第4,649号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー46ー

 

このシリーズもここまで来ると、
もうお解りになると思うが、
逆説的に聞こえるかもしれないが、
本当に「信頼される人」というのは、
実は・・・・、
周囲から信頼される人になろう」とか、
認められよう」とか、
凄いと思われようといった感情や意識を一切、
心の中に持ち込んでいない人といえる
『俺は凄いでしょ!』
『私はこんな実績があるんです』
『これが私の魅力で価値です』・・・・と、
努力すればするほど、
気が付いた時には相手は遠ざかり、
そういう人の周りには結局はわずかな人しか残らない。

企業組織の中で、
部下には自分の背中を見せろ!」という、
マネジメント基本姿勢”というものがある。
この言葉は、
黙って、
仕事をしている姿を背中から見せろ”というこいとではない。
素直で、
正直に、
自分らしく、
仕事に向き合う姿勢そのものを見せなさい」という意味だ。

そして何よりも、
礼儀・礼節を忘れずに、
自責で自分自身と向き合い
感謝
日々の挨拶
健康管理
時間金銭管理
整理整頓といった生活する上でごく当たり前の、
誰でもがやれることを誰もがやらないレベルまでとことんやりなさいということを指し示している

周囲の人は、
口には出さなくとも、
いつもどこかで自分の姿をじっと見ていることを忘れずに!

 

第4,648号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー45ー

 

自分を「アピールすることと”売込むこと”の違いが理解出来ない人間が「自己実現の欲求」と向き合うとどうなるのか?

そもそも「自己実現の欲求」とは、
人がその潜在能力を信じて、
何事にも恐れることなく逃げたりせず、
与えられた条件の中で、
最善の努力を惜しまず挑戦し続け、
自分が成り得る可能に挑み続ける姿勢”のことをいう。
言い換えるな人間の尊厳追及ともいえる究極の欲求であり、
有名になることや、
ビジネスで成功者と呼ばれることでもなければ、
周囲から”凄い人などと思われることでもない
ここが理解しないで人生を歩み続けていると、
表面的には有名人になれたとしても、
ビジネスで成功者と呼ばれるようになり、
他の人が羨むような多くの収入を得るようになったとしても、
どこかで心は満たされないまま、
残りの人生の日々を過ごすことになる。

私も恥ずかしながら、
60近くなるまでこの違いに気付けずにいた。
だからいつも、
『俺が俺が!』と前に出しゃばり、
他の人より目立つこと、
他の人より優位な立場にいることだけを意識し、
相手にもそれを意識させようと行動していた。
本当に、
『大切な時間をなぜもっと有効に使えなかったのか?』と、
いまは大いに反省している。

第4,647号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー44ー

 

 

マズローの欲求5段階説”で、
承認欲求」から最後の「自己実現の欲求」というレベルに差し掛かり出すと人の”本性が見え隠れしだしてくる
これはどういうことかというと・・・・。
承認欲求」で見るならこういうことだ。
人は向き合うことに一所懸命に愚直で取組んでいる人なら、
その人との間に個人的感情による乖離が無い限り、
『あぁ~この人一所懸命にやられているなぁ~』
『上手い下手ではなくこの人の向き合い方が健気だなぁ~』
そう周囲の人は感じ取ってくれる。
ところが、
『私はこういうことが出来るんですよぉ~』
『これが私の魅力で価値です」と、
自分を「アピールすることと、
売込む”ことをごちゃ混ぜにしはじめる。

自分を「アピールする」こととは、
向きあっていることにだけ集中して愚直に懸命に向き合うこと。
『どう?凄いでしょやってるでしょ?』と、
周囲の目線を気にしながらチラチラと気を散らして向き合う姿とは違うということ。
これが理解できない大人が多くいる
こういう人が、
自己実現の欲求」と向き合うとどうなるのか?

