第3,327号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-61-

 

プロジェクトチームというのは、
そのチームに与えられた”目的”というのが必ず存在する。
すると、
よくこういうことで、
『まずは”目的”を強く意識すること。
そうすれば自然と行動がそれに伴って着いていく!』と、
まるで新興宗教のお題目を唱えれば、
願い事が叶うみたいなことを言う人もいるが、
それはまずない。
いつも言っているけど、
「”目的達成”を目指さないこと!」
これが最大の”行動真理の原点”になる。

”目的”は見えないのだから、
目えないものを追いかければどうなるか?
小学生でもこの原理原則は理解できる。

”目的”は追い求めずに、
その手前に、
マラソンでいうなら給水地点のようなものを設けることだ。
それも見えるような距離に。
可能な限り、
ハッキリと見えるように・・・これを「見える化」という。
結局、
ゴールである”目的達成”というのは、
その見える給水地点をいくつもいくつも、
通過していく以外に方法はないのだから。

第3,326号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-60-

 

物事に取組むにあたり大切なことは、
“出来る?出来ない?”で判断しないことだ。
それはただの”感情論”だから、
”感情論”で向き合うから、
『出来るかなぁ~?』
『出来たらいいなぁ~!』
『出来なかったらどうしよう?』と誘導される。
物事に取組む時は、
”感情論”ではなく「原理原則論」で!
「原理原則論」だから、
まずは自分に「やれること」があるか否か?
これを考えればよい。
そして、
その”やれること”を、
「やるか?やらないか?」を基準に判断するところから。
「やれないこと」は無理にやる必要はないが、
でも、
注意しなくてはいけないのは、
「やれること」というのを”やりたくないこと”とごちゃ混ぜにしないことだ。
これをしっかりと認識していないと、
ズルズルと自分を甘やかす、
悪魔のハニー・トラップに誘い込まれていく。

それと、
やってもいないのに『出来るぞ!』などと、
軽々しく使わないことだ。
使うなら・・・・『やるぞ!』だ。
何事もそうだけど、
やりもしないで、
「出来る・出来ない」を口にするほど愚かなことはない。

まぁ~、
呼吸ができて、
口がきけて、
耳が聞こえて、
ものが見えて、
匂いが嗅げて、
手足が動かせて、
読み書きがやれれば、
たいていのことは「やれる!」はずだ(笑。
私達の多くは、
こうした基本的な「やれること」を忘れている場合が多くある。
”幸せ”の基本がそんな足元にあることさえも・・・。

明日はもう少し具体的な手法をお伝えしよう!

第3,325号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-59-

昨日の続きになるが、
大きなプロジェクトのリーダーを任されたり、
リーダー職に着任したら、
プロジェクトやチームの最終ゴールをイメージして、
『俺に出来るかなぁ~』と悩んだところで無意味なコト。
それから、
『その最終ゴールを強くイメージして、
それをメンバー全員で共有するところから!』という
抽象的なものもダメ。
最終ゴールは、
あくまでも”成った結果現象”として現れるだけのもの。
それよりも、
メンバー全員で共有しなくてはいけないことは、
”その目的を達成するために何がやれるか?”だ。
メンバー一人一人が、
それぞれの役割や立場で、
『今の自分には”何がやれるか?』を書き出すことから。
『もし失敗したら・・・・』
『上司の期待に応えられるだろうか?』
『辞退したほうが良いのかも?・・・・・』
こんなことをいくら考えたところで何も生まれてはこない。
難しく考える必要はない。
まずは、
「もう一度、プロジェクトの内容、目的などを聞き直す」
「プロジェクトの進行表を作る」
「関係する部署のリーダーに逢う」
「メンバーを集めてまずは顔合わせをする」
「一人ひとりの役割分担を決める」・・・・・
こんなふうに書き出していくと、
意外と”やれること”って多くあることに気付いていく。

”不安”というのは、
難しいから存在するのではなく、
その姿がはっきりと見えてこないから現れる心の現象だ。
そのためには、
まず自分自身の心の整理をすることが最優先。
その正体を少しづつ明らかにしていくと、
”不安”は自然と姿を消してくれる。

第3,324号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-58-

 

もしあなたが大きなプロジェクトのリーダーに任命され、
『自分には出来るだろうか?』と不安にさいなまれたら、
まず最初にやることは・・・。
部下の先頭に立って率先垂範で行動することでも、
目的意識を強く持つことでもない。
だいたい、
人が人を導くとか、
手本になるとか、
そういうことを意識しているようでは相手はついてはこない。
大きな声を出して、
『いくぞぉ~!』と飛び出し、
フッと後ろを見ると誰もいないような状況に陥るだけだ。
人は人を変えることもできないし、
意のままに操ることもできない。
まずやることは、
”自分自身がなにをやれるか?”
これを具体的に書き出すことだ。
あくまでも具体的に・・・・。
よく書店に行くと、
”好ましいリーダーシップ”とか、
”魅力的なリーダー”などと耳障りの良い言葉が並んでいるが、
そんな姿も追い求めないこと。
もう一つ、
プロジェクトチームの目指す目的に達することを行動軸としないこと。
これをやると、
自分自身だけはなくメンバーの姿さえ見え難くなっていく。
そしていつの間にか、
その目的を達成することが目的ではなく、
その目的を達成するリーダーとしての自分を表現することが、
目的にすり替わっていることに気付かず、
「目的」はいつの間にか、
”手段”に変化し、
”良いリーダー”、
”憧れられるリーダー”を演じている自分にも気付けなくなる。

