第2,962号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -7ー

 

何しろ”笑う”ことだ。
腹の底から、
お腹がねじれるほどに・・・・。
”馬鹿笑い”といわれようが、
周囲に迷惑をかけないことは必要だけど、
命一杯”笑う”ことを増やす。
これは私達の「気」の最大の活性化だと教えていただいた。

数年後、
あの中村天風さんの本の中にも、
同じようなことが書かれていたのには驚いた。

ある心理学者の言葉に、
「人は可笑しいから笑うのではなく、笑うから可笑しいのだ!」という言葉がある。
どうも今の健康論は、
食べ物や薬に頼るところが多く、
その本質からはかけ離れていくような気がしてならない。

私達の命の源が、
宇宙という大自然界のものであるなら、
”自然と共に!”が真理に則しているはず。
お酒だって、
「俺は健康志向だから・・・」と一滴も呑まない人もいるが、
”酒は百薬の長”といわれたもの。
すべては、
「過ぎないこと」これが大切であり、
酒そのものが悪いわけではないと思うが・・・。
こんなこと言うと、
『それは酒飲みの言い訳だ!』といわれそいうだけど、
現に私は、
酒も呑み、
煙草も嗜むが、
この67年間で入院したことは交通事故の1度だけ。
血流状態もサラサラ、
20歳若いと
先日の健康診断で出た・・・これはバレエのお蔭かな?(笑。

とにかく大笑いする機会を多く作ることだ。
大笑いは内臓を活性化し、
呼吸作用を高め、
自己治癒力を後押しもしてくれるそうだから・・・。

第2,961号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -6ー

 

これは大学病院の医師をされていた先輩から教えていただいたことだが、
人は亡くなる直前になると、
体内の血液は重力に沿って、
横たわる身体の下部に溜まっていき、
全く流れが無くなるらしい。
血液の流れが無くなると、
筋肉を動かすことが不可能になり、
筋肉を動かせなければ、
心臓を稼働させる力が止まるということ。

この血流を良くする手法は、
サプリメントの中ではなく、
日常生活の中こそ大切な要素が多くあるという。
例えば、
朝目覚めたら、
ベッドの中でよいから、
血液を指先の先端まで流し込むようなイメージで、
両手両足の指先を一杯に開いて、
身体の軸を意識しながら上下左右に伸ばすこと。
(これは私が5年前から取組んでいるバレエのストレッチも同じ)
起きあがったら、
天上と床一杯に、
つっかえ棒にでもなったかのようなイメージで、
身体を伸ばす。

そして、
日常生活の会話だが、
声は明確に語尾をハッキリをいう。
歩き方は、
体幹を意識しながら、
踵から降ろしてつま先に抜けるよう歩く。

そしてこれが一番大事なことと教えていただいた。
それは、
どんな些細なことにでも”感じる”ことだそうだ。
誰かがつまらぬジョークを言っても、
スルーするのではなく、
そのつまらなさに”笑い”。
道端で名もない草場を見たら、
ティッシュに包んで持ち帰り、
ネットで調べてみるとか、
初めて聞くような言葉を耳にしたら、
直ぐにググってみる。

こういう小さな行動の積み重ねこそが”感性”を育てていく。
そう!
子供の頃の私達は、
みんなそうだったはず・・・・グーグルは無かったけど(笑。

第2,960号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -5ー

 

”病は「気」から!”という言葉があるが、
これは精神論を語っている言葉ではない。
私達の命の源は、
この宇宙のエネルギーそのもの。
さまざまな原子が、
その波動によって分子を生み出し作り上げられたという。
つまり、
「気」とはエネルギーそのもののこと。
だから、
”病”はほとんどが治るが、
「気」が”病む”と、
治るものも治りにくくなるか、
または治らなくなってしまう。

では、
その「気」を保つにはどうしたら良いのか?
世の中には、
さまざまな健康サプリメントが出回ってはいるが、
私はこういうものは67年間生きてきて、
一度も頼ったことはない。
それは”健康の本質”とは、
もっともっと別のところに在るような気がするから。
規則正しい食生活。
必要な睡眠に適度な運動。

そして何よりも、
目の前に起こる”出来事(現象)”の受け止め方だ。
今の季節・・・・、
多くの人は、
この梅雨時というのは「気」が滅入ることが多いという。
それは、
振る雨や、
ジトジトとした肌感触からくる
イメージとした感覚がそうさせるのだろう。

つまりは「感覚」でしかないということ。
私は、
意志気(意識)して、
そんな季節も楽しむようにしている。
例えば、
草木の緑は、
明らかに乾燥した季節よりも瑞々しく映し、
紫陽花の花編から滴る雨のしずくの美しさはには
小さなロマンさえ感じる。

私達には、
目の前の”出来事(現象)”を受け取る術は「五感」しかない。
「五感」・・・生まれ持った”5つの感性”。
この”感性”を意志気(意識)して、
物事を捉えてみることだ。
見方も感じ方も、
何かが変わって見えるはずだ。

そして、
その意志気(意識)を高めるには、
人間の物質的構造からいって、
まず取り組まなければならないことがある。

それは明日のブログで!

