第2,367号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -67-

 

誰だって”後悔”はしたくないと思っている。
でも、
生きている間は、
おそらく、
ほとんどの人が”後悔”だらけだろう。
生きている間はそれで良い。
だって、
”後悔”があるから、
『もうあんなことは止めよう!』と学べる。

『人は誰だって、
幸せになりたいと思って生きている。
それを手に入れる人もいれば、
途中で挫折して、
手に入れない人もいる。
でも、いくら高い目標を持ち、
その目標に達したとしても、
結局、
どちらも最後に行き着くところは一緒さ』

これは
私の顧問先の94歳になられる会長さんがいわれた言葉だが、
なぜか深く腑に落ちた。

そしていつもこういわれる。
『人生だってビジネスだって一緒さ。
外に目を向けている内はダメだな。
自分の”内”に目を向けることだ。
私達の仕事は客商売だが、
これならお客様に喜んでもらえる。
これならお客様の役に立てる。
こういう気持ちは、
耳触りが良くて、
聴いていると違和感はないが、
それでは目が外に向いていて、
自分のすべきことは見えてこない。

昔、
売上を上げたかったら、
倉庫や更衣室をキチンとしろと言ってきたが、
簡単にいえばそういうことだ。
「なんで更衣室をキチンとするのが売上につながるの?」
そんな疑問を持っている者は、
もう一度、
小学校からやり直してこい!』

先日の休日学習会で
S会長がいわれた言葉を今日はお届けしたが、
受講生諸君は
なにか感じたかな?

第2,366号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -66-

 

先日、
昨年亡くなった旧友の墓参りに行ってきた。
高校を卒業して、
同期でデパートマンとして入社した仲間。
昨年、
突然別れの日が来た。
その数か月前まで、
元気に一緒にゴルフをしたり、
酒を呑んでは歌を唄い。
愚かだった20代の頃の思い出話をしながら、
涙ぐんで、
笑っていたのに・・・・。

誰でも、
大切な人との最後の別れは悲しい。

でも、
彼との別れはなぜか寂しさが少なかった。
それはきっと、
18歳から65歳まで、
多くの時間を共にしてきたからだろう。

人は必ず”死”を迎える。
これは何人だろうと避けては通れない。
今は、
想像することさえできなくても、
いつかは、
大切な人との別れはやって来る。

今日はそんな時のためのチョッとしたこと。

その日が来て、
辛い日々を送らないためには、
いま、
与えられた条件の中で、
可能な限り、
時間を共にすることだ。
楽しいことも、
苦しいことも、
可能な限り、
多くのことを一緒に。

先立つほうも、
先立たれるほうも、
大切な人との別れは寂しい。
そんな寂しさを、
その後、
引きずらないためにも、
いま、
この瞬間瞬間を精一杯一緒に!

墓前で手を合わせながら
そんなことを感じた。

第2,365号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -65-

 

自分が本当に望んでいたこと。

生きていられること。
健康なこと。
働けること。
手足を動かせること。
モノが見えて、
音が聞こえて、
食べ物の味を噛みしめられて、
花の香りを嗅げて、
柔らかな手触りに触れられて、
思えば、
それが自分の望むことだった。

死にたいと思うほど苦しいことに出逢う前の自分は?
お金持ちになりたい。
出世がしたい。
有名になりたい。
一番に成らなきゃダメ。
そう!
心が求めることではなく、
頭で考える”欲”ばかりを、
「夢」というオブラートで包みながら追いかけていた。

だけど、
これを本心から知り得たのは、
50歳という声を聞いてから。
その時に2回目の苦しさ。
最初の苦しさに比べたら、
比べ物にはならないけど、
これもきつかったなぁ~。
億単位の負債を抱え、
二進も三進も行かなくなった。
その時には、
もう親父はいなかったから、
言葉はかけてくれなかったけど、
やっぱり、
親父が言ったとおり、

止まらずに歩き続けたら
徐々に徐々に苦しみは和らいでいき、
あっという間に返済できた。

『死にたい!』
こんなふうに感じるということは生きている証。
止まらないで、
”やれること”を懸命に、
一歩一歩でいいから前に歩き続けて!

