第4,192号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー19-

 

思考する”ということは、
あらゆる作業の中で一番の重労働だがそこを省く人が多くいる
そこを省くと何も手には入らなくなる

大きな「利益」を生み出すには、
付加価値の高い労働」と”単純労働”の差を理解し、
ただ肉体的に懸命に働くということではなく、
向き合った全てのことに対して、
しっかりと”思考する時間”を持つことだ。
これおやらないと、
まず人は、
目の前のことを”好きか嫌いか?”、
得手か不得手か?”でしか判断しなくなる。
そして、
過去に自分が経験して上手くいったことにはすぐに飛びつき、
自分の苦手と感じていることや、
『嫌だなぁ~』と感じるようなことに向き合うと、
やる」前から”やりもしないで
『無理です』
『ダメです』
『納得がいきません』などと、
言い訳”だけを並べ立て、
さも自分は正当な意見を述べているような気になって
その場から逃げ出していく。

仕事」というのはいつも言っているが、
我に仕え 我成すことに事える”がその「本質」だ
どんな「仕事」でも、
その「利益の源泉」となるのは、
休まず向き合うことでもなければ、
夜遅くまで残業し続けることでもない。
柔軟な思考回路の中で、
さまざまなアイディアを考え、
出来るか出来ないか?”を超えた、
やるかやらぬか?」の中で齎されるものである

肉体を使って汗をかく前によく”思考する”ことだ

第4,191号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー18-

 

知恵という書物の第一章は正直と記されている

人は考える葦である”という言葉は多くの人が知っているが、
私達は”知恵”があるゆえに、
いろいろなことを策して行動していく
時には、
嘘をついて、
時には話を誇張して大げさに語り、
時には、
まるでそんなことはなかったかのように振る舞い、
なんとかして、
自分に優位に、
自分を守るために”知恵を絞る”。
そういうことも時には必要になるが、
人が最高の自己実現を果たすためには、
まずは、
自分に正直にある」ことだ。

何も、
間違った選択をするな。
失敗をするなということではない。
人間なんだから間違いもあれば失敗もする。
重要なことは、
その間違い失敗を隠して、
でうわべだけを繕うことをするなということ
自分の信念と相いれない言葉を使ったり、
周りに合わせるような態度で、
その場だけを繕うような行動は取らないことだ。
正直」は何よりも増してその人の大きな魅力であり価値だ。
そして「正直」は時に大きな武器ともなる

誰かの役に立っているとか、
誰かを元気にしているといった現象的なことではなく、
その人自身が持つ「本質」がその中には存在している

誰かの役に立っている
周囲のを元気にする
こういうことは意識しない方がよい。
そんな言葉は、
他人から
『君はみんなの役に十分たってくれたよ』
『君のお陰でみんなが元気になれた』と贈られるもの
そんなことより、
何よりも大切なことは、
素直に明るく正直に!」に向き合うことだ。

第4,190号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー17-

 

大切なことは、
どんな小さなことでも”約束は守る”ことだ。
小さな約束が守れるようになって、
はじめて大きな約束を守る能力が高まっていく

私は人を「評価」する時、
何をやったか?”ではなく、
何を残してきたか?」を重要ポイントにしている。
例えば「時間」だ。
約束の時間。
提出物の期限。
この「時間」というのは、
全ての人に公平”ではなく「平等に与えられている。
これが守れないような人間は大人とは言えない。
遅刻をする。
約束の期限を守れない。
9:00始業というと、
「9:00に自分の持ち場に付くこと」と思い込むような人間は、
まず”作業”は与えられても「仕事」はさせられない。

約束」に大小の差はない。
他人との約束」はもとより、
自分自身との約束」すら守れないようでは人間失格だ。
私達は生まれてから死ぬまで、
ずっと組織”の中で「組織人」として生きていかねばならない
組織”の中で最も重要なのが「決め事(ルール)」だ。
これは、

その内容が正しいか間違っているかではない。
同じ目的に向かって進む二人以上の”集合体”である”組織”が、
その目的を達成するために最も大切なことは、
その”集合体”を「結合体」にすることだ

そのために全員が意識して共有していかなくてはならないコト
それは”人としての在り方」”であり、
その中でもっと最優先すべきこと・・・・、
それが「約束を守る」だ

第4,189号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー16-

 

