
相手が本当に付き合うべき人なのか、
そうでない人なのかが見えてくる。

多くの人は、
自分が”素”になって、
さらけ出されることことを恐れるあまり、
他人と親しくなことまで恐れるようになる。
それは他人からどう評価されるのが怖いから。

特に、
子供のころから、
親に「こうあるべき!」と言われながら育った人間に多い。
心のどこかで、
『いつも優等生でいなきゃ!』と思いつつ、
どこかで、
『自分は学業成績は良かった。
一流大学といわれるところも出た・・・なのに・・・』と、
どこかで、
本当の自分は・・・、
『それ以外では・・・大したことないのでは・・・』と、
漠然とした不安を感じている。
だから自分をさらけ出すのが怖い。

セミナーの受講生にも多くいる。
『もっと自分を知って
自分の良いところを自覚して、
自分に自信を持ちなさい。
あなたの魅力はあなたにしか無いものなんだから・・・』
20~30代の若者に、
最近、
私が一番多く伝えるエールの言葉だ。

自己防衛網は解除して、
自分を隠さず、
演じずに相手と向き合えば良い。
心に自己防衛網をめぐらすから、
それが少しでも破られかけると心が傷つく。
自己防衛網を張らなければ心が傷つくことは無い。

「意志力」をそんな無駄なところに使うのではなく、
自分に向けて、
自分を隠さず出し切るところに使った方が良い。

第2,744号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -45-

 

評価を恐れる人は、
人間関係で”親しくなる”ことも恐れる傾向にある。
これもSNSの影響だろうが、
交際範囲は拡大させるが、
本音で語り合う人との交際を極力避ける傾向が強い。
一番の例を挙げるなら、
退職届をラインやメールでしてくる輩もいるほどだ。
借り受けたお金の返済の挨拶も、
ビジネスでの契約や解除も、
メール1本で済ませる大人もいるから呆れるばかり。

あの有名なファミコンゲームの”スーパーマリオワールド”。
あの中に「はなちゃん」という
可愛い芋虫のキャラクターが出てくる。
頭に花を乗せて、
ご機嫌よく動き回っているのだが、
マリオが自分にぶつかると急変し、
いきなり怒り出して攻撃してくる。

今この「はなちゃん」タイプが増えたような気がする。
表面上は仲良し。
絆とか、
仲間とか、
そういう言葉を多用して、
いかにも、
『私達のつながりは深いんです!』とアッピールする。
ところが、
いざ、
仲間の誰かが窮地に陥り、
その援護のために、
自分に指先が向きだしたりした時など、
態度が急変する。

今の時代は、
自分が他人から攻撃されることに過敏になっているのか、
親しくなると、
価値観や意見のぶつかり合いから、
自分が傷つくことを恐れるのか?
その結果、
表面的な人間関係が増えてきている。

そこからくるもう一つの特徴が、
評価を恐れる人は、
他人と親しくなることも恐れる。
そして、
「自己表現能力の低下」だ。
つまり、
”自己開示”を好まない。
人間関係、コミュニケーションは”自己開示”から始まる。
なぜなら、
他人との乖離が見えてこなければ調整など不可能だから。

誰にでも語りたくないことはあるだろうが、
自分を隠しすぎていると、
”関係”は持てても、
「関係性」は築いていけない。

第2,743号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -44-

 

他人からの評価は「原理原則」でとらえることだ。
感情でとらえれば、
全ては恐れや怒りに直結していく。
他人があなたをどう評価するかは、
概ね”主観”が80%以上を占めている。
結果数値だけで評価される仕組みなら、
出てきた数値で測るしかない。
そんな時は、
『でもぉ~・・・頑張ったんですけどぉ~』
こんな言い訳は口にしない方が良い。
それ以外は、
評価する側も、
される側も「原理原則」で測ることである。

大切なことは、
相手を見て、
行動や発言を変えないことだ。
一貫した自分の姿勢(在り方)を貫くことだ。
これをやらない人は、
先日のブログでもお話ししたが、
”小さな行動”を見ていれば直ぐに判る。
そういう人の評価は無視すれば良い。

