第2,689号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -30-

 

良くこういうことを言う人がいる。
『身の回りの環境を変えれば”気分”も変えられる!』と。
確かに、
一時的にそういう効果は期待できる。
例えば、
会議に出ていたり、
研修を受けている時に、
もうどうしようもなくつまらなくなって、
眠気さえ襲ってくるような時、
チョッと、
トイレに行って、
顔を洗ってくるだけで、
一時的な”気分”転換にはなる。
でも、
直ぐにまた、
同じような状況下に押し戻されていく。
こういう経験は誰もがしているはず。
こういうことは、
根本的な解決には全くならない。

ではどうすればよいのか?
私も同じような経験が数多くあった。
そんな時は、
メモの取り方を変えたりしたものだ。
ただ、
会議の内容や、
研修での講師の話をメモするだけではなく、
文字だけで記していたメモにイラストを入れてみたり、
マーカーで色を付けてみたり。
そんな工夫をしていたら、
皆さんもよくご存じの、
あの”マインドマップ”のようになっていたこともある。
ちなみに、
私は”マインドマップ”の手法を一度も学んだことは無い。
それから、
こんなこともあった。
ある研修で、
講師の方の話を聞きながら、
『私ならここはこう語るかな?』と、
全て、
講師の方の言葉を
自分流に変えて記録した(失礼しました)こともある。
これは、
後に、
私の今の仕事の大きな資料の一つになった。

そう!
眠い会議は眠い!
つまらない研修はつまらないのだ。
でも、
その時間だけは、
自分でいかようにも使えるということ。
眠いのを我慢したり、
前向きな自分を演じたりしていると、
研修や会議の話を聞くのが目的ではなく、
いつの間にか、
眠いのを我慢したり、
前向きな自分を演じたりすることが目的になっていく。
人は、
こういうところで、
自分という本来の姿を失っていく。

第2,688号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -29-

 

いつも言っているけど、
私達は”感情の動物”だけど、
その「感情」はコントロールできない。
だから、
いくら、
前向きな言葉を、
呪文のように唱えたところで、
思考そのものが、
”前向き”にはならないということ。
『何も感じないでいよう!』といって、
目の前の出来事(現象)を、
無感情でとらえることができますか?
それは無理なことなんです。

そして、
感情によって、
私達は次の”思考”が決められるが。
この”思考”もまた、
コントロールすることは不可能。
『何も考えないようにしよう!』といったところで、
”考えないように!”とすでに考えている自分がいる。

だから、
前向きにとか、
思いやりを持ってとか、
誰かのお役立ちののためにとか、
そんなことは、
実はいくら”思考”を働かせたところで、
表面的な演技にしか過ぎないということ。
行動を起こしたくても起こせない人、
行動を起こしても継続できない人というのは、
こういう現象に惑わされて動かされているから、
行動を起こせないでいるし、
起こしたところで、
継続性に欠けることになる。

大切なことは、
これももう聞き飽きたと思うが、
”やれることだけを無我夢中にやる!”
これしかない。

 

第2,687号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -28-

 

行動を起こせる人も、
行動を起こせない人も、
いってみれば、
全てはその時の”気分次第”。

この「気分」というのはどこから来ているのか?
ある人は、
それは、
言葉や表情、
態度を変えれば”気分”も変わるという。
中には、
ワクワク思考が大切とか言って、
楽しい遠足の前の”気分”を思い出し、
そういう思考になれば、
自然とワクワク感が高まり、
自分を動かす思考法になるなどと、
訳の判らぬことを言う人もいる。

そりゃぁ~、
ゴルフに行く前の日はワクワクするけど、
仕事は、
ゴルフとは違う。
大切なことは、
そんな簡単にワクワク感が高まるような話ではなく、
仕事を、
まるで楽しいゴルフと同じように
受け止められるようにするには
どうすれば良いかということ。

「気分」・・・。
つまりは、
「気」を”分”けないことだ。
”気を分ける”とは、
気を散らすと同じこと。
行動を起こせないでいる人は、
いつも、
自分がどれだけ、
目の前の事に無我夢中で熱中しているのか
検証することである。
何かをやりながら、
また別のことに”気”をとられて、
いるようなことがないか?
課長からの指示で動いていると、
部長の指示が出て、
慌てふためいているような自分がいないか?
そういうことを振り返ってみることである。

私の意識改革セミナーでは、
そういう体感を実際に経験してもらっているが、
多くの人が、
自分では集中しているようで、
目の前のことに振り回され、
”やれること”を疎かにしてしまう自分がいる。
まずはこれに”気付く”ことである。

第2,686号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -27-

 