与えられた条件の中でいまやれる最善の努力を惜しむな

これは、
デパートマンだった頃、
初めて係長になった時、
恩師から教えられた言葉だ。

あれから45年。
その後、
転職して、
課長になり部長になり、
取締役になり、
常務になって専務を経験し、
15年前に独立して社長と呼ばれるようになった今でも、
この言葉は、
私の意志気意識をいつも支えてくれて来た。
会議の席上で、
「時間がありません」
「予算がありません」
「人手がありません」という言葉が出るたびに、
声を大きくして・・・・『だから何だ!』と叫び続けた(笑。
さらには、
『時間と金と人手があるなら私も君も必要ない!』
これがこの恩師の言葉から学んだ意識だ。

そして、
つい数年前に、
市の図書館でヘミングウェイの本を手にした時、
この言葉が目に止まった。

いつも”無いモノについて考える”のではなく、
    ”今あるモノで直ちにやれること」”だけを考えろ

 

第4,188号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー15-

 

誰もやりたがらない仕事には大きなチャンスが隠されている

この言葉は、
特に若い人達に知って欲しいなぁ~。
毎日毎日の「仕事」が、
いつの間にか”作業”だけに追いまくられ、
『俺は何のためにこの会社に入ったのか?』
私も30~40代後半まで、
こういうことで悩んだことが多くある。
仕事の目的」はお金を稼いで生活の基盤を成すことだが、
その「目的」の他に、
その”意義”を追い求めるようになったのもそのころかな?

いつも言っているけど、
仕事」とは、
会社のために貢献するとか、
お客様のために役立つとか、
そういう表面的なことと向き合っているのではなく、
自分自身の向き合い方”を試される場だ。
だから、
目線や意識は、
上司でもなければ会社でもなく、
お取引先でもなければお客様でもない自分」にある

仕事」とは、
我に(つか)え、我成すことに(つか)える

他人からの評価や、
周囲の人達の役に立っているかとかいないとか?
そんなことを考えているうちは、
その向き合い方はただの”打算”でしかない。
この”打算”を胸に「仕事」と向き合っているから、
『こんなことやって何になる?』
『こんなことやるためにこの会社に入ったんではない』
こういうレベルの悩みが生み出されてくる。

 

第4,187号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー14-

 

私達は”他人と同じようになろう”として、
いつの間にか、
自分自身の3/4を失っていることに気付けていない

自分自身の才能を開花させるには、
他人と同じ種ばかり集めたところで何の役にも立たない。
世の中には、
「成功者とそうでない人の違い」とか、
「一流と呼ばれる人はここが違う」とか、
まるでそう呼ばれるような人達の”物まね”でもしていれば、
同じようになれるがごとく表現される人も多くいるが、
例え、
そう呼ばれる人達の”物まね”をして、
同じようになったとして・・・・・だ。
じゃぁ~自分」はどこに行ってしまったの

もう何十年も言い続けているけど、
人生は「自分は自分 他人は他人」でしかない。
他人にあって、
自分には無いものを身に付け、
さらにそれに磨きをかけて”№1”になったところで、
それは、
日本歌謡大賞でグラ獲ったンプリを獲ったのではなく、
日本物まね大賞でのグランプリを獲ったのと同じだ。
TVの物まね大賞はそれはそれで素晴らしいけど、
人生では、
それは自分を失うことにつながってしまう

自分には自分に、
あの人にはあの人に、
人はそれぞれ良いところがあり悪いところがある
その両面があるからこその「」で、
あるからこその”魅力や価値”

 

第4,186号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー13-

 

発見とは新しい景色を探すことではなく新しい目を持つこと

誰でも3歳位までは発想も豊かで、
親の心配をよそに、
さまざまなことに挑戦していったはず。
それがいつの間にか、
そういう「意志力」はどんどんと弱まって、
やるかやらぬか?」を考える前に、
やりもしないうちから、
出来るか出来ないか?”を考えてしまうようになっていく。
さらには、
そういう姿勢はどんどんと自分を、
不安、
恐怖、
恥辱、
虚栄の世界へと引きずり込んで、
いつしか、
無意識のうちに、
出来たコト”しか「やらなくなり」、
自分自身で自分の「可能」を小さくしていってしまう

