第3,085号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -28-

 

”受け応え”の大切さは、何もお客様だけに対してではない。

特にビジネス組織の中で管理職とかリーダーとか、

立場に権限を有している人はこの”受け応え”をしっかり意志気(意識)してやらないと、

部下からの信頼を失うことになる。

期限はいつまでなのか?

どのレベルまでやれば良いのか?

どこまでを自分の判断で決めて良いのか?

自分の責務はどこまでか?

こうしたことは支持を受けた部下にしてみれば、しっかりと確認しておきたいことばかり。

それが・・・・

『お前の好きなようにやって良いよ!』

『まぁ~常識で判断して!』などと、曖昧な”受け応え“をしている管理職やリーダーに限って、

コトの後に、

『そこまでやれとは言ってないだろぉ~』

『考えれば判ることだろぉ~』と責任を全て吹っ掛けてくる。

これは同僚間の横の関係も同じ。

お取引先となれば、もっと重要な意味を持ってくる。

『解りましたぁ~。それでは来週の月曜日に連絡させていただきます!』といっておきながら、

火曜日になっても連絡が無いので、

こちらから催促の連絡をするようなことが、時々起こるところとは縁を持たない方が良い。

いま企業の人事教育でも、

マナー研修などで電話のかけ方などは教えて、

言葉使いも丁寧だけど、

こういうことが全く教えられていないところが多くある。

いつよお話ししているが「仕事は武道」。

「武道」は結果よりもそれに向き合う姿勢(心)が問われる。

これは私が抜刀術の中で学んだことだか「健心・無心・残心」。

特に最後の「残心(ざんしん)」とは事の最後にあたる姿勢のことで、ビジネスでいうなら“詰め”を指す。

これを疎かにするとそれまでのこと全てがその意味も価値をも失うことになる。

私達の考える“相手”というのは常に「自分の中」に在ることを忘れぬことである。

第3,084号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -27-

 

誰に対しても史実な”受け応え”のできる人は、
仕事上でのトラブルも少なく、
たとえ起きても、
それをチャンスに変える力を生み出せている。

“正しい受け応え”ではなく「忠実(誠実』な受け応え」ここを間違えないように!
サービス業関係で45年生きてきたが、
仕事上でのトラブルが起きるのは、
ほとんどが”最初の人の対応のまずさ”がことを大きくしている。
お客様の質問やクレームに対して、
その場逃れのいい加減な”受け応え”が原因。
私は”クレーム”に対していつもこう話している。
「”クレーム”で初めっから怒ってくる人はごくわずかしかいない。
ほとんどは、
買った商品の状態や使い勝手や、
使い方についてお尋ねになっているだけのことが多い。
それを最初に受けた人の対応で”クレーム”に変化させてしまっているコトがほとんである」・・・・・と。

ラーメン屋さんに入って、
味噌ラーメンを注文して間違って塩ラーメンが来ても、
『こんなもん頼んでねぇー!』いきなり怒鳴る人は少ない。
『あのぉ~塩じゃなくて味噌頼んだんですけどぉ~』
これを・・・・
『えっ?塩って仰いましたよ!』というからクレームになる。
『申し訳ございません!直ぐに作り直します!』といえば、
まぁ~90%の人は、
『あぁ~これで良いですよ』といってくれる。

こういう”受け応え”の姿勢は、
日頃の生活習慣から出てしまうもので、
いくらトレーニングをしても、
つい、
日頃の癖がでてしまい改善できない人が多くいる。

行動心理学から言うなら、こういう人というのは“お客様を意識しすぎる”から。

仕事はお客様というお相手が存在しているので、お客様に求められるレベルでやらなければと気負い過ぎるあまりに自分を見失い演技になる。

演技になると表面的なことしか追い求めなくなる。

そもそも「仕事」をする上での相手とは、

上司でもなければお客様でもなく自分自身であるという原理原則を理解しなくてはいけない。

第3,083号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -26-

 

私達が感情の生き物である以上、
どうしても”感情”に振り回されてしまう。
その振回されている瞬間は、
全くその事実を客観視できないが、
一呼吸おくと、
『あぁ~いけないいけない、イライラしても始まらない!』と、
そんな自分を客観視することが出来る。
つまり、
客観的に観察できるということは、
そのイライラしている自分は自分ではないということ。
ところがイライラしている瞬間はこれが出来ない。
それは”感情”という魔物に振りまわされているから。
いつも冷静に自分をモニター出来るなら苦労はしない。

一呼吸おいてからでも良いから、
自分をモニターして観察することをお勧めする。
この行動そのものが私達の”感情”を唯一、
コントロールする「意志力」というものを育成していく。

