第2,184号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -68ー

 

結局、
私達は周囲の人達に生かされている。
その相手との、
目の前に起こる現象は、
恨みも、
憎しみも、
裏切りさえも感ずる時があるけど、
結局は、
そうしたことの乗り越え方で、
次の自分の道筋が決まるだけ。

神様って、
サディストなのか?
それとも、
導き手なのか?
判らないけど、
間違いないことが一つだけある。
それは、
いつも私達を”試している”。

大切なことは、
目の前の起こる”現象(メッセージ)”に、
耳を傾けること。

難しく考える必要などない。
考えないで、
感じるだけでいい。
感じたことを、
自分の足元だけを照らして、素直に受け入れれば良いだけのこと。
これが、
天からのメッセージを受信するということ。
DVDで見る映画は、
つまらないところ、
興味のないところをスキップすることができ、
早送りで見ることもできる。
でも、
人生は飛ばしてしまったり、
早送りをしようとしたらメッセージの本質を見逃すことになる。
スキップしたり、
早送りするのは、
嫌なところは聞きたくないというのと同じ。
”嫌なところ”にこそ、
私達に必要なことがたくさん隠されている。

職場を楽しいものにするなら、
”嫌なところ”をスキップしたり、
飛ばそうとしないことだ。

 

第2,183号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -67-

 

私もそうだが、
人はすぐに結果を追いたがる。
「結果が全て!」
あまり好きな言葉ではないが否定はしない。
でも、
「結果」というのは、
あくまでも、
”結びにやってくる結末の果て!”のこと。
1本の絡まった紐を解くのに、
『こうでもない!』
『あぁ~でもない!』と頭を抱えながら、
結んでは解き、
解いては結び、
また結んでは解くを繰り返すことだけが、
私達の「やれること」。

『職場が楽しくない!』
『仕事が楽しくない!』と悩んでいる人は、
これをやらずに、
「結果」である”出来るか?出来ないか?”
これだけだけを追いかけているから。
初めて経験すること、
過去に失敗した経験のあることに対して、
人はどうしても臆病になる。
『失敗したらどうしよう?』
そんなことは考えなくてもよいこと。

そもそも、
何かに取組んで「失敗」という現象さえ存在しないのだから。
だって、
なにかを”やる!”と、
必ず「結果」が出る。
「上手くいった」という結果か、
「上手くいかなかった」という結果が。

「上手くいった」ら、
それで終わりではないはず。
次は、さらに上のレベルにするために何をやるべきか?
どこをどう改善すべきか?を考えなくてはならない。
それが取組むということ。

「上手くいかなかった」ら、
”上手くいかなかったのはなぜ?”
これを考えるという気付きが「結果の中に存在する”成果”」。
次はそれを改善して再チャレンジすればよいだけのこと。

これが理解できないと、
仕事も人生も”楽しさ”は得られない。

第2,182号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -65-

 

”感謝”の「本質」が理解できていない人は、
必ず、
目の前の出来事に対して、
都合の悪いこと、
良くないこと、
辛いこと、
苦しいことが起こると、
他人や環境のせいにする。
他人が起こしている問題は、
他人の問題であってあなたとは何の因果関係も存在していない。
『〇〇さんは挨拶してもしてくれないから、
私も挨拶はしません。
あの人がするようなったら、
私もします!』とか、
離婚を前にして、
『私は本当は別れたくないんです。
あの人が変わってくれれば!』
こういう人は、
”感謝”の「本質」が全く理解できていない。
”感謝”という言葉をしっかりと理解している人は、
上手くいかない”壁”にぶちあたっても、
他人や、
環境のせいにしないから、
その”壁”を「扉」に変えられる可能が生まれる。
他人や環境のせいにしていると、
自分に送られてくるメッセージは聞こえ難くなる。
自分自身を見つめていないから。

よく企業が不祥事を起こすと、
『申し訳ございません。
二度とこのようなことの無いように努力いたします!』と、
社長から役員までが雁首揃えて頭を下げるけど、
こういう企業はその根っこは全く改善されない。
TVを見ている人は、
そんな姿を見たいのではなく、
今後、
具体的にどう改善行動をしていくのかが知りたいのだ。
”お詫び”と「反省」は全く別。
”お詫び”はしても、
「反省」しなければ次の行動にはつながらない。

第2,181号・ブログ

《”ねぎたけ”・・・こと「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -64-

 

”自分の足元に!”
セミナーでもブログでも、
もう15年以上こういい続けているけど、
”自分の足元”ってどこなのだろうか?
それは、
毎日の、
毎時間毎時間の、
自分の姿をじっと見つめることから。
ほら!
「歩けているじゃない!」
ほら!
「話せているじゃない!」
ほら!
「働ける職場があるじゃない!」
ほら!
「家族がいるじゃない!」
ほら!
「毎日3食食べれているじゃない!」
こんな足り前のことを、
自分がどう受け止めているかということ。

