第2,720号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -21-

 

仕事っていつも言っているけど、
目的は生活のため。
でもその裏に存在している「意義」を意志気(意識)しないと、
ストレスから”悩み”を生み出すことになる。
私もサラリーマン時代はそうだったけど、
生活のために働いている、
家族のために働いていると思い込んでいたから、
そのためには、
給与を上げて、
良い生活をすることが重要と考えだしてしまった。
そのために、
上司(他人)の評価が気になり、
お客様の前に出れば、
お客様のためにと・・・これまた、
隠れたところで、
お客様からの評価ばかりを気にするようになる。
そして、
いつしか
”受け身的”な立ち位置で
自分が仕事に取組んでいることに気付けなくなる。
”受け身的”な立ち位置ではなく、
もっと”主観的”な立ち位置で、
この仕事にどう取組むかをという発想転換をした方が良い。

つまり、
自分自身のために、
自分自身の人としての成長のために、
「自分を磨く」・・・これを評価基準に置けば、
他人からの評価は気にならなくばかりではなく、
必然的にその評価は上がってくる。
もちろん会社の評価基準は結果数値が入って来るが、
その中で、
その結果数値を目標にするのではなく、
それを達成するためには、
”自分はどうあるべきか?”を目標にすることだ。

第2,719号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -20-

 

私も経験があるけど、
今、
目の前のコトで評価されなくても、
自分自身が愚直に一所懸命に取組んできたことは、
必ず、
どこかで誰かが評価してくれる。

”努力は必ず報われる!”
この言葉は、
単なる精神論を語っているのではなく、
立派な根拠があるコトを知っておいた方が良い。

仮に、
成功率1%の課題があるとする。
この課題に対して、
1回しかチャレンジしなければ、
そのまま成功確率は1%。
反していうなら、
失敗確率は99%ということになる。
でも、
諦めずに、
同じ課題に何回も挑戦するとしたら・・・・。

まず2回目のチャレンジをしたとする。
失敗確率から見ていくと・・・(0.99)×(0.99)=98.01%。
言い換えるなら、
たった1%しかなかった成功確率は1.99%。
2倍近くに跳ね上がることになる。
同様に3回挑戦すると、
失敗確率は(0.99)×(0.99)×(0.99)=97.0299%となり。
成功確率は2,9701%と3倍近くになる。

同じようにして、
10回挑戦すると失敗確率は90.4%にまで下がり、
1%の成功確率は9.6%にまで上昇する。
これを50回まで諦めないで挑戦すると、
成功確率は40%近くにまで跳ね上がり、
459回目には、
たった1%しかなかった成功確率は
99%を超えていくことになる。

これを、
『そんなのただの数字のマジックだよ!』という人は、
「原理原則」を学び直した方が良い。
これは、
紛れもなく”真理”であり、
「原理原則」そのものなのである。

 

第2,718号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -19-

 

他人からの評価を気にしながら仕事をしたり、
お客様の目の色を気にしながら接客をすることは、
あまりにも受け身的で情けない。
人生も仕事も、
もっと主体的に生きるために、
自責で仕事に取組むためにどうするかという
発想転換をすべきだ。

隣のお店より、
自分のお店に多く来ていただくには、
お客様をどれだけ喜ばせるか、
隣の店と競争をしているようでは、
いつまで経ってもレベルは知れている。
そういうところは、
その内、
隣が安売りをすれば、
こちらも負けじと安売りをして、
いつの間にか
そのドツボに嵌まり込んでい行くのが落ちだ。

あなたの人生はあなただけのもので、
別の人がそこに関わってくることはいっさい無い。
他人と競い合ったり、
誰に勝った負けたは”相対的思考”がもたらす現象。
それよりももっと「絶対的思考」で、
自分の意志力を動かした方が良い。

他人と比べて劣っていることなど決して恥ではない。
でも、
昨日の自分より、
今日の自分が変われていないことは恥ずべき姿だ。

他人や他店と競い合うのではなく、
昨日の自分より、
1㎝でも1㎜でも、
前に進んでいる自分自身と向き合って競い合うことの方が、
人生や仕事では重要なことなのである。

人生でも仕事でも”コンペチター(競合)”は自分自身!