”真のリーダー”は目指す目的は行動軸にはしない、
行動軸は常に「自分自身の足元」に置いているから。

これは以前のブログでもお話しした、
部下に出す指示は”目的指示”ではなく、
必ず、
「行動指示」で表現しろというのと同じ「原理原則」である。

第3,323号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-58-

 

心が折れやすい人の多くは「自己防衛本能」も強い。
特に、
まだやって事のないこと。
過去に失敗をして嫌な思いをしたことなどには、
つい気持ちが後ろ向きになる。
この「自己防衛本能」は誰でもが持っていることだ。
持っていて当然だし、
大切な能力の一つでもある。

大昔、
まだ人間が狩りをして命をつないでいた頃、
まだ足を踏み込んだことのない深い森の中や、
何も見えないような洞窟の中などに進まなくてはいけない時、
『いったいこの先にはどんな生き物がいるのだろうか?』
それだけで足が竦んで前に進めなくなっただろう。
そのDNAがしっかりと脳の中に受け継がれている。
だから誰だって、
初めてのことに挑戦するには“勇気(やる気)”がいる。
でも今は、
まず命まで取られることはない。
最初の狩りは恐怖で固まって前に進むこともできなかったが、
そんな経験を積み重ねていくことで、
次第に術を身に着けていったように、
最初は難しく思えた挑戦事も、
だんだんと、
知恵と工夫を一歩一歩重ねることで、
いつの間にか、
平常心で取り組めるようになっていく。
初めての挑戦事を前にしたら、
まず、
『自分は緊張しているな』
『自分にこれが出来るか?不安になっているな』と、
まずは、
自分自身の気持ちをしっかりと受けとめ自覚するところから。
そしていつも言っているけど、
「やれること」から一つひとつ積み重ねていけばよい。
これが「自己防衛本能」を正しく高める唯一の方法だ。

第3,322号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-57-

 

心が折れやすい人というのは、
”優しい”人が多くいる。
その優しさは時に、
苦手な人との関係性を築けないまま、
表面的な”関係”だけをうまくやろうとする。
苦手意識があるから言いたいことも言い切れない。
誘いにも断れないなど、
優柔不断な結果を招く原因を、
自ら作り出していることに気付けない。
そしてそれが我慢からくるストレスを生み出すことになる。
自分が苦手と感ずる人、
チョッとと首をかしげたくなるような人には、
一定の距離を置くことだ。
そのためにはまず言葉遣い。
これを敬語に徹底する。
『私の方はまだあなたを親しい人と受け止めてはいません』と、
やんわりとシグナルを送る。
あることで意見を交換して、
お互いの意見が合わない時も深入りはしない。
『いろいろな考え方がありますからね』と、
賛同も否定もしないことだ。
これが相手のペースに巻き込まれずにいる術の一つ。
私はそういう相手には、
年下だろうが部下だろうが敬語に徹することにしている。

第3,321号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-56-

 

心が折れやすくなるのは、
”自分“をどこかに置き忘れてしまったから。
会社の中でもそうだ、
相手が上司だったり、
お客様だったり、
重要なお取引先だったりすると、
自分の意見が全く言えなくなる人がいる。
同僚や仲間内でも、
控えめに、
自分の意見も抑えて、
周囲に合わせることこそがコミュニケーションと思い込んで、
『あの人は良い人だよねぇ~』
『あの人は優しい人だよねぇ~』
そういわれることだけを支えにして生きているような人。
こういう人は組織の中では、
結局、
ストレスを勝手に生み出して、
よほど自分の仕事や生活が安定していないと、
悩みの多い日々を過ごすことになっていく。

人生は自分のもの。
自分を殺して生きていくのは、
生きていくということとはほど遠いことになる。
まるでサラリーマンが、
”イエスマン”で生きることこそ美徳と勘違いする人間と同じだ。
もし、
上司も経営者もそういう部下を望んでいるとしたなら、
そういう組織はまず長くは続かない。
会社はそれでも良い。
続かなくなったら、
また別のところで、
同じように”イエスマン”で行けばよいのだから。
でも、
そういう人の人生は、
一番大切なものを置き去りにしたまま過ごすことになる。

 

第3,320号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-55-

 

