第3,359号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-12-

 

仕事に充実感が持てなかったり、
人間関係がスムースにいっていない人達というのは
共通した特徴がある。
彼らはどちらかというと、
仕事はいつも丁寧にこなし、
まじめで人あたりもよく、
不平不満をあまり口にしない。
逆に言うなら、
どこかで無意識に”我慢”をして、
『私がやれば済むことだ・・・・』と、
どんどんと自分で
抱え込んでいっていることにも
自分自身で気付けないでいることが多くある。
それが知らず知らずのうちに、
自分の体の中に疲労感としてたまっていき、
やがて、
突然のように身体症状に出ることが多い。

私は最近、
顧問先の人事サポートで、
「常に前向きでポジティブに!」とか、
「いつも明るく元気よく!」とかいう言葉を使うのを極力やめようよと話している。
毎朝、
元気に誰もが、
事務所の入り口で姿勢を正して、
『おはようございます!』と一礼しているところもあるが、
一見すると、
よく訓練されていて、
『みんな元気で素晴らしい会社ですねぇ~』と
外部の人からもいわれることが多い。
そう!
見かけはそう見える。
でも、
これだと、
管理職は
部下一人ひとりのその日の身体状況を把握することは難しい。
いったい何のために、
朝早くから大声出して、
遠くの人にまで聞こえるように
『おはようございます!』とやらなきゃならないのか?
私には不思議でならなかった。
そんなのは私のような年齢の人間が、
50年前に受けていた研修や指導方法なのに・・・・。
明るい笑顔に元気な挨拶・・・・、
大切なことだけど、
もっと大切なものが存在していることを忘れてはならない。

続きはまた明日。

第3,358号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-11-

 

いつも言うことだけど、
私達は「心身一如」、
心と身体のバランス”の中で健康というものが保たれている。
身体の不具合は、
心に一時的な悪影響を及ぼすが、
身体が元に戻れば心の痛みもまた薄らいでいく。
ところが、
”の不具合は一時的なものでは終わらずに、
身体にどんどんと悪影響を及ぼし、
クヨクヨと沈んだ心の状態から健全な肉体は維持できなくなる。
不登校の子供が、
登校時間が近づくと腹痛がしたり熱が出たりする。
大人だってそうだ、
金曜日の夕方あたりは非常に元気だったのが、
日曜日の夕方になると別人のようになり、
月曜日の朝になると、
まるで二日酔いの朝と同じような表情で、
急に腹痛が起きたりする。
これは何も仮病を使って怠けようとしているのではない。
本人は学校や会社に『行かなきゃ!』と思ってはいるのだが、
潜在意識のどこかに、
『出来ることなら行きたくないなぁ~』という気持ちが
グツグツと今にも吹き出しそうな状態で渦巻いている。
学校も会社も、
毎日毎日が楽園のようなところはない。
人間関係も、
勉強も仕事も面白い時ばかりじゃない。
当然、
いじめだってある。
辛いことへの心理的な拒否感が負担になって
そういう状況を招いている。
こういう人の多くは、
『この仕事は俺に向いていないのかなぁ~?』
『〇〇君と友達になりたいんだけど・・・・』など、
仕事や環境に充実感が感じられず、
自分の気持ちが上手く表現できずに人間関係もまた、
ギスギス感を感じたまま過ごしていることが多い。

こういう人には特徴がある。
それは明日のブログで!

第3,357号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-10-

 

今の世の中は寂しいものだ。
気に入らないことが起きると。
些細なことでカッとして人を殴ったり、
時に刺して死に至らしめたり・・・・。
必ずその張本人は後で、
『大変なことをしてしまったぁ~・・・』と後悔するのだが、
自分がそれで長い懲役刑にでもなれば後悔して当たり前だ。
私達の日常で、
「心」に悪影響を及ぼすことはどこかこれと似ている。
不安、
不快、
不便、
不愉快、
不運、
不意、
不穏・・・・などなど、
そしてそこから生まれる、
怒りや悲しみ、
不信感や絶望感など。
チョッとした自分の「意志気意識)」の持ち方で、
その先は大きく変わる”可能”だけが持ち受けてくれている。

言い換えるなら、
そんな「意志気意識)」の状態を、
いつもクリアにしておく必要があるということ。
人間なんだから怒りを感じる時もある、
つまらないことで感情的になることだってあるさ。
だから時々、
心のクレンリネス」をすることだ。

心のクレンリネス」とは、
簡単に言うと「心の掃除」のようなもの。
時々、
孤独になって、
心の中の自分と向き合ってみることだ。
自分がどんなことを不安がっているのか?
どんなことで怒りを感じているのか?
自分のコロロの状態が自覚できると、
まずは、
そのことで振り回されることはなくなる。
つまり自分の”自己治癒力”は失わずに済むということ。

第3,356号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-9-

 