 

第2,717号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -18-

 

ビジネスは常に
”優勝劣敗”だと愚かなことを口にする人がいるが、
仕事というのは、
他人との勝ち負けのために取組んでいるのではない。
こういう言葉を聞くと、
そんな「原理原則」も解らないのか?と頭を傾げたくなる。

仕事をしていて、
自分のやったことを高く評価してほしいと思うのは、
人の生まれながらの本能といえる。
子供がパパやママの評価が欲しくて、
飛び回る姿を見れば、
そういう感情は特別なものではない。
もし、
この本能が無かったら、
人は向上心を失い、
ここまで進化しなかったかもしれない。

でも、
ビジネスの世界では、
これが全てではないということに気付いてほしい。
人が人を評価するのだから、
まず100%は在り得ない。
お客様があなたのお店や仕事を評価することも同じ。
あなたの仕事ぶりを四六時中見ているわけでもなく、
完全に把握しているわけでもない。

だから、
仕事の評価を気にしても疲れるだけ。
いつも言っているけど、
サービス業でお客様に喜んでいただく、
でも、
そんなお客様の心の内を、
私達はどう評価するというのか?

大切なことは、
自分で自分自身がやってきたことに、
誇りを持ち、
精一杯やったのであれば
自分で自分に高い評価を付けてあげればよい。
他人や上司や、
お客様の評価に降り回されるのはもうやめよう。
それは考えても、
何も解決しない、
何も生まれない一人相撲。
変えることのできない
過去に降り回されるのと同じこと。

第2,716号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバー」 -17-

 

よく問題が発生すると、
人はその”現象”だけを変えようと躍起になる。
企業内の研修でも、
作業が覚えられないスタッフに、
『大丈夫!自分を信じて”君なら出来る!』などと、
呪文をかけてモチベーションを上げようとすようなものもある。
またあるところでは、
『君が仕事を覚えるとそれが君の価値になり、
周囲の人達がみんな君を必要としてくる。
自分の価値を作って役立てようよ!』などと
意味の解らないものまである。

作業を覚えさせるには、
まず、
その作業の必要性をしっかりと共有させなければならない。
例えば、
「これを覚えないと君が不便な思いをするから・・・」
つまり、
必要性を埋めるために、
「何かをしなくちゃ!」という意志力の使い方。
あの地下鉄の創始者である
早川徳次氏はこんな言葉を残してくれている。
”ニーズの前に不可能はない!”
ニーズ(必要性)を満たすために、
何とかしたいという意志気(意識)だけが
新しい「意志力」を生み出させ、
その「意志力」だけが行動という
新しい”現象”を生み出し、
目の前にあって、
あれほど変えたがっていた”現象”を
少しづつ少しづつ変えていく。

第2,715号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -16-

 

「素」になる素晴らしさ。
一度経験すると、
間違いなくその虜になる。

私達の誰もが、
実は3歳くらいまではみんな「素」のままだった。
それが、
育った環境の受け止め方や、
その後の経験や体験から、
いつの間にか、
自分で誤った”基準”を線引きし、
自分じゃない自分を演じて生きるようになり、
まずいことには、
それに気付くのに相当な時間を要することになる。
私などは、

それに気付かされたのは50も半ばを過ぎてからだ。
いや!
未だに気付けていないところがある。

”「素」になる!”
私の受講生の中に、
セミナー中でこの疑問にぶつかる人も多い。

”「素」になる!”とは・・・
我がままで良いとか、
思ったことは遠慮しないで口に出せとか、
自分の思い通りにやれとか、
そういうことではない。

”「素」になる!”とは・・・
素直な気持ちで自分と向き合うこと。
人は誰もが長所があり、
短所を持っている。
問題の無い人などこの世に存在しない。
問題のあるコトが問題なのではなく、
問題のあるコトに気付けていないことが、
大きな問題なだけ。
”気付けない”のだから、
改善行動など取組めるはずもない。

まずは、
自分の「意志力」を、
自分と向き合うことに使うべき。
おそらくは、
ほぼ毎日使うことになるはずだ。

 

第2,714号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -15-

 

”嘘”にもいろいろあるけど、
自分を良い人のように見せるのも”嘘”の一つ。
話しがいつも大げさか、
または、
口先では良いことばかり。
話しを聞いていると、
『この人は仙人のような人だなぁ~』とさえ思えてくる。
でも、
よく話を聞いていると、
こういう人の仮面は直ぐにはがれてくる。
”嘘”をついていると不自由になる。
不自由になるから、
話しが究極に迫って来ると、
専門用語的な言葉が並ぶだけで、
一向に具体的なことが出てこない。
抽象的な発言が多くなる。

結局は、
自分自身は言っていることを全く実行していないということ。
これも”嘘”と同じ。
でもご本人は全く”嘘”をついている意識が無い。
こういう人と話していると楽しくない。
話しのネタが無くなると、
異常にテンションが上がり、
まるで酔っ払いのオヤジのような振る舞いが目立ち、
さらに明るく楽しい自分を演じだす。

なぜ人は”嘘”をつきたがるのか?
その多くは見栄をはりたい。
他人からよく見られたいという心理が働くから。
つまり、
「意志力」のほとんどがそうしたところで使われてしまう。

