第3,266号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-2-

 

私もサラリーマン時代に経験があるが、
お認めなどをもらいに行くと、
必ず一言二言、
冗談とも取れる嫌味を言う上司がいた。
私などは、
『まったくあの部長は口が悪い!まっ!毎度のことか?』と、
笑いながら部長室を出て、
『次はチョッとやり返してみようかな?』などとも考えたことがあるが、
同期のK君というのは、
おとなしくて生真面目だったせいか?
『次はどんなことを言われるんだろうか?』そう考えると、
その部長の顔さえ見るのも気がすすまなくなっていた。
ある時など、
会議の前日に私のところにきて、
『禰宜!S部長は明日の会議出るよな?』
『あぁ~担当部長だから当然だろ』
『・・・・・・』
彼は次の日、
急な発熱という理由で欠席してしまった。

ではなぜ?
S君のような状況に追い込まれてしまう人がいるのだろうか?
単に気が弱いとか?
人づきあいが下手ということなのだろうか?

それは私達の「行動原点」に大きく関連してくる。
私達の「行動原点」=”欲”というものだ。
人は誰でもが、
「自分のことを認めてほしい」という”欲”を持ち合わせている。
だから、
何かを指摘される時には、
『S君○○のところは良く出来ている!』と、
まず自分を認めてもらい、
次に、
『でも△△のところをもう少し修正してくれるなお良いね!』
こう言ってもらえると、
全てが受け入れやすくなるのである。
つまり、
自分が描く姿と、
他人との評価に大きな乖離が生まれると苦しみが生まれ、
それが原因で、
人は傷つき心が折れやすくなる。

あのマザーテレサの言葉にもこういうのがある。
「この世で一番不幸なことは、
飢えや病でもなく、
自分がこの世の中で必要とされないことである」・・・と。

でも、
他人の評価も大切かもしれないけど、
もっと大切なのは、
自分自身でどう取り組んだか?
やったことに誇りを持てるか?
『ここまでやらるかぁ~?』と言わせるくらいやったか?
こちらの方に重きを置けば、
相手が誰だろうと気にはならない。

第3,265号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-1-

 

「心が折れやすい人」とはどういう人か?
私達は”感情の動物といわれているから、
どうしても”感情”が物差しになり、
その先の”思考”を決め、
”行動”へと移行していく。
例えば、
『おい!この資料ケアレスミスが多いぞ!気をつけろ!』
このような上司からの指摘をどう受け止めるか?
それは人によって違ってくる。
A君は、
『すみません気を付けます!』と言って、
次からはどうしたらミスを少なく出来るかを”思考”する。
ところがB君は、
同じように『すみません気を付けます!』と言って頭を下げ、
自分の席に戻る時には、
大きく肩を落としうなだれたようすで、
次の作業に全く移れない。
ついには翌日、
彼の姿はそこに無かった。

たったこれだけの上司の指摘でも、
受け取る人によって、
その「受け止め方」は大きく違ってくる。
木の枝を思い出してほしい。
曲がった枝を元に戻すことは可能だが、
折れてしまった枝を元に戻すことはまず不可能だ。
特にか細い枝はすぐに折れやすい。

言い換えるなら、
心が折れやすい人というのは、
この細い枝のような状態なのかもしれない。
折れやすいのと折れにくいの、
どちらが良い悪いという話ではなく、
どちらが”可能性”の高い人生を歩めるかということ。
それは、
他人の言葉を感情だけで受け止める人?
それとも、
他人の言葉を感情だけで受け止めない人?
おそらく後者の方がはるかに高い可能性を望めるはず。

では心が折れる最大の原因はどんなところにあるのだろうか?

続きは明日!

第3,264号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -22-

 

よく、
「ありがとう!」をたくさん言えば、
その人の周りには”ありがとう”だらけで溢れかえる・・などと、
新興宗教のようなことを言う人がいるけど、
言語で飾った”ありがとう!”は誰にでもいえる。
「言葉」というのは、
使う人の行動が伴ってはじめて“言霊”として生まれ変わる。
耳障りの良い言葉を使うだけでは、
その人の考え方にまで影響を及ぼすことはない。
使う言葉でその人の人物が見え隠れするのではなく、
その人の行動で、
その人の人物像が浮かび上がってくる。
そうでなければ、
詐欺師など、
言葉巧みに操る人はみんな良い人になってしまう。

自分を演じるための言葉は生きてはいない。
もっというなら、
失敗をしてしまった時、
『申し訳ございませんでした』と言えなくても、
『ごめんなさい!』でも、
それを口にした人の行動が、
全ての方向性を決めてくれることになる。

コミュニケーションとは、
相手と仲良くすることではない。
なによりもまずは、
自分に目線を常において、
自らの行動に自責で向き合うことである。
そういう姿勢で取組んでいる人には、
たとえその人が口下手で、
人づきあいが下手でも、
周囲から人は集まってくる。

