《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー207-
「”真我”と肉体」の本質的関係。
これもまた難しい言葉で、
私も理解するのに苦労した思い出がある。
とかく私達は、
肉体だけに意識が向きがちで、
無病息災だけを望んで、
あたかも長く生きることが、
人生における幸せと思い込んでしまう節が強くある。
私達のこの”肉体”は、
私達に「命」そのものではないはず。
私達の「命」というものは、
それぞれの”肉体”をはるかに超越したもので、
言い換えるなら、
”肉体”に衣服を着け、
「命」というものが”肉体”という仮装をしてそこに在る。
こういう意識観念が、
自己の”本体(真我=命そのもの)”と”肉体”とは、
全く別筒のものだということが自覚できると思う。
このシリーズで何回もお伝えしているが、
私達の「命」とは、
この大宇宙の中に存在する「エネルギー(気)」そのもの。
”肉体”の表面的なものを鍛えるよりも、
その「エネルギー(気)」そのものを、
いつも積極的意識で強く持ち、
邪気や悪気、
嫌気や怖気、
浮気や山気を捨てて、
元気を忘れず、
勇気をもって陽気に、
強気で根気よく、
活気にあふれ健気に事に向き合うこと。
これこそが「”真我”と肉体」の本質的関係を指し、
「心身一如」の思考で活きる活き方という。