世の中はいつの時代でも「諸行無常」の中に在り、
常識とか、
慣習にとらわれているとどんどんと置いていかれる。

こんな言葉もある。
創造」は”想像を実践することでしか成らない

私達の身の回りに起こることも同じだ。
置かれた状況が全く同じでも、
それをどういう「視点」でとらえるかで、
その出来事の意味付けは大きく変わっていく

第4,185号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー12-

 

余分なものを取り除いていくことで彫刻は出来上がっていく

人は知識を得たり、
モノを獲得しながら、
他人との”違い差別化)”を測り、
他にないものを手に入れ、
身に付けていくことが、
自分の”魅力や価値”になると思い込んでいるが、
それは単なる目先のことにしか過ぎない。

自分の”魅力や価値”を高めるには、
まず、
自分で自分自身を受け入れることだ。
魅力と思い込んでいるところ。
ダメだと思い込んでいるところ。
長所に短所。
他人と比べて優れているところ。
他人と比べて劣っているところ。
それらの全てを受け入れているか
もし、
まだ受け入れることやれていないなら、
その優れているところも、
劣っているところも
今の段階では、
その全ては自分自身の”勝手な思い込み”だと気付くことだ。

良いところと悪いところ。
優れているところと劣っているところ。
この両面があってこその「自分
大きく他人様に迷惑をかけているところは別として、
性格が明るいとか暗いとか、
ポジティブだとかネガティブだとか、
そんなものは問題にすらならない。

大切なことは、
まず、
自分を認める

自分を受け入れる
それは・・・・、
しっかりと自分と向き合い
自分を客観的に見つめる”ということだ

第4,184号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー11-

 

不遇”というものは切れ味鋭いナイフのようなものだ。
刃の部分を握れば手を切る恐れがあるが、
柄の部分を握ればこれほど生きるのに役立つものもない

人生ではいろいろなことが起こる。
その大部分は、
自分が思い描くこととは裏腹なことばかりだ。
困難・苦難に、
『なんで自分だけが・・・・』と、
思いたくなるような”不遇”の連続の時もある。

そんな過去の”不遇な出来事”も、
それを「必然」と受け止めるか?
真逆の”不遇”のままに受け止めるかで、
私達の未来は大きく方向が変わっていく。

私達の目の前に起こる”出来事現象)”というものは、
眼に見える一面だけではない。
どんなことにも必ず、
見える面の裏側にはもう一面が存在している
困難・苦難を歯をくいしばって耐える必要などない。
耐えたところで、
その悲しみや苦しさを乗り越えられないことだってある。
単純に、
『頑張るんだ!』と自分に言い聞かせるのではなく、
その”出来事現象)”が起きた意味を、
自分なりにしっかりと考えて受け止めることだ。
人生には自分の力だけではどうにもならないことが多くある。

そんな”出来事現象)”も、
それがやれると、
目の前の”不遇な状況”がいつの間にか「次へのチャンス」へと姿を変えていく

多くの人は、
ただただ目の前の状況だけを変えようと躍起になるが・・・。

第4,183号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「私に”気付き”をくれた言葉!」  ー10-

 

私達が考えたり、
知っていたり、
信じていたりすることは、
最終的にはそれほど重要なことではなく、
唯一、
重要なことは何を実行するか?”ということ

たくさんの本を読んだり、
多くのセミナーを受講したりして、
多くの知識を身に付けたところで、
それ自体が役に立つわけではない。
知り得たことを”実際にやってみる”。
さらには「やり続ける」。
こういうことでしか、
身につけた知識を役立てることはできない。

なぜなら、
行動の伴わない人の決意”というのは、
そういうことを全く身に付けなかった人達
何ら変わりがないから

私達の多くは、
”他人のことは行動”で判断するのに、
自分のことになると「決意」だけで判断しようとする
その代表的な人のセリフが「頑張ります!」だ。
自分は既に”頑張った気”になっているから、
目の前の状況が思うように変化していかないと、
『私はこんなに頑張っているのに・・・・』と苛立ちはじめ、
やがては、
それを他人や環境のせいにし始めていく。

今すぐ自分がやれること”」
いつもこれだけを考えて、
それを確実に、
そして、
継続的に実行していく以外に、
私達に立ちふさがる壁は乗り越えてはいけない。