第2,840号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -26-

 

いま目の前の仕事に”無我夢中”で取組んでいるか?
『もちろんですよぉ~。
それどころか”無我夢中”なんて考えている暇もないほど、
次から次へ、
やることばかりが出てきてそんな余裕すらありません』
こう応える人は”無我夢中”になっているのではなく、
単に、
周囲の環境に振回されているだけ。
”無我夢中”になっているかいないか?
それは、
目の前の取組に智慧を絞り、
工夫を惜しまず、
あらゆることにチャレンジしながら取組んでいるかということ。
もっというなら、
その工夫や智慧から生まれた取組を、
しっかりと記録を残しているか?
こうやって日々を取組んでいると、
アッという間に一日が終わってしまう。
その日にやることが終わった瞬間は、
『フッー・・・』と大きな吐息が漏れるだけ。
これをやれていな人は、
毎日の仕事も生活も”楽しい”と感ずることは難しい。

「どうせやるなら”楽しく”!”楽しい”と思う気持ちが重要!」
そんな新興宗教チックなことでは”楽しさ”は手に入らない。
いまちょうど新入社員研修に入っているが、
毎日のようにこのことを話している。
同じ新入社員の中にも、
すでにこの研修中でこの”無我夢中”を実践している人もいる。
毎日の研修の内容をメモを取りながら聴くのは誰でもやる。
彼は、
そのメモとは別にもう1冊ノートを準備している。
そこには、
講師の話の中で聴き洩らしたこと、
もう一度、聞き直したいこと。
聴いてはいたが理解できなかったこと。
これが3段階に色別に分けられ記録されている。
多くの新入社員は、
研修も第2~3クールに入ると、
『なんだか自分に合っているのか不安になってきたなぁ~』
『ここで良かったのかなぁ~』
『やりたいことはやれるのかなぁ~』
こういうことを口にしだす人も出始めてくる。

”無我夢中”が欠けると、
そこに無駄な心が入り込んでくるから。

第2,839号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -25-

 

今の時代は超情報化社会。
情報が簡単に手に入るということは利便性からみれば大歓迎。
でも有り余る情報は、
同時に私達の判断力を低下させている。
例えば、
旅先でホテルを探す。
一度に取扱い会社の金額が比較でき、
写真も満載されていてとても便利だ。
一方で、
口コミを見ると、
Aさんは満点をつけているのに、
Bさんは二度と行きたくないホテルと書き込みが・・・、
いったいどちらが正しいのか?
結局、
調べている内に、
そのホテルではなく別のホテルにすることになったり・・・。
こういう経験は誰しもがあるはず。
今の時代はあらゆる場面で同じようなことが起きている。
就活に取組む学生さんなどその最たるもの。
『ここは将来性がありそうだ!』
『ここは給与が平均以上だ!』
『ここの仕事は面白そうだ!』
『こちらの方が福利厚生が充実している!』
良く就活の学生さんに、
『大切なことは自分は何をやりたいか?』といわれるが、
私はそれ以上に
もっともっと大切なことがあると
いつも講演で話させていただいている。
”自分のやりたいこと”
こんな曖昧な基準で、
それが思い通りに叶うほど社会は甘くない。
本来、
会社を選ぶ上で大切なことは「覚悟」しかない。
婚活の講演などでもお伝えしているが、
これは結婚も同じ。
どんなに情報を集めて、
やりたいこと、したいこと、
自分の望む条件に合った会社や相手を見つけたところで、
実際にその場で”経験と体験”を積み重ねていかない限り、
その答えを得ることはできない。
情報があり過ぎれば迷いを生み。
自分の基準(心)を
どこに置いたらよいのか判らなくなっていく。

人は”心ひとつの置き所”で決まる。
「随処に主となれば 立処(りっしょ)みな真也」という言葉があるが、
その意味は、
”いまここで やれることを懸命に取り組んでいけば自分が主人公になって生きられる”。
主人公の視線は飛び交う情報に惑わされ、
あっちこっちにキョロキョロと宙を泳ぐことはない。
セミナーなどでも、
あっちこっちのセミナーを受講しては資格を取り、
『あぁ~この人はこの道で行くのかなぁ~』と思いきや、
数か月もすると、
また別の、
それも全く別の基準のセミナーを受けては資格を取り、
自分は学んでいると勘違いする人もいるが、
こういう人は、
結局は自分の生きる道を失っていく。

