第2,932号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -52ー

 

私は顧問先の新入社員には、
『いつでも会社を辞める”覚悟”を持て!』と指導している。
これは別に、
入社したばかりの人に転職を進めているわけではない。

いつだったか?
比叡山延暦寺の大僧正に教えられた言葉。
「”生きる”ということは”死”を意識して過ごすこと!」
この言葉の意味は、
”いつ死んでも悔いの無いように、
毎日毎日、
目の前の瞬間瞬間を懸命に生きなさい!”という意味。
仕事をする上でも同じことがいえる。

会社という組織にしがみついて、
明日の糧だけを得るために仕事に向き合うのではなく、
”いつ辞めても悔いはない!”
そのぐらいの意志気(意識)を持って取組みなさいということ。
転職をすると時に、
一番いけないのは「逃げること!」だ。
今の会社の待遇がヤダから。
今の会社の考え方嫌だから・・・・。
この”嫌・嫌”基準で、
その場から離れたい一心で、
会社を辞めるようなこととは全く意味が違う。

仮に、
入社した会社が、
自分が考えていたようなところではなかったとする。
それはそれ、
それ自体は会社の問題で、
君自身とは全く無関係。
それにそんな会社を選択して入社したの君自身の意志。
とはいっても・・・・
我慢できないようなことを、
我慢してまで勤務する必要は無い。
重要なことは、
そういう時に至った時、
自分には”何がやれるのか?”を明確にしておくことである。
知識や技術もは元より、

それまでの自分自身に、
胸を張って誇れるところがあるか?
今までに、
誰にも負けなと自負するモノが身に付いているか?
「会社を辞める”覚悟”を持つ!」とはそういうことである。

「目指すは今より“良い会社”!」なんて転職サイトのCMがあるが、そんな会社は存在しない!

第2,931号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -51ー

 

よほどのことが無い限り、
社会に出て厳しい指摘を受けることは無い。
私だって、
未だに、
『あぁ~あの時は課長がさり気なく注意をしてくれたんだぁ~』
『どうしてあんなことをしてしまったのか?』と、
反省することは山ほど出てくる。
大切なことは、
その後の行動だ。
いつも言っているけど、
”過去の出来事は変えられないが、
今をどう生きるかでその「意味付け」は大きく変えられる!”。

それともう一つ。
一昨日からブログでお話ししている”クレーム”。
この”クレーム”というのは、
むしろチャンスととらえた方が良い。
自分でも申し訳ないことをした、
自分の不注意からそうなったことを認識できているなら、
相手の胸に飛び込んでい行くことだ。
そうした”素の行動”は、
相手との距離を縮めてくれる可能性が大きくある。
”クレーム対応”を小手先で取組まないことだ。
この対応は、
苦労を伴い、
面倒なことだらけが続くが、
だからこそ、
大切に向き合うことが必要になってくる。

ところが、
こういう時に、
保身に走り、
問題の渦の中に飛び込むことを躊躇してしまう人が多くいる。
でも、
そうしたことは長引けば長引くほど、
厄介なものへと急変していく。

誰だって失敗はある。
誰だって思い込みはある。
そのこと自体を責める人は少ないが、
その後の対応で、
己の保身だけ考えるような対応をすると、
周囲の人は一斉に牙をむきだすことがある。
あの日大の対応も、
今日のレオパレス21の対応も・・・。
共に、
「事後、直ちに!」という、
最優先事項を怠ったばかりに、
大きな代償を支払うことになった。

”素”になって対応する。
この姿勢を忘れないことだ。
それが私達を成長に導き、
新しい自分発見の糸口となっていく。

第2,930号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -50ー

 

クレームを言って来られないお客様。
そういう方々は、
他のところで、
こちらの問題点を暴露して歩くだけではなく、
もっと怖いことが起こってくる。

それは・・・・、
働いている私達が、
私達自身の”問題”に気付けないまま、
脳が麻痺していくことだ。

上場企業の中にも、
こういうところがたくさんある。
例えば、
あるコンビニのフォームページや宣伝ポスターを見ると、
「何かありましたら、
いつでも何なりと”お客様相談室”までお電話ください!」
最初は、
『コンビニでもここまでやるようになったんだぁ~』と、
感心すらしたが、
実は、
とても腹の立つある出来事が起こり、
店舗のスタッフに言ってもらちがあかないので、
そのお客様相談室とやらに電話を入れる、
『お電話ありがとうございます。
本日の業務は終了いたしました。
またのご連絡をお待ち申し上げております!』
こんなアナウンスがでて、
さらに怒りは急上昇。
そりゃぁ~そうでしょう?
だって、
”いつでも何なりと・・・”と明記してあるし、
そもそもお店は24H営業でやってるいるのに・・・・。
顧客を小ばかにしているのにもほどがる。

