第2,062号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -31-

 

仕事でミスをする。
指示されていたことをつい忘れてしまう。
最後の確認を怠り詰めを誤った。
こんなことが続くと、
『自分はダメな人間だ!』
『何でこんなことができないんだ!』
『○○さんに比べたら俺なんか・・・・』と、
ついつい自己批判したくなる時がある。
仕事でなくても、
急に家族が倒れた。
子供が登校拒否状態になった。
思わぬことで借金を作ってしまった。
そんな時は、
『どうして俺だけ・・・』
『なんでこうも悪いことばかり・・・・』と、
その運命さえも恨みたくなる。
こんな時、
私達は一番落ち込んで、
悩み”という状況を抱えることになる。

でも、
考えてみれば、
そうしたことはあなただけに限ったことではない。
多かれ少なかれ、
誰もがそうした経験をしている。
言い換えれば、
人間なんて、
みんな無力で無能なのかもしれない。
だから、
チョッと何かがあると、
『凄いじゃないかぁ~!』
『素晴しいよ!』と絶賛されることだってある。
その中身をよくよく考えてみると、
その要因のほとんどは外的要因で、
大きな成果といわれるものを挙げた本人には、
案外、
その本質要因はつかめていないものである。

私にも経験があるが、
クイズノスという外資系のファスト・フードの専務時代に、
お台場店で、
売上世界記録を達成したことがある。
日本はもちろんのこと、
アメリカ本部からもお祝いの電報は届くは、
社長からは、
銀の食器のセットが贈られてくるは、
ラスベガスの高級ホテルのスイートに
1週間のバカンスはいただくはで、
それはもう大変な扱いをしていただいたことがある。
でも、
実際のところ、
私が具体的に何かをやったわけではない。
先を見る目を持ち合わせていたわけでもない。
言えるのは、
地道に”やれることだけを懸命にやっただけのこと。

ややもすると、
こういうことで私達は、
『俺は凄いのかも?』という思考が働き、
驕りや虚栄という感情までもを引き起こす。
この、
思考考え方)」や「感情受け止め方)」こうしたものは、
実は、
あなた自身ではないのかもしれないということに気付くべき。

自分が無力無能で悩む人も同じ。
もしかしたら、
そういう人間は、
他人から嫌われる、
軽蔑されると思い込んでいるだけなのかも?
そんなことはない。
地位が低くて、
収入が少なく、
無名な人でも、
いや、
何の力もない無力な人でも、
世の中にはみんなから愛されて、
尊敬されている人はたくさんいる。

大切なことは、
自分の考え方や、
物事の受け止め方視点を少しだけ変えてみることである。

目の前の”出来事(現象)”をどう受け止めたか
どう考えたかは、
実は、
あなた自身ではない、
あなたの心の中に存在する、
もう一人の自分がそうさせているだけかも?
近いうちに、
こうお話はもう少し詳しくお伝えするが、
それを、
私のセミナーでは「インサイドサポーター」と呼んでいる。

サポーターだから、
あなた自身ではなく、
あなたに代わって、
いろいろと指示しているに過ぎない存在。

物事の結果も、
何が出来たか?」ではなく「どう取組んだか?」。
やりもしないうちから、
「無理だ!できないと!」愚痴るならともかく、
やれることに懸命に取組む人を
軽蔑する人は少ないはず。

つまり、
あなた自身なのは、
あなたの「志意意識」だけであることに気付くこと。

 

 

第2,061号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -30-

 

人にはそれぞれ
悩み”(こうとらえていない人もいるが)がある。
多くの場合、
健康のこと、
家庭のこと、
経済のこと、
仕事のこと、
人間関係のこと(これにほとんどつながる)。

ところが、
不思議なことに、
自分の”悩み”は人生を左右しそうな大事になりかねないけど、
他人の”悩み”となると、
『なんでそんなことで・・・・』と思えることがある。
結局は、
悩み”というのは、
個人のこだわりでしかない。
そう考えると、
悩み”というのは現実的なことではなく、
空想・妄想の世界に描く、
勝手なストリーを描いているに過ぎないのかも。
だったら”悩み解決”には、
自分自身がその空想・妄想から抜け出す以外にない。
特に、
未来の出来事に関してはそうである。
まだ、
起きてもいない出来事に、
『そうなったらどうしよう?』。
愚の骨頂が、
『死んだらどうしよう?』である。
今の世の中で、
誰に聞いたところで、
この難問に応えられる人など存在しない。
起きてもいないことに勝手にいろいろ予測して困り果てたり、
相手の気持ちを推し量りすぎて
悩んでいたり”しないだろうか?

