第4,923号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー79

 

さまざまな”執着”を捨てて、
いま目の前の一瞬」だけに意識を集中させ生きてみよう。
私ごときが口にするようなことではないが、
私はこれを教えられて、
目の前の流れが変わり始めた。
他人から見ると諦めかもしれない
開き直りととられたかもしれない
自分の出来が悪いから、
まだまだ振り回されることが多くあるけど、
どんな相手が目の前に現れようが、
それはただ”自分ではない相手”というだけで、
それ以上でもなければそれ以下でもない。
お付き合いしていただいている人の中には、
そりゃぁ~有名人もいるし、
ベガスに行くのに自家用ジェットでいく超お金持ちもいるし、
オリンピック選手の方もいるし、
数千人を超える従業員を持つ経営者の方もいるけど、
自分から見て、
自分に無いモノを持っている”という点では凄いと感じるけど、
でも、
私は私でその人はその人」でしかない。
人生で無理せず、
頑張らずに生きていくにはそれを忘れないことが何より大切。

いよいよ明日はこのシリーズ最終章。

第4,922号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー78

 

執着”は日常生活の中にも潜んでいる。
今はもう使わなくなったけど、
なぜか捨てられないもモノ。
モノだけに限ったことではない。
人も同じだ。
この歳になると、
『あぁ~こういう人と同じ時間を供しているとプラスになる』
『こういう人と一緒にいると負のオーラに巻き込まれそうだ』
自分が時間を共にしても良い人とそうでない人。
『これいつか使うかもしれないし・・・・・』
『この人を切ると仕事が減るから・・・・』
そして、
私達に多くあるのが、
自分の”過去への執着”だ。
『あぁ~あの時あんなことさえなければ・・・』
『あぁ~あの時あんな失敗さえしなければ・・・・』
『あぁ~あの嫌な出来事さえなければ・・・・』
こうして私達は、
モノ時間他人によって、
試練」を与えられながら生きているのかもしれない。
そして、
その「試練」から
今度は”未来への執着”を捨て、
いまこの瞬間を懸命に生きると覚悟したものだけに、
明るい明日」が贈られてくるのかもしれない。
どんなに愛する人との運命の別れがあろうと、
去り行く人のためにも”執着”を捨てよう。
執着とは最大の罪かも

第4,921号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー77

 

先日、
この夏に亡くなった親友の四十九日法要に出向いた時、
そこに飾られていた彼の遺影を見た時、
不覚にも嗚咽してしまった。
ご住職の読経中もそれは止まらず、
読経が済んで、
恥ずかしさもあってすぐさま席を立ち、
寺の中庭にある池のほとりにいると、
先ほどのご住職がやってこられ、
『仏さまとは深いご関係だったのですか?』
『はい!子供の頃からの・・・・・』
『そうでかぁ~ご兄弟のようなものでそれはお辛いですねぇ~』
私が項垂れていると、
『でも仏様が困ってらっしゃいますよ。
自分が先に逝ったことであなた様を苦しめているんのではと。
実はこれも私達の”自我の執着”なんです。
執着”はご自身だけではなく仏様も苦しめることになります。
何よりもあなた様がいつまでもお元気でお幸せであることです

この言葉は響いた。
セルフデベロップメントで学習している、
仏性セミナー」の中でも学んだが、
つい忘れてしまっていた。
私達には手元に入って来るものもあれば、
いずれは手放さなくてはならないものもある
この現世での」ですらそうだ。
誰でもいつかは必ず手放さなくてはならない

そして「手放さなければ新しいものは入ってこない」。
これもまた「原理原則」だといえる。

第4,920号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー76

 

どうすれば楽しく過ごせるだろうか?』
どんな集まりに出る時も、
どんな大会や競技に出る時も、
新しく就職する時も、
新しく恋を始める時も、
はじめて何かに挑戦する時も、
どうしたら楽しくやれるか?”
こういうことは意識して考えなくても良いこと
それは、
そのことに対して、
自分が自分の立場で
れることだけを愚直にやり続ければ
必ず必然的な結果として後から付いてくる

