第4,621号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー19ー

 

アメリカでの生活の中で迎える休日は、
いつも上司に連れられ、
サーフィンやスキーにと行動範囲を広げられた。
私がサーフィンで波に飲み込まれるたびに、
スキーで転倒するたびに、
スカイダイビングでは雄たけびを上げるたびに、
常務は拍手喝さいをしてくださった。
そして、
LAで迎えた最後の夜に・・・・。
『禰宜君お疲れ様でした。
いろいろやらせてしまったけど、
今回の経験は必ず後で役に立つから・・・・・』
そしてこう付け加えられた。
人は自分を知ることが大切だ。
それを知らないと、
自分の存在価値がつかめなくなる。
それがつかめないと、
人は無理をして、
誰かに負けないようにとか、
誰かに合わせなくちゃと
自分をどこかに置き忘れて生きることになる。
人生で大切なプライドは捨ててはいけない。
そのプライドとは、
挑戦することを諦めないコト。
他人が成功したから自分も成功しなきゃではなく、
自分は自分なりに、
さっきの自分よりは前に行くぞという進取な意識。
これが、
忘れてはならないプアライドだ
恥をかく
失敗を笑われる
それで傷つくようなものはプライドの内に入らない

信頼され人というのは、
本当のプライドを知っているものだ。
待たなくてもよいプライド捨てること

 

第4,620号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー18ー

 

組織はいろいろな人が集まって仕事をする。
その中には、
プライドの高すぎるような人も多くいる。
プライド”を高く持つこと自体が問題なのではない。
問題は、
その”プライドの中身”だ。
デパートマンだった頃、
まだ20代後半だったが、
秘書室という部署に配属なったことがある。
その役員さんの中で物凄くプライドの高い常務がいらした。
それも私の担当役員として。
その方と海外出張に出た時、
『常務はなんでも果敢に挑戦されますねぇ~』とお尋ねしたことがある。
実際に、
LAのロングビーチでサーフィンを教えていただいたのもこの方。
ロッキー山脈のすそ野ではスーツを着たままスキーを教わり、
スカイダイビングも教えていただいた。
実際のところ、
30代近い私にとってもキツイことが多く、
何度もご辞退申し上げたが、
『君にはプライドというものが無いのか?』
『私にだってプライドくらいあります。あるから・・・・・』
そして、
常務のこんな言葉に救われた。
上手くやろうとするな。
失敗しても当たり前くらいがちょうどいい
何しろ”無我夢中でやる!”というプライドだけは捨てるな

案の定。
サーフィンは立つまでになるのがやっと。
スキーはスーツがグチャグチャになり、
スカイダイビングでは着地した時に腰を抜かして立てなかった。
どれも無様で、
カッコ悪い結末となった。

続きはまた明日。

愛4,619号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー17ー

 

信頼される人」というのは、
自信”も、
魅力”も、
そういうものは自分が1人で躍起になって、
無理して身に付けるものではないということを知っている。
そして”セルフイメージを上手に保っている
ここでいう”セルフイメージ”だが、
勘違いしていただきたくないのは、
自分が描き求める理想としている姿ではないということ。
つまり、
目標にする人を思い描いたり、
そういう人達のやり方を真似て生きることも間違いではないが、
いつも言っているように、
その”目標にする人”というのは、
あくまでも、
目標にする人”であって「自分自身ではない」ということ
自分が思い描く”セルフイメージで大切なことは
ありのままの自分を心の中に刻み込むこと
これを忘れると、
どんなに自分が「頑張っている」と感じても、
現実の自分と、
思い描く自分とのギャップ埋めることが出来なくて
ただ、
心の中にストレスをため込んでいくだけになっていく。
道に迷って、
最初にしなくてはならないことは「現在地を確認すること
人生でも同じ。
行先だけが意識の中に強く刻み込まれすぎて、
自分は、
『何が何でもそこに行かなきゃ!』と意気込んでいるだけでは、
道に迷い込んだ時に、
最悪は抜け出せなくなってしまうほど深みにハマることもある。

自信は周りの人が運んできてくれる
自分の人生なんだから、
自分自身を常に見つめながらの姿で生きていくこと

 

