第2,428号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-32-

 

少し前のブログでもお話ししたが、
人生で越えられない”試練”は1回しかやって来ない。
「神様は乗り越えられない苦しみや試練は与えない!」
この言葉は有名で誰もが知っているはず。
人生の”試練”から受ける「苦」は
必ず報われることになっている。
勘違いしないでほしいのは、
ビジネスの世界でいう、
苦労は必ず報われ、
売上や、
会社繁栄の礎になるというような、
表面的なことを言っているのではない。
資金繰りに四苦八苦し、
今にも倒産しそうだったのを、
苦労を惜しまず、
休みも取らずに働いたら、
仕事が順調にいって売上が上がった・・・・というような、
短絡的な話をしているのではない。
もちろん
そうしたことも”試練”かもしれないが、
大切なことは、
そうした経験から、
その中に存在している「本質」を学べるかということ。
これに気付けなければ、
一時的に売上が上がって前に進んだかのように見えても、
すぐにまた、
今度は今までにないどん底に
引きずり込まれることになるかもしれない。

”試練”のどん底を乗り切るには、
日頃から、
礼儀・恩義・仁義を忘れず行動することだ。
他人と交わした約束を守る。
受けた恩は必ず返す。
人の道を外れる行いをしない。
形ばかりの”夢”を先において、
足元見ないで、
日々を過ごすようなことをしないことである。
そうすれば、
『もう死ぬしかないなぁ~・・・』と思う”試練”も、
必ず
神様は道を作ってくれる。

第2,427号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-31-

 

人生で”試練”を前にして忘れてはいけないことがもう一つある。
それは・・・・、
決して”一人で抱え込まない”ことである。
この世の中で、
いくらお金があろうと、
誰の力も借りずに、
たった一人で生きている人間など存在しない。
だから、
”試練”を前にして、
どうしてよいのか判らなくなったら、
誰かに相談することだ。
家族や仲間、
友人や先輩に相談しても何も見いだせない時は、
専門家の力を借りれば良い。
専門家に相談するとお金がかかることもあるかもしれない。
でも、
大切なことは、
お金のことより、
相談して
自分のために時間を割いてくれた”恩”を忘れないことだ。
他人に相談に乗ってもらい、
貴重な時間を割かせておきながら、
その後は
こちらが連絡しなければ
音沙汰無しの無のつぶてという礼儀・恩義知らずも多くいるが、
そういう輩は、
必ず、
後からそのツケは必ず回って来ると覚悟した方が良い。

私達に与えられる”試練”を乗り越えるには、
小手先の術よりも、
そういう「在り方」が試されていることの方が多い。
なぜなら、
それが人間社会の掟であり、
人として最も必要とされることだから。
だから、
私達の生きる道には”試練”が多く待っている。

第2,426号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-30-

 

人生には10や20の”試練”は必ず起こる。
こういう話を、
若い受講生の前ですると、
皆、
ぽかぁ~ンと口を開けて聴いているが、
50代も半ば近くになった受講生になると、
深くうなずきながら聴いている。
でも、
20代の受講生達も、
セミナーを進めていくうちに、
それぞれに、
”試練”があったことに気付いてくる。
病という”試練”。
家族関係でも”試練”。
恋愛関係での”試練”。
スポーツや学業での”試練”。
金銭問題での”試練”。
その形も重さもさまざまなら、
その乗り越え方もまたさまざま。
また、
経済的な”試練”はなんなく乗り越えられるのに、
人間関係の”試練”となると、
まったく動きが取れなくなってしまう人もいる。
人生は、
こうした”試練”を乗り越えなくてはならないし、
またそうした”試練”は、
そう簡単に、
短期間で乗り越えられることは少ない。
でも、
これだけは頭に入れておくことだ。
それは、
この2つ。

1つは、
「人生には必ず”試練”が付き物」
その覚悟を早く心に持つこと。

2つ目は、
「どんな”試練”だろうと
乗り越えられない”試練”は人生に1回しかやって来ない!」
乗り越えられなければ、
そこで人生は終わってしまうということ。

”病”だって同じだ。
人生に治らぬ”病”には1回しかかからない。
治らなければ死ぬだけだから。
そして、
その治らぬ”病”にかかった時、
人は「病気」になったことになる。

第2,425号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-29-

 

ポジティブな人にも問題点があるように、
ネガティブな人にも同じように問題がある。
ネガティブというと、
暗いとか、
後ろ向きとかのイメージだが、
良いところは、
慎重で、
あらゆる角度から検証を重ねて行動に移すという、
素晴らしい長所も持ち合わせている。
ただ、
ネガティブな人は、
『人生は辛い!苦しい!』
『あぁ~俺は何をやってもダメだなぁ~』
こんなふうに思い込んで落ち込むと、
なかなか、
その落ち込んだ穴から抜け出すことができなくなる。