そんな時には、
自分から進んで仲間や友人に、
その”悩み”を語り、
逆に、
周囲の人の”悩み”を聞いてみることである。

もしかしたら、
あなた自身より、
とんでもない”悩み”を
勝手に作り出している人がいるかもしれない。
『なんだぁ~みんなそうだったんだぁ~』
こんな気持ちになれたら、
もう”悩みは半分以下になっている時がある

悩み”とはそんなものである。
それなら、
そんな”悩み”は「課題」に変えて、
真正面から向き合えば、
道は自ずと開けてくるかも?

 

第2,060号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -29-

 

生きて志意しい)”在り これに勝るものなし!≫

今日の内容は、
思うように目標が達成できない悩み”をお持ちの方へ!

上に掲げた言葉は昨年冬、
北京で受講した「孫子の兵法セミナー」で学んだ言葉。
孫子の兵法といえば、
戦に勝つための兵法書のように捉えられているが、
実は、
それは大きな勘違いで、
荒れ果てた、
未開の時代に、
人としてどう生きなければならないかを説いた、
人生学最初の古文書ともいえる。
あの三国志の曹操、
甲斐の武田信玄は、
最強軍団を手にしてもなお、
全国統一が果たせなかったのは、
それを”戦の兵法書”として捉えたからといわれている。
ビジネスでも、
孫子の兵法書は多く取り上げられるが、
その「本質」を、
儲けや、
競合他社に勝つための手法として用いれば、
大きな過ちの元にもなりかねないということ。

この≪志意≫という言葉は、
人生にもビジネスにも、
孫武の時代なら戦と向き合った時にも、
何よりも大切なことは「」。

ここでいう「」とは、
世のため人のためとか、
みんなの幸せにためにとか、
周囲の人へのお役立ちとか、
そんな表面的な薄っぺらいことではなく、
人として己はどう生きるか?”という一点のみ。
つまりは、
命ある限り
自分とどう向き合って生きるか?”ということ。

そして、
その「」を成し遂げるには、
やる!”という強い「意識」しかない。
王様として、
将軍として、
兵として、
民として、
立場は変われど、
それぞれが、
できるかできないか?」に捕らわれず、
やりかやらないか?”を覚悟を決めて自責で選択できるか
これこそが、
孫子が目指す「不敗へと続く本質の道

大それたことのように書いてしまったが、
結局は、
家庭でも、
会社でも、
仲間内でも、
チョットした「報告連絡相談」を
怠らずやっている者だけが、
組織人として成功(幸せ)を感じ取れるということ。

今日19:00からの「禰宜塾定例会」でも、
どういうわけか、
テーマは”関係性とコミュニケーション”なのに、
最後に行きつくところはここになる。
これは単なる”偶然”か?
それとも、
時代は変われ度ど、
人間社会という組織の中で生きる者の
在り方」をつなぐ”必然”か?

今日の定例会は中身が濃くなりそうだ!

 

第2,059号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -28-

 

昨日のブログで、
自分の「性格」とは、
自分自身で思い込む主観的なものというお話をした。
その根底にあるのは、
3歳を過ぎた頃からの経験や体験。
長く脳内にしみ込んだ思い込みは、
なかなか変えることは難しい。
というよりも、
これもいつも言っているけど、
基本的に「性格は変えられない
でも、
その”思い込み”の方向だけは変えることが可能

今日はその方法について。

それは、
あなた自身の”基準変更”だけ。
目の前に起こる”出来事現象)”に対する、
喜び、
怒り、
嫉妬、
迷い、
こういったチョッとした感情基準を変えてみること。
自分はどんなことに喜びを感じるのか?
自分はどんなことに嫉妬し、
どんなことに怒りを感じ、
どんなところで迷いを感ずるのか?
そして、
それは、
どんなことがきっかけでそうなったのか?