 

第2,364号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -64-

 

『もうダメだぁ~!』
人生にはこんなふうに思うことだってある。
私も1回、
そんな気持ちになったことがある。

今日はそんな人のためにチョッとしたことを!

30代少し前の頃。
この内容はここでは勘弁していただくが、
『いっそのこと死のうかな?』と考えた。
そんな私を救ってくれたのが、
死んだ親父の言葉だった。
『死にたいほど苦しいという感覚を感じているということは、
生きている証だ。
生きている以上、歩くしかない。
止まっても楽にはならない。
止まらずに歩け!
苦しみを感じながら、
その内、
その苦しみは徐々に和らいでいくから・・・・』

20代の私に、
その言葉は重すぎて、
深すぎて意味をしっかりと解せなかったが、
”生きている証”
このフレーズがなぜか支えになってくれた。

本心では生きたいと願っている。
でも、
頭は苦しい現実から逃げ出そうとしている自分。
相反する想いと思考の戦いが
永いこと続いた記憶がある。
その時だったなぁ~。
”自分と本気で向き合った”のは。
誰にも言えないことを、
一人で紙に書いて、
自分を表に出して向き合った。

自分が本当に望むこと。
自分自身が本当に嫌だと思っていること。
全てを書き出してみた。

そしたら・・・、
自分が本当に求めていたものが見えてきた。

続きは明日。

第2,363号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -63-

 

急上昇の風を感じだすと、
多くの人は、
それでゴールしたかのような錯覚を感じてしまう。
『よぉ~しこれで大丈夫!』
『目標に向かって全速力だ!』と、
もう向かうところ敵無しといった心境か?

でも、
ビジネスも人生もそうは上手くいかない。
そんな心の隙も、
どこかで誰かに必ず見られている。
有名になったタレントやスポーツ選手が、
つまらぬことで道を外すのがそれ。
”驕り”という悪魔からの贈り物を受け取ってしまう。

考えてみれば、
人生もビジネスにも”ゴール”など存在しない。
私達の”ゴール”は、
最後の最後にしか待っていない。
結局、
人生もビジネスも姿かたちは違えど、
同じもの。
だから、
サービス業でも、
これが”自社の価値”。
これが”差別化”などと売込んでいるところは伸びない。
大切なことは、
あくまでもそれに取組む姿勢、
「在り方」が全てということ。
皆さんが一緒に酒飲むお相手を考えてみれば判ること。
一緒に飲みに行って、
『俺はさぁ~〇〇商事にいてさぁ~、
給与も60万ほどもらってさぁ~。
やっぱり一流企業に行かなきゃだめだよなぁ~』などと、
自慢ばかりする輩と、
一緒にグラスを傾け、
談笑したいと思うような人はいないでしょ。
”売込む”とはそういうこと。

”売込んで”たとえその場の成功成果を手に入れても、
波に乗れなければ、
次は無い。
それどころか、
せっかく手にした一時の成功成果が、
大きな逆流となつて襲ってくることだってある。

最初っから成功成果ばかりを追い求めていたら、
急上昇の風が吹いても、
その波には乗れない。

そのためには、
常に、
「自省」と「自制」を忘れず、
「自責」を胸に、
己の足元だけ見据えて取組むことである。

第2,362号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -62-

 

 

昨日のブログで、
人生はいくら頑張っても”成果”は出ないとお話ししたが、
まずは、
目指す結果現象だけを追い求めないことである。
多くの人は、
まず、
重要な「原理原則」を忘れている。
それは”成果”が出ない!出ない!と嘆いているが、
実は、
人生もビジネスも常に”成果”は出されている。

