第4,496号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”マネージメント力”を考える!」 ー5-

 

今日は「マネージメント力・応用型」について。
マネージメント力・応用型」とは、
目的達成の4ステップ・サイクル」そのものを指している。
言い換えるなら、
職場の管理職以上の仕事ととは、
正にこの作業そのものといえる

組織全体で立てた「計画」。
それを達成していくためには、
必ず「やること」が目の前に現れてくる。
その最初のステップが「準備PREPARATION」だ。
準備
モノ準備
資金準備
どうやっていくか?)の準備
さらには・・・・、
やったこと」をどう”評価していくか?”
評価するためにはやった記録をどう残していくか
面倒くさい作業”が山ほど出てくる。
もしこの”面倒くさい作業”を、
「面倒くさがって」その場しのぎでやり過ごしていくと、
その先には、
目には見えない、
途方もない時間経費を放出していくことになる。
ところがこの「準備を十分にしないまま
実行という次の段階に投入してしまうところがいかに多くあるか?
その結果は?
『なんでこんなことが起こるの?』
『なんで予定通りに進めないの?』
『なんで?なんで?』・・・・・と、
その内、
『あいつが悪い!』
『あいつがやらないからだ!』と、
コミュニケーション問題にまで発展していくのが伸びない組織の大きな特徴といえるだろう。

続きはまた明日。

第4,495号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”マネージメント力”を考える!」 ー4-

 

目的達成のための4ステップ・サイクル
今日はそれをもう少しだけ深く探ってみよう。

セルフマネジメント」という言葉があるが、
マネジメント」との定義の中に”他人を介して”というのが存在している以上。
組織の中で管理者層未満の人達に、
この、
4ステップ・サイクル」を当てはめることは極めて難しくなり、
その場合は従来の「」の域を超えることはできない。
もし「4ステップ・サイクル」で取組ませるなら、
その人間には管理者層と同じ権限を譲渡しなくてはならない。
その権限を譲渡したうえで、
自らが最後の責務を背負う覚悟が必要になる。
解り易く言うなら、
『すべては”セルフマネジメント”で任せたからね!』で、
その結果そのものまで背負わせるのは管理者としての体をなしていないことになる。

つまり、
職場では向き合う仕事の中には、
組織で計画した実行段階の作業を、
計画の中心となった管理職が、
そのまま直接向き合わなくてはならない場合と、
それを自分の部下に落として
その”部下を介して行う場合の二つに分かれる。
セルフマネジメント”とは、
この後者の場合に適用されるが、
その場合に使うのが、
マネジメント力基本型」といわれるもの、
これが「」の3段階になる。
この場合に大切になるのが、
最後の「チェック」だが、
ここでいう”チェック”はとは、
なんどうもいうが”批評で終わってはならない”。
ここはあくまでも、
SEE評価反省)」でなくてはならないということ。
従って3段階目の「」については、
たとえ部下に『セルフマネジメントで!』と指示を出した後も責務はそう指示した管理者自身が背負うということだ。

明日は「マネージメント力・応用型」を!

 

 

第4,494号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”マネージメント力”を考える!」 ー3-

 

マネージメント」を円滑にすすめていくには、
ある一連の流れを様々な場面で、
飽きることなく繰り返す以外に方法は無い。
この”ある一連の流れ”というのが、
計画(PLAN)
準備(PREPARATION
実行(DO)
評価(SEE)・・・・の4つの手順をいう。
昔の””といわれたものだが、
多くの組織が思い描く計画は頭の中に描くが、
思い通りに事が進まず問題が発生すると、
その場しのぎの小手先対応に追われ、
一時的にその場をしのいでも、
また数日すると元の木阿弥状態に戻っていく。
これはとにもかくにも、
計画実行する前に不可欠な準備」という段階を軽視しているかに他ならない。
だから3段階目の”チェック)”も、
それを過去にさかのぼって検証する術がないため、
出てきた結果の「評価」ではなく、
批評良い悪い)”だけで終わってしまっていく。
お題目だけで終わっていたただの””は、
こうして1990年頃を境に大きく見直されていった。

それが「計画準備実行評価」の4ステップだ。
そしてそれを、
さまざまな場面で、
飽きることな繰り返し目的達成まで行い続ける”から、
これを「目的達成の4ステップ・サイクル」と呼ぶようになった。

 

第4,493号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”マネージメント力”を考える!」 ー2-

 

昨日の事例のような問題を解決していくには、
まず”「マネージメントとはなにか?”。
ここからスタートしなくてはならない。

堅苦しい定義からいうなら、
マネージメント」とは、
組織の目標達成のために組織全体の理念に沿って、
他人を介して適切に対応し経営資源を有効活用する働き
”・・・といえる。