第2,959号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -4ー

 

“病”になると、
さまざまな不安が同時につきまとってくる。
「大丈夫かなぁ~治るのかなぁ~」
「保険は使えるのかなぁ~」
「治っても、もとのように動けるのかなぁ~?」
もう小さなな不安がゴロゴロと出てくる。
「気」が落ち込み、
暗くなるのは無理のないこと。
特に、
サラリーマンという立場にあるならなおさらだ。
「これぐらいで休むわけにはいはいかない!」と、
無理をしてこじらせることになるか、
「ちょうど良い骨休めだぁ~」という楽天家も、
入院が1カ月、2カ月と続くと焦りが出てくる。

でも、
困ったり、
悩んだりしたところで、
”病”が良くなるわけではない。

”病”は、
どんな”病”も、
この世に「治らぬ病」には誰でも1回しかかからないが、
まだ起きてもいないことを、
勝手な思い込みで、
”悩み”にして抱え込み、
「気」まで”病ん”でくると、
人はその時、
はじめて「病気」という悪魔と向き合うことになる。
この”悪魔”が入り込んでくると、
チョッと厄介なことになりかねない。

この状態を防ぐために良くいわれたのが「病は気から!」だ。

”心身一如”とは、
一筋の川の流れを表しているような言葉。
「心」が上流に位置し、
「身体」がその流れを受けて下流に位置する。

全ては”心一つの置き処”ということである。

第2,958号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -3ー

 

”前を見ろ!”とは、
具体的に言うなら、
「前向き」に成れということ。
人生の終末はいつ訪れるか、
これだけは誰にも判らない。
明日かもしれないし、
数十年後かもしれないが、
いずれにしろ、
必ず、
誰のところにもやってくる。
私達の人生で保証されていることがあるとするなら、
そのことだけかもしれない。

「前向き」とは、
そんな人生の中に生きているのだから、
いつ、
終末を迎えても良いように、
自分が、
「面白そうだなぁ~」
「楽しそうだなぁ~!」と感じることは、
時には、
チョッと無茶かもしれないようなことも、
積極的にやってみろということ。
あれこれ考えている内に、
時間だけは容赦なく進み、
思わぬことで、
終末を迎えてしまうかもしれない。

私は67年間生きてきて、
お陰様で入院という経験をしたのは、
交通事故で1回だけ。
病院というのも、
今年、
人生で初めてインフルエンザにかかったが、
ほとんど毎年、
健康診断に行くぐらいしか行ったことが無い。

”健康”というのも、
妻から、
やれ、
「食べ過ぎです!」
「呑み過ぎです!」といわれるから、
最近は少し意識しだしたが、
まず、
健康サプリメントなど飲んだこともないし、
食事制限などもした経験は全くない。
50代の後半に、
体重が増えて、
5年前から、
クラシックバレエのストレッチを毎週やっているが、
それも食事制限はせずに18k減量した。
ただただ、
毎週通って継続しただけ。

私達の健康の源は”心身一如”。
特に、
身体が心に及ぼす影響は一時的でも、
心が身体に及ぼす影響が長引くことが多くある。
まずは、
表面的な健康オタクになる前に、
自分の”心”に張りがあるかどうか?
確認されるた方が良い。

第2,957号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -2ー

 

もちろん、
健康に「気」を配ること自体は良いこと。
間違いなく良いことであるが、
”老化”はまず、
心の中に忍び寄ってくる。
食生活もそうだ。
野菜は農薬がかかっていて身体に害が出そうだ。
肉はコレステロールが高そうだし、
炭水化物は糖の塊だぁ~・・・・・と、
不安がって生きていたら、
かえって、
毎日の食生活に充実感が損なわれ、
何を食べても、
嬉しさや、
喜びが味わえなくなってしまいそうだ。

私も60を過ぎてから、
炭水化物を控えるようにはなってきたが、
考えて見れば、
それまで50年以上もそれを主に食生活を送ってきている。
うどんや蕎麦などは、
健康食品だと思い込んでいたけど、
米よりもはるかに身体に良くないらしい。
結局、
そういう健康本を覗き込んでみると、
私など、
ほとんど食べるものが無くなってしまう(笑。

大切なのは、
”足るを知る”ことだ。
宴会や旅先で、
ここぞとばかりに、
腹がはち切れるほど放り込んだり。
お酒だって、
『今日はとことんやろう!』などと、
前後不覚になるほど呑まないことだ。