これはもう、
経営者の”脳みそ”が完全にマヒしている状態。
ちなみに、
翌日、
毛筆で代表取締役当てにお手紙を出させていただいたが、
全く無しのつぶて・・・・で、それっきり。

もうあれから5年。
その後、
よほど、
どこにもお店がないというような時以外は、
二度とこのコンビニF店を利用したことは無い。
そして、
いつもセミナーや講演で話してしまう(笑。

つまり・・・
”クレーム”そのものを起こすことが問題なのではない。
誰だって間違いやミスはある。
大切なのは、
それを指摘された時の対応姿勢だ。

第2,929号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -49ー

 

 

デパートマンの頃や、
Mcの店長時代には、
直接、
お客様と接する機会が多いから、
クレームを言われるお客様にも大小何百タイプと出逢えた(笑。
クレームを下さるお客様には心から感謝した方が良い。

”クレーマー”という言葉があるが、
ただ意見を言って来られる方は、
その内容が、
こちらへのご指摘であれ、
ご不満であれ、
これは”クレーマー”とは呼ばない。
”クレーマー”とは、
自分の意見や気持ちを申し出ることで、
予め金品やそれに類するものを、
意図的に求める姿勢がある利用客のことを指す。

それ以外は、
どんな言い方だろうが、
どんな怖そうな表情で怒鳴り込まれようと、
君にとっては全ての人が”先生”。
多くの人は、
なかなか文句を言ってはくださらない。
他人に怒りをぶつけるということは、
大きなエネルギーの損失になり、
後味だって良いわけがない。

だから多くの人は、
怒ることを避けてくる。
こちらの多少のミスは見て見ぬ振り。
これが怖い。
なにも言って来られないお客様は、
二度と来店されないだけではない。
特にこのSNSの時代には、
FacebookやTwitterでとことん叩いてくる。
または友人や隣近所の人にまで、
その鬱憤を晴らそうと喋り捲る。

そしてもう一つ。
もっと怖いことがある。

第2,928号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -48ー

 

新入社員の頃は”失敗”は山ほど経験する。
『なんでこんなことまで言われなきゃならないんだぁ~?』と、
理不尽とさえ思えるようなことも多くあるだろう。
”失敗”をして、
上司からお小言いただいたら、
せっかくいただくんだから、
それを活かさなきゃ損だ。

”仕敗”は誰でもすること。
”仕敗”をすること自体はそれほど大した問題ではない。
問題は、
その”失敗”という経験を活かせないことだ。

私の受講生の中にもいる。
気持ちの良い人間で、
一言でいうと”優しい良い人”というイメージがピッタリ。
酒を酌み交わしたり、
ゴルフをする分には全く問題の無い、
すこぶる楽しく”良い奴”なんだが、
事、
ビジネスやそれに類することになると、
”気”が利かないというか?
間が抜けているというか?
一言でいうなら”マメな人間”ではない。
連絡一つとっても、
いつもこちらからしないとしてこない。
いわゆる、
「報告・連絡・相談」というのが、
全くタイミングがズレて行うタイプ。
だから上にいる役職の人も、
重要な役目を与えるのに躊躇する。

こういう人は、
自分の”失敗”という現象を、
たんに”現象”としてしかとらえていないから、
叱られたりすると、
その時だけはシュンとなるが、
のど元過ぎれば何とかで、
直ぐに忘れてしまう。

全ての物事には、
「要因と原因」が存在している。
これは「真理=”原理原則”」なのに、
その「真理」を無視するかのように生きているから、
手の中に「獲った!」と思う成果も、
いつの間にか指の間から零れ落ちて無くなってしまう。

”失敗”はいくらしても良いが、
同じことは2度しないこと。
そしてそれを「活かす」こと。
これを忘れたらビジネスマンとしては失格だ。

第2,927号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -47ー

 