ビジネスでは
時にそれに近いアプローチも必要かもしれないけど、
得られるものは一時的なもの。
一時的なものだから、
正に”虚栄”の世界に意志気(意識)は引きづり込まれていく。

人の素晴らしさは「素」になることでしか表現できない。

 

 

第2,713号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -14-

 

 

”意志力”は嘘をつかない。
人を騙すのは簡単なことだ。
でも、
永いこと嘘をついて、
他人を騙すのは難しい。
かなり記憶力も良くないと、
前に語った嘘を忘れてしまい辻褄が合わなくなる。
だから、
嘘をついていくには相当なエネルギーが必要となり疲れる。
私も両親や妻に何回か嘘をついたことがある。
でも、
嘘をつくためにエネルギーを浪費するぐらいなら、
嘘はつかない方がどれだけ楽か。
我が社の経営理念は「明るく・素直に・正直に」。
この3つの言葉だけである。
正直であれば、
過去に囚われず、
自分の気持ちを素直に表現できる。
お酒を呑んでも呑まなくても、
言い方も変わらなければ、
声のトーンさえ変わることもない。
自分の気持ちに正直であれば、
仮に、
相手がその時に不愉快な気持ちになったとしても、
最悪、
諦めることさえ可能だ。
相性の悪い人だって世の中にはいるのだから、
無理をして、
ましてや嘘をついてまで合わせる必要などはない。
逆に、
真の付き合いが可能な相手を見つけやすくなる。

他人は一時的に騙せても、
この世の中には、
3つ騙せないものがある。
「天知る 地知る 我のみぞ知る!」である。

私達の”意志力”の流れの源は、
こうしたところが根底に流れている。

第2,712号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -13-

 

自分が主人公になるには、
一つ、
大きな条件がある。
それは、
「自己責任を持つ」ということ。
仕事でもゴルフでも、
自己責任を持てるようになると、
そこに”参画意識”が必然的に芽生えてくる。
あのオリンピックの有名な言葉、
”参加することに意義がある!”
参画意識とは、
決して評論家でもなければ、
傍聴者、オブザーバーでもない。
勝敗なんか無関係で参加することが大事ということでもない。
自分が主体的に参加しているという
”意志気(意識)”を持つこと。
これから長い航海に出る船に例えるなら、
見送る側ではなく、
船に乗り込んで、
自分の”やれること”を自責の念を持って取組みながら、
辛く苦しい航海に出るということ。
自分が自責を持って、
主体性の中で動くということは、
今のビジネス社会の中でいうなら、
『これをもっと〇〇したら効率よくなるかなぁ~?』
『もっと効果を上げるにはどうしたらよいのだろうか?』と、
こんなふうに、
必然的に創意工夫が生まれてくる。

社内の中で、
いくら大きな声を出して、
経営理念を唱和しても、
ご本人が傍聴者の立ち位置にいる限り、
声を出すことだけが”やること”と思い込んでいく。
そして、
やがては”やらされ感”でストレスを生み出されていくだけ。
人の”意志力”とは、
そういうところに働きかけられていく。

第2,711号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「人生も仕事も全ては”意志力”がカバーする!」 -12-

 

仕事が”楽しく”なれば良いというが、
どうすれば仕事は”楽しく”なるのか?
多くの人は、
楽しく成れば仕事ははかどる。
楽しい時は行動力が高まる。
中には、
楽しくないことでも、
楽しくできれば仕事も勉強もはかどるなどと、
言葉の上でさえ
訳の解らないことを言う人もいる。
そうですよね。
”楽しくないこと”なんだから、
どんなことやったって、
そんな簡単に”楽しくなる”はずなど無いはず。
私達が”楽しさ”という概念を
大きな勘違いで受け止めていることに
まずは気付かなければいけない。
もしかして、
あなたは、
”楽しい”=「自分の思い通りにコトが運ぶ時」
こんなふうに受け止めているのでは?

これは大きな勘違い。
まずは、
自分自身の”意志”がどこにあるか?
これが重要なこと。
人は”やらされ感”ではなく、
自分の意志で選択し取組むコトに対しては、
最後までやり遂げようというエネルギーが湧いてくる。
他人からコントロールされるのではなく、
自分自身でコントロールしているという
意志気(意識)が持てるコトだから。
まずは・・・これが”楽しさ”の原点。
趣味や遊びは、
趣味や遊びだから”楽しい”のではなく、
いつも自分が主体で、
自分が主人公だから”楽しい”。

”楽しさ”を手に入れるには、
頭で”楽しく”なることを考えることなどと、
意味不明な言葉に惑わされていると、
一生、
”楽しさ”は手に入らない。