「感謝」とは、
「ありがたく感ずること!「でもなければ、
「”ありがとう”と口にすること」でもない。

人は完璧な人は存在しない。
日ごろの自分の自我やわがまま、
私欲や虚栄の姿を、
自分の中で懺悔し詫びて反省して、
そして、
新しい”意志気(意識)”で行動に移すこと。
これが、
《感謝とは感性で謝罪し、新たに沸き起こる意志気行動》の
真の意味。

この”感謝”という意志気が芽生えなければ、
自分の身の回りの「制約」に文句を言い、
自己を正当化して、
周りを変えようとする。
”過去と他人”は変えられないという「原理原則」がある以上、
そういう行動は、
どんどんと自分を深みにはめ込んでいくだけになる。

 

第2,180号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -66-

 

「傾聴力(傾聴力)」という言葉を、
先日、
顧問先の店舗に掲げられていたのを見た。
『店長にこの言葉は?』と尋ねると、
『はい!社長から教えていただきました』
『どういう意味?』と続けると、
『人の話に耳を傾ければ、
様々な情報や学びが得られるという意味です。』

とても良い言葉である。
『そうですねぇ~!』
『なるほどぉ~!』と口先だけ合わせても、
なにも聞こうとしない人が多くいる。
それから、
『仰っていることは解りますけど・・・・』
この「・・・けど」がつく会話をする人も、
結局は解っていないし、
理解もしていない。

そして私は彼にこう続けた。
『この”傾聴力”を身に付けたら、次のステップは?』
人の話を聞くだけではダメ。
よく、
「人の話を聞いたらアウトプットすることが大事!」という人がいるが、
それも、
ただ、
聞いて覚えた知識などを、
伝えることがアウトプットと思っているようなら大間違い。
「傾聴力」で身に付けたら、
次は、
《意志気力》で行動すること。

《意志気力》とは、
自らが意識して志、
やる気、
勇気、
陽気、
根気を持ってことにあたるということ。

私達に課せられているものは、
全てが”自責で取組む行動”のみ!

行動こそが真の「アウトプット」であることを忘れるな!

 

第2,179号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -63-

 

世の中、
職場、
家庭、
仲間、
”組織”というものには「制約」がつきもの。
この「制約」があるからこそ、
”楽しさ”を感じることができている。
この「原理原則」を忘れている人が異常なほど多くいる。
スポーツだって同じだ。
「制約=ルール」があるからこそ、
楽しいはず。
野球で、
打ったら、
一塁でも三塁でも、
自分の好きな方に走っていいよ。
ゴルフで、
バンカーに入って出そうもなかったら、
手の5番使ってもいいよ。
こんな野球やゴルフは楽しくないはず。

人生も、
ましてや、
「同じ目的に進む二人以上の集合体」という”組織”の中では、
「〇〇はやってはいけません!」
「△△は必ずやってください!」
こういう決め事がたくさんある。
これは、
良い悪いではない。
”決め事”だから、
それを承諾して、
その組織に自分の意志で入ったなら、
それが必然的に「制約」となる。

その人の努力とか、
懸命さというものはこの「制約」の中に存在している。
それに負けて、
そこから逃げようとしないで、
自分で進取な意志気で向き合った時だけ、
そこにヒントが生まれ出てくる。
仕事なら、
くじけそうになった時、
もう投げ出しそうな気持に覆われた時、
前に進む「扉」が少しだけ開く。

「自己ミッション」はこういう、
苦しさや、
辛さの中にヒントが隠されている。

第2,178号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -62-

 

職場を100倍楽しくするには、
”楽しさ”を追い求めないことである。
宝物を手に入れようとして、
世界中を飛び回ったとこで、
たやすく手に入らないのと同じ。

昔、
同級生で切手集の趣味を持つ奴がいた。
自宅に行くと、
自慢げにそれを見せてくれて、
中には、
50年前で1万円の価値があるというものまで、
見せてもらったことがあったが、
切手に全く興味のない私には、
その価値は無縁のものだったが、
その時、
彼が、
一枚一枚の切手との”出逢い”を語っていた。
『これは前日の夜から並んで買ったんだ』とか、
『これは九州まで行って手に入れたんだよ』とか、
私からすれば、
『そこまでしてやるかねぇ~?』と、
半ばあきれ顔で聞いていた記憶がある。
でも、
彼にとっては、
掛け替えのない宝物なのである。
なぜなら、
”苦労して手に入れた!”から。
誰かが、
『これ欲しがっていただろう?』と、
ゴソッと持ってきてくれていたら、
それは、
彼にとってみれば、
宝物でもなければ、
そこに、
”楽しさ”も、
喜びも感じられないただの”モノ”になってしまうだろう。

職場で”楽しさ”を手に入れるとは、
こういうことをいうのである。

これなら簡単に儲けられる。
これなら簡単に叶えられる。
こういうものに”価値”は存在しない。
”価値”の存在しないものは、
直ぐに手放すことになる。

家族でも、
職場でも、
表面的な仲良しチームを望むな。
簡単に、
感謝とか、
感動とか、
最高とか、
こういうこと口にしている人間に、
真の”楽しさ”や”嬉しさ”を手に入れている人はいない。
みんな見せかけだ。

