第3,450号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -22-

 

選択」と向き合う時にはいろいろな状況がある。
レストランでメニューを”選択”する。
ゴルフ場を”選択”する。
こういったレベルなら、
その基準はそれぞれの「感情基準」で十分だ。
好きとか嫌いとか、
好みとかそうでないとか。
安いとか高いとか、
遠いとか近いとかといったレベル。
ところがこれが仕事や、
就職、
結婚・離婚などとなると「別の基準”」で測らないと
時に大きな過ちを犯しかねない。
感情基準」で物事を測ると、
人は自分の持つ嗜好や愛着、
執着、期待、願望、経験や知識が
正しい!”と思い込む傾向が強い。

食べ物がそうでしょう。
『こりゃぁ~美味い!』というのは、
その味が、
自分の好みに合っているということで、
決してそれ自体の美味い不味いを測れているわけではない。
だから、
『これ美味いから食ってみろよ!』といわれて、
口にしたのは良いけれで、
とてもじゃないが、
『これのどこが美味いんだよぉ~』と
言いたくなったような経験あるでしょ。
それからこういうことも言える。
『これは美味い!』という人に、
『その”美味い”とはどういう意味?』と尋ねてみるといい。
美味い”は言葉では表すことが難しい。
だから、
食べ物で”美味い不味い”を語っているような人は、
まず食通とは言えない。

直観」というのは、
こういう基準とは
全くレベルの違うところから生まれて来る。

私はこれで何回も救われた経験がある。

第3,449号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -21-

 

 

思いつく”ということは、
何らかの「可能」がそこに存在しているということ。
『こんなことをやってみたい!』
会社の中では許可が必要なこともあるだろうが、
個人的な生活の中で、
こういう”思いつき”を感じたら直ぐにとりかかったほうが良い。
私が若い頃は、
『”思いつき”で行動するな!』
『”思いつき”で行動するからこういうことになるんだ!』とよく叱られたことがあるが、
これは”思いついたコト”の
ゴール(目的)だけをイメージして動いていたから、
簡単に言うなら、
『アメリカに行きたい!』と”思いついた”ら、
パスポートも旅券も手配せずに成田空港に向かったようなもの。
これはダメだ(笑。
まずはゴール(目的)への標識(目標)と
一つひとつ向き合っていかない。

これもいつも言っているけど、
目的」はイメージすることはできても目には見えない。
まずは目のしっかりと見える「目標」を明確にしていくことだ。
それがいくつになろうとかまわない。
出来ることなら、
この「目標」は
一つひとつ”数値化見える化)”しておいたほうが良い。
思いついたら直ぐにとりかかる”こととはこのことだ。
これが「」を運び込むための”選択の積重ね”、
」の「を育むということ。

もっと言うなら、
この時に重要なことがある。
それは「目的」をイメージするのは良いが、
強く意識し過ぎないことだ。
強く意識し過ぎると、
早くその結果が知りたくなったり、
早くそこにたどり着きたいという”欲”だけが先行し、
人は間違いなく焦りだす。

それからもう一つ大切なことがある。
それは、
「出来るか?出来ないか?」の確率などを考え過ぎることだ。
80%ならやるけど40%ならやらない。
そんなことを考えているならやらないほうが良い。
出来る確率”なんて、
「やってみなければ判らない!』・・・これが「原理原則」だ。
その中で一歩一歩積重ねながら工夫改善していけばよいこと。

第3,448号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -20-

 

私達は実は誰でもが、
未来に向けた「直観」というエネルギーを活用している。
例えば、
休日に車でどこかに出かけようとする。
その時点で、
目的地の天気や混雑状況。
そこまでの経路や道路状況。
途中で寄ろうと考えているレストランのメニューや、
お店に入って座った感じの自分をイメージしたりするはず。
人と連絡を取るときなどもそうだ。
相手が今どんな場所にいて、
電話をかけても出られるような状況か?
会議などで出られそうもない状況か?
その姿を頭の中で思い描きながら
スマフォのダイヤルボタンを押しているはず。
『自分は感が悪いから・・・・』
『直観力は強くないなぁ~』という人の多くは、
ものごとの「選択」に
知識や常識、慣習といったものを重視する。
旅先で入ったレストランでも、
『この地の名物は?』
『〇〇に来たら△△だよね』といった向き合い方だから、
そのお目当てのものが無かったりすると、
もう何を選んでよいのか判らなくなり、
挙句の果てには、
満足感まで失って店を出ることになる。

