第2,247号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -1-

 

空を見上げて、
”悩み”を例えるとするなら「雲」になるかな?
雲一つない、
快晴の時というのは、
人生で言うなら、
受験に合格した日とか、
入社式の人か、
結婚式の日とか、
または評価が認められ表彰されたり、
昇格した日とか。
いうならば、
一点の曇りもないまさに日本晴れの日。
でも、
毎日の空を見上げれば、
雲一つ無い日本晴れの日など
数えるぐらいしかないはず。

セミナーや講演で、
『”悩み”はありますか?』と伺うと、
中には、
『もぉ~”悩み”ばかりですよぉ~!』と嘆く人もいるが、
毎日の空模様を見たって、
少し黒雲があったり、
山の頂には雲がかかっていても、
青空があちこちに見えて、
時折、
雲間に入りはするけど、
太陽が全く見えない日であれば、
一応、
そうゆう日は「晴れ時々曇り」とかいう表現になっている。

この世の中に、
大小の差はあれ、
”悩み”を持っていない人などいないはず。
問題はその捉え方。
雲一つない日だけを「晴れの日」と捉えるか?
雲があっても、
少しばかりの太陽が拝めれば「晴れの日」と捉えるか?
この違いではないだろうか?

それに”悩み”って、
考え方によっては私達の大きな礎にもなるはず。
明日は”悩み”というものをもう少し掘り下げて。

第2,246号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -30-

 

「関係性」の時代という言葉が聞かれるようになって
もう10数年になる。
その頃から、
ちょうど「見える化」という言葉もよく耳にした。
「見える化」も「関係性」という言葉も、
実は、
既に35年前に企業研修の中で語られてきた言葉で、
この2つの言葉には大きなつながりがある。

「見える化」というと、
作業の進捗状態や、
売上や客数の分析検証、
コストコントロールの手法としても用いられるが、
この「見える化」の”本質”は実は、
もっともっと深いところに在る。
それは「己の”見える化”」。

「関係性」のシリーズを29回にわたり続けてきたが、
20回目を過ぎた頃から、
受講生から、
その解答のようなメールやメッセージが多く届いた。
さすがセミナー受講生はその解答のほとんどが正解だったが、
それでも、
『難しいでよね』
『ずっと課題ですね』という言葉が〆に来るのが多く、
この「関係性」の”本質”の難しを物語っている。

最終回の今回はその総まとめなので、
一応、
解答のようなものを!

「関係性」を築き上げるには・・・、
1.「全ては自分」を知ること。
2.自分の”見える化”を行い自分を知ること。
3.相手に対する言葉や態度ではなく全ては”自分の行動”。
4.「関係性」と”関係”をごちゃ混ぜにしないこと。
5.「関係性」は数ではなく”質”が重要。
6.つながる縁はつながり、切れる縁は切れるようにできている
ことを知れ。それを一時も早く知ること。
7.自分の”信念”はコロコロ変えないこと。
8.損得で近寄り、近寄らせると”関係”の域を超えない。
9.ギブアンドテイクではなく”テイクアンドギブ”を忘れるな。
10.礼儀・礼節、恩義、仁義を忘れるな!

これが「関係性」を築く10箇条。
30回にわたるシリーズを
お読みいただきありがとうございました。

明日からの新シリーズは、
「”悩み”を考える!」
お楽しみに!

第2,245号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -29-

 

「関係性」を築くうえで忘れてはいけないことに
”思い込み”がある。
私達はまぁ~
99%が”思い込み”で生きているから仕方のないことだが、
意識して気を付けた方が良い。
自分では十分なことを言っているつもりでも、
実はそれが、
勝手な”思い込み”ということが非常に多いということ。
数か月すると、
新入社員が入って来るが、
この時期になると、
この”思い込み”が乱発される。
『A君はもうこれを1回やったから大丈夫だよな!』
「大丈夫だよな?」の”?”ではなく、
「大丈夫だよな!」の”!”決めつけ。
1回やって大丈夫かそうでないかは、
それを立証する裏付けが必要。
それが管理職の”仕事”というもの。
こんな事例もある。
『おいおいこれをするには申請書が必要だろ!
なんで出していないんだ?』
『すみません!知らなかったもので・・・・』
『知らなかったら聞けって何度もいっただろう!』
この会話おかしいでしょ。
「知らないことは聞け‼」って言われても、
申請を出すこと自体を知らないでいる人間には、
それを聞くことなど不可能で聞きようがない。
この場合なら、
『これをするには申請書が必要だと習ったか?』と、
その前にこちらから聞くべき。