そういうことを一度書き出してみると良い。

私は、
サラリーマン時代、
報告連絡相談」この3つ
しっかりと実行しない部下を評価しなかった。
それは、
組織人というのは、
いかなる理由があろうと、
この3つだけは、
細部にわたり、
行うことが当たり前という”基準”を持っていたから。
それと人事部長という役職も、
そうさせていたのかもしれない?
『人事部長は全従業員の手本にならなければ!』
こう思い込んでいたから。
だから周囲からは、
よくいうと几帳面
悪くいうと細かすぎる
この「性格」は自分でも自覚していたから、
サラリーマン時代は、
これが”悩み”というかイライラになっていた。

でも、
ある時をきっっけに、
その”基準”を変えることにした。
今でも時折、
そうした相手に出会うと、
「こんなこともやれないのか?」と腹立たしくは感ずるが、
それもこれも、
”全ては必然”と捉えることにしてから、
目の前の”出来事現象)”に対する反応方向を変えられた。

つまり、
○○な性格だから△△を許せない!」という思考に
変化が生まれ、
○○な性格だからこそ△△を許せる!」という方向に。

それがやれるようになったのは、
55歳を過ぎてからだった、
30年以上の付き合いがある、
ある著名な先生から、
『最近やっと”オーラを感じなくなったね』と。

思い込みの肩書は、
方向を変えるだけで肩から降ろせる
人は「性格は変えられなくても
自分の≪志意≫を変える、
つまり、
意志意識)を変えれば、
自分自身が抱く”思い込み”も変わるということ。

明日は志意(しい)≫という言葉について。

 

 

第2,058号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -27-

 

私達が感じる”悩み”の99%は「人間関係」。
このお話は時々しているが、
では、
性格」の”悩み”はどうだろう?
今日はご自身の”性格で悩んでいる人”へ!

『どうも私は引っ込み思案で・・・』とか、
『私は社交的でないので・・・』、
『すぐに”カッ!”としちゃうんだ』とか、
自分の「性格」に関することでの”悩み”というのは、
どうもその人が感じていることと、
周囲が感じることとは少し違う気もするが、
大切なのは、
自分で自分の性格をどう感じているのかということ。

私達はいったん自分で、
『私は○○性格だから!』と感じてしまうと、
自分自身でその”○○”を証明するかのように、
発言も、行動も、
自分自身でコントロールするようになる。
言い換えるなら、
自分で自分の”肩書”を作って、
胸にバッジのようにしてつけているのと同じということ。
ほら、
今日から部長だと事例が下りたとたん、
『部長らしくしないと!』と行動してしまうのと同じ。

つまり、
性格」というのは、
あくまでも主観的なものだということ。
その主観的な思い込みは、
3歳を過ぎた頃の経験や体験がベースになっており、
長い年月の中で作られてきたので、
なかなか変えることは難しい。
いつも間にか、
『なんで私はこんななんだろう?』とさえ
思い込んでしまっているから。

でも、
考えてみれば”思い込んでいる”のは自分。
なら、
その考える方向を変えれば良いだけのこと。

方向を変える”とは・・・?
これは明日のブログで。

 

 

 

 

第2,057号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -26-

 

今日の事例は
八方塞がりの悩みを抱える人へ

人は、
自分が人生で大切にしたいものが何なのか?
これが見えている人は数少ない。
なぜなら、
ほとんどのモノは満たされているから。
前にお話ししたが、
8年前にアリゾナで大交通事故に見舞われ、
あわや左足切断という危機に直面したとき、
はじめて私は、
歩けること”の大切さ、
嬉しさ、
何かと比べて推し量ることなどできないくらい、
素晴らしいことだということに、
失いかけて始めて認識できた経験がある。
それまでは、
『在って当たり前!』
『歩けて当たり前!』と思い込んでいたから。