これは食事だけに限ったことではない。
収入も同じ。
贅沢は出来なくても、
日常生活を不自由なく過ごせていればそれで充分。

ところが私達は、
”他と比較すること”でしか、

自分の幸せを測る術を知らないから、
「他人よりも上!」、
「他者よりも高く!」、
「誰よりも多く!」、
「隣よりも早く!」が満足の基準になっている人が多くいる。
まずはその基準を、
”相対的”なものから「絶対的」な基準に変えていかないと、
健康というものは、
どんどんと遠ざかっていく。

第2,956号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「後ろを振り返るより前を見ろ!」 -1ー

 

今日からの新シリーズ。
「後ろを振り返るより前を見ろ!」
なんか70歳を前にして、
自分自身に言い聞かせているようなタイトルだけど、
これって、
実は単に精神論のお話をしているのではなく、
正しく”真理=「原理原則」”のお話し。

私達が捉える”時空間”というのは、
過去があって現在があり、
そして、
これから来るであろう未来が待っているように捉えている。
でも本当にそうだろうか?
よく考えてみれば、
私達に”現在”などという時空間は一時たりとも存在しない。
それを、
一日とか、
一週間とか、
もっと細かく言うなら一時間位のスパンを捉え、
”現在”とか”今”といった呼称で呼んでいるだけのこと。

”現在”という時空間が存在しないのなら、
私達に在るのは「過去」と「未来」だけになる。
その過去の未来の間に、
現在という架空の時空間があると思い込んでいる。
だから、

その「今」が思い通りに行っていないと、
『あぁ~あの頃は良かったなぁ~!』と後ろを振り向き、
チョッと体力が衰えれば、
『若い頃はもっと〇〇だったのに~』と、
帰らぬ過去に引き戻されそうになる。

還暦を過ぎると、
見た目の違いが歴然としてくる。
”若く見せる”必要も無ければ、
”若作り”の必要も無い。
どちらも、
結局は「若くない!」ということだから(笑。

その人が、
見た目はもとより、
年齢を感じさせない何かが伝わってくる人には共通点がある。
それは「過去」を振り返らないということ。
60も半ばを過ぎて、
『あの頃は良かった!』
『若い頃はさぁ~・・・』と過去の話が多い人に、
若い人は少ない。
『この人、若いなぁ~。とても年齢には見えない!』
こういう人は、
話の内容のほとんどが「未来」のことが多い。

そしてもう一つ。
”守り”の生活に入らない。

健康もその一つ。
健康に対して”守り”に入る人と、
他のことが忙しく、
生活がややいい加減な人。
前者が健康で、
後者が不健康。
前者は長生きして、
後者は早死にするとは言い切れないのが、
”人生の妙”といえるところ。
(お間違いないようにしていただきたいがいい加減な生活を奨励しているわけではないので・・・・)。
意志気(意識)の「気」が充実して、
仕事も趣味も、
命一杯取組んでいいる人は、
病がその人を避けていくのかもしれない。

第2,955号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -75ー

 

今日まで75日間。
この春に、
社会人1年生としてスタートした、
新入社員諸君に贈るメッセージとしてお届けしてきたが、
いよいよ今日が最終回。
新入社員のみなさんに限らず、
先輩方も、
管理職の方々も、
経営者の方々も、
今一度、
初心に帰り、
自省の行動に取組んでいただけただろうか?

人には様々な人生がある。
100人いれば100色、100通りの人生が。
共通することは一つだけ。
私達は誰でもが、
何らかの運命を背負って生きているということ。
親や兄弟を選ぶこともできないし、
容姿や潜在的能力も天から授かるもの。
どんな時代に生きていきたいといったところで、
願うはずもない。
他人との出逢いも、
別れもまた”必然”だ。
こういうことは全てが、
所与条件として私達が”必然的”に与えられたもの。
そうした全てのことをまずは素直に受け入れることだ。
それをしない限り、
君の人生は止まったままになってしまう。

今の会社を、
何百万という数の中ら選択したのは、
紛れもなく君自身だ。
これもまた”必然”のことで、
その会社に何年いるか判らないけど、
最初にそこに入ることになっていたのは運命そのもの。

人生も仕事も、
”与えられた条件の中で最善の努力を惜しまない”
そして、
それを「一つひとつ積み上げていく」。
これしか道はないということ。
目先の環境が嫌で、
職場を変えたところで、
会社の名前や、
通勤する先が変わるだけで、
結局は何一つ変わることは無い。

これから先も、
運命の悪戯に振りまされながら生きていくだろうが、
迷った時は、
感情論や現象論で考えずに、
「原理原則論」で真理に沿って向き合うことだ。

どうか”やれること”だけに目を向けて、
一歩一歩、
足元だけを見据えて進まれてほしいと願う。

永いシリーズを読んでいただきありがとうございました。
明日からはまた新シリーズで!