第4,618号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー16ー

『最近なんだかチョッと自信がついてきた感じ』
こんなふうに感じるのはどういう時だろうか?
心穏やかに、
コーヒーでも飲みながら午後のひと時を過ごしている時か?
大事なプレゼンが大成功に終わりホッとしている時か?
夜のクラブのカウンターで、
一人でスコッチのダブルを静かに飲んでいる時か?
人によって、
その場所もタイミングも異なるだろう。
自信」というのは、
不思議なもので、
『よぉ~し今から感じてみよう!』と力こぶしを作っても感じることは難しい。
昔、
出張に向かう新幹線の中で、
恩師にこんなことを言われたことがある。
『禰宜なぁ~”自信というのは周りの人が運んできてくれる
この時は腑に落ちないで、
『”自信”というのは自分で経験を積み重ねることで付いてくるのでは・・・・?』
すると恩師は、
『そうだ経験は”自信の源”にはなるがそれだけではダメだ』
『・・・・・』
そのまま出張先の博多に着いた。
取引先で商談を進めている時、
なぜか?
仕事とは全く別の話で盛り上がってしまったが、
夜の懇親会の席で契約が決まった。
嬉しかった。
ホテルへの帰り道、
恩師がこんな言葉をくれた。
『禰宜、先方の専務さんが”禰宜さんって素なんです”と言ってくださったぞ。成長した証だなぁ~』
この時、
恩師の言葉(自信というのは周りの人が運んできてくれる)が、
ストーンと腑に落ちた気がした。

 

第4,617号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー15ー

 

人は”何を言っているか?”ではなく、
何をやっているか?」でその真意が測られる。
信頼される人」には大きな特徴がある。

それは、
やりもしないで結論は出さない”ということ。
何事においても、
やってもいない内から、
『そりゃぁ~無理だ』
『あぁ~そういうのはやらなくても解っている』
『やっても無駄でしょ?』
このように、
まるで、
自分がすべてを経験して、
目の前のコトに対して、
やり尽くしてから語っているかのような、
偽善的な言葉は間違っても口にすることはない。

もう一つ、
どんなことでも、
起こる前から不安がってネガティブ思考に陥らない
『えぇ~どうするのよぉ~〇〇になっちゃったら・・・・』
『どうするのぉ~誰が責任取るのぉ~?』
まだ何も起きてもいないのに、
まるでもうその心配事が起きてしまったかのように、
右往左往し、
周囲を巻き込みながらネガティブな渦の中に巻き込まれていく。
こういうことが「信頼される人」にはまず起きない。
もっと具体的にいうなら、
『どうするぅ~?』ではなく、
『さてと・・・どうするか?を考えよう!』になる。

そして、
考え着いたことは
出来るか出来ないか?”ではなく
やるかやらぬか?」で判断し即行動に移す

第4,616号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー14ー

 

 

ビジネス社会でいうなら、
信頼される人というのは自分の言葉に責任を持っている
例えば、
組織内で何か新しいコトを始める時、
信頼される人」というのは、
それを行う理由や経緯をしっかりと説明する。
ところがそうでない人の特徴は、
『社長が言っているから!』
『会社が決めたことだから!』と、
全ては自分ではなく、
上役や会社の責任とばかりに並べたててくる。
新しいことを行う時だけに限らず、
組織内で行うことが急遽変更になった時なども、
『とにかく会社が決めたことだから・・・・』と、
その経緯の説明もなく、
突如としてA案からB案に変更になる。
こういう上司や先輩の下に着くと気が重くなる。
もちろん、
ビジネスの社会に限らずこういうことはどこででも起こる。
・・・・のだが、
大切なことは、
『会社が決めたことだから・・・・』と、
まるで会社という人物がいて、
そいつが、、
すべての権力を持って決めているから仕方がない」とでも言いたげなように、
自己責任を逃れるような発言には、
やがて怒りさえ覚えるようになっていく。
信頼される人というのはまずこういうことが無い
自分が納得のいかないことでも、
それに向かって向き合わなくてはならない理由をしっかりと語ってくれる
自分という存在を隠してまでも、
誰かのせいにしてコトを運ぼうとそれに向き合うことは無い

第4,614号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー12ー

 

自分の過去の自慢話を並べる人や、
いつもお相手のことを考えて行動しよう!」などと、
さも自分は、
自分のことはさておいてでも誰かの役に立つ生き方を!”といった自己アピール的な言葉を口にする人は、
どれだけ長い時間話を聞いていても、
共鳴共感」というものが湧いてこない。
信頼される人」というのは、
こういう原理原則をよく理解している。
人間関係でも大切なことは、
いまの自分をありのままに見せること」しかない。
過去の栄光は、
自分の口から語れば語るほど錆びついていってしまう。

人は”目指すモノやコト”があることは大切なことだが、
現象的にそれをとらえないことだ。

例えば、
大学受験などは「合格という結果だけを目的にしないこと。
社会に出たら、
昇格昇進という結果現象だけを追い求めないこと
スポーツの世界でいうなら、
優勝とか、
金メダルとか、
○○チャンピョンといった結果現象だけを追い求めないこと
これを理解できないでいると、
結果として、
優勝したり、
昇格したり、
成功したりしたことの全てに、
その先もすがって生きていくようになる。