妻と買い物に行くと・・・・まず”待たされる”(笑。
30分1時間は当たり前。
長いと2時間~3時間かかる時もある。
そんな時、
『なんか楽しいことでもしていよう』と、
探したところで何も無い(笑。
無いとよけいにイライラする。
やれること」といったら、
付近を散歩するか?
車の拭き掃除をするくらいだ。

ところが・・・・、
無我夢中に散歩や車の拭き掃除をやっていると、
これが実に「楽しく」なっていく。
『よし次は・・・車の拭き掃除に○○を持っていこう』とか、
『次は散歩のときに○○を探してみよう』となり、
待たされていた時間”がいつの間にか「自分の時間」になる。
与えられた環境も時間も、
仕事内容も一緒に行動する仲間や上司や部下も、
全ては自分の「受け入れ方で変化していく

 

第4,919号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー75

 

人生には楽しいこともあれば悲しいこともある。
辛い出来事もやってくれば、
嬉しい出来事もやって来る。
これは本人が気付けているかいないかだけで、
全ての人にみな公平にやって来る
何度も言うが、
「楽しくやろう!」とか、
「楽しもう!」とか、
そういう意識を捨てることだ。
こういう意識を”執着”ともいうが、
言葉を変えていうなら、
結果を思い描かないことだ。
スポーツも勝負事でもそうだが、
絶対に勝つぞ!』と意識すればするほど
結果は”負けが待っていることの方が確立的にはるかに多い
何事も”結果”を思い描かないコトだ。
これが先にお話しした「イメージング」とは違う。
ただの「」でしかなくなる。
それに、
結果”とは、
まさしく「結び目の果て」のこと。
自分がやったことの積み重ねで
その積み重ねの果てに
一つの区切りとして結び目が必然的に出てくるだけ

 

第4,918号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー74

 

人生は”他人”よりも「自分自身」に目を向けるべきだ。
どうも私達はこの点に関する勘違いが多くある。
いつも言っているけど、
誰かの為に役立つとか、
誰かが喜んでくれるだろうかとか、
そういうことは全く意識する必要も無ければ、
考える必要すらないことなのに・・・・・・。
ここにも、
私達の「行動原点」が「」というところにあることが解る。
『○○さんのことが心配してるんだけどこの気持ちが彼に伝わるだろうか?』
『△△さんの役に立てばいいと思ってやっているんだけど役に立っていると感じてくれるだろうか?』
どちらもそれは自分ではない”他人(相手)”の問題で、
自分ではどうすることも叶わないコトなのに・・・・・。
つまり、
誰かの為に役立ちたいと意識して行動する人は
その行動の目的が、
誰かの為に役立つこと”から、
いつの間にか、
誰かの為に役立ってその人に喜んでもらいたいに変わってしまっていることに気付けないままになる
そして、
その自分が描く絵図と異なる結果が出ると、
『あんなにあの人のことを考えてやったのに・・・・』と、
いつの間にか、
自分が取った行動を理解しない相手が悪いに変わることにしていることすら気付けないまま、
自分自身の「の中にモヤモヤを残していくことになる。
言葉は悪いが自分の人生は自分が主役だ。
他人のことは他人の問題で自分とは無関係なコト。
自分自身がやれることを無我夢中でやり続ける」。
このことでしか、
誰の役に立ったり、
誰かに喜んでもらうことなど不可能なコトだ。

第4,917号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー73

 

心が折れやすい人”は、
無いモノ”にすぐに意識が向きやすい。
これはビジネスの世界でも多く見られる。
すぐに愚痴をこぼす人というのは、
・時間が無い
・人手が無い
・予算が無い

だいたいこの3つを“言い訳の代表選手”のように登場させては、
無いものねだり”で自分をごまかす傾向が強くある。
『本当は「やりたいと思ってはいるんですが時間が無いから
こういう人の本音は、
やりたい」ではなく”やりたくない”が本音でまず間違いない。
無いモノ”に意識が向きやすい人というのは、
自分に「有るモノ」に気付けない。
傍から見ると、
たくさんのモノを持っていて、
むしろ恵まれすぎているくらいの環境にいても、
自分の意志気意識)が、
無いモノ”ばかりに向いてしまうために、
それに気付けないでいることが多くある。
無いモノ”ばかりに意識が向くから、
有事の際には、
それを乗り越えるのを”やりたくない”の言い訳作りのために、
『あれが無いから!これが無いから!』と、
無意識のうちに言い訳作りをしている自分にも気付けなくなってしまう
もっと、
自分に有るモノに意識を向けていこう

