第3,797号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-50-

 

私達は良くも悪くも、
他人や周囲からの影響を受けて生きている。
それ自体は気付きもあり、
学びも得られ決して悪いことではない。
でも、
他人との関係で次のようなつながりは切り捨てたほうが良い。

それは、
本人のいないところで、
その人の陰口を語る空気の中だ。
この”陰口”というのは「悪口」とは異なる。
どちらも良いこととはされていないが、
悪口」とは、
自分と異なることや、
一般的な考えと異なることに対するものが多く、
それ自体は事実であることも多い

ただ、
もう一方の”陰口”となると少し違ってくる。
それは・・・・・・、
具体的な事実を語るのではなく、
『あの人はダメだねぇ~』
『あの人は酷い人だよ』
何がどうダメで、
どんな酷い行動をしてきたのかは全く語らない。

陰口”とはこういう、
本人のいないところで「悪口」をいうことではなく、
本人がいようがいまいが、
具体的な事例が出さずに、
他人を悪く表現する話をすることをいう。

この”陰口”の話のほぼ99%は、
語っている本人に問題が在るコトがほとんだ。
こういうことを口にする人とは、
表面的な付き合いだけに留めておいたほうが良い。
陰口を語る人と語られる人。
この両者に関係を持っているなら、
直接その本人に確認すると良い。
話は両方から聞かなければまず偏ったものになっていく。
そういう話を直接聞かされて、
何食わぬ顔で、
今度は陰口を言われた人と共に、
今度は、
言った人の陰口を語っているとしたら、
間違いなく、
その人はその渦の中に巻き込まれ、
自分自身を見失っている状態だ。

感情の整理」の上手い人は、
まず、
他人の陰口・・・・、
噂話具体的なことが語られていない話)”は口にしないし、
その輪の中に加わることもない。

行動心理学でいうなら、
具体的な行動事例を挙げて、
『Aさんのこの行動(具体的な事実)が問題なんだ!』
こういう話は後で事実確認が出来るから、
その場に本人がいようがいまいが、
陰口”の部類には属さない。

感情の整理」をしていくには
悪口」は言っても”陰口”は言うな!

第3,796号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-49-

 

認知歪み受け止め方歪み)」はなぜ起こるのか?

それは、
脳の””を背負う以外は、
しっかりと今を生きていない”ことが原因。

過去の良かった時のことが忘れられず、
いつまでも過去を引きずりながら生きている人。
または、
自分では目的意識が高いと思い込んでいるけど、
今この瞬間を見忘れて、
遠い先の見えない目的”ばかりを追い求めている人。
他人目線”で生きることが、
誰かの役に立つことだと思い込んで、
周囲の目線(評価)ばかりを気にしている人。

こういう人達は、
カウンセリングの世界では「読心の先走り」といわれ、
自分では先を読んで、
見据えて生きていつもりになっている。
会話をしていても、
話をしっかりと聞く前に、
相手の心を読んで・・・・というか、
正確には”読んだつもり”になってそれを勝手に信じ込む

こういうことは老人に多く見られる傾向だが、
実は、
ビジネスの世界では多くの若い人達が、
この「認知歪み」に気付けないまま毎日を過ごしている。

だから、
せっかく入った会社で、
自分が向き合うべきものが存在しているのに、
なぜか?
疲れと嫌悪感しか感じられない日々を過ごすことになる。

第3,795号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-48-

 

ビジネスカウンセラーの資格を取得して20年。
企業内の人材研修もそういう観点から見ていると、
まず仕事そのもので”悩み”を抱いている人は少ない。

カウンセリングの世界では、
モノの見方や受け止め方を「認知」という言葉で呼んでいる。
一般に言われる加齢による”認知症”とはまた異なるもので、
ものごとの受け止め方にある偏りが生まれた場合、
これを「認知歪み」ととらえている。