私が新入社員だった頃、
上司から、
『走りながら考えろ!』といわれたことがある。
企業組織は、
”石橋を叩くように慎重に進め!”というところもあれば、
私が教えられたように、
”走りながら考えろ!”というところもあれば、
その社風というかスタンスは様々だ。
私の恩師であるT課長は、
いつも、
『出来は3割で良いからスピードを倍速にしろ!』
いつもこれが口癖だった。
そして、
こうも仰っていた。
『”まずはやってみる!”これが行動細分化の第一歩だ!』と。
多くの人は、
目的を定めると、
それを諦めないで目指すことが良いことのように語る。
でも、
何事も、
細分化しないで、
大きくまえに進むことなど不可能なこと。
だから、
目指す目的をひたすら目指す人というのは、
意外と、
第一歩が踏み出せないままでいる。

まずは、
”やれることをやってみる!”
これに尽きる。
その行動着手が早ければ早いほど、
どんな形であれ、
必ず結果(成果)として出てくる。
その出てきたコト(現象)が、
思い描くコトと違うと判れば、
直ぐに、
他の方法で着手すればよい。
つまり、
最初の一歩が早ければ早いほど、
次に打つ手は多くなる。

第2,685号・ブログ

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「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -26-

 

行動を起こす時の”最初の一歩”ってなんなのだろうか?
”最初の一歩”は、
「ベビー・ステップ」とも言われている。
赤ちゃんのヨチヨチ歩きのあのイメージ。
そんなレベルで構わない。
「ベビー・ステップ」はやがては、
「モンロー・ウォーク」のように魅惑的な歩みになり、
最後には、
「ウィニング・ウォーク」となっていく。

「ウィニング・ウォーク」につながる
「ベビー・ステップ」とは、
いま目の前にある”やれること”そのものということ。
その第一歩を記すには、
遠い先を見ないことだ。

難しい表現になるが、
”目標を目指して目標達成のために行動するな!”ということ。
私達の行動の「原理原則」はここにある。
”やれること”って、
結構たくさんある。
それをまずは書き出してみることだ。
”やれること”なんだから、
必ず「やれる」はずだ。

いつもいっているけど、
”できること”ではない。
あくまでも「やれること」。
これをはき違えないことである。

人の能力なんて皆ほとんど変わらない。
大きな違いは、
この「やれること」をやってるか否かだけのこと。
直ぐに”行動を起こせる人”は、
自分に能力があるか?
出来るか?出来ないか?なんどということは
まったく気にしない。
なぜなら、
”能力”という言葉がいかに抽象的で、
あまりにも漠然とした言葉であることを知っているから。

そう!
人は”能力の差”なんて無関係ということだ。

 

第2,684号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -25-

 

もしあなたが、
自分は”行動起こせない人”と思い込んでいるなら、
まずやれることはこれだ!

それは、
「余計なものは捨て去ること」。

20年位前までは、
企業内研修でも、
夢を持て!とか、
世のため人のために!とか、
どこかポエムチックな研修が多かったけど、
今の時代は、
そういうスタイルの研修は全く役に立たない・・・というか、
教える側がいくら熱弁をもってしても、
今の若者には
その「本質」は伝わり難い。
せいぜい、
表面的な言葉と、
演じる表情や態度を身に着けることが精いっぱい。
そして、
そういう自分にやがて疲れだし、
ストレスを溜め、
また動けなくなっていく。
職場の離職率の高さはこうしたところがもっと大きな原因。

それは、
自分の人生なのに、
どこかに自分を置き忘れてきてしまうから。
”行動を起こせない人”というのが正にこれ。
どこかに、
本来の自分を置き忘れてきてしまっている。
だから、
こういう人の口癖が、
『私も〇〇さんのようになりたい!』
『こんな自分を変えたい!』
変わる必要などどこにも無いのに、
自分は自分なんだから。
「本来の自分」を取り戻せば良いだけ。

私のセミナー受講生の中で、
成功している人は、
まず何よりも先にこのことに気付いている。

第2,683号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -24-

 

”行動を起こせる人”は、
こんなことも理解している。

それは、
”人生に
「明日」などという日はいくら待っても来ないことを!”。
これも意外と理解している人が少ない。
だから、
『明日やれば良いやぁ~!』という言葉が、
必然的に口から出てくる。

考えてみれば解ることだ。
今日は9月24日。
今日から見て、
9月25日は「明日」になるが、
その9月25日を迎えると、
その火はと必然的に今日という日になっていく。
『そんなの言葉のマジックだぁ~!』と思い込んでいるなら、
それはそれでよい。
ずっと、
待っても来ることのない、
なんの保証も無い、
「明日」という幻覚を待てば良い。
これも”真理=「原理原則」”そのものだ。

私達は、
昨日とか、
明日とかいう時空間に生きているのではなく、
常に、
”今この瞬間”の中だけに生きている。

”行動を起こせる人”は、
この「原理原則」をよく理解している。
今日やれることをやらないという、
その”行動の遅れ”が、
その先の自分に、
少しづつ少しづつ、
蓄積されながら、
やがては、
新しい大きな不安を生み出していくことも知り得る。
だから、
少しづつでも、
自分が、
いま”やれること”に懸命に取組むのだ。