第2,838号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -24-

 

”経験と体験”に勝る宝は無い。
禅の言葉の中に「冷暖自知(れいだんじち)」というのがある。
器の中に入っている水は、
見ているだけでは冷たいのかそうでないのかは判らない。
実際にその水の中に手を入れてみるか、
飲んでみる以外にそれを知る術はない。
つまり、
何事も”考えるより行動すること”が大切であるという教え。
今の時代は情報化社会といわれるだけあって、
ほとんどのことはネットで調べられる。
でも、
それらを一読すればすべてが理解できるのかといえば、
これは全くの別の話。
頭にどれだけ知識を詰め込んだところで、
行動しなければ何の役にも立っていないことになる。

世の中には”常識”というもがあるが、
多くの人が、
一つのルールの中で生活していくには
この常識は大切なものだが、
この常識が時に手枷足枷になること人がいる。
そういう人は「自分の物差し」を持っていない。
自分の尺度を持っていないと、
周囲の流れに流されやすく、
時に自分を見失うことさえ出てくる。
この「自分の物差し」を身に付けるのに重要なのが、
”経験と体験”である。
「自分の物差し」を持っていない人は、
”悩み”も必然的に多く生み出してしまい。
行動自体もまた、
その時その時の感情で動かざるをえなくなる。
”悩み”を消し去る最も大きな役割を担っているのが
”経験と体験”といえる。

第2,837号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -23-

 

『なぜ?
自分はこんなにも苦労ばかり続くのだろうか?』と、
こんな状況に陥った時、
いつまでも、
その苦しさ、
辛さから抜け出せない人がいる。

私の受講生の中にも、
父上からの会社を引き継ぎ、
いま、
2代目として事業に取組んでいる一人の若き経営者がいる。
いつもやる気に満ちて、
さまざまな困難・苦難に果敢に挑戦し続けているが、
ここ数年は苦しい状況から抜け出せないでいる。
もう、
業種・業態をも変えた方策を
出すべき時に来ているのかもしれないくらい、
苦しい状況下にある。
それでも、
電話をすると、
いつも元気な声で電話口に出てくる。
冗談で、
『カラ元気か?』というと、
『はい!カラ元気です!』と返してくる。
そして、
私たちの会話は、
『この試練は必ず後々、役に立つから!』で終わる。

もしかしたら、
業種も変わるようになるかもしれない。
最悪は、
今の会社は閉めることことになり、
新たなスタートを切らなければならないかもしれない。
それでも、
いま、
この試練に逃げることなく立ち向かって、
果敢に挑む経験と体験は、
今の業種を続けようが変わろうが、
必ず後で大きな役割を示してくれる。
「この状況を乗り越えたら・・・」
この言葉は、
いまの困難・苦難から脱却したらという
そのことだけを現しているのではない。

”神は乗り越えられない試練を与えることは無い!”
この言葉はそういう意味の言葉。
いま目の前に起こっている”出来事(現象)”は、
結局は、
いずれは全てが”良いこと”になっていく。

その証に“今が在る”。

第2,836号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -22-

 

あの宮本武蔵が修業時代にこんなエピソードがあったらしい。
修行の旅の途中で、
ひどいあばら家で一夜を過ごすことになった。
天井は穴だらけで、
そこから落ち葉が冷たい風と共に舞い込んでくる。
寒さをしのぐため、
床板を剥がして燃やすような環境下。
武蔵ほどの人でも、
おそらくうら寂しい気持ちになっても不思議ではない。
そんな中で、
武蔵がフッと見上げると、
穴の開いた天井から、
大きな月が煌々と光を注ぎ込んでくれていた。
武蔵はその光景を見て、
『そうかいま自分はなんと素晴らしい時を過ごしていることか』
それまで肩をすぼめるような状態が消え、
何とも言い難い幸福感に包まれたそうである。