「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」
もう結論が見えてきているはずです。
明日はこのシリーズの最終回です。
その総まとめを!

第2,244号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -28-

 

職場には、
家庭のゴタゴタを引きずって、
社内に持ち込んでしまう人がいる。
『俺は今日はチョッと機嫌が悪いからな!ミスるなよ!』
こんな言葉を朝一でぶつけられたら、
部下はたまったものではない。
相手に当たり散らさぬまでも、
『今日はどうにも気分が乗らなくて・・・』と、
ボォーとしたまま部下に過ごされる上司も、
これまたたまったものではない。
逆に、
会社の鬱憤を家庭に持ち帰るのも同じ。
帰るなり、
『なんだ!まだ飯の支度できてないのか!』
我が家なら、
『待てないならどこかで食べてきて‼』と即効で返される(笑。

まっ、
最近はこういう横暴亭主は少なくなったようだけど、
姿は違えど、
帰ってきても返事一つろくにしないで、
ゴロゴロしている亭主も同じこと。
こういう態度の根底には、
会社や家庭で、
自分の自尊心と虚栄心が満たされていない証。
いわば”八つ当たり”のようなもの。
今の世の中は、
そういう”八つ当たり人間”に苦言を呈する人も少ないが、
その代わり、
無言のままあなたの前から去っていくことになる。
「昨日の部下は明日の上司」
「気が付けば老人独身時代」・・・なんてこともある。

「関係性」を築きたいなら、
どんなに永い付き合いでも、
礼儀・礼節は忘れないことである。
”八つ当たり”とは相手に対する無礼の極みだ。

第2,243号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -27-

 

先日、
某顧問先で管理職とその部下の人がこんな会話をしていた。
上司:『A君明日の夜は空いてるか?』
A君:『はい!空いてます』
上司:『良かった!接待だから頼むよ一緒に!』
A君:『・・・・・はっ・・い』
これで明日の夜は上司のお伴をしなくてはならない。
返事を直ぐに返さないA君に、
その後、
『さっきはなんで返事に困ったの?』と尋ねると、
『チョッと体調が悪くて・・・お酒も苦手だし・・・』
でも、
こうなるともう断れる雰囲気ではない。

それから、
こんなことも。
取引先からの電話で、
取引先:『例の商品を今週中に納品できませんか?』
すると、
電話を受けた従業員が、
『はい!承知しました!』と電話を切ってから、
上司に報告した。

人間関係って、
こういうチョッとしたところから崩れていく。
最初の事例なら、
『明日空いてるか?』と聞かれたら、
『ハイ!』と即答する前に、
『何か?』とチョッと牽制球を投げることだ、
もし体調が悪かったりしたら、
それを聞いてから、
『すみません昨日から体調が思わしくなくて・・!』と返しても
遅くはない(単純に好き嫌いで逃げるのはNGだが)。
次の事例は問題外。
『はい!承知しました!』といったら、
こちらは、
『ご希望は承りましたので確認します』という意味で言ったんですでは通用しない。
この場合は、
『何とかなると思いますが、念のため確認の上で後ほど〇時までにご返事させていただきます!』というべき。

こんな些細なことも、
「関係性」の上では重要なポイントの一つになる。

第2,242号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -26-

 