22回にわたりお届けした”新入社員に贈るシリーズ””。
3月の「HEP意識改革セミナー”ベーシック&アドバンス”」を受講されたK君、Yさん、Ⅿさん、О君、F君、Sさん。
新入社員として一番不安がっていた人間関係。
少しでも参考にしていただければ嬉しいです。

第3,263号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -21-

 

今日は初対面ではない人とのコミュニケーション。
仕事上のメールを例に挙げると解りやすいだろう。
普段私達がやり取りしているメールは、
大きく分けて、
「報告・連絡・相談」、「御礼」そして「謝罪」の5つに分類できる。
このうち、
「報・連・相」のメールについては、
可能な限りシンプルに済ませた方が良い。
良くあるのが丁寧であろうとするばかりに、
回りくどい言い方や表現になってしまうパターン。
マナーを守るのも大切だが、
そのために、
文章が正確に伝わらないようになっては元も子もない。
これはメールだけに限らず口頭でも同じこと。
次に「御礼」だが、
この「御礼」と次の「謝罪」は、
出来うるなら会って直接伝えた方が良い。
中には、
困ったときにお金を借りたり助けてもらいながら、
メール1本で『ありがとうございました。助かりました!』で済ます輩もいるが、
これでは社会人というより人として失格だ。

人は誰だって窮地に立たされることもある。
誤ったことをしでかす時もある。
そんな時に、
直接、
『ありがとうございました!』
『申し訳ございませんでした!』と頭を下げられることは、
相手との距離を縮める何よりの姿勢と思う。

第3,262号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -20-

 

人と人を結びつけるには”会話”が不可欠になる。
『私はどうも会話が苦手で・・・・』という人もいるだろう。
初対面の人との会話を弾ませるポイントは3つある。
①.自己開示。
②.たくさんの質問をぶつける。
③.そんな会話の中から共通の話題を探す。
これが会話をつなぐ3つのポイント。
昨日のブログでもお話ししたように、
まずは”自己紹介”だ。
Facebookなどの友達申請でも、
この自己紹介もせずに、
いきなり友達申請をしてくる人がいるが、
この情報化社会で、
そういう人と無条件で関係を結ぶ人は、
儲け話を企んでいるか、
利害関係がなければまずは動く人は少ないはずだ。
相手との会話も同じ。
まずは”自己紹介”をしっかりとすることである。
次は、
こちらから質問を投げかける。
『すみませんが教えていただけますか?』
『○○についてはどう思われますか?』
もっと簡単な、
『珍しいお名前ですがなにか謂れが・・・・?』
こんな質問だってよい。
何でも聞けばよい。
自己紹介と質問の投げかけの中に、
必ず”共通の話題”が浮かび上がってくる。

この3つのポイントを使う前に、
もっと必要なことが一つだけ・・・・。
それはあなた自身の”好奇心”である。
『この人のことをもっと知りたい!』
そう!
好きな人ができた時と同じ。

第3,261号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -19-

 

相手との距離が少し縮まってきたら、
今度は”自分のダメなところを隠さない”ことだ。
もっと積極的な姿勢から言うなら、
”自分のダメなところをあえて見せる”姿勢が必要になる。
元来、
人はその行動原点である「欲」というものから、
自分の良いところだけを見せたがるもの。
知らないことでも知っているようなふりをしたり、
自分はさもストイックな姿勢を貫いているように見せたり、
会話の随所に手柄話や自慢話を盛り込んだり、
もっと、
悪意が隠されているのは、
『〇〇のような姿勢は直さないと!・・・私も含め!』などと、
さも自分は謙虚であるような姿勢を現す人間は要注意だ。
心理学的に言ってもまずこういう人は、
自分の姿勢など顧みていることは少ない。
腹の中では何を考えているのか判らない人が多い。
まるで画像編集ソフトで修正した”完璧な顔写真”がどこか不気味に感じられるのと同じ。
自分を隠さない。
自分を演じない。
「素のままの自分」を見せることがなにより大切。
“ダメな自分”を見せるということは、
相手に対して、
『あなたを信用しています!』というサインになる。
それにこの世に「完璧な人」など存在しないのだから。

第3,260号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -18-

 

