第1,880号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-6-

 

今日は日常でのお話を。

先日、

某P業界の社長さんと他店の視察に同行した。

『先生は他店視察をされる時、どんなところを見られますか?』

『私達は今までの習慣で新台機種の稼働状況を見たり、

お客様の入り状況を見たりしますが、

先生のセミナーを受けてから、

その視点はどこか別のところにあるような気がして・・・、

それで今日はご同行をお願いしたんです』

 

この社長さんのいわれるような項目も確かに必要ではある。

でも、

見るべきところは全く別のところに。

 

私がMcにいた頃、

よく言われたのが、

『他店の売上やお客様の入り状況など見ても

なんの役にも立たない!』

そうですよね。

そのお店がどれだけ賑わっているか?

それはそのお店のことで、

例え、

その「やり方」を全て真似たところで、

決して同じ結果が得られるわけではないから。

 

視察先の店舗につくと、

社長さんは足早に店内に入ろうとした。

私が、

『私は外から・・・』

こういうと意外そうな顔をされ立ち止まった社長さん。

『ゴミの状態ですか?』

私が首を横に振ると怪訝そうな表情で付いて来られた。

駐車場に行って、

『利用客の車の停め方を見るんです』

『ホラ!あの車、ラインを跨いで停まっているから、

3台入れるのに2台しか・・・』

『お店の管理者は気付いているんですかね?』

こういうところに気付けていない店舗というのは、

売上が上がっていても、

利益が上がっていないんです。

 

こんな調子で、

いつもとは全く違った視線での視察に、

社長さんはうなずかれながら

盛んにメモをとられていた。

こんなところにも“思い込み”というものがある。

それは、

小さいけど、

確実に利益を損ねている。

小ちゃな“思い込み”が大きな損失を生む。

どんな損失?・・・・。

それはお考えください(笑。

 

 

 

第1,879号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-5-

 

私がサラリーマン時代、

何人かの上司が

『結果が全てだ!』とうるさく言われた。

でもその後、

自分自身が部下を持ち、

管理職となり、

起業して経営者となり、

つくづく感じることがある。

それは“結果を求めたら望む結果は出せない!”ということ。

何年持つか?と不安なスタートで始まった会社経営。

最初は結果ばかりを求めて動いた。

でも、

起業して3年目。

あの美輪さんに、

『人生に結果など無い。

在るのは“どう生きるか?”という姿勢だけ!』

この言葉を聴かされ『ハッ!」とした。

そして、

こう付け加えられた。

『いいい!ビジネスも人生もウサギになってはダメ。

カメのように、

勝とうとする結果を求めず、

一歩一歩でいいから、

“やれること”だけを確実にやりなさい!

結果を思いのとおりにしようと、

結果を意識して行動を変えても、

人の意識はついて行かない。

なぜなら、

結果ばかりが気になって、

“やるべきこと”に気が向かなくなるから。

スポーツで勝ちを意識して負けるのと同じ』

この言葉は、

私の“思い込み”を打ち砕いてくれた。

お陰で、

今期、

なんとか創業10周年を迎えられる。

そして、

『結婚が全てだ!』と

口癖のように言っていた上司・・・。

やっぱり目指すような“結果”にはならなかった。

第1,878号・ブログ

《“ねぎだけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-4-

 

“世のため他人のため”という言葉があるが、

その「本質」は一体どこに在るのか?

職場などでも、

仲間のためにとか、

周囲に役立つ人間になろうとか、

朝礼や研修でいわれるが、

具体的にはどういうこと?

会社の経営も、

「経世済民」という言葉が

“経済”という言葉の語源にはなっている。

 

ゴルフの例えで申し訳ないが、

ゴルフをしていると、

他のプレーヤーのボールを懸命に探してくれる人がいる。

一見すると、

他人様の打ったボールを、

他人様のために探している

優しい気配りのある人に見える。

でもこれは、

その人がそこそこの腕前で、

自分のプレーに余裕があってやれること。

これをまだまだ未熟な人間がやると、

後続組に迷惑をかけ、

強いてはゴルフ場全体でプレーする人や

ゴルフ場にも迷惑をかけることになりかねない。

 

「経世済民」とは、

中国の隋の時代に作られた言葉で、

“世を経め(おさめ)民の苦しみを済う(すくう)”ということ。

そして、

その根底には、

それに司るもの自らがまず、

身を正し、

自らの取組ごとに進出に愚直に向き合うことある。

 

他人様の役に立つ。

他人様のためになる。

“世のため他人のため”の「本質」とは、

目線は常に自らに向けろということ。

ポエムチックな“思い込み”で

大きな勘違いをなさらぬように!

 

 

 

 

第1,877号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-3-

 

昔から、

サービス業ではお客様のために!とか、

お客様目線で!