さらに管理職に至っては、
そのためにどう部下を育成しながら対応していくか?”という向きあい方が加えられてくる

これをもう少し具体的に言うとこうなる。
組織の目標
これ自体が共有されていない企業組織は意外と多い。
その第一が「経営理念」といわれるもので、
これが存在しない組織はどこにむかって組織が進んでいいるのかさえ見えてこない
会社全体の「経営理念」が決まったら、
次はその中に存在する部署ごとの「行動理念」というものが必要になる。
これは会社全体の目的を達成するために、
各部署ごとが具体的にどう向き合っていくかという指針だ。
適切な対応
大きくは世界的経済状況や環境変化によっておこる働き方(人で不足、従業員健康・意識管理、評価管理、勤怠管理等)改善対応が必要になる。
つまり今の状態をそのまま継続すべきなのか?
または改良改善が必要か?
現状状態を放置しておくと予測される危惧などを把握していく。
経営資源の有効活用
経営資源”とは「モノ」の4つだ。
この中で最も重要な資源は言うまでもなく「」だ。
他の3つはすべてこの「」によって活用されていく。
活用する”とは単に”使う”ということではなく、
能力いっぱいの水準と適正量の仕事をしてもらう」こと。
他人を介して
組織というのは経営者層管理者層監督者層一般社層の4つの層から成り立っている。
監督者層より上の位置づけにある人にとっての”他人”とは、
取引先や社内では概ね部下となる。
一般社層の人達なら上司、先輩、同僚がこれにあたる。
従ってそこには「マネージメント力を支えるコミュニケーション力というものが求められてくる

このように理詰めで説明されると、
どことなく「ゆとり」さえなくなっていくような感じがするかもしれないが、
長い目で見ていくとこれをしない限り、
ゆとりやりがい」を手に入れることはできなくなる。

第4,492号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”マネージメント力”を考える!」 ー1-

 

今日からは「マネジメント」の具体的な事例を。

ここに紹介事例やその時の具体的な対策は、
実際に私のクライアント先で実践したこと。
この”孤立化”した現代社会でいま、
マネジメント力」の必要性が大きく問われている。
実際に行なった「マネジメント学習会」の詳細は省くが、
このシリーズを通してぜひご参考にされていただきたい。

重ねていうが、
いまビジネスの世界で、
管理職に求められている最重要能力は「マネジメント力」。
この「マネージメント力の基本」とは・・・、
その昔から語られている、
PDCプランドゥチェック)”だが、
今の現代社会ではこれだけでは取り残されていく。
マネージメント力」を高めるにはまず、
その基本をしっかりと学びこんでいくことにある。

では「マネージメント力が欠如しているとどうなるのか
ここで実際の事例を紹介する。
この事例の対策が”「マネージメントとは何か?」という問いに対する大きなヒントとなるだろう。

事例
S社のF課長は仕事ができるだけに、
部下が仕事で行き詰まってしまうと部下に変わってすぐさま自分が処理に乗り出す。
容量の良い部下は自分の仕事を減らす意味からも、
少しでも行き詰まると、
『課長!これどうしましょうか?』と下駄を預けに来る。
こうした中でF課長だけがいつも忙しく
組織の「マネージメント力」は、
いつまで経っても伸び悩んだままでいる。
この事例は、
マネージメント力」の低さから起こる代表的なものだが、
目に見える売上はあげられても、
こうした問題を放置しておくと、
目には見えない大きな損失を蓄積していくことになる

仕事は”面倒くさい”のが当たり前。
この”面倒くさい”ことを、
面倒くさくないように”していくのが「マネージメント力」そのものといえる。

 

 

第4,491号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー77-

 

77回にわたりお届けしてきたこのシリーズも今日が最終章。

人は、
目の前の”小さな負け”という結果現象に振り回されなければ、
自分のペースを乱すことも無い。
自分自身を見失うことも少なくなる。
そのためのポイントが次の4つだ。
目の前のことに一喜一憂するだけで終わらせない
嬉しいことがあったら心の底から歓喜すればよい。
悲しいことがあったら心の底から涙すればよい。
悔しいことがあったら心の底から悔しがればよい。
でも・・・それをいつまでも引きずらないことだ。
ここでいう「心の底」とは、
そんな自分を振り返りながら”という意味だ。
ことに向き合う時はしっかりと意志気意識)”する
「やれたらいいなぁ~」
「やれるように頑張ります」ではなく「やると強く意志気
することが大切・・・これを「進取な意識」という。
.「やったことは振り返る
スポーツの世界でもビジネスの世界でも、
上手くいったら万歳。
失敗したら『次は頑張ろう!』では次につながらない。
そのためには特にビジネスは記録を残すことを忘れる
記録が無ければ過去にはさかのぼれない
.”無理はしない頑張らないで「やれることだけに集中
これはセミナーで良く使われる「コミットメント」そのもの
のこと。
人は『頑張ります!』と口にすると必ず『頑張ったのに』と
いう”のに現象に苛まれストレスをため込んでい行く

この4つさえしっかりとやり続けていれば、
その道は必ず先へとつながっていく。
どうか自分の人生に”他人”を引き込むことなく、
自分らしく、
自分だけの素晴らしい人生道を歩んでほしい

 

第4,490号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー76-

 