「原理原則」に基づく客観的な評価はアウトプットそのもの。
どう評価されているかではなく、
相手が何をアウトプットしているかを評価尺度に持つこと。
だから、
評価する側に回った時には、
こちらも、
アウトプットすることは「原理原則」に元ずく、
客観的なことでなければならない。

そうしたアウトプットの中には、
自分の「意志」がしっかりと入っている。
こういうアウトプットは必ず正当に誰かが評価してくれる。

第2,742号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -43-

 

人間関係も仕事でも、
私達は否定される、
拒否されることを恐れる。
良いも悪いも、
人は”評価される”ことで恐れを感ずる。
自己評価と大きくかけ離れてしまったら・・・。

昔は、
セミナーや研修をやるとアンケートを取っていた。
「目からうろこでした!」
「先生のパワフルさに脱帽しました!」
「思っていた研修とは違って大きな気付きが得られた!」
こういうコメントが並ぶとほくそ笑んでいたものだ。

ある時、
それが意味のないコトだと教えられた。
それも40歳も年の離れた受講生から。
彼の言葉は正直だけに、
きつく感じたなぁ~。
それがこれ!
『(前文略)先生の話は難しかったです。
なんとなく解ったような解らないような。
でも、先生が何かを伝えようと懸命に、
2日間20時間立ちっぱなしでお話しされる姿から、
それだけは伝わりました。
いつか私が先生の年齢になった頃、
そういえば昔、
禰宜先生という方からこんなことを教えていただいたけど、
これがそのコトなのかぁ~!・・・・と
必ず解る日が来ると思いますが、
今日は理解できずすみませんでした・・・・(後略)』
自分の話していることが理解されない辛さを感じた時だった。
以来、
アンケートは一切やめることにした。

コミュニケーションとは、
相手と上手く、
仲良くやることではない。
相手と自分との乖離に気付いて、
それを調整する能力をコミュニケーション能力という。

他人からの評価は恐れない方が良い。
40までは子供も同然。
他人からの言葉は素直に聞いて”自省”に役立てた方が賢明だ。
評価を恐れるあまり、
形ばかりを繕って表面的に上手くやっていても、
何も手には入らない。

私がこれに気付けたのは、
40どころか50も半ばを超えた頃だった。
「意志力」が欠如していた証だろう。

第2,741号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -42-

 

いつも言っているけど、
初対面からテンションの高い人間は信用しない方が良い。
私は、
これで大きな気付きを得た。

そう!
私も若い頃は対人関係が苦手だった一人(今でもそうかな?)。
だから、
自分自身がどちらかというと、
初対面から明るく、
元気に見せよう見せようとしていた。
それが、
いつの間にか、
自分と同じような人間を好むようになった。
そりゃぁ~そうだ。
その方が楽だったから。
サラーリマン時代に管理職になり部下を持つようになっても、
それは変わらなかった。
だから、
部下は全員がテンション高め(笑)。
それが『共通の基準だ!』と思い込んでいた。
そのためか?
良く裏切られた。
よく騙された(笑)。
それでも、
『あいつが悪いんじゃない!』と自分に言い聞かせながら、
自分を慰めていたのかも?

それが大間違いだと気付かせてもらったのは、
この1~2年のこと(なんとも情けない話)。

昔、
部下だった女性。
今は尊敬する女性の一人になっているが、
この方から、
『先生!初対面からテンションの高い人は要注意ですよ!』と、
静かに窘められた。
『人は”小さな行動”を見ていると判りますから・・・』
企業様で人材教育をしている立場の私が言われることか(笑。
チョッピリ、
そんな悔しさも混ざってはいたが素直になって受け止めた。

”小さな行動”
*報告・連絡・相談
*メールや電話の返信の有無
*約束事のキャンセル度合い
*金品の貸し借りの際の動き
*会合への参加の有無
*恩義・仁義・礼儀の有無
*どんな事情があれ”疎遠”にする人間か否か?

『人の優しさ、
思いやりとはそういう行動のことですから・・・』

その女性はいつもニコニコしている。
笑顔ではない・・・”ほほえみ”だ。
決して他人のことは悪く言わない。
何をされても、
自分から恨み節を口には出さない。

不思議だなぁ~。
そんなその女性の言葉をひたすら胸に刻んできたら、
この1年。
私の周りには、
初対面の時には
第一印象があまり良くなかった人達で固まっている。