私の時代などは“お客様は神様です!”と教育されてきた。

笑顔作りを一生懸命練習して、

売場に出る前には、

鏡の前でさらに最終チェック。

まるで、

仮面を付けてから舞台に登場していくかのように。

でも、

もうこうした演技は通じない世の中なんですよね。

SNSの普及で、

演じられない社会になっているから。

お客様のために!

こういう姿勢で仕事に取組むと、

必然的にその結果、効果を求めたなるもの。

妻に誕生日のプレゼントを贈る時など、

『これなら喜ぶだろう!』と贈ったモノは必ず外れる。

でも、

自分が懸命に歩いて探したモノ。

喜んでくれるか?どうかなど考えずに、

『これを贈りたい!』と思って贈るモノはなぜか伝わる。

仕事も同じなんです。

お客様のために!ではなく、

ひたすら自分の仕事に取組む姿勢で、

その想いが伝わるんです。

『この子、一生懸命やってるなぁ~』

『健気だなぁ~!』

そんな姿勢しか、

お客様には伝わらないのです。

なぜなら、

私達は、

サービス業の従業員とお客様との関係性の前に、

“人としての”関係性が存在するから。

第1,876号・ブログ

第1,876号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-2-

 

私達が物事の良し悪し、

好き嫌いを測るツールはたった5つしか持ち合わせていない。

見る・聞く・嗅ぐ・食す・触るといういわゆる「五感」。

ゆえに、

その「五感」の経験してきたことが物事の判断基本になっていく。

同じものを食べ、

同じものを見て、

同じことを聞いても

一人ひとりの感じ方、

受け止め方が異なるのはそのためである。

そして、

その「五感」で感じたもの。

その全てが

私達に取っては“事実現象”として伝わってくる。

だから、

個々の意見が異なってくる。

「コミュニケーション」という言葉は良く使われるが、

この意味を深く理解する人は少ない。

「コミュニケーション」とは、

他人と調和して上手くやること、

仲良くやることではない。

「他人との違いを互いに認識しあってその乖離調整を行うこと」

そういう能力を、

“コミュニケーション能力”という。

これを、

相手の気持ちになって、

相手を受け入れること、

そのためには笑顔と声かけ!

そうした行いが取れるかが“コミュニケーション能力”と、

大きな思い込みをしている人がいかに多いか。

この“思い込み”で社内の人材研修をしたりするから、

その時のテンションは上がっても、

やがてなし崩しになり長続きしなくなる。

 

第1,875号・ブログ

第1,875号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-1-

 

SNSの普及によって、

世の中には情報が溢れかえっている。

10年前に比べるとその量は1,000倍遥かに超えるとか。

私達が耳にすること、

目にすること、

手に触れるもの、

その全ては確かに「事実」であろう。

しかし、

その「真実」は無限に存在する。

この「真実=本質」を見据えることこそが、

それを活かすことにつながる。

ところがこの情報というもの。

その価値たるや、

一瞬にして無に等しくなるものがほとんど。

心しなくてはならぬことは、

その溢れかえった情報にふりまわされないことである。

 

第一回目の今日はこんな“思い込み”。

先日、

某大手食品会社の会長さんから気付かせて頂いた

私の“思い込み”。

それは、

会長さんが今年の新年会に撮られた一枚の写真。

そこには、

私から見ると“凄い”メンバーが写っていた。

思わず、

『凄いメンバーですね!』と口にすると、

『ネギちゃんそれは“思い込み”だよ。

確かに新聞テレビで良く見かけるお顔ばかりだが、

人間には“凄い人”など存在しないよ。

だって、

みんな死ぬまで試練、

死ぬまで修行が続いているんだから、

この人達も修行の身だ』

 

 

第1873号・ブログ

第1:873号・ブログ
《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜猛(ねぎたけし)です」♪》
「私達の命は《気》!”気”の持ち方で未来は変わる!ー119ー 」

《未来》
先日、人生は「試されているだけ」
とお伝えした。
そして、私達が生きているのは
「いま・この瞬間」という
”未来の入口”であるとも。
では、その先の《未来》には
何があるのだろうか?

愛だろうか?憎しみだろうか?
希望だろうか?絶望だろうか?
光だろうか?闇だろうか?
天国だろうか?地獄だろうか?