”の始まりはたいていが「」だ。
私のセミナーでは、
この「意志気意識)」と置き換えているが、
人は”感情”をコントロールすることは難しい。
悲しい気持ちに苛まれている時に、
『元気出せよぉ~!』といわれたところで、
その悲しみの気持ちは、
その人でなければ理解はできない。
だから、
私はいつも、
「相手の気持ちになって!」などと軽々しく口にするないう。
相手に起きたことことを我が身に置き換えて考える”ことぐらいしか私達にはやれない。
誰かに何かを相談したところで、
その解決となる答えは出してはくれない。
でも、
『もし同じことが自分に起きたら・・・自分ならこうする!』というアドバイスはしてもらえる。
そのアドバイスの中から、
自分がやれること”の
気付きやキッカケとなることを見つける以外には無いのだ。
そして、
その気付きを実際に行動にするもしないも自分だ。
この行動を生み出す『やる!』という想いこそが、
その人の「意志気意識)」であり、
意志力」といわれるもので、
私達をコントロールすることができるのは、
この「意志力」だけだ。

この「意志力」が低下してくると、
私達の「」はエネルギーを失い弱ってくる。

第3,354号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-8-

 

どんな””も、
治らぬ””はこの世の中にたった一つしか存在しない。
だから””にかかっても、
まずは「」をしっかりと持って、
目の前のやれることだけに集中することだ。
の原因は概ね次の4つといわれている。
その第一が「心因性」。
つまり、
心の持ち方一つで次の一歩が変わる可能を持っているのに、
なにもしないで、
ただ『どうしようぉ~』と動かないでいる。
第二は「栄養アン・バランス」から生まれる。
暴飲暴食、好きなものだけ摂取して、
嫌いなものは避けてとおる。
この二つは、
深い因果関係にあり、
”アン・バランス症”というのがあるが、
食事以外でも、
人間関係、
仕事への取組み、
全てのことで”好き嫌い”を基準していると、
人はバランス感覚が狂いだしてくる。

セミナーでも強く伝えているけど、
私達は「心身一如」のバランスの中でしか、
幸せも、
健康も、
全てのものを感じ取ることは難しい。

第三は「運動不足」。
ジムに無理に通ったり、
アスファルトの上を毎日ランニングしたりしなくてもよい。
駅でエスカレーターを使わず階段を使うとか、
なにしろ歩く機会を増やすことだ。
第四は「生活仕事環境」。
人生を自分が思い描くような環境や条件を、
全て満たして歩むことは難しい。
人間関係も、
生活環境も、
経済環境も、
でも、
」の状態だけは自分でコントロールできる。
健康への第一歩は、
まずこの”自己コントロール”からといえるだろう。

第3,353号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-7-

 

今年の5月1日に、
中学時代からの大親友が逝った。
人生も70年近くなると、
親しい人たちとの別れの時が増えてくる。
彼の死は私に大きな衝撃を与え、
普段の生活に戻るまでに4~5日かかってしまったくらいだ。
そんな彼の49日法要の時、
たまたま彼の娘さんが私の席の前に座った。
お父さんとの思い出話や、
私の今の仕事の話などをしている時、
彼女がこんな話をしてくれた。
彼女は彼が病魔と闘っている時、
『もしかしたら父の病が治るかもしれない・・・』と、
あるセミナーのようなものに参加したそうである。
結局、
お父さんはそのまま旅立ってしまったが、
そんな彼女に私はこう言葉を返した。
『君の願いどおりにお父さん”助かった”ね』と。
すると彼女は笑顔で『はい!』と応えてくれた。

確かに彼は癌に侵され逝ってしまったのだが、
告別式の時に、
娘さんから伺った、
『病院に行く度に、少しづつ少しづつ父は私達に”覚悟”をくれていました』・・・・という言葉と、
奥様の『最後は悟りきった表情で静かに穏やかに逝きました』
というこのお二人の言葉を聞いていた私には、
娘さんの言う、
『父が助かるかもしれない』という言葉の真意
良く理解できた。

彼女は、
最愛の父上との別れという悲しみの中で、
お父さんが癌の末期と知らされてからも、
他人と比べることもなく、
他人を羨むこともなく、
ずっと、
自分軸」でその目の前の”現象”を
そのまま受け入れ、
ただただ自分の”やれること”と愚直に向き合ったのだろう。

自分軸」とはこういう姿勢のことをいう。

第3,352号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-6-

 