あなたが、
大きな”悩み事”にぶつかり、
八方ふさがりで、
どうしようもならなくなり、
何もかも失っていくときに、
これだけは失いたくない守りたい!』
こういうものに必ず出逢う。
それこそが、
あなたが人生で何よりも大切にしたいもの。
たくさんのモノを持っているときには、
気付けなかったけど、
多くのモノを失っていく中で、
神様は、
必ずこのことだけは教えてくれる。

この”大切なもの”をつかんで、
這い上がっていく人間は本当に強い。
自分が、
『これだけは!』と思って、
しっかりと握りしめて生きるんだから、
迷いなどという言葉すら消えてなくなるだろう。

逆に、
『この辺でいいやぁ~!』と、
中途半端に悩んで、
中途半端に妥協して生きる人間は、
数か月もすると、
また同じようなことの繰り返しになるだけ。
しかも、
その繰り返しに気付けない。

第2,056号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -25-

 

 

今日の事例は”悩みを抱える全ての人へ

悩み”とぶつかったら、
トコトン悩みなさい!」
これは私が尊敬する恩師の言葉。

今考えれば、
他愛のないことだったが、
その頃の私には、
天地がひっくり返るほどの大きな”悩み”だった。
そんな時に、
恩師から掛けられたのがこの言葉。
『”トコトン悩め!”この意味が解るか?』
『はい!解ってます!』
『この顔を見てください。
これが悩んでいない顔に見えますか?』
この時の私は、
こう悪たれをつきながら、
『なんで解かってくれないのぉ~?』
こんなふうに思いながら、
なんとか目の前の”出来事現象)”だけを変えようとしていた。
というよりは、
その現象から逃れようとしていたといった方が正しいかな?

人は悩んでいる時には、
良い解決方法”は見つからないのが普通である。
『あぁ~すればこうなって!
そうなると・・・向こうがこうなるから、
これだけは避けたいし・・・・。
あの方法もいまいちだし、
この方法はやりたくないし・・・・』
こうやって身動きが取れなくなり、
どんどん八方ふさがりになっていく。

でも、
悩み解決”の糸口は、
実は、
この八方ふさがりの状態になって、
はじめて見えてくる。
それこそが、
あなたが選択すべき唯一の道

なんで、
そこまでいかないと見えてこないのだろうか?
続きは明日のブログで!

第2,055号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -24-

 

今日の”悩み”の事例は、
過去のことをいつまでも悔やんでいる人へ!」
『あの時、あんなことさえなかったら・・・・』
『あそこであんな展開にさえならければ・・・』
こんなふうに、
いつまでも
過去の出来事を引きずりながら歩いている人は多い。

昔こんな受講生がいた。
大手のF銀行に入行し、
お給与は30代半ばで1,000万を超えていた。
社内結婚もされて、
既に都内近郊に一軒家も購入され、
はたから見れば、
幸せの塊のような生活を送られていたのに、
ところが、
『そもそも大学を間違えたんです。
本当はT銀行に入りたかったんですけど、
しかたなく今のF銀行に入って、
それに・・・・』
ここから、
彼は家庭が上手くいっていないことを語り始め、
『そもそも結婚が間違いだったんです』

さすがに、
ここまでつまらぬ愚痴が続くと、
私も、
『だったら転職して、離婚されたら?』

こういう人は、
何がどう展開していこうが、
『そもそもそれが間違いの始まりだったんだ!』と、
いつまでも、
過去の出来事に心を翻弄されながら、
そこに、
追求できない原因でも存在するかのように、
いつまでも過去を引きずりながら、
言い訳をしながら生きていくのだろう。