”成果”とは「成った結果」で、
決して成功結果を示しているのではないということ。
売上が落ちてきた、
客足が遠のいてきた、
契約目標が獲れない・・・・。
こんな現象が目の前に現れると、
人はその状況だけを変えようとする。
そして、
「集客を10倍にする法則」とか、
「携帯一つで売り上げ倍増!」とか、
こんな誘い文句に踊らされ、
また回り道に迷い込む。
そんな法則や方法があるなら、
みんなとっくの昔にやっている。
まずはそういう間違いに気付くことだ。

取組んだことには必ず”成果”がついてくる。
それを一つひとつ、
しっかりと検証し、
原因追及して、
新しい次の一歩につなげる。
目標値にたどり着くまで。

そして、
その長いトンネルをくぐり抜けた人にだけ、
ある日突然、
急上昇への追い風が吹きだす。
でも、
追い風が吹きだすだけではダメ。
その急上昇の追い風の波に乗らなければ継続は無い。

明日はそのために何をなすべきかを?

 

第2,361号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -61-

 

『なかなか”成果”が出せない!』
よくこう口にする人がいるが、
私はセミナーでいつも、
『”成果”はいつも出ています!』と伝えている。
ただ、
多くの人は”成果”を「自分が望む結果」と思い込んでいるから、
それに気付けないだけ。
人生は、
自分が描くとおりに事が進み、
常に右肩がりという状況などは極めて少ない。
でも、
”成果”は間違いなく事あるごとに
間違いなく出ている。
そして、
その「原理原則」に気付いた時、
人生は思いもよらぬ急上昇をはじめる。

人生を急上昇させ未来を変える”コツ”は・・・・。

目の前の瞬間瞬間を、
自分の足元だけを見つめしっかりと歩むことだ。
人生はいくら頑張ったところで、
すぐに、
自分が描く状況には持っていけないことに気付くことだ。
それに気付ければ踏ん張れる。
それに気付ければ、
目の前の小さなことがいかに大切かが理解できる。
これをやればあなたの願いはすぐに叶う!・・・的なものは、
全てまやかしに過ぎない。
多くの人はすぐに”成功成果”を欲しがるが、
人生の”成果”とは、
やったらやった分だけ、
すぐに手に入るわけではない。
ある日、
突然に、
その芽が噴出してくる。

第2,360号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -60-

 

人生は目の前にいろいろな”出来事(現象)”が起き、
私達を、
その都度、
惑わせ、
迷わせ,
多くは困難・苦難という”試練”だけを残していく。
でも、
良く考えてみると、
そんな”出来事(現象)”もいつの間にか、
記憶の中にさえ残らぬように、
脳裏から消えていき、
『あぁ~そんなこともあったなぁ~』と、
その辛さや苦しみさえも、
回想させてしまような強さを持つものがある。
それは・・・・「時間」だ。

人生でいつも右肩上がりで、
上手くいくことなど僅かしかない。
苦しさから這い上がるにも、
この世の中にⅤ字回復などという現象は存在しない。
いつも、
瞬間瞬間に小さな行動を積み重ねていく以外に、
困難・苦難は突破できない。

困難・苦難が来たら、
そこから抜け出そうと考える前に、
まずは、
自分の足元を見据え、
自分自身と向き合いながら、
自分を振り返ってみることだ。
どこかに必ず、
いま目の前に起きている”出来事(現象)”の
「因」となることがあるはずだ。

お釈迦様の教えに
「諸法無我(しょほうむが)」という言葉がある。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と並ぶ教えの言葉で、
この世のすべてのものは繋がり合っているという意味だが、
目の前に起こる”出来事(現象)”もまたこれに通ずる。

目の前に起こる”出来事(現象)”は必ず、
過去の己の行動が何らかの「因」としてあるということ。
これをしっかりと、
心に留めておくことこそ、

「因」に”心”持ちて《恩》を知り得る・・・・となる。

辛く厳しい今を何とかして、
未来を良い方向に変えていきたいのなら、
まず、
この心構えがを忘れないことだ。

 

第2,359号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -59-

 

『幸せになりたい!』
誰もが抱く人生で目指すところかもしれない。
今日は、
そんな目指すところをいつも意識している人へ!