言い換えるなら、
大学受験は、
そこに合格することは表面的な目的で、
真の目的は、
その受験というものに、
自分自身がどう向き合った?」ということが問われる。

そして、
その向きあい方の全てがその先の自分を人生に大きな影響を与えることになる

第4,613号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー11ー

 

信頼される人」というのは”肩書”で語らない。
もう一つ、
信頼される人」というのは、
過去の自慢話を自分からは決してしない
もう過ぎ去ってしまった遠い”過去”に生きている人の話を、
長々と聞くのは、
自分が感じている以上に心も身体も疲弊していく。
これは年齢は関係ない。
20~30代の若者の中にもこういう人はいる。
逆に、
70~80代になっても”過去”より「未来」の話をする人もいる。
過去の栄光や成功話に埋もれている人は、
が満たされていない証拠だ。
それともう一つ。
これが私の魅力です!』とばかりに、
自分の”売込みに走る人も同じだ。
というこの瞬間瞬間を懸命に生きている人というのは、
他人のことは眼に入らない。
眼に入らないから、
気にもしないしならない・・・・。
言っておくが、
これは「他人などどうなっても構わない」・・・・、
そういう話をしているのではない。
他人が気にもならないから、
いつも見つめることが出来るのは「自分」のこと。
そういう人は誰かと上手く行かなくなると、
他人のことを指摘する前に、
『俺はどうだろうか?』と自己と向き合えることが出来る。
そう!
相手の問題は相手の問題”で、
自分は、
自分の問題とだけ向き合う」という大切さを知っている。
自分の自慢話や、
相手が喜んでくれるようなことをしよう!」という計算だった行動が無いから、
だから、
相手と言葉のキャッチボールも可能になる

続きはまた明日。

 

 

第4,612号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー10ー

 

ビジネスの世界では、
初対面の時にほとんどの場合に名刺交換をする。
この時に、
『○○会社で専務取締役をさせていただいております△△です』
こう言葉を添える人は少ないはずだ。
まずは、
私の場合なら、
『エイチイー・プロダクトの禰宜と申します』
こう言葉を添えて名刺を差し出し頭を下げる。
これが普通だ。
肩書”は名刺を見ればすぐに判るから。
名刺交換の最後の光景は・・・・、
お互いに手にした名刺をしばらく眺め、
「あぁ~この人は営業の総責任者なのかぁ~」
「あぁ~この方が人事を担当されているのか・・・」と、
肩書”はすぐに多くの情報を与えてくれる、
言葉にする必要の無いモノ”ということ。
ところが、
それを言葉として本人が発すると、
それはまるでご自分の売込をされているようで、
スッーと気持ちがそこから離れていく感じすら受けてしまう。
『○○会社の代取りをしております△△です』といわれると、
その後は、
ずっと上から目線を感じながら話を聞かなくてはならなくなる

肩書”にはそれにはそれの魅力(・・・というか魔力)がある。
私もサラリーマン時代、
初めて取締になった時、
それまで呼ばれ親しんだ『禰宜部長!』の響きが、
『禰宜役員!』と呼ばれ、
その言葉が耳に入った時の心地よさは今でも覚えている(笑。
だから、
自分に自信の無い人はそれについつい頼りがちになる
その代表的な言葉がこれだ。
何かあると・・・・。
部下にはこういう言葉を必ずつけてしまう人。
社長が言っているから・・・・・』
上が決めたことだから・・・・』
信頼される人」は、
肩書に頼らなくても自分の在り方に自信があるから
まずそういう言葉は口にしない

 

 

第4,611号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「信頼される人間になるために!」 ー9ー

 

信頼される人は自分以外に無闇に依存しない
それは、
何よりも、
自分自身を信じて、
自分自身に絶対的な自信を持っているから。
具体的にいうなら、
肩書に頼らない。
過去の業績を自慢しない。
「TVに出てます」とか、
「本を出しました」とかいう自己宣伝もしない。
そういう人にとって、
肩書”はあくまでも仕事のをする上での役割
TV出演も出版も
全ては過去の流れの中に生まれたただの現象

だからそういう人には、
黙っていても周囲からいろいろ聞いてくる。
『何をされていらっしゃるんですか?』
『なんでTV出演されたり出版されたりなさらないんですか?』
でも、
信頼される人」にはそんなことは全く無関係な存在

よく今まで売れっ子だった人が急に精神的に病まれたり、
一度、
ベストセラーをだした人が、
『次も次もベストセラーを出し続けななきゃ・・』と陥るのは、
そういう現象に依存しているからともいえる。

つまり、
信頼される人」というのは、
他人現象を自分の中に引き込まずに、
自分の足元見据えて生きているのが特徴ともいえる。