「意志力」とは、
”意図することを志を持って取組む姿勢”のこと。
仕事で上司に言われたから、
会社の決め事だからやらなければいけないことなども、
そのまま聴き入れて、
いわれたことだけをするのではなく。
一度、
自分の”意志気(意識)”の中に落し込んでみる。
『なんでこれが必要なのだろうか?』
『これをやるとどういう可能が生まれるのだろうか?』とか、
自分の思考の中に落し込んでいく。
これをやらないで、
『やらないと評価に影響するから・・・・』
『お客様に喜んでいただけないから・・・』と、
ただ言われたことをやっていても、
そういう姿勢は、
必ずなし崩しになっていつかやらなくなっていく。

第3,082号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -25-

 

「気さくな人」になるには”やれることをやる”。
”やれることをやる”には、
これだけは必要になる。
それは”やる!”という「意志力」である。

人は感情の生き物。
目の前に起きた”出来事(現象)”を、
どう受け止めるかは、
自分の感情に大きな影響を及ぼすことになる。
仕事や人間関係が上手くいかないと感じている時は、
ついつい苛立ちも生まれ、
自分以外の人にきつくあたったり、
一つのことに集中できなくなってしまうことが多くある。
その上、
私達は自分を客観的に見ることが不可能だから、
少し時間をおかないと、
この自分の感情に気付けることが少ない。
そして、
この気付けない感情は、
気付けないのだから、
コントロール不可能なまま、
そのまま思考となってつながり、
やがて行動へとつながっていってしまう。

だから少し時間をおいて冷静になった時、
『ごめんそんなつもりじゃなかったんだぁ~』と、
過去の自分の行動を悔やむことが出てくる。

周囲の人との”受け応え”や、
目の前の”出来事(現象)”の受け止めを
「意志気(意識)」して行うことは、
このコントロールできない感情をコントロールすることにつながっていく。

「意志気(意識)」は感情からは生まれない。
「意志気(意識)」は右脳を使って生まれる。
右脳を多用すると”悩み”は「課題」に変える可能が生まれる。

第3,081号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -24-

 

「気さくな人」というのは、
言い換えるなら”素の人”かもしれない。
誰に対しても、
気取ったり構えたりしない。
周囲の人がそんな印象を持ってくれたら、
自分のペースでコトに向き合える。
例えば、
盛り上がっている宴席で、
静かに席を離れても”自然”だから、
周囲の人が『空気の読めない奴だなぁ~』と、
眉をひそめることもない。
同じことを、
普段から自分を売り込んでいるような人や、
他人に気を使い過ぎるような人がやったどうだろう?
自分の行動が、
周囲の人がどう感じているのかとか、
自分がいない時にどんな話が出るのか気になって、
結局は、
「自分は自分 他人は他人」とはいかなくなってしまう。

挨拶には挨拶で、
笑顔には笑顔で、
悩みがあったら素直に語り、
相談事は親身になって受け止め、
”やれること”はしっかりとやる。
無視する人は気にすることもない。
自分とは無関係な人なのだから。
頼まれない限りは、
こちらから作り笑顔で近づく必要も無い。
人間関係はそれだけで十分だ。

第3,080号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -23-

 

なんども言うが、
「気さくな人」とは調子の良い人とか飾りのない人。
誰とでも気楽に話をしてくれる人というようなものとは別物。
調子の良い人というのは、
一見すると、
物腰も柔らかく、
いつもにこやかだ、
口調もやさしく穏やかに聞こえるが、
話をしていると、
自分のことばかり、
自分の得意な分野に話題を持ち込もうとしたり、
どこか上から目線で、
自分の”価値”を押し付けてこようとする。
私の伝えさせていただいている「気さくな人」とは、
そういう人のことではない。
控えめで目立たない存在だけど、
こちらの挨拶や問いかけには丁寧に応えてくれる人のこと。

こういう人は、
まず他人との争いが少ない。
なぜなら、
他人と比べることもしないし、
他人と競い合うこともないから。
いつも”マイペース”で、
「自分は自分 他人は他人」を心得ている人といえる。
この歳になってもこういう人は憧れるなぁ~。

第3,079号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -22-

 

『どうも私は口下手でぇ~』
『私は無口でねぇ~』
『どうも人付き合いは苦手でぇ~』
こう口にする人でも「気さくな人」には誰でもなれる。
私の受講生の中にもいる。
どちらかというと無口で、
テンポの速いやり取りは苦手。
自分から話題を提供することもまずない。
でも彼は「気さくな良い奴」だ!

