第3,177号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生はなんでも”無我夢中”で取組む奴が勝ち!」 -2-

 

昔セミナーにこんな受講生が来た。
彼は学生時代に演技部に所属していたそうで、
卒業をしたら、
更に演劇を学び、
将来は役者になりたかったという。
それをご両親に話したら、
『そんな役者なんて食えるようになるには大変なんだ!』と
一喝されその道を断念したと・・・。
まぁ~ご両親のご心配や不安も理解できるが、
今の私なら、
間違いなく『自分の人生だ好きなようにやってみろ!』という。

私が講師という職業を始めた頃、
仲間が心配して、
『大変だぞぉ~!禰宜。
講師で食っていくには、
よっぽど名前を売らないと食っていけないぞぉ~!』
多くの仲間や先輩が心配してこういってくれた。
でも、
元々、私の心に
『有名な講師になって稼ぐぞ!』・・・
などという気持ちはさらさら無かったから、
『そうだよなぁ~!』で反論することもなく聞いていた。
ところが、
自分の気持ちとは裏腹に、
初めて3年目頃から、
いろいろな業種業態からお仕事がいただけた。

今から思えば、
時間も惜しむことなく、
さまざまな学びの場に赴き、
役に立つと思う本は多い時で年間40冊は読みふけったが、
自慢できるのはそんなところではなく、
結局は、
直接、やろうとすることが目的達成に無関係でも、
”いまやれること”を確実に、
「やる!」と決めたことは120%必ず「やった!」ことだけ。

最初の企業さんで人材研修のご依頼を受けた時、
まず大きな変化が私に生まれた。

続きは明日のブログで!

第3,176号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生はなんでも”無我夢中”で取組む奴が勝ち!」 -1-

 

人生に勝ち負けなどは存在しないといつもいっているけど、
もし、
”勝ち負け”があるとしたら、
”勝ち負け”をどこで評価するか?
それは稼いだお金でもなく、
事業での成功・不成功でもなければ、
出世の度合いでもない。
それは”自分の人生にどれだけ無我夢中”になれたかという、
この一点だけで競われるのかもしれない。

サラリーマンの頃、
仲間と酒を呑むとよくこんな与太話をしたものだ。
『あぁ~宝くじでも当たらないかなぁ~。
そしたら直ぐにでもこんな会社辞めてやるのに・・・』
もし、
君が宝くじに大当たりして、
5億円を手にしたらどうする?
正直な気持ちになって想像してみてほしいが、
本心から、
『それでも俺は今の仕事をやり続けるね!』
こう言い切れるなら、
君はすでに”無我夢中”に人生と向き合っているといえる。

ところが多くの人は私も含めそうではない人が多くいる。
特にサラリーマンなら、
毎日毎日、
ラッシュにもみくちゃにされ、
会社に着いたら、
疲れ切った顔を隠して作り笑顔で挨拶して、
『今日も頑張りま~す!』とアピールしながら、
楽しくもない仕事を、
楽しそうな振りをして熟さなくてはならない。
そんな人生と一日も早くおさらばしたいのは当たり前のこと。

でも”無我夢中になって生きる人生”とは、
たとえこれから稼ぐ賃金のすべてを、
今すぐ手にしたとしても、
それに対する自分の取り組み姿勢は、

何も変わることがない人生のことをいう。
楽しくとか、
好きなことを・・・・ではなく、
目の前の与えられた仕事を、
「無我夢中」で取組んでみることだ。

今からでも”無我夢中”に生きた方が、
楽しさはもちろんのこと、
その仕事も好きにもなれるし、
これから稼ぐ予定の収入を早く超えられる
可能だって生まれてくる。
そのために必要なことはただ一つ。
自分自身の
「進取な意志気(意識)」だけということを再確認してほしい。

もし、
40年前の自分に出逢えたら、
こんなことを伝えてやりたいという、
そんな気持ちでこのシリーズを受講生の諸君に贈ります。

第3,175号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -50-

 

いよいよこのシリーズ最終回。

私達の人生における”思い”は、
まず叶わないと考えたほうが良い。
一時的には叶えたように思える瞬間もあるだろうが、
私達自身の、
”生きる”という最終地点がそんなところには存在しない以上、
私達が”負”と感ずる現象は、
これからも容赦なく襲いかかってくるだろう。

私達の目の前に起こる”出来事(現象)”は全てが「カオス」。
”可能と制約”の中で、
まずは私達自身が、
それをど受け止めるかが試され続ける。
そして、
自分が生まれながらに与え備えられている「意志力」を持って、
それにどう向き合っていくか?
その”思考”と”行動”のとらえ方もまた試されることになる。

でも、
そんな試練と思い込んでいる一つひとつに、
私達が押しつぶされることは無い。
私達がそうしたことに押しつぶされるのは、
その現象から逃げようと、
それに背を向けた時にだけ危険性が増してくるということ。
つまりは”試練”と思い込んでいるものも、
実はすべてが自分の人生に与えられた「課題」なのだから。

最後にもう一度繰り返す。
私達の「命」はこの大宇宙のエネルギーそのもの。
それは宇宙全体の生命体とつながり、
強くたくましく、
決して死することはない。
私達は孤立している人など一人もいない。
全てと関係しあいつながっている。

2019年ももう1月が終わるが、
まずは迎える2月も、
強くたくましく「意志力」をもって生きてほしい。

明日からまた新しいシリーズで!

