第3,632号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -54-

 

自分がいま、
手にしているモノ”全てが「借り物」だとしたら、
その全ては大切に扱わなくてはならない。
まずは自分の命と身体だ。
これを大切にしないで、
巡り合えた人達を大切に出来るはずはない。
その大切にした自分の命と身体には、
無理”を強いてはならないはず。
”やれないこと”に対して、
『あの人がやれたのなら私にだって!』
こういう気持ちで行動すると”無理”が生まれる。
大切なことは、
『あの人がやっている○○を”私もやりたい!”』という気持ち。
仲間の中で何かをやる時、
自分の本心は「やりたくない!」のに、
仲間を失うかもしれない”という思い込みの恐怖から、
目の前のものを”失わないように!”と、
それに時間とエネルギー()を費やするのではなく、
自分がほんとうに”やりたいこと”を、
やれるところ」からやって、
この瞬間瞬間を生き抜いていくことだ。
お借りした命と身体を大切にして、
たくさん受け取り、
たくさん愛され、
日々の何気ない暮らしを、
丁寧に後悔の無いように向き合って行動していく。
それが、
貸していただいた、
自分の命と身体への恩返し」をしていくことになる。

そして、
誰しもが、
天に召される瞬間、
手にしているものはごくわずかな、
そうした「意識」だけのような気がする。

第3,631号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -53-

 

私達の目の前のモノが結局はやがて、
全ては目の前から消えてなくなる。
もしかしたら、
この広い世界の中に、
自分のモノ」と思い込んでいるものも、
元々そういうものなど無いのかもしれない。
考えてみれば、
生まれた時は裸の身体一つだった。
これだって言うならば”借り物”のようなものだ。
親も、
夫も妻も、
子供も孫も、
友達も恋人も、
住んでいる家も土地も、
評判も評価も、
信用も信頼も、
地位も名誉も、
もちろんお金も、
若さも、
この身体さえ全てが”一時的な借り物」”。
大切な人との別れの時、
心の中で『来世でまた逢おう!』と告げても、
悲しいかな、
その来世で出逢えたとしても、
私達はそれを自覚することなどできない。

誰かのモノ”と思い込むから、
人は「自分にないモノ」を求めたがる。
そして、
そういうものを手に入れると手に入れたで、
今度は、
それを誰かに渡したくは無くなる、
得たモノを失うのが怖いばかりに、
それを握りしめようとするから”不安”が生まれ、
失ったモノをなんとか取り戻そうとするから、
心に歪みが生じる。
離れたがる人を引き留めようと執着するから嫌われる。

失ったら不幸」と思い込んでいても、
それでも、
今目の前にあるモノも全てがいずれは失うことになる

続きはまた明日に。

第3,630号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -52-

 

何度も言うけどこの世の中は「諸行無常」。
幸せ」だって永遠に続くものは存在しない。
夏に茂った木々が、
秋になれば色を変え、
冬になれば散っていく。
どんなに奇麗な花を咲かせてもいつかは散っていくように、
どんな感動も喜びもやがては消えていく。
『今日はいい天気で気持ち良かったね』
『今日のゴルフは楽しかったね』
『凄いプレゼントをいただいて最高に嬉しい!』
こういう気持ちも、
翌日にわずかな余韻は残すが、
7日も過ぎると消えていく。

将来が不安とか、
自分の人生に”不安”を感じている人の多くは、
こうした消えていくものに対するこだわりが強い
やがては消えていくものにこだわり、
それをつなぎとめようとするから”不安”が生まれる。

この世の中は「諸行無常」ともう一つ。
この夜中に”当たり前のモノ”など何一つとして無い。
いつも”当たり前”と思い込んでいる日常が、
一瞬にして無くなることが人生では多くある。
多くの方が、
いまその実感を味わわれていることと思う。
そしてたいていの人は、
その瞬間に『大切なモノを失ったぁ~』と嘆き悲しむ。
でもそれもまたいずれ忘れる。
試しに、
いま君が一番大切に思っているモノやコト、
大切に思っている人のことを思い浮かべ、
それを一瞬にして失うことを想像してみるといい。
きっと誰でも大騒ぎするはずだ。
職場が無くなる。
家族が亡くなる。
家が燃える・・・・考えただけで悲しくなる。

こういうことを時々、
繰り返してやって見るといい。
きっとそうしたコト、モノ、人への見方も変わるはず。

全てが儚いからこそその一瞬が尊くありがたい有り難い)”。

これも”「原理原則」=真理に他ならない。

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第3,629号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -51-

 

