第4,101号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー59-

 

自分の”エゴ”からではなく、
自己開示をしっかりとして、
自分の「」を出し切って向き合える人は、
多くの人から慕われる。

私の受講生でそういう人が数名いる。
これはある受講生の事例だが、
彼はライバルを抑え、
第一次指名で部長に昇格した。
昇格が決まった数日後、
社長をはじめ役員までは出席して彼の昇進を祝う会が。
実は私もその席に呼んでいただいて同席した。
会が進んで、
彼が御礼と決意のほどをスピーチする時が来た。
これはあとで聞いた話だが、
その時、
彼はライバル達との熾烈な競争の日々を語ろうとしたらしい。
『自分はその戦いに勝って・・・・』と、
誇示」したかったのだろう。

ところが、
スピーチをしようと前に立ち進んだ時に、
私と目が合ったそうだ(私には記憶が無かった)。
そして、
まさにライバルとの比較を語ろうとした時、
私の・・・・、
『それは語るな!』といった声が聞こえたそうである。
(私のそんな能力はない・笑)

帰り際、
社長が私に向かってこう口にされた。
『あいつは役員になるのも直ぐでしょうね。
あの謙虚さは素晴らしいよ。
管理職にはあの姿勢が必要なんですよね先生!』

もしあの時、
彼が朗々と自慢話を「誇示」していたら。
その日から3年で取締役本部長にはなれていなかっただろう。

 

第4,100号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー58-

 

これが私の”価値”です
こうアピールするようになると、
損得勘定以外で人もお店も人は近寄ってこなくなる。
それは「誇示する」という姿勢が表に出るから。
自分を「誇示」する”というのは危険な罠だ。
業績を自慢したり、
自分が優秀だとアピールするには、
途方もないエネルギーを使うことになる。
同時に、
自慢に走ると、
人は自分で自分を褒めてやることが薄れ、
達成感とか、
自分を誇りに思う気持ちまでもが希薄になっていく。
それだけで済むならよいが、
他人の自慢話を静かにいつまでも聞いている人は少ない。
いずれ疎まれ、
誇示」すればするほど、
顰蹙(ひんしゅく)すら買ってしまうようになる。

ところが、
『誰に評価されなくてもいいやぁ~』と逆に行動すると、
かえって、
他人様から意外な言葉を送ってくださることもある。
それがまた、
滅多にないことだから嬉しさもひとしおだ。

考えてみれば、
人が寄ってくる人”というのは、
これが俺の価値なんだよ』と「誇示」する姿勢の人はいない。
本当に「自由」に、
自分らしさを見失わず、
自分の人生道を歩んでいる人というのは、
これが私の”価値”ですと自慢する必要もない。
自分で自分の取組んでいることに誇りを持っているから、
そういうものは気にもならないのだろう

 

第4,099号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー57-

 

他人と比べる
人生ではこの「愚かな行動」をやめること
それが、
ストレスもなく穏やかに人生道を歩める唯一の手立てだろう。

誰々より高く。
誰々より早く。
誰々より多く。
誰々より少なく。
誰々より遠くへ。
こういうのを競い合うのはスポーツの世界だけでいい。
人生では”№1”になる必要性も無ければ、
そんなものに価値などない。
売上が世界№1だろうが、
人気が全国№1だろうが、
興味の無い人には全く伝わらない意味の無いコト。

それに、
№1”になったところで、
永久にその座にいられるわけでもない。
結局は一時のことだけだ。

№1”になることを求めようとする人は、
自己誇示欲」が強いだけ。
『俺は他の人とは違う』
『それが俺の価値そのものだ』

人と比べると、
落ち込むことが増えてくる。
だって、
完璧な人」なんていないんだから。
特に、
SNS時代の今は日常的にそういうことが多い。
『凄いなぁ~あんなにいい仕事をして活躍している』
『凄い家に住んでるんだぁ~』
『素敵な恋人と旅行に行ってる』
人の身なり持ち物に住まい。
仕事の量や収入。
いいね”の数に”シェア”の数。
そんなもの高めるために投稿してたら神経が参るの当たり前。
他人と比べてしまうと良いことなど一つもない。

人生道は”我が道を行く”のが一番。
選択する道は数えきれないくらいあるんだから

 

 

 

 

第4,098号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー56-

 

「明日があるさ!」という、
昔でいうなら坂元九さんの、
もっと近いところなら浜ちゃんが唄った歌だが、
この「明日」というのも、
多くの人が必ず来ると信じ切っている。
原理原則」でいうなら、この「明日」という日が、
私達の目の前にやってくことは絶対に在り得ない。
まっ!
その詳細はセミナーで聞いてください。

間違いなく来る”と信じ切っているから、
『明日からかろう!』
『明日やればいいよ』という言葉が口から出てくる。
私達の「」もまた同じだ。
これから先、
少なくても平均寿命といわれるところくらいまでは、
間違いなく生きられると思い込んでいる人がほとんどだ。
だからまだ来てもいないことばかりに振り回される。
今夜寝床に入ったら、
明日の朝は目覚めている補償など誰にも無いのに・・・。