あばら家で寒さをしのいで一夜を過ごさなくてはならない
その状況(現象)そのものが変わるわけではない。
でも、
目の前の”現象”の受け止め方一つで、
こうも人の心は変われるという話。

よくセミナーに興味のある方から、
『先生のセミナーはどういうことをやるのですか?』と尋ねられることがある。
応えはいつも同じで、
『精神論を学ぶものでも、スキルを学ぶものでもありません。
いろいろな角度から”原理原則”を学び合うセミナーです』とお応えしている。

私達の目の前に起こる”出来事(現象)”は様々なことがあるが、
実は、
その目に見える、
肌で感じる”出来事(現象)”は、
それそのものが存在しているのではなく、
それを個々に
”どう受け止めているか?”という
「受け止め方」だけが存在しているのある。
こんなあばら家で寒い一夜を過ごすにも、
武蔵のような「受け止め方」をする人もいれば、
『なんでこんなところで・・・寒くてやってられないよぉ~』と
愚痴を並べて、
一晩中、
肩をすぼめて過ごす人もいるだろう。
どちらが良くて、
どちらが悪いという話ではなく、
「受け止め方」という”原理原則”の話である。

第2,835号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -21-

 

「未だ木鶏たりえず」
あの伝説の大横綱”双葉山”が、
不滅の大記録69連勝を残した時、
師と仰ぐ安岡正篤氏に向けて、
70連勝がかかった勝負の後に打った電文の言葉。
70連勝がかかった大一番は、
それを意識するあまり、
心技体の中の”心”のバランスが崩れ、夢と消えた。

”木鶏”とは、
木彫りの鶏のことで、
闘鶏で最も強いのは、
なにがあろうとも、
まるで木彫りの鶏のごとく、
何事にも動じることのない闘鶏をいうという、
荘子の言葉であるが、
心技体ここに極めたといわれた大横綱でさえ、
目の前の70連勝という記録の現象を追いかけるあまり、
その心に揺らぎが生じたのだから、
「木鶏たる」には、
私などには到底、叶わぬ姿であろう。

人生の谷に陥れば落ち込んで悩み、
時に、
一時的に山の頂に立てば、
心ここに在らずで浮足立って、
ついつい”増上慢”が,
自分の未熟さを忘れて語ってしまう自分がいる。

でも、
悪いことが起きたり、
辛い境遇に陥ったら気持ちが落ち込んであたりまえ。
そのうえで、
そんな心境にいる自分を自覚するすることだ。
それが、
いつまでも長く”負”を背負い込まない秘訣かもしれない。

第2,834号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -20-

 

立ち止まって、
自分と向き合う時間を持つ。
でも、
これもいつまでも続けていたらダメ。
”時はノンストップ”なのだから、
止まりっぱなしで、
何もせずにいたら、
どんどんと未来に置いていかれてしまう。
自分と向き合う時間はせいぜい48時間。
49時間目からは、
いつまでも座り込んでいないで、
早く”立ち直る”こと。
この”立ち直る”も、
気持ちを前向きに持ってとか、
楽しく取組もうとか、
そんな精神論的なことではなく、
いま自分が”やれること”は何か?
これから書き出していくことである。
そしてまた、
第一歩から”やり直す”。
どこまでも平たんで、
平穏無事な人生など待っている人はどこにもいない。
どんな人の人生にも、
山があり、
谷があり、
荒れ狂う原野が一つや二つは待っている。
仕事でも、
人間関係でも、
夫婦生活でも、
家族関係でも、
思うようにいかないと、
誰でも気持ちが落ち込む。
こういう時は、
人生の谷間に入り込んでいる時。
逆に、
仕事などで成功者と呼ばれ、
周囲から羨望の眼差しで見られている時は、
山の頂に立っている時。
だからどこか、
上から目線で他人を見下すような自分が現われたりもする。
谷にいる時は・・・これからが昇る状態。
山の頂にいる時は・・・
これから下がる時を迎えること、