私の友人で、
古いゴルフクラブを大切に使っている人がいる。
いつもゴルフで一緒になると、
『いいクラブだねぇ~!』
こう彼に言うと、
『ありがとう。
このクラブは死んだ親父の形見なんだよぉ~!』
いつも彼はこう応えるだけ。
ブランドがどこで、
いくらしたとか、
そういうことは一切口にしない。

そんなクラブは、
1本1本がいつも綺麗に磨き込まれ。
まるで、
キャディバックの中で輝いているように見える。

モノの価値のない時代になり、
その価値の受け止め方が人それぞれになっている今の時代。
『私にとって何よりも価値のあるもの。
だからいつも手入れをして大切にしているんだ!』
キャディーバッグの中のクラブの輝きは、
そう囁いているように聞こえた。
新しくて、
有名ブランで、
高価なゴルフクラブもそれはそれで価値があるのだろうが、
長い時間を共に過ごし、
大切に扱ってきたものは、
どんな高価なものより
彼自身にその価値を感じさせてくれているのだろう。

彼はこうも言っていた。
『最初はね、ゴルフを始めた時に親父から、
最初は私のお古で良いよなといわれて手渡された。
初めてのラウンドの時は、
どこかで恥ずかしさを感じていたほどだ。
でも・・・
永く付き合っていると手放せないモノになったんだ』と。

どこか人の付き合いも同じような気がした。
最初は、
付き合いにくそうな人。
最初は、
気難しそうな人。
最初は、
自分と意見の合わなかった人。
10年以上も過ぎていくと、
なぜか、
そういう人だけが自分の周りに残っている。

人生もビジネスも、
人間関係もその”真の価値”は、
最初に目指すところとは全く異なった別のところに
その”本質的”なものが待ち構えているのかもしれない。
それに出逢うためには、
先を描かないことだ。
人生は成るようにしか成らないし、
成らぬものは、
絶対に成らないようにできている。

第2,358号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「未来はチョッとしたことで変えられる」 -58-

 

世のため人のため、
サービス業ではお客様のためにとか、
お役立ちとか口では軽く言う人がいるけど、
そういう人に限って、
人の”在り方”どこえやら?
他人に優しい言葉をかけ、
満面の笑顔で接して、
態度は明るく元気に!
そうすれば、
相手は元より、
自分自身も明るく元気になれる。

私はこういう言葉を全く信じていない。
表面的には明るく、
優しそうに接してきても、
いざとなると、
自分本位で、
自分が受けた恩などどこ吹く風。

言葉は嘘つき。
表情は仮面。
態度は演技。
これが本性かもしれない。

誰かのためにとか、
誰かのお役立ちという人間ほど、
自分のことしか考えていない。

だから何事も表面(現象)に惑わされないことだ。

「おもてなし」
一時期はやった言葉だけど、
この本質は、
”表も裏もあってはならない”ということ。
つまりは”素”の自分が大切だということ。
私達の行動は、
全てが”自分のため”。
それは損得の私欲の中にあるのではなく、
自分自身が誇れる行動をとっているか否かということ。
相手がどう受け取るかは相手の問題で、
それを、
最初っから、
相手の受け止め方を計算するような行動は、
私欲の何物でもない。

サービス業で、
お客様からご評価を受けたいのなら、
そういう欲を捨てて、
無我夢中でやることに取組むことだ。
人間というのは電話1本、メール1本で判る。
その返信の有る無し、
いつ返事を返しているか?
途中報告を入れているか?
そんなことで、
その人間の真意が測られる。
そして、
一人ひとりの未来は、
そんな小さなことからしか変わってこない。