続きは明日。

第4,646号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー43ー

 

人は誰でも、
「周りの人達から頼りにされたい」
「信頼される人間でいたい」
「評価される人間でいたい」
「必要とされる人間でいたい」と考えるものだ。
これは私達が、
この人間社会で生活する上で欠かすことのできない「欲求」。
マズローの欲求段階説でいうなら、
生理的欲求
安全の欲求
社会的欲求」・・・・の次にくる「承認欲求」だ。
このマズローの欲求5段階説というのは、
人間の””というか「本質」を本当によく見抜いている。
最初の2段階である、
生理的欲求」から「安全の欲求」までは、
概ね、
ほとんどの人が素直な気持ちで向き合うことが出来る。
それはそうでなければ、
手に入れることは不可能になる「絶対的」なものだから。
ところが・・・、
3段階目の「社会的欲求」あたりから、
私達は、
その基準が「絶対的」なものから”相対的”なものに変わり出す。
つまり、
好きか嫌いか
損か得か?・・・・と、
感情の中に”他人を引き込んでは
相対的に比較しながら向き合うようになっていく
そしてその先の「承認欲求」から、
最後の「自己実現の欲求」というレベルに差し掛かり出すと、
その人間の”本性が見え隠れしだしてくる

続きはまた明日。

 

第4,645号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー42ー

 

 

目は口ほど物は言わない”・・・・が、
人の眼差しには感情が正直に映し出される
どんなに隠そうとしても、
怯える眼差し、
隠し事の眼差し、
自分を良く見せようとしている眼差しに、
騙そうとしている眼差し・・・・。
どれもごまかすことはできない。
逆に、
控えめだけど、
眼差しがキラキラと輝いている人もいる。
優しいまなざしの中に吸い寄せられそうになる人もいる。
こういう人には、
その人に潜在的に備わった力とは別に、
目力めちから)」という、
宝石のような秘められた魅力が感じられる。

そういう意味では、
目は口ほどにものは語らない”・・・・が、
その人の心を映し出す力は備えているといえる

目力」のある人というのは、
言い換えるなら「透明感が高い人」ともいえる。
透明感が高い」ということは、
隠されているところが少ないということだ。
つまりは、
その人の「」が伝わって来る感じ。
こういう人に出逢うことは非常に少ない
でも、
そういう人の周りには、
必然的に同じような人が集まって来るのは間違いない
これは「信頼される人の最も大きな特徴かもしれない。

愛4,644号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー41ー

 

目は口ほどに物を言う”といわれるが、
私は・・・・、
やはり「目は口ほど物は言わない」と考えている。
それはある役者さんに教えていただいたことだが、
オーラ”という言葉と似ている。
あの人はオーラが凄いよ』と、
有名人などを見て評する人がいるが、
実は、
本当にすごい人」というのは”オーラを出さない
なぜなら、
オーラ”というのは、
その人が身に纏ったマントのようなものだから。
お金持ちしか着ることが出来ないような高そうなコート。
成功者といわれるような人しか乗れないような高級車。
そんなものを身の回りに置かなくても、
本当のお金持ちは間違いなくお金持ちのはず。
もっと解り易く言うなら、
893屋さんのオーラを満載で歩く893屋さんはチンピラだということ
人間社会はそういう人達の世界も、
一般社会人の世界も変わりはない。
信頼される人」というのは、
自分は信頼できる人間ですよぉ~とアピールなどしないということだ

第4,643号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー40ー

 

人を見極めるというのは難しい。
私も72年近く生きているが、
その点においてはまだまだ未熟というレベルから抜け出せない。
でも、
裏切られたり、
嘘をつかれたり、
騙されたりという苦い経験が教えてくれたことも多くある。
そんな経験上からいうなら、
次のような人間は注意した方が良い。
①.出逢って間もないのに信頼を口にする人
②.もみ手をするかのように腰を低くして満面の笑顔で近づいて
くる人

③.過去の自慢話や自分の価値とかを自分で語る人
④.とかとかイメージ言葉を多用する人
⑤.素直ではない人
⑥.”世の為人の為を軽く口にする人
⑦.過去に自分が出来たことしかやらない人
⑧.物事の原因は他人要因は自分として向き合う人
⑨.変化を恐れて何もしない人
⑩.肩書や地位でものをいう人