基本的に人は、
素性のい解らない相手を好きになることはできない。
「この人はこういう人だなぁ~!」という
予備知識ができてはじめて歩み寄ることが可能になる。
逆に、
「この人は何かを隠しているような気がする!』
こんな思いが走ればまず距離をおいて間合いを図るようになる。
この相手との距離を縮めるのに必要なのが、
”ディスクロージャーの意識”だ。
つまり、
自分自身の情報公開である。
会社に入ってさまざまな人との出会いがあるが、
そんな相手に少しでも距離を縮めようと思うなら、
まずは自分自身の情報公開を惜しまぬこと。
それも日常の他愛もない会話の中で公開していくこと。
『あまり自分のことばかり話しても・・・・』と、
悩む必要はない。
人間関係の中で、
最も警戒されるのは”何を考えているのか判らない人”だ。
黙って相手の話を聞いているだけ、
愛想笑いをしているだけでは、
いつまでも相手との距離は縮まらない。
これは仕事を進める上でも同じ。
例えば、
仕事で行き詰まったことが起きたら、
まずは自分の現状を可能な限り相手とシェアすること。
自分がやって上手くいったこと。
上手くいかなかったこと。
抱えている問題点や課題。
少しでも相手がアドバイスしやすいように、
可能な限り自己開示していくことが重要なポイントとなる。

第3,259号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -17-

 

自分の損得で相手に近づかない。
これは人間関係で最も大切なポイントのなる。
そしてもう一つ大切なことがある。
それは”自己開示”。
人は何者かが判らないと近寄ってきてはくれない。
初対面から言いたくないことまで話す必要はないが、
職業、年齢、趣味、家族のことや、特技、嗜好、考え方など、
どんなことでもよいから、
一方的に自分語りをするのではなく、
ことある自然な会話の中で、
「自分はどんな人間」かを伝えていく。
まずはここからである。
それが進んだら、
これまでの自分を語っていくことである。
自分が評価を得たこと。
自分が失敗したこと。
そしてそうした経験の中から気付かされたことや感じたこと。

例えば仕事上でも、
解らないことを教わりに行くのに、
ただ『教えてください!』ではなく、
まずは自分の現状を可能な限り伝えること。
自分がやってうまくいったこと、
気付いたポイント、
いま手こずっていること、
抱えている悩みや問題点など、
”自分情報”を開示するところから始めなければ、
適切なアドバイスはもらえない。

「関係性」とは”信頼”のこと。
信頼にたどり着くには”信用”を得ないとならない。
”隠さないことが信用の第一歩“は人も企業も一緒だ。

第3,258号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -16-

 

セミナーなどでいつもいっているけど、
”関係”と「関係性」は全くの別物。
”関係”というのはすぐに手に入る。
何かの集まりで出逢えば、
その相手とはその時点で”関係”はつなげたことになる。
でもそれは「関係性」を結べたことにはならない。
時々、
”関係”だけの相手を見据えて、
絆とか、
仲間とかを軽く使う人がいるが、
そういう人には恐らく「関係性」を結べた相手は少ない。
単なる”関係”から「関係性」へと積み上げていくには、
まずは自分自身と向き合うことだ。
簡単にいうなら、
「自分はやれることやっているか?」ということ。

社会に出ると、
自分の”関係範囲”は一気に広がっていくが、
「関係性」を積み上げられる数はそう多くはできない。
それは、
「関係性」とは自分だけのではなく”相手”の存在があるから。
いくら自分自身が、
やるべきことをやっていても、
相手がそうでなければ「関係性」はなし崩しになっていく。
そういう相手は無理に追いかけないことだ。
そういう相手は、
そういうレベルの人達の中で「関係性」と思い込んだ”関係”を楽しめば良い。
”他人は他人 自分は自分”なのだから、
あくまでも目線は「自分」において向き合うこと。
そしてその相手を選択する時に、
これだけはやってはならない。

それは・・・・
自分の損得だけで相手を選ばないこと。

第3,257号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「新入社員に贈るシリーズ・〈人間関係編〉」 -15-

 

自己評価を適正値に近づけていくためには、
”他己評価を受け入れる”ということだけでは叶わない。
仮に他己評価で過大な評価を受けた時など、
それをそのまま受け入れれば、
自信過剰な自己評価が作られてしまう危惧が生まれる。
自分の周りは”イエスマン”ばかりという経営者などはその典型。
他己評価は他己評価として受け止めながら、
自分自身で適正な自己評価が下せなくてはならない。
そのためには、
自分自身の中に「インサイダー・サポーター」という、
”もう一人の自分””を持つことである。
私の場合は、
よくこれをやりながら
自己コントロールしていくことにしている。
自分に甘さが出てさぼりたくなったら、
チョッと高いところから、
『おいおい!そんなことやっていていいのか?』と。
感情的になりイライラを感じるような時は、
『チョッと深呼吸して冷静に考え直してみろ!』と。
一歩引いたところから自己観察をして、
自分に自分でアドバイスするようなイメージ。

これが私の中に存在している”もう一人の自分”。
「インサイダー・サポーター」である。

この存在にはなんど助けられたことか?
そのサポーターの顔は、
時に妻になったり、
死んだ親父の顔になったり、
七変化で私の中に存在している強い味方だ。