正負の法則」というのがある。
真逆のモノがあるからこそ「本来のモノ」が見える。
の関係”のようなこと。
光の中でいくら光を探そうとしても見つけることは出来ない。
闇という存在があるからこそ光の存在に気付ける。
人生は完璧を求めて生きようとしないことだ。
弱さを見せてもいい。
かっこ悪くてもいい。
時には羽目を外したっていい。
みんなと一緒でなくてもいい。
誰かのように立派にならなくてもいい。
失敗してもバカにされてもいい。
他人から認められるような何かを持ってなくても、
ただ自分に恥じないように、
自分が後悔しないように”自分らしく”生きることだ。
そうやって、
自分の”闇の部分(弱さや情けなさ)”を受け入れると、
必然的に「光の部分」が少しづつ輝きだしてくるのが見える。
どんな世界も一対で存在している
”だけを抑え込んで、
」だけを輝かそうとしても無理なコト。

企業の人材教育も、
「どんな時も満面の笑顔で!」などと、
声を大きくしていったところで、
一時的なテンションを上げることは出来ても、
それを継続していくことは誰だってしんどい。
ましてや、
周囲の人達を明るくする為に笑顔で元気に振舞っても、
そいう行動からはストレスしか溜め込まれていかない。
そいう指導を止めて、
従業員一人ひとりが、
答えを外に求め人と比較して生きる”ことを教えるのではなく、
自分の内と向き合わせる」教育が必要な時代にきている。

第3,628号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -50-

 

生きるのがしんどく感じてしまう人。
どこかに虚しさを感じてしまうような人は、
逆に、
『もっとこうして生きたい!』という想いが明確にあり、
本当はもっとハツラツとして生き、
キラキラと輝いていたいと強く願っているものだ。
そういう”想い”が明確にあるから、
それを手に入れようと躍起になる。
そしてそうなることが、
自分の人生の”目的”だと強く想いこんでいるから、
どうしてもその”HOW TO手段)”だけを追い求めてしまう。
探し求めたその”手段”が見つけられなかったり、
上手くいかなかったりした時に、
目の前に”迷い”が生まれ、
そのスパイラルの中に巻き込まれるように、
エネルギー)を吸い取られて”やる気”を失う。

いつも言っているけど、
「”目的”を強くしっかり意識していると、
人はそれに向かって自然と動き出す」・・・などと、
そういうことはまず有り得ない。
だって、
世の中は常に”諸行無常”だ。
最初に定めた”目的”も次第と変わっていって当然。

もしかしたら、
目的”というのは”目指すところ”ではなくて、
たどり着いたところ」といえるのかもしれない。
そう考えると、
だから人生はどんな過去も全てが”良いこと”というの頷ける。
その時は「失敗した!」と、
目的未達成”を悔やんでしまうだろうけど、
その結果があるからこそいまが在る」といえる。

第3,627号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -49-

 

時々、
こんなオファーが来ることがある。
『ぜひ我が社の社員の”やる気”を引き出してやってください』
こういうお話はまずお断りすることにしている。
私は魔法使いじゃない。
「御社の社員を変えて見せます!」
「御社の社員のやる気を100%引きだします!」
もしこんなうたい文句にしているセミナーなどがあったら
やめといたほうが良い。
過去他人変えることなど何人たりとも不可能”だ。
それに、
やる気”というのは、
絞り出すモノではなく、
自分自身の意識の奥底から沸々を湧き出てくるもの。

もし君の会社の中で、
やる気”の無いというか、
やる気”を感じられない人がいるとするなら、
それは、
その人がそうなる原因が必ずどこかにある。
それを導き出すことが大切なことで、
やる気無いこと自体”を問題にするから、
解決の方向に向かないだけだ。
重症な人になると、
その原因すらご本人が自覚されていないことが多い。

つまり。
問題と思っている問題があることが”問題”なのではなく、
その存在を自覚できていないこと”が問題ということ。

こういう人もまた、
自分の人生で自分を”主役”としてとらえられていない。
いつも周囲の目が気になり、
評価を意識して、
『誰かの為に動かなくちゃ・・・・』と、
人生登山の「」に自分以外を置いている人がほとんどだ。

第3,626号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -48-

 

有るモノ」より”無いモノ”に意識がフォーカスされていると、
自分の中にすでにある「満足」を感じ取れ難くなり、
不満”だけが気付かぬうちに膨らんで、
どんどんとそのハードルが高くなっていき、
いつの間にか”幸せ条件”だけを追い求めるようになる。

今はまさに、
そういうことを自問自答しなさいといわれているようだ。
やれ働き方改革だと、
休日を増やせ、
残業を少なくしろなどと騒いでいた人達。
そんなことより、
仕事があるということがどれだけ幸せなことなのか?
このコロナのお陰で感じることが出来ているはず。
その上に家族はいる。
仲間はいる。
食事はキチンと摂れている。
夜露を凌ぐ寝床はある。
風呂には入れている。
もっというなら、
歩けてる。
手足を動かせる。
呼吸できてる。

今までのそんな状況を
『なんだぁ~そんなことか?』と、
あたり前”のように感じているなら、
もしかしたら、
この先もっと厳しい状況に追い込まれていくかもしれない。
そして、
そういう人はもう私のブログなど読まない方が良い。