誰の側にも必ずこういう人がいる。
でも、
注意深く<
その人の”やっていることを観察しているとすぐに判る
時々、
TVのニュースでも”お騒がせ人間”として登場するでしょ?
自宅前の排水溝に煙草の吸殻をポイ捨てする人とか。
どこかの副知事までやられた人が、
天下り先の会社の経費を使い放題で、
コンパニオンと混浴したとか(笑。
肩書や、
過去の成功事例など、
表面的なコトだけに戻わされると、
こういう人達の餌食になりやすい。

第5,005号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「在り方”」を見る!」       ー81-

 

天風哲学の教えの中に、
ソリロキズムつぶやき自己暗示法」というのがあるが、
いつも言っているが、
私達は感情の動物である以上、
まず、
目の前の”出来事現象)”をこの”感情”で受け止めがちになる。
これは間違っているわけではないが、
この”感情”だけを基準に「受け止め方」を決め、
その「受け止め方」を元に考え方である「思考」を決め、
行動」を起こしていくと、
事態は思わぬ方向に向いてしまうことが多くある。
この「ソリロキズムつぶやき自己暗示法」は、
そんな自分自身の”感情コントロール”というか、
感情を知る=「自己自覚」”に役立つ。
「つぶやき」と記されているが、
なにも声に出してブツブツと唱えなくても良い。
の中で観念としてつぶやけばよい
悲しいことが起きたら、
『あぁ~俺はいま関心でいるんだ』。
怒りを感じたら、
『俺はいま目の前のこの人の○○なところに対して怒っている』
自分で自分に言い聞かせるかのようにつぶやく。
すると、
自分で自分の感情を客観視できるようになり冷静さを失い難くなる

第4,642号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー39ー

 

見られ方」というのは、
言い換えるなら人の”魅られ方”なのかもしれない。
『この人はどんな人なのだろうか?』
『何を考えているのか判らない』
相手から見て、
そんなふうに感じてしまう人に、
信頼される人」というのは少ないはず。
どんなことにも前向きで、
結果を恐れることなく挑戦をし続ける人。
結果として思うような状況を生み出せなくとも、
他人や環境のせいにしたりしない。
それに向かって、
自分が何を”やったか?”という記録が、
いつも具体的に見せられ、
自責の下に自己改善を進めながら向き合い続ける人というのが、
やはり多くの人から「信頼という二文字を贈られる
考えてみれば企業組織の中でもそうだ。
多くの人は結果ばかりを追い求め、
誰々よりも高く、
誰々よりも多く、
目立つような成功結果を挙げることが大切かのように思い込みがちだが
真の経営者はそういうことを従業員に求めることはない
真の経営者が従業員に求めるのは、
目標に向き合って
どんな結果を出せたかではなく
自分自身が、
何をどう具体的に取組んで、
諦めずに挑戦し続けたかを求めている

信頼される部下」というのは
そういうこともまた深く理解している

 

 

 

第4,641号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー38ー

 

もう一つ、
信頼される人」には大きな特徴がある。
それは・・・・自分の「見られ方見せ方を知っている
逆にいうなら、
信頼されない人」というのは、
この点において自分を見失うことが多い
簡単にいうなら、
信頼される人」というのはいつも「」の自分でいるが、
そうでない人は、
何とか自分を大きく見せようとしたり
過去の成功結果をいつまでも自慢していたり
いうならば、
過去に縛られまだ見ぬ未来の幻覚を追いかけながら生きている
だからいまの自分の本質が見えなくなる。
これに比べ「信頼される人」というのは、
いつも、
いま目の前の瞬間を素直に懸命に生きてい行く」。
だから、
相手によって態度を凶変させたり、
組織内で権力のある立場の人や、
有名人と言われるような人の前に行くと、
さも自分は、
その人とごく親しい間柄だとアピールするようなこともしない。
一番解り易いのは、
信頼される人というのは自慢話を自分では語らない
むしろ、
自慢話よりも失敗談の方が多く出てくる
人間とは面白いものだ。
品格を口にする人間ほど品格が感じられない行動が多かったり、
気配りや気遣いを口にする人間ほど、
身勝手で我がままな人間が多くいる
自分の「見られ方見せ方を知っている人間は
のままで飾ることもしなければ演じることもしない人が多いということ。