この”歪み”は、
いつも言っている「悩みの3大刃煩悩時間他人)」が影響してくる。

例えば、
仕事で失敗をする。
この出来事(現象)に対して認知が歪みだすと・・・・、
1.自分の能力不足を責めるタイプ(煩悩)。
2.その失敗による評価や将来を悲観するタイプ(時間)。
3.成功している他人を妬み羨むタイプ(他人)。
代表的なのがこの3つの反応パターンである。

ところが、
この”歪み”が本人には自覚できていないことが多い。

解かりやすい例でいうなら、
周囲からの誉め言葉を素直に受け取れない。
本来なら誉め言葉は自分を肯定してくれている言葉だから、
自己愛を満たし「感情」は安定していくのだが、
心の中で、
『フン!どうせ口だけだろ』という”歪み”が、
それを受け入れようとしないどころか、
マイナス感情」まで呼び起こしていく。

なぜこういう”歪み”が生まれて来るのだろうか?
続きは明日のブログで。

第3,794号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-47-

 

私達の感情が求めるものの3つ目は・・・。

≪”同類を求める感情」≫

私達の「感情」が深く自己嫌悪に陥った時には、
評価を求める感情”がかえっての言葉を嫌味に受け止めたり、
理想対象の人”には嫉妬の「感情」を生み出したりもする。
誰の言葉もフォローにならず、
目に入る人、
耳に聞こえる人の声は、
全てが別の世界からのように聞こえてくる。

例えば、
自分が尊敬する理想の人がいたとする。
その場合でも、
その人が自分より経済的に恵まれていたり、
能力や容姿に恵まれていると、
そこに抱かれる「感情」は
距離感”を感じるようになってしまう場合がある。

ところが、
そんな自分とは違う世界に生きているような人が、
自分と同じ失敗をしていたり、
意外と不器用だったり、
おっちょこちょいだったり、
恥ずかしい失敗も多くしていると判ると、
途端に親近感という「感情」が湧きだしてくる。

こういう「感情」は、
目の前の理想の人と自分を比較している中で、
目の前の人よりも”自分は劣る”という
マイナス感情」を補ってくれたということになる。
つまり、
私達は無意識の内に、
マイナス感情」になりながら、
また無意識の内に、
その「マイナス感情」から抜け出すためにだけ努力していることになる。

感情思考はコントロールできない」
「何も感じないでいよう!」としても無理なコト。
「何も考えないようにしよう!」と考えた時点で考えているし、
だから・・・まずは考え過ぎないことだ。
良い思考習慣を身に着けよう!”などというビジネス本も多く出ているけど、
人間が考えることなどたかが知れている
だいたい、
良い思考”の「良い」とは具体的にどういうことなのか?

こういう、
具体的なことが見えてこない言葉は充てにはならない。
信じないほうが得策だ。

第3,793号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-46-

 

二つ目は、
≪”理想対象を求める感情」≫

自分が憧れるような人、
自分が尊敬するような人だったり、
「自分もこうなれたらいいなぁ~」と感じるような人物。
そう思えるような対象人物を追い求める「感情」。

人間は自分が理想と思えるような人の側にいると、
自分もそうなれるよう(得てして表面的なことが多いが)な気になったり、
『この人の側にいれば迷わないだろう』と安心感が湧いてくる。

ところが、
こういう存在は”絵にかいた餅”のようなものだから、
ヒョンなことで途切れる。
まぁ~、
元々、
表面的なものに魅かれている要素が強いから、
仕方のないことだが、
『○○さんは私のメンターです!』と軽く口に出す人は、
この「感情」にしばしば振り回されることがある。

人の「在り方生き方)」に理想も目指すものも無い。
人生を生きていく上で最も大切なコトは、
自分と向き合い自分軸で生きていくということだけだ。

「あの人は凄いなぁ~」
「あの人の生き方は素晴らしいなぁ~」

世の中にはそう見える人もたくさんいるが、
実はみんなそれぞれに悩みながら、
苦悩しながら生きている。

大切なコトは、
どう見えているか?”ではなく、
その人がその苦悩に「どう向き合っているか?」ということ。
そんなことは外からでは見測れない。

第3,792号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-45-

 

