第4,282号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー6-

 

私が知る限り、
自分らしさ」に気付けている人は数少なく、
自分の強みや能力、
仕事で活かせるはずの「自分らしさ」に、
ご本人が気付けないまま働いている。
だから、
周りの評価ばかりが気になり、
挙句の果ては、
仕事の目的は会社に貢献すること」とか、
周囲の人達のお役に立つこと」などと、
表面的な言葉だけを口にするようになる。
そして、
思い描くように周囲からそうした声が上がらないと、
それ自体がストレスとなって苦しみだしていく。
なぜなら、
働く目的が違った方向に向いているから。

仕事とは「自己発見の場」でもある。
自分では気付けていなくても、
誰にでも、
その人しか持ち合わせていない、
他の人には無い素晴らしい・・・らしさ」がある。

社畜になりたくないなら
自分らしさ自分の持つ本当の強み)」を自覚すること

第4,281号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー5-

 

多くの人は、
自分らしさ」の発揮されるところは、
自分の好きな仕事”
これをさせてもらえるところだと勘違いしているようだが、
最初に申し上げたように、
自分らしさ」とは”自分の好きなことをする”こととは違う。

あえて私がこの「自分らしさ」を定義するなら、
与えられた仕事と向き合う中で、
自分自身が最善の努力を惜しまず、
いまある知恵と能力で諦めずに向き合う姿
これこそが「自分らしさ」であり、
どんなに苦手と思い込んでいることも、
この姿勢があれば、
無我夢中になって向き合えるし、
その結果として、
向き合ったその仕事が、
好きになるという付加価値も生み出されてくる
興味があるから、
やったことがあるから、
そのレベルでは「好き!」とはいえない。

原理原則」からいうなら、
好きだからやるのではなくトコトンやるから好きになれる

第4,280号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー4-

 

自分自身も知らないでいる自分”に、
周囲の”他人にも見えていない自分”・・・「盲目の窓」。

人は”自分のことが一番見え難い”。
だから他人がチョッとしたことで“気付いてくれたこと”、
誰かに”指摘してもらったこと”。
ここには大きな気付きがあることになる。
つまり、
いつも、
『自分はこうだ!』
『これが俺の持ち味だ!』と思い込んでいる自分と、
他人が気付く自分の影”のようなもの、
このギャップに気付くことこそが、
組織の中で、
自分らしさを活かしながら向き合える最初の一歩といえる。
自分の欠点というのはなかなか自分では気付き難いものだが、
自分では気付き難い「自分の良さ」というのもある。
自分では気遣いのつもりの行動が、
誰かには”余計なお世話”と感じられても、
別の誰かには「思いやり」と受け止められたりもする。

それをどちらを多くしていくかは、
自分自身の日頃の行動による。
それも、
時間管理とか、
約束を守るかとか、
健康管理とか、
整理整頓とか、
決めごとの順守度とか、
そんな些細なことが相手の受け止め方を変え、
自分自身の中に眠る自分に気付かせてくれる

第4,279号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー3-

 

米国の心理学者ジョセフ・ルフトと、
ハリー・インガㇺが発表した”ジョハリの窓”。
これは一つの窓を4つに区切り、
対人関係における気付きをあたえようとするグラフモデルだ。
私のセミナーではこれを解り易く簡潔にして取り入れている。

私達には自分が解っている部分がある。
同じように、
そんな自分を他人も解っている部分がある。
この”×”は「明るい窓」をイメージすることが出来る。
二番目はの「自分が解っている部分」と、
他人も解っていない部分との関係。
これを「隠された窓」と呼ぶ。
三番目は、
自分も解っていない部分の関係。
これを「盲目の窓」という。
そして最後の四番目が、
可能の窓」と呼ばれるものでの関係。

この中で大半の人は、
明るい窓」と「隠された窓」の2つだけで生きようとする。
ところが、
企業のような組織の中で、
同じ目的に向かって共に歩んでいくためには、
盲目の窓」という、
自分に解っていない分×他人も解っている”という関係が極めて重要になってくる。
自分にとって意外な良さや魅力、
伸びしろというものは実はここに隠されている
自覚している自分だけが自分らしさではなく、
無自覚な自分の中こそ、
仕事に生かすことが可能になる自分らしさ」が眠っている