これはその人にも「直観」は働いていたはずだが、
情報や概念に流されたり、
勝手に抱いていた期待が大きすぎたり、
SNSの情報写真や口コミに惑わされ、
いつの間にか自分で、
自分の「直観」を遮断してしまい、
見えるモノ、
聞こえるコトを優先しているといえる。
こういう人は、
「行列のできるお店は”美味い店”」と思い込んだり、
「雑誌やTVに出てくる人やお店は良い!」と思い込んだり、
時にはとんでもないことに手を出してしまったりする。

第3,447号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -19-

 

直観」というものは必ず当たる。
もし当たららない時は、
それは「直観」というものではなく、
自分の”)”に潜む
欲や虚栄がさせる”予測”でしかないだろう。
誰にでもその経験はあるはず。
大きな決断や、
意味のある決めごとを前にした時、
その「」にこれといった根拠もないのに、
まるで誰かが、
自分の背中を押しているかのような感覚で「選択」し、
それがものの見事に当たったことが。
これを自覚できる人は、
今後も自分の「直観」に自信をもって良い。
では人はなぜ?
そう言い切れるものと、
そうではないものがあるのだろうか?
それは自分の「選択」を”自責”をもって行ったかどうかだ。
たとえその結果が、
最初は自分が思い描く状況とは違っていても、
何年か。
何十年かした後に、
その「選択」が正しかったという現象が必ず起こる。
自責”をどこかに置き忘れた「選択」はつながらない。
『だって〇〇がやった方が良いって言ったから・・・』
『俺は嫌だったんだけど・・・・△△が・・・』
こういう意志気意識)で向き合った行動は、
循環”というベースには乗ってこれない。
循環という流れに乗れなければ、
」はそこに留まるだけになり、
経験”という価値すら手にすることは難しくなる。

第3,446号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -18-

 

 

身の回りに悪いことばかりが続くと、
」まで落ち込んで、
身体が思うように動かなくなる感覚さえ感じる時がある。
自分が無意識に、
または、
虚栄や欲からか?
不本意に不都合な”選択”をしてしまった結果、
不本意で不都合な「」を運び込んでしまうことは
誰にでもある。
私達を取り巻く自然環境が”大宇宙”とするなら、
私達の「」は「小宇宙」のようなもの。
そこに流れる「(エネルギー)」は、
何時も一か所に留まっているわけではない。
上がったり下がったりするのが常だ。
体力や「」の力である”気力”が下がり始めたら、
休養を取ってその流れに身を任せることだ。
一か所に留まることをしないのが
(エネルギー)」の特徴でもあり、
つねに循環していくからこそ、
エネルギー”として活力の元になっている。

人が謀り 人が手掛け 天がこれを起こす
これはあの諸葛亮公明の言葉だが、
いつも言っているけど、
人が謀をして、
それを自ら手掛けたとしても、
その結果を起こすのは「」だ。
」とは、
自らがこれまでに積重ねてきたこと全てを指す。
)”の中に自分が思い描く絵図を描いたところで、
潜在的に存在している自らの”)”と摩擦を起こすだけ。
こんな時こそ、
ゆっくりと自分を振り返り、
目の前の”やれること”に集中することだ。
必ず、
新しい循環の中で何かを感じ取れてくる。

第3,445号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -17-

 