いま自分の”無いモノ”だけを数え嘆いていれば、
自分自身のエネルギーは低下するだけだ。
逆に、
いま置かれている条件や環境の中で、
最善の努力を惜しまずに、
やれることに精一杯向き合っている人は、
どんどんとエネルギーは蓄積されていく。

自分の足元に有る「幸せな何か」に気付けた人だけが、
その先の「幸せ」に続いていく扉が開かれる。
今はすべての人間がそれを試されている。

第3,625号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -47-

 

人って不思議だ。
私達はどうも”無いモノ”ばかりに意識が向いてしまうようだ。
自分にも「有るモノ」がたくさん有るのに。
SNSが進んで、
知り合いがどんな日々を過ごしているのか?
ある意味”手に取るように見ることができる。
誰かさんがハワイで豪遊している。
誰かさんが高級なレストランでランチをしている。
誰かさんは充実した仕事ぶり。
誰かさんは結婚して豪華な式を挙げた。
そう、
何となく自分以外の人達はみな、
どこかで「幸せ」を満喫しているかのように見え、
何となく自分だけが取り残されているような妄想が働く。
でもね。
この世の中に”あらゆる全てを手に入れている人”などいない。
君が持っているのに、
誰かさんには無い。
でも、
君はその自分が持っているものに気付けていない。
つまり、
誰でもが、
みんな”幸せな何か”を手にしているのだ。
それが容姿なのか?
才能なのか?
家族なのか?
仕事なのか?
仲間なのか?
経済力か?
健康か?
ペットとの時間か?
幸せポイント」は一人ひとり違うけど、
必ず、
間違いなくみんなそれを持っている。

もし今君が満たされた気持ちになれていないのは、
君自身の意志気意識)が、
無いモノ”にフォーカスされているからだ。

第3,624号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -46-

 

世の中では”勝ち組負け組”とか、
「ビジネスは優勝劣敗。
売上も利益も、
他の追随を許さないくらいの、
圧倒的強さの”№1”にならないと意味がない」
こんな意味不明なことを語るビジネス本もあるが、
私達の「幸せ」もどこかで、
ただその条件の一つにしか過ぎない、
お金や、
地位や、
名誉のようなものが無いと人は「幸せ」になれない。
そう思い込んでしまっている人も多くいる。

でもこの世の中には、
手放すと手に入る”という
不思議な力学」のようなものが存在している。

お金が無いから「幸せ」になれない。
結婚出来ないから、
離婚したから、
学歴が無いから、
知名度が無いから・・・・・と、
全て”自分以外がのコトやモノ”を人生の「」に置いて、
自分をその下に意識している。

いちどそういう”執着”を捨ててみることだ。
外部的要因や出来事と「幸せ」が、
必ずしも因果関係にあるとは言い切れない。
〇〇だから幸せ”・・・・ではなく・・・・・。

△△でも幸せ
△△なのに幸せ
この”△△”の中に、
いま君がマイナスだと思い込んでいるものを入れてみるといい。
そして口に出して言ってごらん。
最初はチョッと違和感があるけど、
だんだんと受け入れられるようになるかもしれない。

このコロナ騒動でそうしたことを再認識し直すべきなのだ。

第3,623号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -45-

 

『あの時・・・・こうしておけばなぁ~・・・』
『あの時・・・・会社を辞めなければなぁ~』
『あの時・・・・言っておけばなぁ~』
こんなふうに過去の自分の”選択”を悔やむことは誰にでもある。
でも人生はやって見ないと判らない。
失敗しないと気付けないことばかり。
後々考えてみると、
全ては”起こるべくして起きたこと”。
『どうしてこうなったんだろう?』
『何をどこで誤ったのか?』と考えたくもなるが、
そういうことは必要以上に掘り下げないことだ。
誰のせいでもない。
自分のせいでもないかもしれない。
ただ”起きたこと”の全ては「必然」だったというだけ。

人それぞれに程度の差と中身の違いはあれど、
物事に向き合って、
何も考えず何もしない人などいない。
その人はその人なりに、
その時なりに、
やれること”をやり、
ベストと信じる”選択”をし精一杯やった。
その結果として””が存在している。
だから、
『これからはこうしてみよう!』と考えられもする。
つまりは、
過去の出来事は、
表面的な良し悪しはあれど、
結果として”全てが良かったこと”なのだ。

もし君が、
あの時に別の”選択”をしたとしても、
本当にそれがその後、
望んだとおりに成ったかどうかなど誰にも判らない。
もうそういう「過去の呪縛」から自分自身を解き放つことだ。
過去を肯定する認めるとは”開き直れ”ということではない。
過去から今日までの”自分のすべて”を自分で認めることをいう。

セミナーでいつも言っているけど、
これまでがこれからを創る
のではなく
これからがこれまでを創る」・・・・、
これが人生の動かせぬ真理というものだ。