「あそこで・・・・だったら!」
「あの時・・・・・していれば!」と、
自分が選択しなかったもう一つの道に、
可能性と思い込んだ妄想を繰り返しながら生きていく。

私達は過去現在未来という時の流れの中で生きているが、
過去”を変えることなど誰にもできない。
現在”と呼ばれる時空間など存在しない。
だったら、
未来”という時空間の入口にしか
私達は生きていないということに気付かなくては、
こういう人のように、
死を迎える時まで、
『あぁ~あの時に・・・・』と
愚痴っていなくてはならなくなる。

 

 

 

第2,054号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -23-

 

気持ちを整理整頓しようというこのシリーズ。
今日からは、
もう少し現実的な事例で。

まずは私も経験があるが、
サラリーマン時代の”悩み”。

年に何回?
このサラリーマン生活が嫌になったことか?
若い頃は、
自分の考えなど全く通用しなかったから、
上司の言葉にどれほど理不尽さを感じたことか?
『なんでこんな人の元で働かなきゃならないんだ?』と。

部下を持ったら持ったで、
口だけ達者で、
少しも動かない(やらない)部下に嘆き。
ほとんど毎月、毎週のように変わる
会社の方針とやらに振り回され、
疑問を投げかければ、
『会社の決まりだから!』で終わり。
『こんなことをやって歳をとっていって良いのだろうか?』
何度も何度も、
こういうことで”悩んで”は、
独立して活動している人が羨ましく見えて、
でも、
毎月毎月、
きちんと頂ける給与を考えると、
独立して成功する自信も無ければ、
保証はなお無いから、
結局は、
文句を言いながらも、
そのまま続けていたことがある。

こういう”悩み”は、
ほとんどの人が持ったことがあるだろう。
そういうことで、
考え『どうしようか?』と、
これから自分が進む道の選択に迷うこと自体は、
決して悪いことではない。

でもこれだけは忘れてはならない。
どちらの道を選択しようが、
どちらも、
誰かに指示されて選択するのではないということ。
全ては「自分で決める!」ということを。
これが自覚できていない人ほど、
この”悩み”に陥りやすい。

第2,053号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -22-

 

いつも悪い方向にだけ”想像力”を働かせてしまう人へ、
今日は、
もう一つ、
アドバイスを!

昔、
まだ20代の頃だったか?
デパートマンとして働いていた頃。
所属する部の部長がどうしても好きになれなかった。
いつも表情は強張っていて、
何を言っても、
何を聞いても、
『あぁ!』
『うん!』
『そうだな!』
『解った!』
こんな言葉しか返してくれなかった。
報告書を書けば、
点の打ち方まで文句を言われ、
朝礼になると、
『内の部にはこんなこともできない人間がいる!』
こういう言葉を耳にするたびに、
『これはきっと俺のことを言ってるんだ!』と、
つまらぬ”想像”を働かせては凹んでいた。

ある時、
直属の上司であるT課長に愚痴をこぼすと、
課長はこんなアドバイスをしてくれた。
T課長:『いいか禰宜!
想像力を働かせて勝手に思い込むのは自由だ。
でもな、
どうせ想像するなら、
よい方に想像したらどうだ?』
私:『良い方にですか?』
T課長:『そうだ!
部長はきっとお前に期待をしているんだよ』
私:『そんなことはないですよぉ~!』
T課長:『それをお前は確認したのか?
部長がどんな気持ちで、
誰に向かって語っているのか?』
私:『いいえ』
T課長:『そうだろ!だったら好きに想像できるんだから、
良い方に想像した方が良いに決まってるだろ!』

である時、
いつものように、
部長の毒舌とも思える朝礼が終わった時に、
思い切って、
私:『部長いつもご迷惑おかけしてすみません。
今日のお言葉は突き刺さりましたありがとうございます!』
こう言葉をかけさせてもらった。
すると・・・・部長が、
部長:『君に言ったつもりはないけどありがとう!
心を鬼にして言った甲斐があったよ!』

このお言葉で、
『あぁ~やっぱり部長は我々のために言ってくれていたんだ!』
こう確信を持てたことがある。

人の心ほど判り難いものはない。
つまらぬ”想像”で、
つまらぬ方向にいかなくて良かったとつくづく感じた。