 

第4,278号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー2-

 

先日、
某大手食品会社さんの採用面接にオブザーバーとして立ち会わせていただいた時、
採用業務」というのは単なる”人集め作業”ではない。
企業利益につながる礎がここにある。
だから私は顧問先で、
採用業務は従業員教育の第一歩です』と強く伝えることにしている。
この日も面接質問の中で、
自己分析をしてください」と投げかけると、
『自分は仕事に対する責任感が強く夢中になり過ぎてしまうところも多々あります』
『自分はどんな仕事にも研究心を忘れずに取り組んでいくタイプです』
いまの若い人達(爺さんの代表的な台詞で失礼・笑)は、
就活のための面接に備えて、
自分の長所と思われるところをアピールするための自己分析”をすることに非常に慣れている。
それも大切なことかもしれないが、
聞いていると、
20代前後で、
既に自分を”一人称”として確立されているかのように思えた。

でも、
本当にそうやって、
自己分析」をすることのできる人がどれだけいるのだろうか?
私などは70歳になった今でも、
満足な「自己分析」ができないでいる。
人は誰でも、
懸命に自分と向き合っても
自分では気付けていない自分”を持っている

組織の中で仕事をする時に大切なことは、
「”自分には見えていない自分に気付くこと」だ

 

第4,277号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「職場で”自分らしく”働きたい思っている君に!」 ー1-

 

自分らしく」・・・よく耳にする言葉だが、
これをはき違えている人もまた多い。
自分らしく」とは”身勝手に”とは違う。
人生における「自分らしさ」とはなんだろうか?
自分の人生を、
自分らしく」働いて「自分らしく」生きる。
これは人生道を歩む上で最も大切なことかもしれない。

人生で,
特に働く上では、
自分らしさ」とは、
必ずしも”自分の好きなことをする”とか、
得意なことをする”といったこととは限らない。
仕事で活かせる「自分らしさ」とは、
自分の中に眠る”才能”のようなもの。
自分自身をダイヤモンドの原石のように、
仕事を通して磨き上げていけるもの。
人として成長させていけるもの。
いまの自分が、
好きなことや得意なことだけにとらわれず働く中で、
自分自身でも気付けなかった「自分らしさ」に必ず出会える。

私はセミナーを通して、
7,000人近い受講生と接してきたが、
その中で「職場における悩み”」をかかえ、
自分の才能を活かしきれないまま、
日々を過ごしている人がいかに多くいることか?
これは企業にとっても大きなマイナスであり、
特に、
コロナ禍によって大きく変化してきた働き方環境の中では、
この「自分らしさ」を見つめ直すことが、
いかに重要なことかを感じさせられた。

今日からお届けするこのシリーズでは、
組織の中で生きる自分”を再度見つめ直し、
これからの仕事に役立てていただければ幸いである。

 

第4,276号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー35-

 

35回にわたりお届けしてきたこのシリーズも今日が最終回。

感情の動物”と言われる私達。
私達がその「感情」に振り回されずに、
感情」を豊かにして、
明るい感情”を保つことは、
私達の健康上からも非常に重要な要素と言える。
私達が生きる人間社会では、
抱える”悩み”のほとんどが「人間関係」と言われるくらい、
対人関係には「」を使うことが多い。

私達はややもすると、
有名になって、
お金持ちになって、
凄いといわれるようになることが、
生きる上での幸せ感と思い込むが、
これこそ、
自分の中に他人”を入り込ませ、
他人」より勝ることが、
さも幸せのバロメーターにように思い込んでいる証。
だから、
何もやらずに行動する前から、
誰しもが「目的」という名のもとに、
自分の思い描く絵図を書く。

