第5,076号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー151-

 

多くの人は「幸福」を手にしようと、
富や地位や権力に情報をと、
多くの方向に意識を獲られがちになる。
そうしたことも、
幸福」を手にするための一助にはなるかもしれないが、
何度も言うがそういうものはあくまでも、
相対的”で「絶対的」なものではない。
もし、
いま自分が、
わずかな富と、
身の丈に見合った地位を手にしているなら、
その”相対的”なものに「絶対的要素を加味することだ。
この「絶対的要素」というのが、
私達が「人として生きる上での信念”」を指している。
企業組織で言うなら「企業理念」のごときもの。

大きい小さい。
有名無名は別として、
世の中で、
真の成功者と言われる人や組織には、
間違いなくこれが燦然と輝いて在る

言い換えるなら、
人も組織もやり方の前に在り方」ということ。

 

第5,075号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー150-

 

天風哲学で説かれてこれも大切なこと。
それが・・・・「”円転滑脱な生き方」をする。

この言葉を直訳するとこうなる。
円転」は丸く回る意で角立てずに滞りなく進むこと。
滑脱」はすべりぬける意味でなめらかで自在に変化すること。
つまり、
円転滑脱」とは、
ものごとが円滑に運んでとどこらない様”をさしている。

これをもう少し解り易く言うと・・・・、
無理せず
頑張らず
他人と競わず
先に思い描く目的だけを追い求めずに
いま目の前のやれること」”だけに全力集中する

やること」だけに全力集中するのだから、
それなら間違いなく「円転滑脱」で進む。
誰かの為に役立とうとか、
周囲に元気を与えようとか、
そういう”自我”を胸に抱かないことだ。
そうすれば余分な力も肩に入らず継続性も高められる。
ましてや今のような時代を生き抜くには、
より一層、
エネルギー)」の使い方を
無駄なく正しく制御させないとならない

 

第5,074号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー149-

 

天風哲学でいう「積極的精神」を育むには、
自制自働」を心掛けなければならない。
特に自分自身の、
健康建設の要諦」として次の2つが必要と説かれている。

これを私はこう解釈して挑んでいる。
肉体内部の生活力の積極化
これは、
私達の日々の食生活に対する意識の大切さを教えてくれている。食事というものは”1日3食と定められているわけではない
まずはそれを勘違いしないことから。
これは以前の投稿でもお伝えしたが、
食欲”というものは、
健康だから生まれるのではない。
あくまでも人間の持つ”煩悩”の一つにすぎない。
従って、
食欲があるから食する”では肉体が悲鳴を上げる。
食事は「空腹を感じたら摂取すればよい
もう一つは、
肉体の対外抵抗力の積極化
これはまさに「行動」そのものを示している。
苦手なことも、
出来そうにないと感じることも、
全ては「やる!」という意識から始まる

自制自働」とはそういう意識のことを指していると考える。

 

第5,073号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー148-

 

峻厳しゅんげんなる人生」を送ろう。
難しい言葉であるが、
峻厳なる人生」とは、
いかなるを以ってしても、
いかなる権力を以ってしても、
さらには、
いかなる名誉地位を以ってしても、
到底、
完全には手に入れることのできない絶対的なもの
ましてや、
何か事が起こると、
それを環境や他人のせいにし、
自分には微塵も落ち度が無いかのような意識の持ち主や、
自分が”やりたく言い訳”を、
さも「やれない正当な理由”」の如く屁理屈を並べる人
または、
組織内の地位を前面に出して、
空威張りしたり、
自分の力を誇示してマウントしてくる人
過去の実績を振りかざし、
さも、
自分は凄いんだ!」と必要以上に大きく見せようとする人
こういう輩の人達には、
この「峻厳なる人生」を迎えることはまず難しい。

第5,072号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー147-

 

私達が身の回りに起きることから、
情報”を得るため備わっているのが「感覚器官」というものだ。
それは次の5つから成り立っている。
(見る)
(聞く)
(触る)
(嗅ぐ)
(食する
いわゆる「五感」という、
ほとんどの人が生まれながらに備わっている機能だが、
これも、
その「受け止め方」で、
私達の「)」を強くもし弱くもする
外界の”情報”を正しく入手するには、
自分自身の「感覚器官」そのものを、

正しく機能させなくてはならない。

ここでいう「正しく機能」とは、
自分の好き嫌いといった感情
過去の出来事から思い込みで決めつけているような受け止め方耳に心地よい言葉や印象に惑わされる
こういうことを基準にした「受け止め方」ではなく、
まずは、
見たもの
聞こえたもの
嗅いだもの
触れたもの
食したものを、
原理原則」の中で、
しっかりと「受け止めることが大切なポインとなる。

 

第5,071号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー146-

 