前向き」の3ステップ目は”自分軸”だ。
どうも多くの人は、
人生は、
”誰かの役に立つこと”、
”誰かに喜んでもらうこと”といった言葉を、
表面的にとらえている人が多くいるが、
そんなことより大切なことは、
自分の人生なんだから”自分で悔いの無いように生きる”こと。
そして、
行動基準も常に「自分軸」であり、
決して、
誰かの評価を得るためとか、
誰かよりも圧倒的に勝利するとか、
ナンバー1になるとか、
誰かに喜んでもらうためとかといった”他人軸”ではない。
そういうことが”役立つこと”と思っているようなら、
それは大きな勘違いだ。
自分の人生はまず、
目線はいつも「自分軸」でなくてはならないはず。
そうでなければ、
自省自制も存在しないから「自責の人生」は歩めない。
人は誰でもが、
自分以外の誰かの役に立つために生まれてきている。
それは人として生まれてきたもの”役割”であり”使命”だ。
そして、
その役割や使命を果たすには、
いつも自分が”やれること”を、
愚直に懸命に取組んで、
自分自身が後悔の瞬間瞬間を積み重ねていく以外に道はない。
昨日の自分より1㎜で良いから前に進む!”
誰かと比べたり、
誰かと競ったところで、
相対的な比較の小さな世界からは抜け出すことはできない。
これが理解できていないと、
幸せを感じる取るのも、
成功か不成功かを測るのも、
いつも他人との比較の中でしかやれなくなっていく。
昨日のお宿は、
どうそういう本質がまだ共有されていないようだった。

第3,351号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-5-

 

「前向き」の2ステップ目は”チャレンジ精神”だ。
遊びでも、
仕事でも、
挑戦する前から、
『無理ですよぉ~』と一歩も動かないようではまずダメ。
物事はなんでもそうだけど、
「やるから!出来る!」が”真理=「原理原則」”だ。
それと、
忘れてはいけないことがある。
それは、
「”楽しい”ことをやろう!」ではなく、
「やるから”楽しくなる”」という”真理=「原理原則」”も忘れてはならない。
「”楽しい”ことをやろう!」では前進したことにはならない。
だって、
楽しいこと”というのは、
自分が過去に体験して、
『楽しいなぁ~!』と感じたことだけしかないはずだから。
私達には、
まだまだ、
自分がやっていなこと、
経験していないことで、
楽しい”と感ずることが山ほどあるはず。
だから、
まずは『これ楽しそうだなぁ~!』と感じたらすぐにチャレンジしてみることだ。
そしてその時は、
いつも言っているけど、
無我夢中で取組む!」
このキーワードを忘れてはならない。

第3,350号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-4-

 

「前向き」といったって、
なにも無理することはない。
身体も自由に動かせず、
車椅子生活なのに、
腕立て伏せをしろとか、
スクワットをやって鍛えろというのではない。
好きな音楽を聴いたり、
ゲームをしたり、
映画を見たりすればよいのだ。
憂鬱な「気」を持ち合わせていると、
私達の身体は免疫力が低下していく。
音楽を聴いたり、
映画を見たりするのも、
好きなものを聴くのと、
身体に大きな変化が伝えられていく。
自分が好きな、
興味のある音楽や映画を見た後だと、
ウィルスから身体を守る働きが出てきて、
免疫物質の濃度が著しく高まるそうである。
入院していても、
『いつになったら退院できるのかなぁ~?』と、
自分では決めることのできないことで悩んでいるより、
周囲の人達と面白おかしな話をしたり、
好きなことをして過ごすことの方がはるかに良い。
”笑い”を導き出すには「おしゃべり」が最も効果がる。
他愛の内容でよいから、
誰かと会話というより「おしゃべり」をする。

人は面白いことがあるから笑っておしゃべりをするのではなく、
笑っておしゃべりをしているから面白いことが起こる
これが、
真理(摂理)であり、
原理原則」ということを忘れてはならない。

前向き」の第一歩はここに存在している。

第3,349号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生は進む以外に道はない!後戻りはできない!」-3-

 

この世に治らぬ病は一つしかないのに、
”病”に襲われると、
身体は変化し今までとは違う状態になる。
もちろん、
仕事もスポーツも、
好きなことが今まで同じように出来なくなる。
『いつになったら元の状態になるのだろうか?』
『入院費はどのくらいかかるのだおるか?』
こうして””が襲い掛かってくると、
人は、
まだ起きてもいないことまでも案じて、
どんどんと””を弱めていく。
そしてやがて、
”は「病気」という厄介な状態にさらに変化する。
『たまにはいいんじゃない。ゆっくり骨休みだぁ~』と
気楽に考えていた楽天家も、
入院生活や自宅療養が3カ月を過ぎたころになると、
そうのんびり構えているわけにはいかなくなっていく。
でも、
どんなに困った顔をしようが、
誰に相談しようが、
一度、
病気”になった身体は、
徐々にしか回復はしていかない。

こんな時は、
いつも言っているけど、
目の前の「やれること」をやるしかなくなる。
私は10年ほど前に、
アリゾナで大交通事故にあい、
入院2カ月。
リハビリ6カ月。
松葉づえ生活1年は覚悟しなさいと医師から言われたが、
この、
「いまの自分に与えられた条件の中で”やれること”をやる!」
この意志気(意識)だけは忘れずにいたお陰か?
2カ月といわれた入院は28日で退院。
6カ月といわれたリハビリは、
それは過酷だったけど2カ月で終了し、
松葉づえ生活はわずか1週間しかなかった。
この時、
「前向き」という言葉の”本質”は、
ことに向き合った時の「自分の意志力」にあると確信した。
でも、絶対に無理だけはしなかった。