第4,343号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー31-

 

こんな面白いことわざがある。
口喧嘩をするには二人いなければならないが、
      それをやめたければ一人になればよいこと
口喧嘩のほとんどは、
相手の言動が発端となり。
相手ばかりに目と意識を向けることで生じてしまう。
そのくせ私達は、
自分の言動にどう反応しているかについては全く無関心になる。
もちろん、
相手の言動が理不尽で本当におかしい場合もあるが、
それは相手の問題で、
私達がどう反応したかは自分自身に責任がある
それこそが自分で変えられる唯一のことなのに、
多くの人はそれを知っていながら、
相手を変えようと躍起になる・・・不思議なものだ。
それは、
相手を責めることはプロセスの始まりに過ぎないのに、
いつの間にか、
それ自体が最終ゴールのように勘違いしだしてしまう。
企業組織の管理職の中にもいる。
部下を”叱責する”ことがマネージメントと思い込んでしまう。
本当に大切なことは、
誰が責められるべきか
何が責められるべきことなのかではなく、
自分が何を感じ、
何を必要としているのか共有することなのに。
相手を責めてもそれで事態が好転することはまず在り得ない

第4,342号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー30-

 

「誰かのために役立つ」
「誰かに喜ばれることをしよう」
コミュニケーション本によく出てくる耳に心地よいだけの、
こういう表面的なフレーズをよく目にするが、
私達が、
相手(誰か)のために、
相手(誰か)に喜んでもらえることといったら、
それは・・・・「相手を尊重する」ことでしかない。
尊重」とは、
相手を好きとか嫌いとかは別として、
その人の言葉に耳を傾け、
その人の考えを受け入れた上で向き合っているかということ
つまり、
自分と相手のとの、
お互いの乖離」に気付けているかということ。
その”違い”によってこそ、
お互いの価値を認めたり、
お互いを高め合うことが可能になっていく
尊重」とは、
相手があるがままでいることを許すことではない
尊重」とは、
他人が何に関心があるのかを、
認めたり許したりする権利は自分無いと認識すること
尊重」とは、
人にはそれぞれの考え方があり、
それぞれの生き方があるということに気付くこと
決して、
相手を是認することではない

人間関係」の第一歩はここにある。

第4,341号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー29-

 

他人を判断する時の重要なポイントとして、
これだは覚えておいた方が良いことがある。
それは、
その人が言っていることより、
     その人が実際にやっていることで見極めること」。
それも日常生活の中の些細なことを見逃さないことだ。
これがやれるようになると、
相手が誰だろうと、
どんな地位にいる人間だろうと、
人間関係に対する悩み事は間違いなく半減していく
私達は、
自分の好きな人や尊敬する人が、
誰かに酷いことをしても、
「自分にはそういうことはしないだろう」と
思い込んでしまうことが多くある。
これは大間違いだ。
他の人に酷いことをする人は、
間違いなく自分にも同じようなことをしてくる
人は、
自分自身に面と向かって取組み、
根本から考え方を改め、
ストレスの中で行動を改める術を学ぼうとっしない限り、
同じ過ちを繰り返していく生き物だ。
そしてそれを誰もコントロールすることはできない。
人間関係」で”心配事”から解放されたいなら、
相手と自分との関係を特別扱いしないことだ。
静かに、
適切な距離を保ちながら、
相手の行動を見て、
その人の”ありのままの姿”を見極めていくことこそ大切だ。

第4,340号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー28-

 

相手が自分の考えるように行動しているかを、
じっと見極めようとすると同時に、
私達は、
相手が自分をどう見ているのかが気がかりになる。
そういう時の私達は、
「他人から認めらられよう」
「他人の役に立とう」
「他人から評価されよう」とするがあまり、
本来の目的であることをすっかり忘れ、
そのためにあくせくと動き回り、
使わなくてもよいエネルギーまで、
無駄に消費していることに気付けないことが多い。
企業組織の上下関係の中で、
その利害関係に巻き込まれながら生きているような環境下ではなおさらなこと。
でも大切なポイントはそんなところには存在していない。
ハッキリというなら「他人は他人自分は自分」でしかない。
これは、
誰の意見が正しいとか間違っているといったことではなく、
自分の意見は意見としてハッキリと発しろ」ということ。
その上で、
組織内の決定権を持っている者の指示に従えばよいこと。
上司の目を気にして、
自分の意志とはかけ離れたことに、
さも納得したかのように、
うなずきながら行動をするのはやめろということだ。
そういう姿勢を続けていると、
心配事”から解放されることは程遠くなる。

第4,339号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー27-

 

誰でも、
自分の思い描く通りに事が運べば良いに決まっている。
そして、
誰もが自分の言ったことを厳守して、
愚直に取り組んでくれたら組織の運営だって楽になる。
ところが、
みんなの前で『私は○○をやります!』と誓約しながら、
3日も経たないうちに、
その言葉はどこかに消え去るような行動をされると、
多くの人は『裏切られた』と激怒したくもなる。
そうなると、
それを指摘される人はもちろん、
指摘する側にいる人間もまた嫌な感情」に包み込まれる。

つまり、
こういう場合は、
その人が約束したことを守るか守らないか?を見極める”・・・のではなく、
ただ、
その人のやっているありのままの姿を見極める」ことが大切。
この二つはどこか似ているようで全く異なる。
前者は、
相手の行動結果を見て、
自分の考えるように進んでいるかを見極めているが、
後者は、
じっと相手の”ありのままの行動姿勢”を追いかけ
どこに問題点があるのかを見極めようとしている
この違いはとても重要なことで、
部下を持つ管理職にはぜひ理解していただきたいこと。

 

第4,338号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー26-

 