なぜなら、
”やれること”をしっかりと”やる”から。
メールを出せば必ず返信が来る。
電話をかければ必ず返しの電話をかけてくる。
呑み会やゴルフに誘っても、
参加できない時は、
こちらが求めていなくても、
必ず早めに理由と断りの連絡が来る。

ビジネス組織の中では、
管理職は必要以上にこの基本的なことがやれないと終わりだ。
部下からの質問や意見には必ずフィードバックをする。
別にニコニコ笑顔を振りまきながらしなくても良い。
必要なら書面にして返してくれる。
そこには簡単なアドバイスも織り込まれていたり、
上司からこんな丁寧な受け答えをしてくれたら、
こういう「気さくな人」に部下は格別な印象を持つ。

第3,078号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -21-

 

”コミュニケーション”にコツは無い。
言い換えるなら、
特別なことはやる必要は無いということ。
もっと解り易くいうなら、
「誰に対してもキチンと受け応えをする」これだけのことだ。
挨拶をされたら挨拶を返す。
約束は守る。
メールや電話は必ず返信する。
誰かに誘われたら必ず回答を返す。
最近はこういうことさえ”やれない”大人が多くいる。
グループ内のゴルフや呑み会に声をかけても、
返事すらしてこない。
参加できないならできないで、
その事情をしっかりと伝えるだけのことなのに、
それすら”やらない”。
まぁ~、
こういう人間に”仕事ができる”といわれるような人間は少ない。
だいたい詰めが甘く、
小手先だけの仕事への対応がほとんどだ。
だから何かを指示したりお願いしても、
ところどころチェックしていかないと、
『あっ!まだですぅ~・・・』
なんて応えが返ってくることがしばしばある。

よく言われるところの「気さくな人」とは、
調子が良くて、
誰とでも仲良くなれる人のことではなく、
自分の言動を飾らず、
気取りが無く、
在りのままの自分を正直に出す外連味の無い人をいう。
だから、
誘われても行けないときは「行けない!」。
行きたくない時は「行きたくない!」と正直に伝えてくる。
こういう基本的なことをしっかりとやる人のことを、
本来、「気さくな人」という。

第3,077号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -20-

 

”コミュニケーション”を、
他人と仲良くすることと勘違いさえしなければ、
難しく考えることも無くなる。
複雑なことや機微に触れるようなことも少なくなる。
なぜなら、
人間関係はそれこそ相手の数だけ、
さまざまな変化や対応が必要になってしまうから。
それぞれのケースに応じた対応を考えていたら、
それこそたいへんなことになってしまう。
まずは広く浅く”関係”を結ぶことだけを考え、
その後は、
お互いの思考や行動が、
それぞれに相手に対して必要と感じられれば、
親密な「関係性」へと発展していくだろうし、
チョッとした行動を見ていれば、
『この人は永く付き合う必要はないなぁ~!』と直ぐに判る。
そういう人とは少しづつ少しづつ離れていけば良い。

もしそんな”必要性を感じない人”が上司としていたら・・・?
職場の中ではこういうことが一番の”悩み”のようだが、
簡単だ!
相手は見ないで自分だけに目線を向けていればよい。
つまり、
挨拶、礼儀礼節、時間管理、健康管理・・・、
こうした基本的なことを後ろ指をさされないように、
誰もがやらないくらいにきちんと”やる!”だけ。
そういう姿は必ず誰かが見ていてくれる。

第3,076号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「比べず・競わず・争わず」に自分を磨く! -19-

 

他人と「比べず・競わず・争わず」にというと、
他人との関りを少なくしろと受け取る人がいるが、
間違っても、
そんなことをここで伝えさせていただいているわけではない。
自分以外の様々な人と、
「関係性(信頼)」は築いていかなくてはならない。
つまり”コミュニケーション能力”はしっかりと身に付けていないといけないということ。
でもこの”コミュニケーション”も、
周囲の人と仲良くすることと勘違いしている人も多い。
自分を取り巻く全ての他人と上手くやろうなどとは考えないことだ。
そんな能力を持つ人はこの世にいない。
”コミュニケーション”とは、
自分と向き合う相手との乖離を調整する能力のことだが、
他人に合わせて”善い人を演じて、
”自分を見失っては元も子もなくなる。
もう一つは、
”コミュニケーション”という考えの中にも
「他人」という存在を要れないことだ。
つまり、
他人と上手くやろうと考えるなら、
他人を変えようなどと思わないこと。
他人を変えることなど不可能なことなのだから。
最初っから、
他人は蚊帳の外において考えることである。
そう!
「目線は常に”自分”」に置いて、
”全ては自分”という本質を忘れないこと。
これもなにも偉くなれとか、
憧れの存在になれ、
他の人から見て手本になるような人になれとかいうのではない。

これも「やれること」をやればよいだけのこと。
明日はそのあたりを具体的に!