”行動を起こせる人”とそうでない人の違いは、
能力とか、
経験とかそんなところに差があるのではなく、
この”小さな差”があるだけのことなのである。

第2,682号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -23-

 

”行動を起こせる人”は、
自分が人生を生きている間は、
「失敗」という現象には出逢わないということを知っている。

この「原理原則」を実感すると、
行動力はグッとアップする。

よく考えてみることだ。
「失敗」という現象そのものを。

”失敗とは、
どれだけ時間をかけ、どれだけお金をかけ、
どれだけ労力を用い、どれだけ知恵を絞っても、
いま、
目の前にある現象を少しも変えることが不可能な状態”

こういう現象を「失敗」という。
そういう現象を迎える時というのは、
生きている間に2つしか無い。

一つは、
”自分が『もうダメだ!』とサジを投げた時”。
そう!
諦めて放置してしまう時だ。

そしてもう一つは、
”やりたくてもやれない時”。
つまりは死を迎える時。

この2つしか、
「失敗」という現象が目の前に現れることは決して無い。

ビジネス社会においても同じだ。
真の経営者は、
部下に成功結果など求めてはいない。
簡単に達成できることではないことを知っているから。
真の経営者が、
部下に求めていることは、
”目標に向かって諦めないでやり続けること”
そして、
”その記録を残し続けること”。
これのみである。

人生でもビジネスでも、
”行動を起こせる人”は
こういう「原理原則」をしっかりと理解しているのだ。

第2,681号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -22-

 

パスカルは「人間は考える”葦”である」と教えてくれたけど、
間違っても、
「人間は悩む”葦”である」とは一言も言っていない。
行動を起こせる人は、
この”悩む”と「考える」の違いも心得ている。
日常生活で、
『チョッといま・・・”悩んで”いてさぁ~』と、
この”悩む”という言葉を軽く口に出すようなことをしない。
必ずこういう言い方をする。
『それについてはいまいろいろ”考え”ていてさぁ~』と。

「考える」とは、
目の前の問題や課題を解決するために、
原理原則の中から、
自分自身が”やれる”ことを、
一つひとつ”考えだしていく”ということ。
反して、
”悩む”とは、
自分自身の行動に結びつくことのないように、
言い訳を、
さも理由のごとく並べて、
何もしないで、
目の前を状況が”変わったら良いなぁ~”と、
思い描いているだけの行いを指す。

”悩みたい人”になることは至極簡単なことだ。
まずは、
”出来るか?出来ないか?”で考える。
そうすると、
結論結果ばかりを優先して思い描くから、
いま目の前には無いことばかりが浮かんでくる。
だから、
自分自身の足元に意志気(意識)が向くことは無い。
自分の行動基準で思考が働かないから、
心の状態は、
思い描く夢のようなことと、
現実のギャップの中で堂々巡りを繰り返していく。

”行動を起こせる人”は、
どうすれば、
”悩み”の中に自分を落し込めるか?
こんなことも良く認識している。

つまり、
”行動を起こせる人”というのは、
単に前向きでポジティブだというわけではない。
ポジティブな人だから、
”行動を起こせる”のではなく、
”行動を起こせる”から、
ポジティブな人といわれるので、
”行動を起こせない人”とは、
こういうところの「原理原則」が理解できていないだけ。

第2,680号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生”やれること”を悔いなくやり続けよう!」 -21-

 

さぁ~!
”行動を起こせる人”が知っている2つ目のこと。

ええええおそれは・・・、
「一歩目を踏み出しさえすれば後は楽ということを知っている」

行動を起こせない人は、
この”最初の一歩”が踏み出せない。
「行動力」というのは、
”雪だるま作り”と同じ。
誰だって、
最初っから大きな雪だるまは作れない。
子供なら、
子供の手の大きさにあった小さなお結びサイズから。
これが第一歩だ。
ところが、
”行動を起こせない人”は、
最初っから、
大きな雪だるまを作らなければいけないと思い込む。
だから・・・・
”出来るか?出来ないか?”を物差しにする。
最初は、
掌に包み込めるだけの雪を掴めばよいのだ。
後は、
それを雪上に転がしながら、
少しづつ、
どんどんと大きくしていけばよいだけのこと。

言葉だって同じ。
いま、
あなたは日本語を流ちょうに話し、
漢字だって何百って数を軽く超えるほど知っている。
最初に発した言葉は?
『オグゥ!オグゥ!』か?
『アゥ!アゥ!』か?
全く理解不能な、
それでも本人からしてみれば立派に言葉を発していたはず。
そして、
悪い言葉も、
良い言葉も、
その後に、
一つひとつ教わり学びながら、
今のあなたがあるはず。

「一歩目を踏み出せば後は楽ということを知っている」とは、
行動することで、
”自分と自分を取り巻く環境の一部を変えられる”ということを、
知っているということである。

一歩踏み出せば、
変えられないといわれている、
他人だって。
過去の出来事、
それ自体は変えられなくても、
その意味付けを大きく変えることだって可能かもしれない?