私は物事の決断をする時、
55歳くらいまでは、
まず情報や他の人の意見を聞いた。
そして、
自分が持ち合わせている知識に加え、
他の人の知識や知恵を頼り、
それから自分の「感情」がそれに加味され、
目の前のコトと向き合ってきたように思う。
まぁ~日常の問題や、
仕事上の問題などはそれで十分対応できて来た。
でも、
仕事を辞めようか迷った時とか、
起業をしていまの仕事をするようになってからは、
その優先順位も少し変わってきた気がする。
高額の顧問料を表示され迷ったこともあった。
逆に、
『今はこれしか払えないがお願いしたい!』と
懇願されたこともある。
人材教育のお手伝いという仕事は、
他人の心の中に
土足で踏み込んでいかなくてはならない時も多くあった。
良い人”を演じていたら取組めない仕事だから、
そんな時も、
それを「やるか?やらないか?』決める優先順位の第1位は、
自分のその時の直観”」でしかなかった。
もちろん、
それで失敗をしたこともあるが、
数年後には、
その”失敗”が逆に問題解決に導いてくれたこともある。
”直観”というのは”究極の」””なのかもしれない。
自分を極めるのに必要な環境か?
相手か?
内容か?
または自分の「在り方」を測ったり、
アイデンティティーの問題や、
信念といったことに向き合った時などは、
この優先順位は譲らないことにしている。

 

第3,444号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -16-

 

天からのメッセージだといった「”)”の」。
未来につなげるためにはこれを軽視しないほうが良い。
この声は誰にでも聞こえてきている。
仕事も生活も順調なんだけど・・・なぜか不安を感じたり、
大好きで大好きで、
一日も早く一緒になりたい人と思っている人いなんだけど、
なんかどこかに違和感を感じる時があったり、
好きでずっと続けている仕事だけど、
なんか?
『このままで良いのかなぁ~』と感じる時があったり、
自分の頭ではなく、
心でもない、
お腹の奥底の方から、
理由もなくそんな感じがすることってあるはずだ。
それなのに・・・・、
『もう結婚するって決めたから・・・・』
『せっかく入社した会社だから・・・・』
『せっかくあぁ~言ってくれているんだから・・・』などと、
どこかで自分を納得させながら、
『これで良いのかなぁ~?』という気持ちを
自分で封印して生きていく。
そしてそれが、
「せっかくだから・・・」とか、
「もったいないから・・・」といったところから来ているなら、
それは少し違うかもしれない。
世の中には、
どんなに前向きに向き合っても
無理なものは無理”で、
ダメなものはやっぱりダメ”で、
どこからか?
何かは判らないけど、
強い流れの中に巻き込まれるような感覚で、
動こうとしてもなかなか動き出せない。
何かが引っかかって、
一歩が踏み出せないことが良くある。

これは、
自分がいま、
本来はそこに居るべきではない流れの中にいることを、
直観的に感じているということ。
これはすごく大切なことで、
この”直観”こそが「の声」だ。

第3,443号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -15-

 

私の持論は「”未来”は追い求めない!」。
そしてもう一つ。
前世という世界も信じてはいるけど、
それはあくまでも過去のこと。
今世に生きる私に、
前世の出来事がもし詳細に知ることができたとしても、
それを変えることなど不可能だから、
前世もまた「振り返らない」ことにしている。
まっ、
具体的な前世の出来事は判らないけど、
恐らくは、
今世での”試練”として与えられていることは、
前世で中途半端に終えてしまったことだと思う。
大切なのは、
いつでも今この瞬間だ。
だからいつでも今この瞬間こそが、
自分の人生の始まりの時だと自覚して生きている。
受講生達にも、
「夢など追いかけるな!」
「明日生きている補償もないのに遠い先のことを追い求めるな!」といつも言っている。
まさにまるで”夢の無い”ことを言っているのだが、
私達の未来に間違いなく存在しているものはたった二つだけ。
それは「」と可能という二文字。
」・・・これは誰にも避けることは出来ない。
間違いなく必ず来ると保証されている。
もう一つの「可能」だが、
これは「可能」である以上、
良い「可能」もあれば、
悪い「可能」もあるということ。
そりゃぁ~誰だって「良い可能」を追い求めたくなるだろう。
でもそれは、
遠い未来に最初っから存在しているのではなく、
今、
この瞬間の自分の決意意志力)と行動によって決まるもの。
それがどんなものなのか?
どんな状況のことを言うのか?
今の私達には想像することすらできない。
でも、
間違いなく言えることは、
自分が蒔いた種の分だけは花開いてくれる。
私はこれこそが「本質」だと信じている。
最初っから思い描くような””と思い込んでいるのは、
それは「」ではなくただの””というものだ。
」と””ははき違えないことだ。