実はそんなものはないのである。
なぜなら《未来》とは
「未だに来ていない」のだから。
唯一あるのは
『可能』だけである。
『可能』なので、良いも悪いもある。
そして、それを決めるのは私達の『意志気』。

積極的、肯定的、前向き、明るい
『意志気』を持つ者には、
積極的、肯定的、前向き、明るい『可能』が。
消極的、否定的、後ろ向き、暗い
『意志気』を持つ者には、
消極的、否定的、後ろ向き、暗い『可能』が。

私達の『意志気』により決まる《未来》の『可能』。

そして、未だ来ぬ《未来》への第一歩が

常に「いまこの瞬間」にある。

このシリーズでお話してきた私達の誰もが持つ「気」。

それは宇宙の定められた“流れ(時)”の中で、

その「原理原則」に基づいて生まれ、

いつも未来の入口に息している。

そしてこの「気」は、

私達の意志気の向けた方向にのみ進んでいく。

永いシリーズでお読み頂いた「気」のお話。

いよいよ明日が最終章。

第1,874号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達の命は《気》!“気”の持ち方で未来は変わる! -120-」

 

 

長いシリーズでお届けしてきた最終章。

私達の命が「気」である以上、

全てのことにおいてこの「気」の存在が左右してくる。

今では、

企業組織内の人材育成でも

この「気」のコントロールが最重要とされ、

10数年前まで盛んに取り組まれてきた、

“実在意識”への刺激より、

この「気」のコントロールによる

“潜在意識”への刺激がいま注目を集めている。

表面的な笑顔つくりとか、

言葉の意味も理解しないまま、

『有難うございます』と

大きな声を出して唱和するようなものが

研修や朝礼の中で姿を消し出して来ている。

考えれば、

企業内研修はいったい何のために行うのか?

従業員一人ひとりが、

『明日もこの会社で仲間とやりたい!』

こんな意志気になってくれることだけ。

その意志気の上に取組む作業が、

工夫という、

新たな「気」を育み、

知恵という財産を生み出し、

小さな利益へと直結していく。

「気」は、

私達がいつでもどこでも、

直ぐに充電可能であり、

いくらでもコントロール可能なのである。

人生でも、

ビジネスでもどうか

この「気」の存在を意志気して進まれることを願い、

このシリーズの最後の章とします。

ながいこと有難うございました。

明日からは

私達の“思い込み”のお話を!

意外とというより想像以上に多い“思い込み”。

お楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

第1872号・ブログ

第1:872号・ブログ
《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜猛(ねぎたけし)です」♪》
「私達の命は《気》!”気”の持ち方で未来は変わる!ー118ー 」

《言葉》
単なる”言語”そのものには何の意味もない。
しかし、それが人から発せられ
《言葉》となった時、大
きな意味を持ち始める。
それを古より”言霊”と呼び、
《言葉》には『気』が宿ると
考えられてきた。

先日お伝えした通り、
《言葉》の意味を知れば知るほど
己の意志気コントロールに役立つ。

逆に意味も解らず口にすると、全く違った方向に向くことも。
《言葉》とは意義深く重いもの。
さらには《言葉》が
それを発した人の意志気を表す。

だから同じ内容を話していても
「なんだか伝わってこないなぁ~」
という人もいれば、
「なるほど!そういうことですね!」
という人もいる。

その上、《言葉》は
表面的に、演じ、取り繕うことができるから、
聞く側としては、
その裏にある、発した人の
意志気と本質を見定めることが必要だ。
特に「夢」「感謝」「感動」といった耳に心地良い響きの言葉を
多く使う時や聴く時はその意味を深く考える必要がある。

それを怠ると表面的に言葉に流されるだけになる。

《言葉》の意味を知り、
《言葉》の意義を見出だし、
その《言葉》を体現する。
その『意志気』が”言霊”となる。

《気》の持ち方とはこんなところにも意識が必要!

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第1871号・ブログ

第1:871号・ブログ
《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜猛(ねぎたけし)です」♪》
「私達の命は《気》!”気”の持ち方で未来は変わる!ー117ー 」

《問題》
ブログなどでもよくお伝えする。
「問題があることが問題なのではなく、
その問題に気付けていないことが
問題なのである」と。
今日はその《問題》の原因を
探るための観点である。

《問題》には2つあり、
1つが《設定型問題点》。
もう1つが《発生型問題点》である。

《設定型問題点》
これは「基準」=「あるべき姿」自体の設定、
ないしは「基準」自体が
設定されていないことにより起こる
《問題点》である。

例えば、倉庫整理などで考えると、
その倉庫整理の「基準」が
どのように設定されているか?である。
倉庫の役割、整理とは?、
いつ、誰が、何を使い、
どのように実施し、確認し、報告するのか?
それが組織内の全員に
共有化されているか?ということである。

その「基準設定」通りに
なされているにも関わらず
《問題》が起こる場合、
それはその「基準設定」に
《問題》がある。
よって、「基準」の
改善、変更か必要である。

《発生型問題点》
これは上記の「基準設定」が
なされているにも関わらず、
その実施が
なされていないことにより発生する
《問題》である。

先の倉庫整理で言えば、
いつ、誰が、何を使いなどの
「基準」はあるが、
いつもやっていない、
誰もやっていない、
何も使っていない
という状態である。
さらにはその《発生》自体にも
気付けていない、
あるいは気付いていても
「なんとかなる!」
「とにかく頑張ろう!」
「出来ると自分を信じて!」
などと言うだけで、
何も変わらない状況である。

まずはこの2つの観点で
《問題》を分析してみてはいかがだろうか?