もし君に大切な人が存在するなら・・・?
誰にだって存在しているはずだけど。
『いつか機会があったら面と向かって”愛してる”と言おう』
ではなく、
今すぐ、
電話でいいから伝えることだ。
しばらく顔も見せていないお母さんには、
『生んでくれてありがとう』と、
仕事を頑張って育っててくれたお父さんには、
『育ててくれてありがとう』と。
たとえ、
生まれてすぐ訳があって、
離れ離れになったとしても、
君はその二人がいなければこの世に出て、
苦しく辛いこともそうだが、
楽しい嬉しいことも、
また同じように味わうことが出来なかった。
この”事実“だけは誰が何と言おうが曲げられない。

早くしないと!
だって、
明日は生きてはいないかも?
想い”を伝えるのも今しかない

第4,097号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー55-

 

世の中にはいろいろなルールや決め事がある。
車は左人は右。
信号は赤が止まれで青が進め。
もしこういう決め事を、
誰もが守らないで「自由行動」をしていたら・・・・。
まっ!、
見かける自転車の半分近くは信号無視の世の中だが、
どうも私達は、
この「自由」という言葉の”本質”を知らな人が多くいる。

辞書に書かれている意味。
自分の意のままに振舞うことができる」。
この意味を表面的に受け止めて、
自分が○○から解き放たれた状態
自由”と解釈している人が多いようだが、
この「自由」というのは仏教用語の一つで、
本来の意味は全く違ってくる。

人生はらのみがよりどころなり
これがその本質だ。
仏陀もまた弟子達に、
『自らをよりどころとし、
他のモノをよりどころとせずにあれ!』と説いている。
どこかで、
私達は、
「好きなことは好きにやり、
他人にはあまり鑑賞されたくない・・・・、
『自由にしたいんだよねぇ~』と、

とんでもない思い違いをして使っているようだ。

つまり、
自由」とは”全ては自分”ということ。
やったことも。

その結果も。
全てを「自責という意識で受け止めていくことを指している

第4,096号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー54-

 

他人がする”嫌味な行動”も、
受け止め方を変えるだけで、
チョッと優越感に浸れることがある。

妻とよく行くスパーで時折だが、
レジに並ぶことがよほど辛いのか?
私達のすぐ後ろに付いた客がもうイライラ。
まずじっとしていない。
コロナ禍で待つ時の間隔も一定間隔開けなくてはいけないのに、
その身近な距離さえ詰めたくなるほどイラ立っている。
前にいる私達にすら、
『ほら!前が相手ぞ早く進めよ』といわんばかりに。
こういう人は大方、
態度は横柄で、
言葉遣いやその口調だけ取り上げたら、
『静かにしろや!』とこっちが切れそうになる。

私はこんな時、
妻が私のサラリーマン時代の話を持ち出す。
『パパもあんな感じだったんでしょ?』
仕事の関係者と夜遅くまで呑み交わし、
最終電車に乗る前に急にトイレに行きたくなり、
トイレに走り込むと・・・・、
何と、
長蛇の列。
電車の発車時間は気になる。
下半身は気になるでもうじっとしていられないことが、
結構あった(笑。
『あぁ~辛いんだよぉ~こういうの・・・』と、
思い出しながら妻に返すと、
突然妻は、
カートを横によけて、
『急いでないので良かったらお先に!』と声をかける。

すると、
さっきまで鬼の形相だった後ろの男性は、
まるで別人のように、
『助かりますぅ~』といって入れ替わる。
すると今度は、
その男性の後ろにいた女性が、
『お優しいんですね』と声をかけてきてくれた。
なんとも少し気持ちが良くなった気がしたものだ。

その後は、
レジがどんなに混んでいようが
自分自身もイライラすることもなく。
同じような人がいると、
すぐさま順番を入れ替わってあげることにしている(笑。

おかしなものだ。

第4,095号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー53-

 

他人と向き合う時は「相手の行動のみに囚われない」コト。
これが何より大事だ。
君にもしお子さんがいるとしたら、
自分が子供に向ける愛情の基盤を、
子供の「行動」にだけ置くとしたら、
子供を無償に愛することなどまず難しくなるだろう。
相手の「行動」には出来ないことも多くある。
そのたびに、
その「行動」を相手を測る基準にしていたら、
世の中はストレスまみれの人で溢れかえってしまう。
人間というの、
もちろん私自身も含めてだが、
多かれ少なかれ、
他人から見れば”変な行動”をとるものだ。
いくら急いでいるからと、
走ってはいけないエスカレーターで走ったり、
ウィンカーを出しっぱなしで何キロも走行したり。
”人はみんな変なことをする”これは間違いのない事実だ。
でもその真実は、
その「行動」を見た自分自身が、
『あれはおかしい!』と受け止めるところに存在している

誰かがイラつくような、
腹だたしい「行動」をするのを見かけたら、
一度、
大きく深呼吸でもして、
その人と距離を置いて、
「その”行動の奥を覗き見る」ことにした方がいい

