第4,985号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー61-

 

平常心」という言葉がある。
目のまえに何が起ころうとも、
慌てず
怖じず
恐れず
急がず
焦らず
いつも「淡淡」とした意識で向き合う。
これを天風哲学では「大定心だいじょうしん)」という。
これをもう少し解り易く言うなら、
目の前の状況に変化が無く、
いつもと同じ状態であるという認識の中で行動するということ。
古い句の中にも同じような言葉あるが
湯上りの気持ちを欲しや常日頃
まさに「大定心」の状態を解り易く形容している句といえる。
でも、
私達の目の前にはさまざまなことが起こる。
そんな時、
まずは、
『どうしよう?どうしよう?』と慌てふためいて、
姿形の無いそれに振り回されないようにはしよう。
天風先生はこんな面白いこともおっしゃっている。
こうして、
『どうしよう?どうしよう?』と自分がそれに振り回されていることが”悩みと考えていることだと勘違いしている人に、
どうしようどうしようと何回口にすればそれが消えて無くなるんだい?』・・・・・と。
正に「原理原則」そのままの言葉である。

 

第4,984号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー60-

 

天風哲学の教えの中に、
をも味方にする」というのがある。
よくよく考えてみれば、
戦国時代でも戦争時代でもない今の世に、
」などというものが存在する道理が無い。
無い”のに・・・・、
私達は勝手に自分の中に「」を作って生きている。
『あの上司の言い方が酷過ぎる』
『あの人はなにもやらない』
『部長は私にばかりやらせる』
『あいつがいるとチームがまとまらない』
『あいつは信用できない』
」などはなっから存在していないのに、
人はこうやって自分の中に「」を作る。
そういう人は、
その人の心の中にいつの間にか、
いつも「」を這い込ませてしまっているから。
自分の気に入らないこと。
自分が嫌だと感じること。
自分が納得のいかないこと。
そういうことを自分の目の前でやる人はみんな「」。
そう思い込んでいるから。
だから最初っから、
自分自身で”敵意”を持って受け止めていく。
チョッと振り替えて見てみると良い。
もしかしたら、
」だと思い込んでいた人は「味方」だったりして?
味方」だと思い込んでいた人こそ「」かも?
人間社会では「」は”味方の振り”をするから。
こういうことに振り回されないためには、
目の前の自分のやれることに集中することだ。
常に、
自分だけを見つめて生きていくことが肝要

第4,983号・ブログ

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「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー59-

 

たまには「孤独の時間」を意識的に作って、
幼い頃に、
自分に対して抱いていた「自己意識」と、
いまこの瞬間に抱いている「自己意識」を比較してみるとよい。
直ぐに感じることは、
これまでの積み重ねから来る知識や経験の重さだ。
そして肉体的な発達もその一つ。
73歳になろうとしている私なら、
60年前の13歳の時の私と比較すると、
まるで別人の如く感じられはするだろうが、
もう一歩深く入り込んで、
本質的に思考してみると、
あの頃と変わってはいないということが解る。
いやむしろ、
60年前の方がもっと積極的意識で生きていたかもしれない。
『こんな自分を変えたい!』という人が多くいるが、
変える必要などどこにも無いのだ。
『変えたい』と欲するのは、
何かの出来事が、
自分の心の状態を思い込みによって変化させ、
それが肉体へも悪影響をおよぼしただけなのだから。
まずはその”出来事”を思い出して、
いまからでも遅くはない、
しっかりとそれを受け止めて自覚してみるとよい。
本心から”今の自分を変えたい”と思っているなら、
まずは、
いまの自分自身をしっかりと見つめ直すことから・・・。

第4,982号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー58-

 

人間社会において、
その「関係性を高め構築していくには、
まずはお互いがその「存在に敬意をもって向きあうことだ。
相手が社長だからとか、
相手が有名人だからとか、
相手が権力者だからとか受け止める前に、
一人の人」として受け止めることから始まる。
相手を「愛する」とはこういうことをいう。
この敬虔な意識を持って人に接していけば、
そこに身勝手な利己主義や利害関係が入り込む余地は無くなる
そして重要なことは、
自分自身が、
相手から「愛される人」であること。
解り易く言うなら、
会社の中で遅刻をしたり、
約束の期限を守らなかったり、
報告・連絡の義務を怠ったりしていたとするなら、
それだけでその人は「愛される資格を失うことになる。
これを忘れてはならない。

第4,981号・ブログ

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「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー57-

 

人は皆、
自分の思い描くとおりに人生や仕事が進まないと落ち込む。
これはごく自然なコトだが、
大切なことは、
目の前のその状況をいくら嘆き悲しんで、
『どうにかしないと・・・・』
『何とかしなきゃ・・・・・』
『どうしたら良いんだろう?』
悩み苦しんだところで、
この世の摂理というか「真理原理原則)」は、
事情目の前に起きた現象)に同情などしてはくれない。
自分自身でまずはその状況をしっかりと受け止め、
なぜこういう状況下になったのか?
自分自身のことだけに絞って自省してみることだ。
ここにまた”他人や環境”を入り込ませてくると、
いつまで経っても状況が変わることは無い。
一時的に変化が起きて、
一息つけたとしても、
次にくる時は、
その何倍にもなってまた襲い掛かって来る。
人生とはそういうものだ。
なぜなら、
目のまえに起きたことの全て
私達に何かを気付かせようと起きているから・・・・。

 

第4,980号・ブログ

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「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー56-