第3,174号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -49-

 

「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」
このシリーズもいよいよ明日が最終回。

セミナー受講生の諸君はこのシリーズのタイトル。
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」
このタイトルが物語る真意を少しは思い出してくれただろうか?
勘違いしないでいただきたいのは、
”運命は逆転可能”というこの言葉を、
表面的にだけ受け止めて、
『これを読めば仕事が順調にいくんだぁ~』
『これで俺の人生も上向きになる!』などとは考えないことだ。

あの2日間のセミナーで体感していただいた
すべてのカリキュラムは、
ここに書き綴られた文面の一つひとつに現れているはず。
あの自己紹介も、
あの面白おかしく挑戦した「力の・・・」も、
全てこのことを体感してもらったはず。

そして、
実はその潜在的な力を君たちの誰もが、
生まれながらに持ち備えているということ。
でもそれに気付けない人が多くいる。
あの2日間で気付けても、
すぐに忘れて、
元の黙阿弥状態になった人もいる。
人生観というとらえ方を大きく変えて、
成功結果を残している人もいる。
一見すると成功しているように見えて、
ご自分では気付かず、
どんどんと深みに陥ろうとしている人もいる。

私達が見えるもの、
耳に聞こえるものは”事実”であっても「真実」ではない。
このことをもう一度、
自分自身で振り返ってみてほしい。

第3,173号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -48-

 

”意志気(意識)”を進化させる最高レベル。
それは・・・・、
「こうだから・・・こうなってしまった!」
「こうだけど・・・こうなれた!」
ここまでで凄い意識進化だが、
その先の一歩があるというのが・・・・これだ!

それは・・・、
「こうだからこそ・・・こうなれた!」である。
自分に降りかかってきた
”負”と感ずる”出来事(現象)”を跳ね返すだけではなく、
その全てを”受け入れる”生き方。
このレベルに達すると、
恐らく・・・、
(こう表現するのは私自身がまだ達してなどいないから・笑)。
大自然の中で生きる植物と同じレベルといえるかもしれない。

もう少しすると梅の花が咲く。
小粒で小さな薄桃色の花が愛らしいが、
桜の花のような艶やかさはない。
そんな梅の花は3月末の桜が来るまでの代役的存在だが、
『俺も桜のようになりたいなぁ~』などとは口にしない。
雨が降ろうと、
雪が降ろと、
風が吹こうと、
静かにその全てを受け入れて生きている。
梅だけではない。
大自然の中に生きる生命体すべてがそうだ。
愚痴を語らず、
文句を言わず、
他と比べることもなく、
それぞれがそれぞれらしく懸命に生きている。

私達人間が、
更なる次元のレベルに入り込むとは、
こういうレベルコトかもしれない。

第3,172号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -47-

 

「こうだから・・・こうなってしまった!」を、
「こうだけど・・・こうなれた!」に変えると、
これは”意志気(意識)”の進化といえるすごいことだ。
”3つの重力方向”から来る「重圧」がある以上、
人生で”負”の条件を持たない人生など誰もいない。
でも、
その”負”を”負”として受け止めるか、
別の受け止め方をするかで、
運命そのものが大きく変わっていく。
一見すると、
”負け組”と呼ばれてしまいそうな人でも、
実は、
他人には理解することができないような満足感をもって生きている人もいれば、
一見、”勝ち組”と見られている人でも、
過去の忌まわしい出来事をひた隠しにしながら、
自分じゃない自分を演じながら、
どうにか張りぼての姿を維持している人もいる。

「こうだけど・・・こうなれた!」という受け止め方は、
目の前に起きた”出来事(現象)”を解決した人ではない。
その”負”と監査せられるような”出来事(現象)”そのものの
受け止め方を変え、
行動基準を変え、
『あの人と同じように‼』とか、
『あの人にできたなら私にもできる』といったことではなく、
”自分がやれること”だけに絞って懸命に、
真正面から向き合った人のことをいう。

でも、
この受け止め方にも、
もう一歩、上の段階がある。

それは明日のブログで!