人間関係」は、
お互いは他人同士であることを理解した時
はじめて、
お互いのことをよく知り合わなくてはならない」と、
このことを互いに自覚し合うことからスタートし、
そこから関係性の築きが始まるのである。
私達の多くは、
自分も他人も同じ人間で、
そう大きく変わることはないと信じ込んでいるところがある。
ところが、
人は100人いれば100通りの色合いを持っている。
それが「個性」でありそれが「独自性」というものだ。
だから、
「○○さんのように!」とか、
「△△君みたいに!」と他人と比べて、
同じようになろうとする必要性などどこにも存在しない。

そして、
私達人間もまた「諸行無常」の中で変化しながら生きている。
従って、
その関係性もまた時とともに変化していく
つまりは「人間関係」とは、
常にへ変化し終わりのないプロセスの組合わせ”ともいえる。
これが理解出来れば、
目の前の「人間関係がいったんは壊れかけたとしても
それはその後、
十分に修復可能であることも理解できるはずだ。

第4,337号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー25-

 

私達はこれまで、
多くの場で、
人間関係」をよくするために大切なことは、
”相手目線”で、
相手に焦点を合わせていくことだと教えられてきた。
「相手がよろこぶことをしましょう」とか、
「相手に役立つことをしましょう」といった”相手目線”。
相手が喜ぶこととそうでないことを探り、
相手の喜ぶことだけをしていく。
こういうこともよく言われてきた。
「自分がされて嫌なことは相手にするな」
「自分がされて嬉しかったことは相手にもしよう」
でも。
自分が嬉しいと感じることが、
相手も同じように嬉しい感じるとは限らない
自分がされて「嫌だな」と感じたことを、
相手もまた同じように「嫌だな」と感じるとは限らない
それは食べ物の“嗜好基準”と似ている。
酸っぱいものが大好きな人もいれば、
まったく身体が受け付けない人もいる。
たとえそれが、
最上級のマグロであっても、
生物が苦手な人にはとてつもなく苦痛になっていくのと同じだ。
相手目線”で相手に焦点を合わせて行動していけば、
必ず人は”相手を変えようとし始める”。
『こんな美味いマグロをせっかく薦めているのに・・・・』
『騙されたと思って食べてみろよ!』・・・・とこうなる。

私達は、
自分目線”で自分に焦点をいつも合わせ、
変えることができるのは自分だけ」ということを、
本当に理解した時
初めて、
目の前の相手との関係性が築かれ始める

第4,336号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー24-

 

私達が何をするにしても、
その結果としてどのようなことが起こるか
これをコントロールできる人などこの世に存在していない
それは私達の”努力の範囲外”に起こること。
この「原理原則」を自覚しないでいると、
ストレスをどんどんと生み出していくことになる。
誰かと付き合い始めたら、
その人と上手くいくか行かないか?
これも誰にも分らないことなのに、
片時もその人のことを忘れないでいることが、
二人の関係を上手くいかせる唯一の方と考える人もいる。
でも、
それは刺激的とはなるだろうが、
それが最終的に二人の関係性を高めることになるかというと、
決してそうとは限らない。
大切なことは、
相手を自分の想い通りにしよう”と絵図を描くことなく、
ただありのままの姿で二人がいることだ。
二人の関係が続くかどうか?
それを心配している間は、
二人の関係が高められないことを認識するのは極めて難しい。
その時はすでに、
もはや二人の関係からはみ出してしまっていて、
外側から二人の関係を観察しているといった、
冷めた関係”になっているから。
人間関係は”観察”するものではなく「築き上げていく」もの
ハッキリ言うなら、
男女の仲に限らず、
相手との関係が、
上手く続くかどうか?」を心配しだした時には
すでに、
二人の関係は終わっているということになる。

第4,335号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー23-

 

アイルランドだったか?
どこの国か忘れたけどこういうことわざがある。
豚にサクランボを与えるな、
そして馬鹿には決してアドバイスするな!”
豚にサクランボを与えるな”というのは、
味も理解できないものにサクランボの味が解るはずもない。
次の”馬鹿には決してアドバイスするな”というのは、
こういう意味だ。
ここでいう”馬鹿”とは、
知識のない人とか、
学歴の低い人といった意味ではなく、
より解り易くアドバイスしても、
なんだかんだ言い訳を付けては”やらない人間”という意味。
『これは良く解る』
『そりゃぁ~そうだ』・・・と口では言いながら、
やれること”というレベルまで具体的にアドバイスしても、
なお、
言い訳を付けては”やらない人間”というのは、
何を考えているのかさえ理解できない。
このことわざには実は続きがある。
やれるアドバイスを受け入れない馬鹿よりバカなのは、
その馬鹿にアドバイスしようとしている人間だ
本当に突き詰めていうなら、
私達が本当に知ることができるのは自分のことだけ。
また変えることをできるのも自分のことだけ。
その「自分のことがまったく解っていない

いま企業内の人材教育でも、
ここが最重要ポイントになってきている。

 

第4,334号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう」 ー22-

 

人は目の前に起こることに、
自分がどう反応するか”は、
全て「自分次第で決めることができる
ただし、
その結果、
どういう現象が起こるかまではコントロールできない
これを知ることは、
混乱したストレス状態から脱する上で、
とても重要な教訓となる。
つまり、
結局私達は「自分が”やりたいこと”をする」だけ。
いつも言っているけど、
人は自分のためにのみ行動する生き物”なのだ。
「誰かのために」とか、
「周囲のために役立つことを!」とこういうことは、
あくまでも”結果として現れる”ことであり、
始める前からそういう意識を持つことは、
その生き方に反しており、
その意識をコントロールすることなど誰にもできない。
無理してやらせようとしたり、
自分自身でも無理してやろうとすれば、
強いストレスだけを生み出させることになる
サービス業での接客姿勢がその最たる例といえる。