すると・・・・、
『おいおいそんなに急いでもエスカレーターのゴールはすぐそこ』とか、
『あぁ~ぁ・・・ウィンカー出しっぱなしでどこまで行くかな?』
こんな受け止め方をすると、
その「行動」をとっている人が、
どこか滑稽で、
憐れみさえ感じてくることがある

そしてこんなことも体験できる。
続きはまた明日。

第4,094号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー52-

 

誰かの役に立つこと。
誰かに喜ばれること。
お相手に思いやりを持って。
他人様に心を寄せて。
こういうフレーズは本屋に行くとたくさん並んでいるけど、
私はいつもこういうフレーズを目にしたり耳にすると、
『結局はそれって全部”自我”なんだよなぁ~』
そこを理解しないと、
行き着くところはいい人ぶった演技になる』と、
こう強く感じる。

昔、
車に貼るステッカーで素敵だと感じたのがあった。
親切は思いついた時だけにしよう!”
誰が考えたフレーズか判らないけど、
親切の押し売りや、
私は良い人の売込み”見たいじゃなくて、
『素敵だなぁ~』と瞬間的に感じた。
思いついたその瞬間”に親切にするのは、
誰かに喜んでもらうとか、
誰かの役に立ったという「見返りの感情」が入ってない。
こういう行為を身に付けるには、
意識の訓練も習慣付けも不要だ。
その人の”瞬間的な想い”から出てくるものだから。
瞬間的に目の前のゴミを拾ったり。
捨て猫を動物愛護協会に連れて行ったり。
狭い路地で素早く対向車に道を譲るためにバックしたり。
親切」をするのには、
お金も時間も習慣訓練も不要だ

サービス業の”笑顔”も同じことだなぁ~。
毎朝朝礼で、
『ミルキー』なんて言いながら、
表情筋を鍛えているうちは3流以下か?
いつも言っている、
やれること」ってこういうことかもしれない。
その「やれること」だけを愚直に懸命にやっていれば、
笑顔”だって瞬間的に、
思い付きのように出てくるものだ

 

第4,093号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー51-

 

人間社会は「2:6:2の法則」。
これに出来るだけ早く気付けると人生はグッと生きやすくなる。
人は誰でも否定される時がある。
批判されることもある。
認められて絶賛されることもある。

大切なことは、
批判されたり、
反論されたら・・・・闘わずに受け入れるコト”」だ。
『あぁ~こういう考えの人いるんだなぁ~』と受け止められれば、
その時点で人間観察力が向上したといえる。
そして、
これがやれると、
褒められた時には、
斜に構えることもなく、
素直な気持ちで『ありがとう!』と心から言える。

褒められることがハグされることで、
貶されることがゲンコツなら、
私など、
これが1時間ごとに交互にやってきているようなものだ(笑。
『禰宜先生のセミナーは良いよ』と言ってくれる人もいれば、
『あんなセミナー受けてもしょうがないよ』という人もいる。
どういうわけか?
後者の方の人は、
私のセミナーを”受けていない”のに「あんなセミナー」と、
なぜ言えるのか不思議で仕方が無いのだが・・・・(笑。

良いこと/悪いこと
褒められること/非難されること
好かれること/嫌われること
楽しいこと/苦しいこと
嬉しいこと/悲しいこと
生きていくということはそう日の繰り返しだろう。
そしてどちらも裏側ではつながっている。

私はどちらが好きかといえば・・・・、
そりゃぁ~拒絶されるよりは認められる方が好き。
だってその方が気分がいいし楽だから。
でも、
”自分が自分に対してしっかり「やれることをやっている
こういう確信が強く持てれば持てるほど、
他人様の評価に頼らなくて済むようにはなる。

第4,092号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー50-

 

昔、
良い子 悪い子 普通の子”などという言葉が流行ったが、
私は、
他人に褒められるのも貶されるのも同じことだと考えている。
どちらも”ジルチ無視)”されていないということ。
どうも私達は、
褒められると有頂天になり、
貶されると落ち込むことが多くあるが、
「他人から”貶される”」
これを”どう受け止めるか”は、
人生では避けて通ることのできないテストの一つだろう。
政治家の選挙結果を見ると、
それが良く解る。
何十満票も獲得してトップ当選したところで、
全体の51%の人しか入れてくれていない。
残りの49%近くはほかの候補者に投票しているわけ。
こう考えると、
当選して万歳などしている暇があったら、
もっと謙虚になって結果を受け止めた方が良い。
これから考えたら、
会社の上司や部下、
家族に至っては認められる率はもっと低くなる。
だって、
日頃を見られているから。

つまり、
人というのは、
ほんの小さなことにまで、
それぞれの”価値観”が存在していて、
いつも他人と同じになることなど限りなく難しいというコト。
なのに、
多くの人がこの原理原則」を受け入れたがらない(笑。
そして、
自分の意見や考えが拒否されたり反論されると、
傷ついたり、
怒りを感じたりしてしまう。

私達人間社会では、
そこに打算的なものが無い限り、
その関係は常に「:6:」でしかありえない。

10人いれば、
2人は君が大好き
2人は君が嫌い
残りの6人はどうでもいいと思っている

続きな明日また。