今の時代ほど、
「人の”本質”」が求められている時代はない。
これに気付けないと、
人間関係も表面的な”関係”だけで終わってしまう。
競争社会、勝組負組社会、能力主義、実力主義、結果主義と・・・・、
言葉を耳にするだけで、
息が詰まりそうになる。
だから、
夢だとか、
お役立ちとか、
絆などか、
表面的に耳障りの良い
ポエムチックな言葉が表によく出てくる。
それもこれも、
世の中がいつの間にか、
人間臭さが薄れて言いっているから。
会社に行くと、
ほとんどの従業員が、
パソコンに向かって黙々と作業をしている。
昔なら、
上司が指示を出して、
それを受けて相談したり質問したりして行動し、
その評価を受けてはまた挑戦して結果を出すといった、
そんな流れの中で仕事と向き合ってきた。
そんな中で、
譲りあったり、
折り合ったり、
お互いに顔を合わせてその「関係性」を深めていったが、
今の時代は違う。
自分が気に食わなければ、
一方的にコンタクトを断ち、
それっきりという人間が驚くほど多くいる。
こんな時代だからこそ、
「関係性」が問われているのだろう。

「関係性」をしっかりと築きたいなら、
無駄だと思えるような会話を大切にすることだ。

第2,241号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -25-

 

人間関係で上手くいく人とそうでない人って、
どこか違うのだろうか?
まぁ~人間関係ですから、
全ての人と上手くいくはずはないが、
出来得ることなら、
上手くいきたい。
でも、
それが決して良いこととは限らないということ。
数か月、
数年付き合ってみたら、
とんでもない奴だったなんてことはよくある。
早く判れば判るほど良いということ。
無理をして、
我慢してまで全ての人と上手くやろうと考えないことだ。
身体に付いた、
無駄な体脂肪を取り除くように、
人核(格)の無い人とは、
早めに縁を切った方が良い。
人間関係を無駄なく(つまらない人と付き合わない)、
そのためには、
一度、
『この人は私に気を許しているな!』と
思い込ませることだという。
つまり、
”素”のままで付き合うこと。
そうすると、
心無い人間ほど、
どんどんと近づいてくる。
一度、
紹介してあげた友人などには、
その後は自分の友人のように勝手に振舞ったり、
すぐさま正体を現す。
人間関係で大切なことは、
しっかりと相手を選ぶことだ。
得する相手とか、
この人と付き合ったら仕事が来るとか、
そういうレベルではなく、
”人と人”として永く付き合う価値があるか無いかを!

信頼できる人というのは、
1~2年音信不通でも、
10年過ぎても、
その「関係性」は変わらない。

第2,240号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -24-

先日、
受講生の結婚式に招かれ、
こんなスピーチをさせていただいた。
『本日はおめでとうございます。
新婦にチョッと伺いたいことがあるのでが・・・。
彼のプロポーズは受けられましたか?』
『ハイ!(チョッと照れながら)』
『そうでか、それは何よりでした。
その時、彼は”必ず幸せにするから!”といいましたか?』
『ハイ!いってくれました』
・・・とここまでは問題のないスピーチ。
次の私の言葉で、
会場から少し声が漏れた。
『えっ~?』
『ほぉ~!』
その言葉とは、
『”幸せにするから”という彼の言葉は、
そのまま返品されることです。
我が国には、
結婚したら両親の代わりに、
夫が”幸せにしてくれる”という考え方がまだまだあるようですが、
”幸せ”というのは、
誰かが与えてくれたり、
お願いすると頂戴できるものなのでしょうか?
お金持ちの家に生まれなかったから私は不幸。
夫は仕事仕事で家庭にいないことが多いから不幸。
内の旦那の会社は倒産したからもう先がないのと同じだから不幸。
いろいろ不満を口にしながら、
私達は生活をしていることが多くありますが、
これは、
どれもこれも、
「自分の力で自分の意志で”幸せ”を感ずる」という
思いが無いからだと思うのですが?
新郎がプロポーズの時に口にした、
「”幸せにするから”」という言葉は返品することです。
そして、
私達に与えられている”人生における保証”は
死ぬということだけです。
おめでたい席でなんですが、
それは明日かもしれない、
来月かもしれない。
この摂理を忘れずに、
今日からお二人の生活基盤であるご家庭の中で、
それぞれに、
それぞれの役割を
悔いの残らぬよう自責を持って取組まれてください。
そうすれば、
意外と早く”幸せ”という体感を感じ取れると思います。
その日が1日も早く来るようお祈りしております』