第4,916号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー72

 

人にはそれぞれ得意なこともあれば苦手はこともある。
『えぇ~これ苦手だなぁ~』
『ちょっと俺にはハードル高そう』
中には、
『やりたくないなぁ~』なんて感じることだって、
世に出れば向きあわなくてはならないこともある。
私はそんな時、
次の方法で解決してきた。
もちろん、
結果として大満足で終わったモノばかりではない。
途中で、
『これはダメだ。俺には向かない』と挫折したものある。
でも、
全てのことにおいて”悔いだけは残していない
その方法とは・・・・・・・・ね。

まず「やってみる!」。
この意識と姿勢がポイント。
若い頃は、
こういう意識は言われなくても満ち溢れていたから、
サーフィンも。
スキーの大回転も。
鉄棒の大車輪も、
なんでも『やらせて!やらせて!』と挑んでいったけど、
歳を重ねるごとにそうした意識は薄れていった。
50歳を過ぎてからでは、
バンンジージャンプも。
クラシックバレエのストレッチも。
居合も。
ゴルフも。
BMXもMTBも、
やってみようかな?』が引き金になった。
やる!」と結構・・・・・ハマる(笑。
それは、
無我夢中で!を信条にして向ってきたから
何事も「まずは”やってみる”」ことだ。
若い時に”やりもしないで”、
納得できないことはやれない!』などと意味不明なことを口にしていると「はすぐに老いていく

 

第4,915号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー71

 

私達は”目に見えるもの耳に聞こえるものだけが全て”と思い込みがちだが、
実は、
私達が目にしたものや耳にしたことと
私達自身の「が感じることには大きな相違が生まれている
これを逆手にとって、
人生やビジネス、
スポーツの世界で活用しているのが「イメージング」だ。
イメージング」とは、
上手く行って結果や成功シーンを頭の中でリアルに想像する。
それも単に結果という表面的な現象だけではなく、
かなり細かなところまで想像」する。
具体的な活用法でいうなら、
自分には荷が重すぎると感じるような仕事が突き付けられ、
不安に駆られたら、
・自分がその仕事に対して「やれること」を想像する
・それに対して無我夢中でやっている自分を想像する
・結果として高い評価を受ける姿を想像する
・上司からどんな言葉で褒められているかを想像する
・お祝いの席上でどんな話をしている自分がいるかも想像する
・帰宅したら家族がどんな言葉で祝ってくれたかを想像する
そうただ「想像する」だけなのだが、
私達の「」は、
これを続けていると、
それが「想像の世界で体験したこと」なのか、
実際に体験したこと上での感情なのかが区別がつきにくくなっていくという特性を持っている
こういうことを活用して、
セルフコントロールに役立てることも時には必要なコト。

第4,914号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「””を「」のごとく!」         ー70

 

私達の「」は、
楽しい
嬉しい
ワクワクする。
こういう「感情」に強く反応し、
より活性化が進んで、
思った以上の成果に辿り着くことが可能になる。
ところが、
はじめてやることを前にした時とか、
よく新入社員の入社式や歓迎会などで、
中途半端な先輩が、
先輩風”を吹かせ、
仕事はとにかく楽しくやりましょう”」などと、
口にする中途半端な人間もいるが、
いま入社してきて、
右も左もわからない人間に、
楽しくやりましょう!』などとよく言えるものだ。
だいたいこういう輩は、
毎日の仕事に不満を抱きながら向き合っていると断言できる。
楽しさ
嬉しさ
ワクワク感」こういうものは、
そこらに落ちているモノではない。
自分がそのこと仕事とかスポーツなどに対して
逃げずに
覚悟を決めて真っ向から向き合い
無我夢中でやれることをやり続けた結果として
必然的にその人のの中で
沸々と湧き上がって来る熱いものをいう