第2,954号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -74ー

 

今日は私が参加している”ミスター・スクール”という、
体幹調整を目的とした
クラッシックバレエのストレッチを中心にした、
健康コミュニティーの5周年の集いがある日。

以前の私は、
90k近い身体で、
姿勢を正して立つと、
自分のつま先が見えないほど腹が出て、
それは醜い姿だった(笑。

あれから丸々5年。
よくここまで続けられたと思う。
そもそも、
「バレエなんて女性がするもの!」
「そんなのやったところで痩せるわけも無いし・・・・」
「そもそも女性の中に男性一人で行くの・・・・」
こんな理由で、
まずは1~2回参加してギブアップ。
すると先生から、
『禰宜先生のセミナーは
”やれることをやる”のではなかったんですかぁ~?。
痩せるとか、
結果を追い求めてやるなら、
きっと永くは続かないでしょうからやめられた方が・・・』と、鋭くキツイお言葉を頂き。
『じゃぁ~男だけのクラス作るからやってくれますか?』と、
ここでもまだ”自己甘え”は捨てきれず(笑。
先生からは、
『周囲に誰がいようと関係ないと思いますがぁ~。
でもまぁ~良いですよ』いっていただき。
私のセミナー受講生らを無理やり(ごめんね)集めて、
スタートしたのが5年前の6月20日。
小雨そぼ降る夜のことだった。
それでも酷かったなぁ~。
何をやっても、
『あっ!これキツイ!』
『痛ぇ痛ぇ痛ぇっっっ・・・・』
『あぁ~無理無理無理・・・・』
若い受講生らは懸命に取組んでいるのに、
私はなにをやるにも年齢のせいにして、
先生からは毎回、
『禰宜先生!お口チャック‼』とお叱りのお言葉ばかり。

その頃から先生が言われていた言葉。
『バレエは”一歩一歩の積み重ね”です。見よう見まねでやろうなど考えないことです。大怪我します』
でも口からは、
『”一歩一歩”やってたら直ぐに棺桶いきだよぉ~』。

そんな私に先生は、
『一つだけで良いですから毎日、やられてください。
それに私の生徒さんには、
禰宜先生より20歳も年上の方も居られますから・・・・
年齢は関係ありません!』

あれから5年。
悩みの種だったギックリ腰もここ5年は全くかからず。
体重は18K減量できた。
それよりも何よりも、
もっともっと”大きな気付き”をこの先生からいただけた。

それは・・・・「一歩一歩の積み重ね」。
世の中は何事も、
この積み重ねでしか成し得ることは出来ない。
「原理原則」のセミナーをやっていながら、
バレエの先生からこの”本質”を学ぶとは(笑。

今夜の集いが楽しみだぁ!

第2,953号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人となった君に贈るメッセージ」 -73ー

 

会社の組織というのは、
社内の人も、
社外の人も、
お客様も、
いつもどこかで誰かが、
必ず君の取組み方を見ているものである。

たとえそれが日陰といわれるような部署で、
苦労しているように感じられる時も、
社内のスター的な存在で活躍しているように見える時も、
必ず誰かが君を見ている。

上手くいっている時に、
調子に乗って、
悩んでいた時にお世話になった人のことを忘れていたり、
不遇をかこって愚痴ばかりこぼして、
何も手が付けられず、
振回されている自分に気付けないでいる時も、
必ずどこかで誰かが見ているものだ。

どんなに作り笑顔を出して、
元気そうに、
前向きに取組んでいても、
それが”演技”であるなら、
いつか必ずメッキが剥げていく。

大口をたたかず、
直向きに、
ただただ、
目の前の”やれること”に集中することだ。
早く出世しようとか、
同期の中で一番になろうとか、
そんなことを考える必要などどこにも無い、
そんなことを考えたところで、
結局は、
”まいた種の分しか芽は出てこない!”

目の前の”やれること”を懸命にやっている人に、
不遇などという状況はまず起こることは無い。
”不遇な状況”が起こる原因は、
そのほとんどが自分にある。
それに気付けないから、
「自分はやっているのに・・・なんでぇ~?」となる。

これもいつも言っているけど、
「評価は絶対的」なもの。
一つのことに取組む、
君自身の姿勢が問われた結果だということを
決して忘れてはならない。
もし、
評価というものが”相対的”なものなら、
ダメなやつばかりいる職場にいる人は、
誰でも一番になれてしまう。
そんな”一番”に何の価値があるんだろうか?
あのイチロー選手がこう言っていた。
『首位打者には感心がありません。
私の目標は首位打者ではなく.350の打率を残すこと。
たとえそれが2位であっても。
.320で首位打者になるよりも私にとっては重要なコト』と。

「他人は他人自分は自分」
自分自身の足元見据えて、
一歩一歩いくことだ。