結婚式のスピーチで
死ぬ話などダメかな?と思ったんですけど(笑。

第2,239号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -23-

 

自分がしたことが、
他人にどんな影響を与えているか知ろうとしない人は、
自分が”やりっ放し”にしたことには全く気付けていない。
電車に乗ると、
私はたいてい、
連結部に近いところに乗る。
連結部は人が通るたびに、
ドアが開く、
当然のことである。
ところが、
気を付けて見ていると、
ドアを開けて、
自分が通ったあとはそのまま、
ドアを閉めないで行く人間もいる(最近は自然に締まるのが多いが・・・)。
半分開いたままで、
中途半端な状態で隣の車両に行ってしまう人。
駅の公衆トイレで、
そのまま流さない不届きものもいる。
チョッと郊外の道路に出ると、
コンビニで買った弁当のゴミが、
袋に入れられて、
道路脇の植え込みに捨てられていたり、
環七や環八の分岐帯の中には
よく缶コーヒーの空き缶が捨てられているのを見る。
こういうことをする人は、
『用を足した後・・・自分の尻は拭くのかな?』と、
時折、真剣に考えることがある。

自分の後始末をしない人というのは、
大概、
罪の意識がご本人には全くないことがほとんど。
会社なり、
地域なり、
一つのコミュニティーに存在している私達は、
こういう小さな基本的なことこそが、
「関係性」を築くうえで極めて重要なことなのである。

自分で開けたドアは自分で閉めて、
トイレは使ったら流して、
ポイ捨てはしない。
周囲の人達が、
きっと真似をしたくなるような行動連鎖の礎になることこそ、
「関係性」の真髄といえるのだろう。

第2,238号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -22-

 

「関係性」を築けない人と、
「関係性」を築いてもらえない人には
2つの共通点がある。

その一つは、
「関係性」と”関係”の本質的違いが理解できていない。
こういう人は、
ただ〇〇会とかいう集まりで、
意見が一致しただけで『素晴らしい仲間達!』などと
軽々しく口にする。
表面的な笑顔つくりが上手く、
いつもパワフル発言が多く、
ポジティブイメージ満載で近寄って来る。

二つ目は、
自分のしたことが
相手にどんな影響を与えているかを知ろうとしない。
相手の感情などどうでもよい。
昨日まで、
『君達は僕の素晴らしい仲間だよ!』といいながら、
自分の思いどおりにことが進まなくなると、
一方的に、
『もう君達とは付き合わないから!』と
勝手に最後通告をしてきたりする。

人というのは、
感情の動物だから、
いくら正論を相手にぶつけ、
それで相手が傷つくように落ち込んだら、
『チョッと言い過ぎたかな?』と反省するが、
「関係性」を築いてもらえない人には、
これが無い。
『〇〇さんは怒ってるだろうな?』
これも全く眼中には存在しない。
言いたいことを、
ただ一方的に言ったら言いっ放すし、
だから、
自分はスッキリするが、
相手には根に持たれる。
つまり”遺恨を残す”。

企業の管理職にこういう人が多くいる。
部下がよんどころないミスをした時、
『お前!これで内がどれだけ損失を出すか解ってるのか?』
『申し訳ありません!実は・・・』
ここまで聞くか聞かないうちに、
『言い訳するな!』と一方的。
すると部下は、
『ハイ!申し訳ございませんでした!』で終わってしまい、
何の原因追及もやれないままに終わる。
部下はその後も、
結果しか報告しなくなる。

こういう管理職は、
部下との間を
部下と上司という
”関係”という線でしか結べていないことになる。