趣味でも、
それに真剣に向き合って深めていけば、
”偽物”と「本物」が見えてくる。

つまりはこういうことだ。
仕事とでは、
難しい案件に取組む時、
数多くの資料を読み、
経験者に教えを請い、
さまざまなデータとにらめっこしながら、
これでもかというくらいに、
自分の周囲を固め挑んでいく。
でも、
それだけでは足りないことがおおくある。
理論的には正しいように感じても、
どこかで、
引っかかるものがある。
なんとなく。
ただ、
”何となく”という感覚だけど、
こういうものの存在が気になりだすと、
コトはスムースに進まなくなっていく。

こういう感性というか、
嗅覚というか、
第六感というようなものは、
誰かに教えられて身に付けるものではない。
どんなことでもよいから、
自分自身が真剣に向き合えるモノやコト。
こういうモノやコトからしか「在り方」を得ることは難しい。

そして、
そういう経験は、
時に、
異次元に近い経験さえもさせてくれることがあり、
日常を超えた、
価値あるものの存在を教えてくれたりもする。

休日には、
仕事を離れ、
自分がのめり込めるような何かを見つけることだ。

第2,926号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -46ー

 

”概念”と「本質」の違いを知る。
言い換えるなら、
”偽物”と「本物」の違いを知ることだ。
趣味でも、
その取組み方によってはその違いを知ることが可能だ。

私の今の趣味はゴルフ。
初めてようやく10年程度。
最初のころは大嫌いだったゴルフが、
今ではもう私の身体の一部のような存在になっている。
セミナーの話のネタも、
大げさに言うなら、
人生での向き合い方も、
全てはいま、
ゴルフから学んでいるともいえる。

最初はスコアが気になり、
「何とか100切りを!」・・・これだけが目標だったゴルフ。
はじめた頃は、
『先生はゴルフがお好きなんですねぇ~!』
これだけが支えで、
スコアは全くついてきてくれない。
今でも決してうまい方とはいえないが、
ゴルフに取組ながら、
仕事の目標設定も変わってきた。
ゴルフをやりながら、
人を見る目も養われてきた。
だんだんと、
スコアよりも、
その取組み方を重んじるようになり、
”結果オーライ”が嬉しくなくなっていく。
”結果オーライ”とは
ミスショットをしても
結果としてピンそばに付けたような状態のことで、
スコアには良い影響を与えてくれるが、
これを望んでいる内は腕前は上達しない。
だいたい人生に”結果オーライ”などという現象は存在しない。
その”結果”を、
自分自身がどう受け止めて、
次のショットに挑むかが重要になる。

アマチュアのへたくそゴルファーでも、
真剣にそれに取組んでいると、
”偽物”には無い何かを「本物」は教えてくれる。
そういう意味からも、
没頭する趣味を持つことだ!

第2,925号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -45ー

 

新入社員の諸君はいま、
休日はどのように過ごしている?
疲れ果てて寝ころんだ休日?
休みの前の夜には呑み過ぎて、
二日酔いの休日かな?
まぁ~、
たまにはそういう日もあっても良い。
でも、
サラリーマンにとってこの休日というのは、
日々の休憩時間と同じく、
実は拘束された中に存在していることを理解することだ。
休憩時間を自由時間と勘違いして、
「休憩時間は何をしても良い!」と思い込んでいる人は意外と多くいる。
”休憩時間”というのは自由時間ではない。
これまでの疲れをいやし、
反省をしながら後半に備える時間で、
本質的には”拘束時間”に他ならない。
休日もこの意味からいえば、
その”本質”に変わりはない。

なら!、
この休憩時間や休日をもっともっと有効的に活用した方が良い。
大切なことは、
「さぁ~!また明日からやるぞ!」という意志気(意識)を生み出させてくれる時間にしなくてはならないということ。
家族と過ごすのも良い。
でも、
お子さんをつれて遊園地に行ったのは良いが、
自分はベンチで転寝では意味が無い。
趣味のゴルフやサーフィンをやるのも良い。
でも、
会社で仕掛中の面倒な案件が気になり、
目の前のことに集中できないでいるのは問題だ。
だんだんと疲れ果てて、
思考はグルグルと堂々巡りを繰り返すだけ。
どんどんと袋小路に追い込まれていく。
”趣味”というのは、
単に好きなことではなく、
それを極めていくことで、
”概念”と「本質」の違いも見えてくる。

