《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」 ー68-
多くの人は、
”自分の限界”を主張することに多大なエネルギーを費やす。
『そんなこと私には無理です』
『なんでそれをやるんですかその根拠が納得いかないんです』
目の前に出されたミッションに、
思いつく限りの”言い訳”を、
あたかも正当な”出来ない「理由」”のように並べ立てる。
人間の持つ「意志力」というのは、
生きるうえで最も強い武器になるが、
「やるか?やらないか?」の基準もまた、
この「意志力」の違いが表に出てくる。
”やりたくない言い訳”を、
さも「やらない”理由”」や「やれない“理由”」のように並べ立ててその場を逃げるタイプは、
この「やるか?やらないか?」が、
”出来るか?出来ないか?”に置き換えられ、
自分の評価を下げないように、
他人から見える自分をよく見せたいという我欲の心理が働く。
こういう人は、
表面的なものに対する基準が自分の”行動基準”にもなっている。
『自分をいつもよく見せたい。
だから失敗は出来ない。
失敗すれば自分の評価レベルが下がる。
他人からの評価レベルも下がる』と思い込みがちになっている。
そしてそんな基準の中に”自分の限界”を定めていく。
どんなに偏差値の高い有名大学を卒業しようが、
どんなに在学時代の学業成績が良かろうが、
こういう人材を採用してしまうと、
その”人材”を「人財」にすることはかなり難しくなる。
私達には表に出てくる成績(IQ)の前に、
人として自己管理を行う(EQ)が存在し、
その前には、
”人としての「聖域」ともいうべき「尊厳(DQ)」”というもが存在する。
人生道はどんな道を選択しても良い。
どんな進み方を選択しても良い。
でも、
この「尊厳」というもを身に付けていないと、
そこにその人の「自責」の存在は無く、
人としての責務を全うすることが難しくなる。