自己批判の底なし沼に落ち込むと、
誰かが助けに来ても、
いかに自分が無価値観な人間かを力説するだけで、
いつしか、
助けに行った周りの人達も、
その人にうんざりしてくることさえある。
ネガティブ思考の人の特徴は、
わざとネガティブな自分を演じるかのように、
その底なし沼に、
少しづつ少しづつ自分で近づいていき、
周りの人達にSOSを発信してくる。
そして、
周りの人達が真剣に相談に乗っている時は、
全く真逆の自分を出して降り回しておきながら、
いつの間にか、
ケロッとしているようなところがある。

ネガティブ思考の人の一番の問題点、
それは、
自分には無理!
自分には出来ない!
自分は誰かさんとは違うからと言いながら、
”自分には出来ない”
”自分には無理”
こうしたフレーズを口にすることで、
自分の責任を回避しようとしていく。

人間社会は、
こうしたネガティブ思考の人と、
ポジティブ思考の人がお互いに綱引きをしながら、
バランスをとっているのかもしれない。
ポジティブ思考の人は、
自分を大きく見せようとせずに。
ネガティブ思考の人は、
自分を卑下せずに、
互いに、
目の前の「やれること」だけを懸命にやれば良い。

第2,424号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-28-

 

ポジティブ思考の人は、
どこかで、
自分の苦しみに蓋をして、
それを閉じ込めてしまっている人が多くいる。
自分の悲しみ、
自分の苦しみと自分を分離させ、
そうした過去が無かったかのようにしてしまう。
そういう人の特徴は、
そうした自分の過去の苦しみや悲しみを、
どこかで、
自分の”売り”にしていくところがある。
『結婚した頃はセレブの生活が、
突然、
離婚という現実に襲われ、
女で一つで子供を3人も育て・・・・』とか、
『借金を多く抱えていた私が、
今では、
こうして・・・・・』とかよく聞く話でしょ。
概ねこういう人は、
未だに、
その問題の根底にあるものは解決されていない。
だから、
そういうことが口から出てくる。

どんな人の人生にも、
悲しいことや、
苦しいことは付き物だ。

でも、
私達は”過去”という時空間に生きているのではない。
”現在”という時空間でもない。
「未来」という、
果てしなく続く、
先の見えない世界に生きていることを忘れないことだ。
その先の見えない世界に踏み込んで行くには、
”今この瞬間”が何よりも大切。
短期間に前向きになる必要などどこにも無い。
悲しいことが起きたら、
出てくる涙をそのままに、
思う存分流せばよい。
その内、
本当にポジティブな意志気(意識)が心の中に芽生えてくる。

第2,423号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-27-

 

苦しんでいる人、
悩んでいる人を目の前にすると、
私達は励ましの意味から、
ついつい、
前向きな言葉をかけたくなる。
事故にあった人には、
『不幸中の幸いだよ!』と、
でも、
大切な車は滅茶苦茶になり、
もう乗ることもできない。
癌を宣告された人には、
『これも運命だ。意味のあることなんだよ!』と、
いささか乱暴すぎるぐらいの言葉だって投げかけてしまう。
こういう言葉は、
言ったご本人がそうなった時に抱けばよいことで、
決して、
傍からいう言葉ではないような気がする。
よく、
ビジネスの世界でも、
相手に明るい言葉をかけていると、
自分も明るくなっていくとか、
いつも前向きな言葉を投げかけていると、
自分だけではなく、
周囲の人までも前向きになるといったような
表現を見ることがあるが、
これは新興宗教の呪文のようなもの。
私達の目の前に起こる”出来事(現象)”は、
決っして、
ポジティブになったからといって、
その問題が解決していくわけではない。
それは、
一時的にテンションはあげられても、
気持ちだけで現実を変えることはできない。
借金をして、
『そのうち何とかなるさ!』といいながら、
生活そのものを変えないでいれば、
借金はいつまで経っても返済できない。

私のセミナーの中心的な話の中に、
”出来ること”と「やれること」の違いというのがあるが、
『自分なら”出来る!”。
まずはこう自分自身に言い聞かせることだ!』
こういう姿勢が一番危険。
”出来ること”ではなく、
私達が向き合えるのは、
あくまでも「やれること」だけという真理を知ることだ。

第2,422号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-26-

 

苦しみや挫折がどこからやって来るのか?
それは、
私達の”期待”という感情が引き起こすもの。
『一流大学に入って一流といわれる企業に入りたい!』
『〇〇年までに会社を上場させたい!』
『もっと他人から評価されたい!』
『もっとお金持ちになれるはず』
『きっと世界で一番素敵な人が現れるはず』
『もっと愛してほしい!』