第3,442号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -14-

 

人は感情の生き物といわれるからか?
どうしても行動基準が”感情”によるところが多くなる。
それが決して間違っているわけではないが、
いつも言っているけど、
感情コントロールできない」ことを忘れてはいけない。
自分がコントロールできないモノを基準に行動すれば、
その行動もまたコントロール不可能になってくるのは必至。
自分の”行動”は、
自分の”感情”を基準にするのではなく、
自分の「意志」を基準にすることだ。
何かをやろうとする時、
何かに立ち向かう時、
何かを目指して取組まなけれなならない時。
何よりも重要なのは私達の「意志」しかない。
言い換えるなら「意志覚悟」と置き換えられるかも。

運命は強い意志力には勝てない。
強い意志力だけが運命を創り、
運命はその強い意志力にだけ引き寄せられていく

いくら結果を強く意識し、
ゴールのイメージを強く持っても、
私達の身体は、
この「意志力」というエンジンが無ければ動くことはない。
もっと言うなら、
結果など成るようにしかならない。
ゴールとは、
目指すところではなく”たどり着いたところ”がゴールだ。
強く意志気(意識)し、
強い意志力をもって挑むのは常に目の前のやれることだけ。
それを積み上げていく以外に、
目指すゴールへは近づいていけない。

第3,441号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -13-

 

自分で決めたことが、
「必ず成功するか?」どうかなど誰にも判らないこと。
誰にも判らないこと”など考えないほうが良い。
いくら考えたところで誰にも判らないのだから(笑。
成功とか、
幸せとか、
こういうものによく
法則”とかが存在しているような言い方をする人もいるが、
こういうものは、
目の前の一瞬一瞬を骨身を削って、
その削った自らの骨を積み重ねていくしかない。
だから”コツコツ”とは「骨々(コツコツ)」と書く。
どんなにラッキー()と思われるようなスタートを切っても、
どんなに、
アンラッキー(不運と思われるようなスタートを切ろうと、
その「」にエネルギー()を吹き込んでいくのは、
自分自身の一瞬一瞬の行動の積重ねでしかない。
誰だって時々、
『あぁ~なんて俺はついてないんだぁ~』
『今は全く運に見放されているようだ』
こんな気持ちになる時がある。
こんな時は何となく気持ちも落ち込み気味になるだろうが、
『このままじゃいけない!』
『何とかしなくちゃ!』という気持ちが湧いてきたり、
目の前の出来事が、
どうも納得のいかないことが多く起きてきたら、
それは天からのメッセージ。
自分自身の「”)”の声」に間違いない。
それを感じたらまずは焦らないことだ。
焦ったところで、
目の前の状況は急には変わらない。
まずは、
静かにメディテーションに入ったほうが良い。
静かに”)”を落ち着かせ、
『何がいけないのか?』
『自分はどんな意志気で向き合ったか?』
『何をいい加減にやってしまったか?』
『何が足りなかったのか?』
『なぜ?自分は納得がいかないのか?』
そういうことを一つひとつ振り返るところから。
そして次に、
次の手順で行動していく。
①.”今すぐ自分一人でやれる”こと。
②.1~2日の準備は必要だがそれが整えば”自分でやれる”こと。
まずはここからだ。
そして何よりも、
この基本的なことを「やる!」と決意することだ。
人生で”選択”することは、
何だって「やるかやらぬか?」しかない。