”躁鬱”と診断された彼は、
その後も、
会うたびに満面の笑顔で私の前にやってきた。
そしてある晩、
二人で皇居のお堀端を歩きながら語り合ったことがある。
最初は、
どんな話をしている時も満面の笑顔。
そんな彼に、
『お前は出逢った頃、
まるで無表情で、
俺から”能面○○”って言われたのを覚えているか?』
『あぁ~覚えているよ!』(満面の笑顔)
『今はそれより酷いな!
あの頃はそれでも、
自分の心に素直だったよな・・・。
でも、今のおまえはその表情の中におまえがいない!』
『そうかなぁ~?(満面の笑顔)。
でもさ、
この笑顔でずいぶんと多くの人が近寄ってきてくれたんだよ。
みんな、
「Kさんの笑顔に元気づけられる!」
「Kさんの笑顔に勇気をもらえる」・・・って』

私はとてつもなく悲しい思いが込み上げてきた。
『その笑顔”はどこから出てくるんだ?』
こう尋ねると、
『今までの暗い自分を抜け出したいからだよ』
『それで抜け出せたのか?』
『・・・・・・』

あの時、
私達は55歳という年齢だった。
その55歳の男が、
この言葉の後、
小さな声で、
『実は・・・・一人になると疲れるんだ・・・
一人になるのが怖くて仕方がない時がある・・・・』
こういいながら、
その場に立ち止まり号泣した。
私はそんな彼の肩に手をかけて、
『やっと演じる自分から少し抜け出せたな』
こう声をかけた後、
二人で、
銀座のガード下で明け方近くまで呑み明かした。

あれから13年。
いま彼は、
鬱でもなく、
躁鬱でもなく、
自分らしく”素”のままで生きている。

第3,319号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-54-

 

心が折れやすい人の中には、
”優しすぎる”
”争いごとを避ける”
こういうことに必要以上に偏った人が多い。
”優しすぎる“故に、
他人に対して言いたいことも言えない。
”争いごとを避ける”があまり、
相手に対していつも満面の笑顔で向き合うことだけを考える。
笑顔が悪いわけではない、
優しいことがいけないことではない。
でも、
考えてみれば、
人は年がら年中、
朝から晩まで、
満面の笑顔でいられる人が、
この世の中に存在しているのだろうか?
誰にだって、
苦しいこともある。
辛いことだってある。

私の友人にもそういう人がいる。
彼は20代の若い頃から、
人付き合いが苦手で、
鬱に悩まされ、
いつも俯き加減で、
暗いイメージを漂わせていた。
ところがどこかのセミナーで、
『いつも笑顔でいることが一番!』と教えられた言葉を、
そのまま表面的に受け取り、
今度は、
毎日、
四六時中満面の笑顔をたたえ、
自分と向き合う人に接していった。
周囲の人達も、
『そんな○○さんの笑顔に勇気をもらう!』と囃し立て、
ついには彼は深い”躁鬱”の世界に入り込んでしまった。

長い付き合いの友として、
彼をそのまま放っておくわけにもいかず、
私は無理やり、
私のセミナーを受講させたことがある。

続きは明日!

第3,318号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-52-

 

私達は誰でもが無意識のうちに、
自分の決めた価値観(基準)をルールとして執着してしまう。
まだ私がデパートマンだった頃、
「お客様は神様です!」と教えられてきた。
「全てはお客様のため、
そのサービスの差が競合他店と比較して優位に立てば、
強い差別化になる!」と。
だからまずは第一印象だと、
毎日毎日”笑顔つくり”の練習と接客用語の訓練が続いた。
そういうことも大切なことではあったろうが、
振り返ってみると、
いつしか、
「仕事への向き合い方」という真の目的が薄れ、
「お客様に喜んでもらうこと」というのが目的として、
脳の中に刷り込まれっていった気がする。
仕事でも「会社のために」と教え込まれてきたから、
いつの間にか目的は、
「上司からの評価を上げること」という観点に
すり替わっていったことにも気付けなかった。
職場の仲間との関係も、
「周囲の人達に役立つように!」と教えられてきた。
こうしたこと全てを、
表面的に言葉で教えられてくると、
人はその相対的な相手となる、
お客様、上司、仲間から「よく思われよう!」と、
いつしか「目的」は”手段”に変わっていることに気付けない。

そして、
お客様の前では満面の笑顔と美しい言葉を並べる人が、
休憩室にいるとくわえ煙草で肩ひじついて会話をしていたり、
上司の前に出ると、
意見も出さずに”イエスマン”を演じて、
仲間の前では、
つまらない誉め言葉を並べ、
『何かお手伝いすることある?』と、
さも私は、
100%完璧でもう全部できてるから大丈夫と言わんばかり。
こういう人に限って、
他の人の陰口を口にしたり、
会社の不満や上司の不満を酒が入ると始まってくる。
その行為のすべてが、
”他人軸”を表面的にとらえて、
いつも自分を演じているストレスのようなもの。

こういう人は、
いざという時、
心が折れやすいし、
口先だけのことが並ぶから頼りにならない。

いつも言っているけど、
人生は自分が生きる「人生道」だ。
”他人軸”ではなく「自分軸」を忘れずに、
まずはやることをしっかりやる。
これが他への”お役立ち”の「本質」だ。

その時は正しいと思う価値観や基準も、
どこかで気付きを得れば修正できる。