そして思わぬ油断や驕りから足を滑らすことがあることよ忘れないことだ。

 

 

第2,833号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -19-

 

人生で抱える問題や、
失敗には、
必ずそれに至る”原因”というものがある。
その”原因”を明らかにするには、
一度、
止まってみて、
つまづいた自分の”足元”を見つめ直すことだ。
原因を追究しないで、
そのまま走り続けたところで、
つまづきも失敗も、
そのまま置き去りにされ、
結局は、
それが後々、
また別の現象となって現れてくることになる。
人間なんだから、
失敗したって良いんだ。
大切なことは、
その失敗やつまづきから、
新しい自分への”気付き”を知ること。
自分の失敗やつまづきを素直な気持ちで向き合って、
しっかりと認識する。
これは成功することより、
もっと大きなものを手に入れることになる。
中国の故事には、
「一日一止(いちにちいっし)」という言葉があるが、
”一”という字の下に、
”止”という字を置くと・・・それは「正」という字になる。

自分の人生なんだから、
他人の後ろ姿など追う必要は無い。
向かっているところは、一人ひとり異なるのだから・・・。

第2,832号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -18-

 

”あたりまえのこと”のことにどれだけ気付けるか?
そのためにはあるポイントが・・・。

それは・・・「焦らない!慌てない!」ことである。
良く成功した人の講演などを聴かせていただくと、
『これまでの人生、
ただひたすら夢に向かって走り続けてきました』といったような言葉が出てくる。
ある意味、
『凄いなぁ~。
俺なんか止まってばかりだったからなぁ~』と
反省もさせられる。
確かに、そういう方の話は、
たくましく、
また鮮やかにも映る。
だが、
そうではない人生の歩き方だってあっていいと思う。
階段だって、
一気に昇ってしまう人もいれば、
踊り場で一休みしながら、
休む休み昇る人もいる。
自分のリズムをしっかりと持って、
決して、
他人に振りまされず、
自分の歩調で一歩一歩。
禅語の中にもこんな言葉がある。

「七走一坐(しちそういちざ)」という言葉が。
7回走ったら、
いったん座ってみろという意味だが、
人生でも、
いったん止まってみることは決して悪いことではない。
”止まる”とは、
さぼるとか、
投げ出すということではなく、
それまでの自分を振り返り、
それまでの自分と向き合ってみるということ。
『振り返る必要なんかないよ。
これまでの人生に何の迷いも公開も無いから・・・・』
こう言い切れる人がいったいどれだけいるのだろうか?

人生でも仕事でも、
特に、
スランプを感じている時、
失敗した時、
悩みを抱えている時などは、
何よりその原因を探るには良い機会になる。

続きはまた。

第2,831号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「シンプルに生きれば悩み事の90%は消えていく!」 -17-

 

「あたりまえ」のこと。
どうでしたか?
見つけられましたか?

私達は、
”いま”、
”ここ”にある「あたりまえ」のことに、
どれほど支えられていることか?
朝、
いつもと同じように目覚められる。
いつものように、
歩けることもやれて、
会社に行けば、
いつものところに、
いつものように会社がある。
何をしたらよいのか判らないでいると、
上司や先輩がやることを指示してくれる。
出来上がり状態までも、
「ここが良い!」
「ここが悪い!」と示してくれて、
心に迷いが出たり、
誰かに胸の内を語りたくなれば、
酒に付き合ってくれる仲間もいる。
家に帰ると、
暖かな室内で、
母か妻が、
食事を準備してくれている。
私達はいつも、
こういう、
いまここにある「あたりまえ」のことに、
励まされ支えられている。
このことに気付くと、
人生も仕事も大きくかわる。
なぜなら、
自分自身の”心”が変わるから。
家族に対して苛立ちを覚えたり、
仕事をおざなりにしたり、
人間関係を疎ましく感じたりすることが少なくなって、
”いま”、
”この瞬間”が充実したものに感じられていく。
そして、
行動もまた、
「あたりまえ」のことを、
「あたりまえ」のことと受け止め、
面白くないとか、
面倒くさいとか、
やってられないといった感情が消えうすせていく。