私達の感情が求めるものの代表的なものは3つある。

一つ目は、
≪”評価を求める感情」≫

自分のやっていること、
自分が考えていることを、
他人はどう受け止めてくれていてどう感じているのか?
どう評価しているのか?
自己愛」のしっかりとしている人はこれが少ない。
評価対象は常に昨日の自分という基準を持っているから。
ところが、
自己愛」が歪んでしまうと、
他人の評価が気になって仕方がなくなる。
そうなると、
『凄いねぇ~』
『素晴らしいねぇ~』と言われないでいると、
『まだまだダメなんだぁ~』という心理が働き、
いつしか、
取組んでいるコトそのものが目的ではなくなっていき、
他の人からどういう評価をもらうか?”が目的になっていく。
こうなると、
昨日のブログでもお話しした”手段”に走るようになり、
それがエスカレートしていくと、
職場でいうなら、
自分の評価権限を持っている上司の前だけとか、
お店に出ると、
お客様の前では満面の笑顔に満ち溢れ、
立ち姿も美しく、
作業もてきぱきとこなすのに、
休憩時間になると、
周囲への気配りも消え、
足組んだままくわえ煙草をふかし、
品格も何も失った状態にいる自分にさえ気付けない。

こういう人は「自己愛」に関しても、
『私”自己愛”ありますよ。満たされてますから・・・』と、
自己愛」という言葉の真意さえ理解できず、
求めるところはいつも、
お金や、
環境、
子供の入る学校や、
有名になれるかなれないか?といった、
相対的”なモノやコトだけを追い求めていきていることにも
気付けなくなっていく。

 

第3,791号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-44-

 

自己愛」・・・、
いつも言っていることだが、
私達は”自分の為にしか行動しない・・・・・、
こういう仕組みになっている。
「世の為 他人の為」
「周囲にお役立ちの生き方を!」
こういう表現からすると、
どこか利己的自分勝手な生き方のように聞こえるが、
それは大きな勘違いだということに気付いたほうが良い。
それに気付けないでいるから、
自分ではない自分を演じて、
いつの間にか自分自身を見失っていることにも気付けない。

仕事だけではなく、
遊びだってスポーツだって、
なんでもそうだけど、
他人の為”にやっているという意識が疲れを感じさせる。
自分が自分の為に無我夢中になってやっていることで、
疲れを感じることは少ないはずだ。
好きなゴルフを1日に2Rやって、
『あぁ~疲れたぁ~』と口に出すが、
心の底では『大好きなゴルフが思う存分にやれた!』・・・、
こういう「自己愛」に満たされているはず。
それは”誰かの為に!”と向き合っていないから。

自分の人生なんだから。
まずは自分の「自己愛」をしっかりと満たすことだ。
これが「感情の整理」には最も重要なコト。
自分自身の””がいつも何を求めているのか
相手が何を求めているか?”より、
まずはこれを知ることが大切。

明日のブログでは、
私達の「感情ニーズ」についてお話ししよう。

 

第3,790号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-43-

 

サービス業などではなぜ?
お客様目線」などという言葉が生まれたのだろうか?
これは1970年前半に、
百貨店業界の人材教育マニュアルに書かれている。
”人間は自分が「想う人」を大切にする。
私達にとってお客様とは自分達が「想う人」でなければならない”

デパートマンとしてスタートした新入社員の頃は、
毎日のようにこの精神を叩き込まれてきた。
これが正しいとか間違っているとか?
そういう問題は別にして、
お客様は神様です」という言葉も、
こういう背景から生まれたとされているが、
この言葉の真意は別のところに在る。

それは管理職という立場になり、
心理学マネージメント”を学ぶようになり初めて気付かされた。

一昨日のブログで紹介したAさんが持つBさんへの嫉妬。
実はBさん自身もまたAさんに嫉妬していたことを知り、
自分が持っていたAさんへの「感情」は忽然と消え去る。
行動心理学でいうなら、
これこそが「自己愛の理屈原理原則)」。