そういう”宝物”という価値あるものは、
いつの世にも、
どこででも、
全て「自分の中」にしか存在していない。

第2,177号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -61-

 

私達が生存しているこの宇宙空間は
140億年くらい前に生まれたらしい。
地球はそれから遅れること90~100億年後。
出来てから40数億年。
でも実は、
宇宙が存在する前から宇宙は存在し、
私達の”気(命)”は、
その頃から存在しているといわれる。
肉体には寿命があるが、
私達の”命(気)”には寿命は存在しない。
永遠のもの。

そのぐらい、
尊く、
力強く、
”気”に溢れかえる私達が、
なぜ、
小っちゃなことに振り回され、
悩み、
苦しまなくてはならないのか?
それは、
全てを「自分以外」に向けているから。
他人と比較することでしか、
自分の幸せも、
収入の多い少ないも、
成功者なのか?
失敗者なのか?
目に見える他人像、
耳に聞こえる他人の姿と比較して、
良し悪しを決めているから、
酷い人間になると、
他人に嘘をついて、
他人を騙すために、
自分を自分ではないように演じて生き、
お金を手に入れたり、
有名になることや、
他人と上手くやることが
あたかも幸せのように思い込んでいく。

これが私達の”性”というものなのか?
そして、
それにいち早く気付けるために、
私たちの目の前には、
天からの様々な「試練」が届く。

これが、
私達が活きる人生の「原理原則」。
私達が存在する宇宙の「大原理原則=摂理」というもの。
まずは自分自身と向き合い、
自分自身を見つめ直すことである。
これしか、
今、
あなたが抱え込んでいる状況を、
根本的に変えることは不可能。

ましてや、
『これをやれば願望はすぐに叶う!』とか、
『成功の法則はこれ!』などというものは、
この宇宙の中には存在していない。

第2,176号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -60-

 

悩みを抱え、
途方に暮れるような状況に陥る。
これを人は”壁にぶつかる”というが、
そんな時は、
その”壁”だけを早く取り除こうと考えないことだ。
その状況だけを早く変えようとするから、
「自己ミッション」になかなか気付くことができない。
仮に、
『あっ!』と思った瞬間に、
その困った状況が一変して、
自分の思い通りになったとしよう。
そこには何が残る?
そう!
”状況回避”という現象だけが残るだけ。
それに気付けなければ、
次の”壁”はとてつもなく分厚く
高いものと感じることになる。

”状況回避”をしようとしないで、
まずは、
指先を自分に向けて、
「自責」の立ち位置から
状況分析と検証に向き合うことである。
そうすることによって、
ぶつかった”壁”がどうしてできたのかが理解できてくる。
すると、
その”壁”だと思い込んでいたものが、
実は「扉」であることにも気付けるだろう。
「扉」である以上、
”壁”とは違って、
必ず《🔑(鍵)》がある。
鍵さえあれば、
どんな「扉」も必ず開けることが可能になる。

その隙間から、
新しい光が差し込んできた時、
『すみません!もう一度、やらせてください!』という、
謙虚で、
進取な意志気の自分と出逢える。

「自己ミッション」とは、
こうした時にしか気付くことはできない。

辛さや、
苦しさや、
悩みこそ、
「自己ミッション」の気付きの時。
『見ろ!ここまで来たぞ!』ではなく、
『あぁ~!やっとここまで来れたんだぁ~!』と
感じるられることこそが大切なこと。

 

第2,175号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -59-

 

”生まれ変わる”
この言葉を聞きくと、
『もうすでに生まれてしまっているのに?』
『生まれ変わるには・・・死ななきゃならないの?』と、
なんか難しい感じがするけど、
決してそういうことではない。
人はどんな時にも”生まれ変われる”。
というより、
私のセミナーではいつも、
「本来の姿に戻れる」と表現しているが、
表現する言葉などどうでもよい。
大切な意味は、
”原点に返れる!”ということ。

人は元々、
前向きで、
積極的で、
自由で、
元気が全てで、
失敗を恐れたり、
他人からの評価を気にするような
そんなメカニズムは持ち合わせていない。
3歳くらいからの経験や体験、
生活環境の中から、
そういう雑念が刷り込まれていっているだけ。
それを取り戻せばよいだけのこと。

では、
そのチャンスはどこにあるのか?
それは、
失敗をしてしまった時、
過ちを起こしてしまった時、
罪を犯してしまった時、
悩みが生まれて、
頭を抱え込んでしまった時。
こういう時こそ、
”生まれ変わる”最大のチャンスといえる。

人生は”試練のために存在している”。
ほとんどの人が、
目の前に立ちふさがる”壁”を迎えると、
頭を抱え、
途方に暮れて、
苦しむ。
何とかその状況を変えようとして。

そのまえに”やること”が在るのを忘れて。

これは明日のブログで。