誰にでも”やれないこと”もあるが「やれること」も確実にある。
自分の人生に”他人”を引き込まずに生きるには、
この”自分がやれること」”に集中するだけで良い。
特別に難しく考える必要などない。
やれることなのだから
自分が意志気意識)”するだけで誰にでもやれる
表面的には、
成功者がいて、
失敗を繰り返しなかなか思うように事が進まない人がいて、
この世の中は、
勝ち負け”が存在しているかのように見えるかもしれないが、
何が”勝ち”で、
何が”負け”なのか?
どういう結果が出れば良くて、
どういう結果が出れるとダメなのか?
これも一人ひとりその形は違ってくる。
単純な言い方をするなら、
欲の深い人は大勝ちしなければ満たされず、
無欲な人は引き分けでも満足する。
こうなると大切なことは、
勝ち負け”の結果現象ではなく、
それに対する向き合い方在り方が問題になって来る。
大勝ちを望む人はほんの小さな負けにも不満を抱き、
心の中に敵を作る。
向きあい方在り方だと感じる人は、
結果に振り回されることなく、
それに向き合った自分自身を振り返りながら、
次への挑戦意欲を掻き立てていく。

大切なことは
自分らしい自分なりの勝ち方を知ることだ。

愛4,489号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー75-

 

「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」
この姿勢は、
「自分の人生なんだから自分自身を見つめて生きていけ」ということで、
他人なんかどうでもいい”といっているのではないのでそこを勘違いしないように。
「”勝ち負けにこだわらない」のと、
「”負けるのが嫌だから」というのは違う。
前者は”他人を引き入れてはいないが、
後者はその真逆で、
自分を見失って
他人に振り回されて生きていることになる。
こういう心の中の状態は外からは判り難いが、
実は「自分では解っている」。
スポーツの世界ではこういう姿が強く表に出る。
負けると・・・・”悔しい”。
屈辱感も味合わされるから表に出る。
これはただ”勝ち負け”という、
表に出てきたコトやモノに踊らされているのと同じ。
他人”を引き込んでいない選手は・・・・、
しっかりと「自分を持って」向き合っていく。

勝ち」を「勝ち」と受け止めず負け”を”負け”と受け止めず
ただその成果から気付け!

これは諸葛亮孔明が戦を終えて戻った兵士に残した言葉だが・・・その意味は、
戦いの勝ち負け”は、
常に私達に何かを残し気付かせてくれようとしている。
もしそれに気付けないのならこの戦そのものは無駄になる

正に、
勝ちに不思議な勝ち有れど 負けに不思議な負けなし」だ。

第4,488号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー74-

 

誰かと「話し合う」時も、
挨拶」と同じで”その目的」”を誤らないことだ。

ややもすると私達は、
誰かと「話し合い」をする時に、
相手にこちらの考えを理解してもらう
こちらの意見を通す
相手の考えを変えさせる
こういう”勝ち負け”にこだわりがちな傾向が強くある。
この”勝ち負け”にこだわると「話し合い」は”論争”へと変化する。

話し合い」・・・・・、
これは、
いまここに無い新しい答えを導き出すため”にある。
Aの意見とBの意見を戦わせて、
どちらの考えが正しいか?
どちらの意見が間違っているのかを明らかにするためではなく、
でもない。
でもない。
まったくそれまで誰も考え着くことが叶わなかった、
」という新しい”考え方)”を導き出すことこそ、
話し合いの目的」といわれるものだ。

だからこういう場でも”他人”を自分の中に引き込んで、
『こんな意見を言ったら何と思われるか?』
『アイツの言う話など聞いたところで・・』
こういう意識が強くなると、
人は自分を自分で殺していくようになり、
他人の話を聞いても、
腑に落ちて理解するのではなく、
『反対したところで無駄だから・・・・』
『どうせ解ってもらえないから・・・・』
こういう意識での”解り方に治まっていくしかなくなる

第4,487号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー73-

 

自分の人生に”他人”を引き入れないで生きていくとは、
言い換えるなら「自分自身を見つめて生きていけ」ということ。
人が生きる”とは結局はそこに尽きる。
誰かのために役立とうとか、
誰かに喜んでいただこうとか、
こういうことを口に出しているレベルでは、
本来の心の奥底には、
そういうことが息づいていないということだ。
私達は誰もが不完全で未熟だ。
完璧な人など存在しない。
セミナーや研修で偉そうなことを口にしている私だが、
言っていることとやっていること」はずぶんと違うところも多くある。
だってまだまだ未熟で不完全なんだから、
いわば、
試練の道半ばを懸命に生きているだけ
人生道の最後に辿り着いた時、
どれだけ”自分でやってきたことに実が付いたか?”だ。
有名にならなくても、
財を成し得なくとも、
周囲から凄いといわれなくても、
大切なことはそのことだけだ。
でも今はまだそれも全く見えても来ない。
不安になることも少なくない。

それでも70歳になって少しだけ、
これが自分」だとやっと見つめられるようになってきたから。
だから自分より歳の若い、
息子のような人達から、
『先生!そりゃぁ~駄目ですよぉ~』と苦言を呈されれば、
まずは「素直な気持ちでその言葉を受け入れられる
自分の人生に”他人”を引き入れないで生きていくとは、
結局のところこういうことなのだとやっと気付き始めてきた。