第3,171号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -46-

 

私達の多くは、
どうも目の前に辛いことや苦しことが起こると、
『こんなことがあったから・・・・こうなっってしまった!』と口にしてしまいがちである。
世の中が豊かになって今は少なくなったが、
40~50年前なら、
貧困の中で生きていると、
どうも心も貧しくなって、
他人様の生活をうらやんだりする人は珍しくなかった。
今でも、
幼いころに両親からの愛情が足りなく育った人は、
周囲の人や世の中を信じ切らないようになっていく。
逆に恵まれていたり、
ちょっと有名になってしまうと、
有頂天になり、
自分では気づかない内に
身勝手な行動がいつしか普通になってしまっていく人。
お金持ちになり、
なんでもお金で解決できないことはないと思い込む人。
こういう人達の多くは、
目の前に起こる”出来事(現象)”をとらえては、
「こうだから・・・こうなってしまった!」と思い込む人生。

上手くいかないこと。
”負”を感ずることが起こると、
全ては自分以外のその前の”出来事”だけを原因に挙げてくる。
これでは自分自身を変えることは難しい。

自分自身の”意志気(意識)”を変える一歩は、
この「こうだから・・・こうなってしまった!」を、
「こうだったが・・・こうなれた!』に変えることだ。

 

第3,170号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -45-

私達の人生は“後悔と反省”ばかりかもしれない。
反して、
人はまた「忘れる生き物」だから、
そんな“後悔や反省”もすぐに忘れる。
そしてまた同じようなことを繰り返しては”後悔”をし”反省”する。
でも、
この”後悔と反省”があるからこそ、
私達はいつも生まれ変わっている。
それが一瞬の出来事であろうが・・・・。
必ずその時に、
『今度こそ!』と強い”霊(エネルギー=命)”が叫びをあげる。
大切なことはここだ。
私達の「命」は、
そんなダイナミズムな底力を誰もが秘めているということ。

私達の生きる
宇宙の中にはいったいどれだけの星があるのだろうか?
地球から肉眼で見える星はおおよそ5,000個といわれているが、ここの宇宙には1,700億前後の銀河が存在し、
地球があるのはその内の一つ。
そこでも4,000億個近くの恒星と
それ以上の惑星がある神秘な宇宙。
私達の住むこの地球の生命体も、
人をはじめ微生物から植物、動物まで、
まだ確認されないものを入れたらどれだけの生命体があるのか?
そのすべてが互いに影響しあいながら、
緻密で壮大な食物連鎖のつながりをつくり、
全体の調和を保って生きている。
草木は太陽エネルギー(宇宙エネルギー)と地中からのエネルギーを受け成長し、
草食動物はその草木を食べて育ち、
その草食動物を肉食動物がとらえて食べ、
肉食動物が朽ち果てると土に還り、
それがまたエネルギーとなって草木に還る。

私達は
こうしたぢ自然の中で生きている生命体の一つということ。
日々の生活の中で、
目に見えること、
耳に聞こえることだけに惑わされることなく、
その陰に隠されているものに気付けていきたいものである。

第3,169号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -44-

 

「心身一如」とは、
単に心の肉体のバランスと思い込んでいたが、
”人生観”というものをこういう形でとらえてみると、
「心身一如」とは、
”霊(エネルギー=命)と肉体”さらには、
それに合わせて与える”重圧”の心の受け止め方。
この3つのバランスを指しているような気がする。

ビジネスで成功して財を成しても、
健康を害したり、
家庭内が上手くいかなかったり、
自分の想いを形にして先を目指しても、
道半ばで倒れてしまったり、
もっと言うなら、
こういう、
”強い想いと使命”を持ち合わせていることにすら
気付けないまま一生を終わる人も多くいるだろう。

そう考えるなら、
私達が今存在する日々の出来事の中も、
生活の上でもビジネスの上でも、
目先の勝ち負けにこだわったり、
目の前の目に見えること、
耳に聞こえることだけに右往左往し、
振り回されていることなど取るに足らないことかもしれない。
仕事だって、
”何をやっているか?”ではなく「どう取り組んでいるか?」。
これが極めて重要なことに気付けるはず。
会社のためでもなければ、
お客様のためでもない、
全ては、
自分自身の次へのステップのためにあるといえる。

第3,168号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「己で切り開く運命はいつでも逆転可能!」 -43-

 

もう学びを続けて7年になる”仏性セミナー”で、
こんなお話を聞かせていただいたことがある。
「人間は”霊(エネルギー=命)と肉体と心”で創られて、
肉体と心はその都度、
生まれては死して光となって消え去るが、
霊(エネルギー=命)は永遠に不滅で、
何度も生まれ変わり人生を経験する。
そして霊(エネルギー=命)は、
現生での出逢いと出来事のすべてが、
霊を成長させる糧となっている」・・・・・と。

最初にこのお話を聞かされた時は、
『ふぅ~ん・・・そういうものなのかなぁ~?』程度で聞いていたが、
歳を重ねるごとに、
このお話の真意が少しだけ見えてきているような気がしてきた。
これからいうなら、
常日頃、
私達が思い描き、
考えている”人生観”とはまったく異なることになるが、
私はこれこそが、
”生きる”という「真の人生観」のような気がしている。

人は”強い想いと使命”を受けて生まれるといわれるが、
考えて見れば、
この”強い想いと使命”のバランスを
保ち続けていく人はこの世の中にいないかもしれない。

正に「心身一如」のバランスのこと。

また明日のブログで!