こんなことも、
新入社員の時代にしっかりと意志気(意識)の中に埋め込んでおくと良い。

第2,924号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -44ー

 

こんな経験がある。
パチンコ業界での私の顧問先。
私が幹部月例会議にオブザーバーとして参加した時のこと。
内容は、
わずかに下がり始めた集客を取戻すために何をすべきか?
これが会議の中心議案だった。
会議の大勢は概ね決まりかけ、
社長も役員も意見が出尽くした時、
参加メンバーの中で最も若いT店長が静かに手を挙げた。
会議の参加者の中では、
最も若い店長で経験も浅い。
そんなT店長が、
もぞもぞと話し始めた。
『今日議論された検討内容に
異議を申し述べるつもりはありません。(だったら黙ってろ!というような眼差しで他の参加者が見つめる中)』
彼はゆっくりと、
流暢さも何もなく、
もぞもぞと話し始めた。
『いろいろご意見が出され、
その一つひとつにもっともだと感じ言っています。
でも・・・・・』
この「でも・・・」の後が彼の「本心」だった。
『皆さんは・・・特に、
特に、役員の方はどれだけ現場を見られていますか?
他社の動きが気になるのも解りますが、
問題は自社のホールの中で起きていると思うんですが・・・・』
そんな彼の話を、
居並ぶ役員は黙って聞き入っていた。
しばらくやり取りがあった後、
社長がこう一言。
『君の言うことはよぉ~く解った。
もう一度、現場の面々を加えて再考しよう!』

私はこの成り行きを聴いていて、
胸が熱くなるのを覚えたことを忘れない。
決っして話の上手いわけではないT店長。
その彼が、
これまで毎日1時間早く出社して、
店舗前のクレンリネスに取組んで来たことを、
私は知っていたから。
そして、
この会社の業界では珍しく、
店舗に出て、
お客様の行動をしっかりと追いかけていた姿を私は知っているから・・・。

話し方というのは、
流暢で上手いと思われるに越したことはない。
でも、
大切なことは、
その人の日頃の行動だ。
例え、話下手でも、
その人の日々の行動が、
しっかりと自分の足元見据えて取組まれていれば、
見ている人は見ているということ。

そんなT店長も、
今は同社の常務として、
全社員の前で堂々と話せる姿になっている。

 

第2,923号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -43-

 

今日は”会話(話し方)”のお話し。
私は話すことが本業。
何とか今では、
何千人の間でも話すことに躊躇しなくはなったが、
その昔はあがり症で、
朝礼などで話すように指示されると、
前の晩から気になって寝付けないほどだった。
私が人生の先輩と仰ぎ尊敬する人のお一人に、
日本話し方センターの元社長さんの女性がおられるが、
この方のクラスに参加させていただいたこともある。
私の経験からいうと、
どんな”話し方”が良い悪いではなく、
その時々に応じた話し方の対応が必要ということ。
ビジネスの社会なら決論から話す。
これはもう鉄則といえる。
ところが、
”起承転結”で、
次はどうなるのだろうか?という期待を持たせながら話さなくてはならない時もある。
経験上からいうなら、
話が長くなって行く人というのは、
その話の内容を自分自身が良く理解していないことが多くある。
こんな時は、
話を伝えたい人の前に行く前に、
自分が何を話したいのかを箇条書きにして書き出すことだ。
いくつも出てくるだろうが、
その中で何が最も重要で、
何を一番に伝えたいかを考えること。
そうすると、
本質的な問題と派生的な問題とが区別出来てくる。
ビジネスの世界なら、
まずは派生的な問題は切り捨てていく。
こうすることで、
話したいことの整理が成されていく。
実際に話す時には、
本質的な問題を語る時には、
表情とか動作を加えることでより伝わりやすくなる。
後は、
場数を踏むことだ。

でも永年の経験からいうと、
言葉というのはそれそのもの自体に力があるわけではなく、
それを語る人の意志気(意識)が相手にどう伝わっているか?

そこに「言霊」というものが乗り移ってくる。
これが重要になってくる。
大切なことは、
自分自身が「〇〇を伝えよう!」という意志力だ。
その意志気(意識)だけが、
言葉や表情、態度というものを誘導してくれる。