天風哲学で薦める「積極的精神」に反して、
私達の「)」の中には、
消極的精神”というものもまた存在してくる。
その”消極的精神”の元凶となる「10の心根」というものがある。
怒り感情だけで思い通りにしようとすること
悲しみいつまでも悲しさを引きづっていくこと
恐れやりもしないで出来るか?考え込むこと
憎しみ感情に振り回され相手だけを非難すること
嫉妬自分だけ良ければいいということ
妬み羨むこと
悩み懊悩(おうのう)すること
苦労苦しい辛いと感じること
煩悶はんもん一人で悩み苦しむこと
迷い勇気をもって一歩が踏み出せない情けなさ

この中のいずれかが「)」の中に蔓延りはじめると、
私達の意識は、
どこかで”消極的方向”へと必然的に向いていることになる。

 

第5,070号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー145-

 

今の世は複雑混沌とし、
情報が溢れ出している中で、
私達の「)」は強く刺激を受けて惑わされ、
心の平静を失い、
憤怒の激情や煩悩や憂鬱の劣情に陥りやすくなっていることに気付き難い生活を送っている。
その証拠に、
学校でも職場でも、
対応障害とか、
対人対応障害といった精神疾患の人が増え、
表面的なSNSの仮想社会の中で人間関係は希薄になっている。
こういう時代こそ、
いま一度、
人としてを振り返りながら、
人生真理を理解し直さなくてはならない
これからは、
IT技術でも情報活用でもない、
人間社会の先駆者」となる人がリーダーとなり得ていく。

これは天風先生がもうかなり前に唱えられていたことだ。

第5,069号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー144-

 

私も若い頃はそうだっった。
『同期の中で一番になろう!早く出世しよう!』
『お金をたくさん稼いでお金持ちになろう!』
『高級車に乗ろう!』
でもこうしたことがすべて満たされたとしても、
私達が「幸福」になれるとは限らない。
情けない話だが、
これが本質的に理解できるようになるまでずいぶんとかかった。
お金や物質というものは、
仮想の存在”であって「実相の存在」に非ず・・・・・だ。
私達の人生において、
第二義的存在”な人生はどこまで行っても”相対的”。
一時的に目先を満足させることはあっても、
それ以上のものはまず手に入ることが無い・・・どころか、
そのために、
)」に余計な”我欲”を生み出し人生そのものを狂わせていくことの方が多い。
そこから人生で判断すべき認識のピントが少しづつぼけて焦点が狂い始めていく
目先を埋めるお金が手に入り、
出世して地位が上がっても、
その”「在り方の本質”を出来ないままでいると、
真の幸福」も「健康さえも失うことになっていく

人生とは足るを知る感謝から全てが始まっていく

 

第5,068号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー143-

 

このシリーズではもう何回もお伝えしているが、
天風哲学では「積極的精神」を忘れるなと教えてくれている。
積極的精神」とは、
何度も言うが、
『いつもポジティブ精神で!』とか、
『仕事も楽しんでやろう!』と言った表面的な事ではなく、
言いかえるなら「平然自若の精神」をいう。
平然自若の精神」とは、
どんな苦境を前にしても、
『もう駄目だぁ~』と追い込まれるようなことが起きようとも、
『どうしよう?どうしよう?』と慌てふためき、
その目の前の”現象”だけを取り払おうとせずに、
しっかりと自分自身の足元を見つめ直し「自省」し、
その先の自分を「自制」しながら、
他人や環境に指さすことなく、
全てを”自分事”として受け止め「自責」で生きることを指す。
さらにいうなら、
日常の生活の一つひとつを、
いま一度、
自省自制自責」の流れの中に置いているか?
それを振り返るところから始めることこそが天風哲学でいうところの「積極的瀬伸の礎」となる。

第5,067号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー142-

 

さまざまな企業様で、
人材教育のお手伝いをさせていただいて20数年。
個々の企業が抱える”問題点”のお手伝いもさせていただきながらつくづく感じることがある。
それは、
その”問題点”のほとんどが「人間問題」が元凶になっている。
個々へのカウンセリングをしながら進めていくと、
一人ひとりが抱えるものは、
ほんの小さな些細なことで、
ご本人も向きあっているとそれも理解していくようになるが、
また現場に戻り数日すると・・・・。
こういうことの繰り返しがほとんどだ。
上司の言ったこと。
部下のしたこと。
お互いがお互いを支え合って、
助けられているということに気付けば全く問題の無いコトなのになぜだろうか?

それは、
私たち一人ひとりが、
人の崇高的な在り方」に気付けていないから。

だから、
いつも自分の「)」の中には”他人”が入り込んで、
『あいつには負けたくない』
『馬鹿にされたくない』
『評価されたい』
『役に立ちたい』と、
いつの間にか”自我の世界”に引き込まれているのが解らない。

私達は夜空を見上げ星を見て、
その先の先までもを連想してその時間に浸ることが可能だ。
つまり、
目の前に輝く星よりも、
さらにその先の洪大な様を私達の「)」は思い描ける。
これを天風哲学では、
いかに人の心が一切をしのいで広大である」ということを伝え教えてくれている。