そういう”期待”をすればするほど、
私達の世界では、
それは「失望」へと変わっていく。
期待をすればするほど、
自分の心の中に、
勝手にラインが敷かれ、
そこにと届かない時、
人は挫折感というものを味わうことになる。
それは、
私達の人生のあらゆる分野で起こること。
仕事や勉強に限らず、
スポーツでも、
人間関係でも、
家族関係でも、
男女関係、健康、経済的環境、趣味の世界でも。
どんな人も、
必ず、
一度は死にたくなるような苦しみを味わうようになっている。
出来ることなら、
小学校の頃に、
『人生では1年に何回かは嫌なことが起こり、
数年に何回かは、
もうだめだと思うような気持になることがある!』と
教えてもらっていたら、
どんなに楽だったろうか?
歳を重ねるごとにそう思う。
それを教えてもらっていたら、
『あぁ~このことなんだ!』と気付けたかもしれない。
そうすれば、
自分だけが
こんなに惨めな気持ちになっているとは思わないはず。
「自分だけが・・・!」
こう思うから余計に苦しくなり、
『自分のどこかに問題がある!』と、
自分を責めて落ち込んでしまう。

でもそれは、
誰にでも起きていること。
まずはそれを知ることだ!

 

第2,421号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-25-

 

毎日毎日の通勤や、
仕事のプレッシャーに人間関係。
私達の人生から”ストレス”が無くせたら、
楽しいだけの人生になるかも?
でも、
人生で”ストレス”を感じないで生きることなど不可能。
実際に、
10代だろうが20代だろうが、
50代だろうが70代だろうが、
これまでに、
痛みや苦しみを味合わずに
人生を過ごしてきた人はいないだろう。

だったら・・・・。
私は”悩み事”は「課題」に、
”ストレス”は「刺激」に変えて受け止めている。
「刺激」の無いものほど、
つまらないものはない。
「課題」の無いものほど、
自分にとって無駄なことはない。

人生の”ストレス”や”悩み”は、
年齢と共に、
入れ代わり立ち代わり、
私達の目の前にやって来る。
いろいろな心配事を抱えながら、
毎日を懸命に生きていく。
これがある意味で
”普通の人生”だということ。

この「普通」を受け入れると、
人生は意外と楽になっていく。

でも、
苦痛や挫折感はどこからやって来るのだろうか?
明日はそのあたりの話を!

第2,420号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-24-

 

「人生棚卸」の最後は、
今までの人生で”後悔”したままになっていること。
これと向き合うこと。
これは結構出てきますよ。
年齢を重ねれば重ねるだけ出てくるかも?
*もっと勉強しておけばよかった。
*あの時に言っておけばよかった。
*あの時、無理に我慢しなければ・・・・。
*あの時、あの人の言うことを聞いていれば・・・・。
*あの時、怪我さえしなければ・・・。
*あの時、
*あの時・・・・・。
ほら!
出てくるでしょ。
でも、
そうして出せることはほとんど問題の無いこと。
中には、
自分の心の中では気付いているのだけど、
どうしても、
それを口に出して、
認めることだしたくないようなこと。
もしそういうことがあるとしたら、
これは
これからのあなたの人生において厄介なものになっていく。
まずそれを全部吐き出してしまうことだ。
誰かに語れるのが一番良いが、
語れないのなら、
まずは、
自分自身で自覚するために書き出してみること。

人は”後悔”を自覚すれば、
”後悔”の少ないこれからの人生を歩む可能が多く生まれる。
これは、
紛れもない”真理=「原理原則」”だ。

第2,419号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-23-

 

「幸せ感」などと大げさなものでなくても、
『まぁ~まぁ~恵まれているなぁ~』
この程度に感じているところで十分。

*働く環境がある。
*家族がいる。
*屋根付きの夜露がしのげる住まいがある。
*贅沢はできないが食べるのには困っていない。
*友達がいる。
*五体満足に動く。
『俺なんか何やっても上手くいかないし、
満足できることなんか一つも無いよぉ~』
こうボヤいている人でも、
こうして書きだしていくと、
自分が満たされていることは山ほど出てくる。
でも、
それと同時に、
”不満”も持ち合わせているのが人間。
なぜなら、
私達の全ての行動原点が”欲”だから。
この不満も同じように書き出してみると良い。

つまり。
この世の中に満たされた人などいないということ。
他人から見て、
どんなに幸せそうに見える人でも、
どこかに不満を抱えて、
どこかしら足りないものを求めている。
逆に言うなら、
健康とはいえない。
お金もない。
パートナーも早く亡くしている。
仕事もその日その日。
でも、
そんな中で「幸せ感」を感じている人もいる。

人生の面白いところは、
見た目の姿ではなく、
どんな人でも、
簡単に
この「幸せ感」や
「苦悩感」をコントロールできるというところ。

あの中村天風さんの言葉。

「人生は”心一つの置き所”」