そして、
それを達成すること自体が人生の目的のように勘違いしだす。
昨日のブログでお話しした、
たった1本のホームラン”で崩れるピッチャーと、
そこから見違えるように動き出すピッチャーの大きな違いがここにある。
前者は、
自分が思い描く試合運びがこの1本で消え去ったと受け止め
後者はこの1本で気付かされたと受け止めた
さらにこの受け止め方の違いは、
試合に対する向き合い方にある。

前者は完ぺきな投球をして抑える
後者は結果ではなく1球1球を考えながら投げる

私達の人生でも、
まさにこうしたことが言える。
自分の持つ「感情」を、
他人”の言動で動かされていては、
自分の人生のみならず自分自身を見失っていくことにもなる。
心して生きたいものだ。

また明日から新しいシリーズで。

第4,275号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー34-

 

高校野球でもプロ野球でも、
それまで最高のピッチングをしていたのに、
たった1本のホームランを打たれただけで、
雪崩のように”崩れるピッチャー”がいる。
こういうピッチャーの試合後のインタビューは決まって、
『あの1本で自分を見失ってしまいました』とうなだれる。
逆に、
その1本で”立ち直るピッチャー”もいる。
立ち直るどころか、
それまで危ない投球を続けていたのが嘘のように、
球に切れが生まれ出す。
こういうピッチャーの試合後のインタビューはこうだ。
『あの1本で吹っ切れました』

この2人のピッチャーの大きな違いはどこにあるのだろうか?

それは、
目の前に起きた”出来事(現象)”の「受け止め方」の違い
たったそれだけだ。
ホームラン1本打たれて。
これで終わりだ』と受け止めた前者のピッチャー。
これからだ!』と受け止めた後者のピッチャー。
どんなに小さなショックでも、
それを受けた本人が、
これで終わりだと受け止めればすべては終わってしまうが、
これからだ!』と受け止められれば次につながる可能がある

ではどうしてこういう差が生まれるのだろうか?

この続きは明日の最終章で。

第4,274号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー33-

 

自分が自分自身で決めた”コミットメント誓約”を、
しっかりと継続している人は、
自分に「胸が張れる」。
この「胸を張る」という意志気意識)は、
その人の”意志力”の現れそのものだ。
それは心だけに留まることなく、
その人の姿勢や動きにまで現れてくる。
口から出す言葉一つ一つも力強く、
語尾も明確で説得力も強く感じられる。
傍か見れば、
それは紛れもないその人の「自信」に見える。
明るい感情」”に溢れた人には、
失敗とか、
恐れとか、
不安というものを感じることが少ない。
それは、
不安は・・・・「やれば判る
恐れも・・・・「やれば判る
失敗は・・・・「成功するまでやるから無関係
こういう意志気意識)が、
仕事でも、
スポーツでも、
遊びでも、
全ての分野でその人の行動原点”としてあるから

いつもどこかに、
俺は大丈夫!」という意識が強くあるのだろう

 

第4,273号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー32-

 

他人の言葉を深読みすることほど無駄なことはない
なぜなら、
その本意を確かめる術など無いからだ。
例えば上司に、
『この案件は慎重にやってくれよ!』と言われたとして、
『私がいつも手抜きでもしているというのですか?』
こんな”深読み”をしたところで、
『そんなことは言っていない』の一言を返されるのが落ちだ。
それなら、
『ご忠告ありがとうございます。
いつも以上に慎重に取り組みます』と返した方が良い。
私のセミナーでは、
自分の「やれること」を、
自分自身でコミットメントするカリキュラムがある
ここで『やってください!』というと、
必ず『はいやります!』と元気良く返してくる。
数日して、
『コミットメントやっているか?』と聞けば、
『はい!やってます』とも応えてくるが、
『はい!その記録をいまお送りします』と返してくる受講生は数える程度しかいない。

大切なことは、
他人の言葉”ではなく、
自分がなにをやっているか?」ということだけ。
自分の勤怠管理も満足にやれず、
自分が自分自身でコミットメント誓約したことすら、
継続していない人間ほど
他人の言葉や、
周囲の雑音に振り回されていく