心理学的に見る私達の”行動の動機付けモチベーション)”は「自己愛」にあるとされている。
私達が「想う人を大切にしたいというのは、
そうすることで自分もまた大切にしてもらえるという行動心理
これが働くことによって発動していく行動動機といえる。
つまりは・・・、
これもまた「自己愛」にほかならないということ。

ところが、
多くのサービス業ではこれの表面的なところだけを汲み取って、
「なにごともお客様目線で!」
「お客様に喜んでいただくことこそが自店の価値になる」
「サービス業は”お客様喜ばせ競争”である」・・・・・と、
こういう取組み方をしているから、
従業員からすると無意識の内に、
『なんとかお客様の評価を得なければ』と、
その手段”に走るようになり結果だけを追い求めようとしだす

これも行動心理学から見れば必然的なことで、
彼らを責めることは出来ない。
あれやこれやと小手先の手段で向き合って行くが、
お客様との「関係性」は小手先では築いてはいけない。
この乖離がストレスとなり、
やがては、
やる気」そのものを欠いていく結果を招くことになる。

明日は行動心理学から「感情育成」についてもう少し詳しく!

第3,789号・ブログ

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「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-42-

 

人生で大切なのは”他人目線”ではなく「自分目線」。
いま児童心理学の分野でも学習を深めているが、
お子さんにいろいろ指導する時に、
『ここに合格したらきっとパパもママも嬉しいから・・・』
『これが出来るようになったら馬鹿にされなくなるか・・・・』
・・・・だから・・・・『頑張ってね』と、
これを子供に対する励ましだと思い込んでいると、
この子は大人になっても、
いつも”他人目線”で、
自分の行動が他人はどう見ているのか?
自分のやったことを他人はどう評価するのか?
こういうことばかりが意識の中でうごめいて、
止まることがなくなっていくそうである。

だからもう7~8年前からか、
私はサービス業の顧問先の研修や学習会では、
お客様の為に!」
お客様の喜ぶことを!」
お客様のお役に立つこと!」
まずはこういった表現から無くす働きを勧めている。

考えてみれば、
仕事というのは、
他社との競争ではなく共存の世界でしか、
経世済民」の中での役割は果たしていけない。
他社とのサービス合戦で、
お客様の喜び獲得競争”をして商売が成り立ったのは、
モノを並べて置けば何でも売れた時代に終わっている。

それになによりも、
こういう指導方法を続けていると、
働くスタックの「感情育成」には役に立たないどころか、
マイナス要素しか生み出さないことを知るべきだ。

第3,788号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-41-

 

私達の多くは物事を”相対論”で見てしまいがちだ。
隣の芝生は自宅の芝生より青々と見えてしまう。
自分の収入も誰かと比べてどうかで決めてしまう。
友人の住まいの大きさで自分の住まいの大きさランクを決める。

嫉妬や妬みの「マイナス感情」にとりつかれやすい人には、
間違いなく、
いつもその人の心の中に”他人”が住み着いている。
誰かの不幸を知ることでしか自分の幸せが確認できない人”って意外と多くいる。
そういう「感情」というのは薄っぺらで、
チョッとしたことで直ぐに生まれたり消えたりする。

例えば、
お金持ちで、
周囲からも慕われ、
何でも熟せるAさんに嫉妬している自分がいるとする。
仮のそういう関係の人がいたとしたら、
人は次第にそういう相手に「悪感情」を抱きだしていく。
ところが、
自分とAさんを良く知るBさんから、
『実はAさんが君に嫉妬しているんだよね。
君の明るい性格に行動力のあるところ。
何よりも失敗を恐れない前向きな姿勢は羨ましいと、
先日、帰りの電車の中でズッと君の話ばかりだった』と、
こんな話をBさんから聞かされると、
たちどころにしてAさんに抱いていた「感情」は、
ガラッと一変する。

つまり、
私達の「感情」というものは、
自分のものでありながら他人の影響”を強く受けやすい

だから、
いつも言っているけど、
人生で大切なコトは”他人目線”ではなく、
自分目線」で生きていくことなのである。