 

私達の行為の中で、
他人目線”ほど恥ずかしい心の状態は無い。
いつも気になるのは”他人”のことばかり、
『○○さんは口で言うだけで何もやらない』
『上手く行くと自分で美味しいところだけ持っていく』
『やってるのは俺たちだけ・・・・』
『なんであの人ばかりが・・・・・』
『あの人は贔屓されている』
『あの人はこんな言い方はおかしい』
こういうのを”不平不満”というが、
言っているご本人は「正論意見」を述べていると思い込んでいる場合が多いが、
まずこういうことをすぐ口に出す人で、
自分の責務を全うしている人は少ない。

他人目線で生きるのは恥
私達は、
自分の目の前のやれることに無我夢中で向き合っている時
他人のことなどは全く気にならないのが常だ。
自分自身を振り返り、
もしそういうことに心当たりがあるなら、
それは”恥ずかしい行為”をしていると「自省した方が良い

第4,979号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー55-

 

私達がことに向き合う時、
そこに「真心」が有るか無いかでは、
その行動結果には大きな違いが必然的に生み出されてくる。
人生でも仕事でも、
人それぞれに”やれることもあればやれないこともある”。
ましてや他人と競い合うことほど価値の無いことは無い。
大切なことは、
目指す行動のスタートに立った時、
まず大切なことは、
全力でやるぞ!」という「進取な意識」が有るか無いかだ。
これこそが、
事に向き合うその人その人の真心」だ。
ビジネスの世界では、
モチベーションというような言葉で言われるだろうが、
モチベーション信念」のようなもの。
褒賞効果や、
昇給昇格効果というようなものは、
これに比べれば一時的な安薬に過ぎない。
そして「真心」とはもう一つある。
それは結果に対する「自責意識」だ。
誰かに評価されるために、
会社への貢献のためにと言った表面的なものではなく、
自分自身に恥じない、
自分自身で後悔の無い向き合い方と取組をしているか
ここが最大のポイントとなる。

 

第4,978号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー54-

 

人生を生きていく上では「目指す処」というものがあるが、
多くの人はこれを、
会社に入ったら取締役になるとか、
独立していつかは社長と呼ばれるようになるとか、
一昔前なら庭付き一戸建てを手に入れるといった、
物質的要素が強い目指し」を意識することがあるが、
生きる上でもっと大切なことはそんなところには無い。
こういう「目指し」を意識していると、
何度も言うが、
私達の行動原点が」である限り、
いつまでも満たされない欲望から、
落胆と失意的焦燥煩悶の状態に追い込まれていくだけになる。
*焦燥煩悶思い通りにならない状況に苛立ちもだえ苦しむ状態
人生の「高見」とは、
地位上げるとか、
ランクを上げるとか、
極めて難しいところで頑張ることや、
収入を増やすということではなく、
自己創造を構築していくということを忘れてはならない。
そのためには、
いま目の前にあるやれることに全力で向き合うこと。
これの積み重ねしかない

第4,977号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー53-

 

亡父からはこんな言葉も教えられた。

それがこれ・・・・「刹那心機の転換」。
刹那」とは・・・時間の単位のことで極めて短い時間
言い換えるなら瞬間瞬間を意味している
心機」とは・・・・「の動きや働きのことを指す
解り易く言うなら”暑さ寒さ”だ。
昨年の夏の猛暑は凄まじかったが、
『あぁ~暑いなぁ~やってられないよぉ~』
または、
『こんな凍てつくような寒さの中じゃ何もやる気がしない』
・・・ではなく、
極端に言うなら、
暑さがキツイ”時は・・・・『これならストーブ要らないね』。
寒さがキツイ”時は・・・・『おぉ~今日はエアコン要らん』。
このくらいな気持ちで自分に言い聞かせてみる。
これを「刹那心機の転換」と呼んでいる。
つまりは、
どんな状況下でも、
自分の心一つで、
いかようにも受け止め方は変えられるということ。
暑い寒いも、
辛い苦しいも、
その「感覚だけに揺さぶられないようにすること。
客観的に目の前の状況を把握して、
それに適応した対策をすぐに講じることが大切だという教え。

 

第4,976号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー52-

 

生きていく上で、
私達は”生活レベルの向上”を目的にすることが多くある。
このことも多くの場合、
表面的にそれを受け止めて勘違いする人も多い。
生活レベルの向上”とは、
物質的に豊かになることでもなければ、
高級住宅に住んで、
高いものを身の回りに集めて満足するということではない。
こんなことは誰もが理解しているはずなのに、
ほとんどの人がそれを求めて”彷徨う”。
彷徨いの人生”を送っている人は、
自分自身の「」が満たされる果てに気付けない。
言い換えるなら「足るを知る」という意識が欠如している。
だから、
どんなにお金を稼いで、
どんなに物質的に裕福な生活をしていても、
満足」という心理に心が満たされることが無い。
心の中には、
いつも”他人”が入り込んでいて、
自分の生活レベルもその”他人”との比較でしか知ることが出来なくなっていく。
だからいつも、
得体のしれない不安や不満”が自分や家族の中で膨らんでいく。
私達が”生活レベルの向上”を諮るには、
まず自分自身がそれ自分の生き方に向き合う姿勢から見直さなくてはならない。
喜びも苦しみも、
目の前の全てをまずは素直に受入れて、
その中で、
与えられる”試練と向き合って逃げずに自責で生きる
これしかないということだ。