第3,480号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -52-

 

 

私の周りにもたくさんいるけど、
恋愛や結婚で図らずも別れを迎えてしまったら、
ここでもその経験を活かすことだ。
いつまでもそれを引きずるのではなく、
次に活かすことだ。
恋愛や結婚の””というのは、
自分で遮断しない限り永遠に生き続けていく。
恋愛や結婚がだめになる時というのは、
『たぶん上手くいかないような気がする!』という、
直感」が強く働いたはずである。
それなのに、
多くの人はそう思いながらも、
どこかで・・・・『もしかしたら・・・』という願望が、
それも相手に向けての願望。
それは自分の欲であり”自我”そのものなのに、
一時的に強行突破しようとする。
『夫が浮気を止めてくれたら!』
『妻がギャンブルを止めてくれたら!』
そしてその目の前の、
自分が望まぬ
その”現象”だけを
無理やりにでも「変えよう!」という”選択”が行動を誤らせ、
中には、
夫の浮気相手のところに乗り込んでいくような人も出てくる。
こうなると「運命」はもうあなたを軸にしては回ってくれない。
そしてそういう人には、
また試されるように、
運命のトラップ”が仕掛けられていく。
突如、
目の前に前の相手をはるかに上回る好条件の相手が現れたり、
急にお金持ちになったり、
急に有名になったり、
そういう中で、
こういう人はいとも簡単に過去のことを置き忘れて、
その時の”気付き”もまた同時に置き忘れていき、
後からくるトラップが大きければ大きいほど、
さらなる”試練”を迎えることになる。

第3,479号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -51-

 

 

いま彼氏や彼女を募集中の人にアドバイスするが、
急ぎ過ぎると恋愛は上手くいかない。
恋愛は心が躍る以上に舞い上がっていく。
もちろん私にだって経験がある(笑。
相手を求める欲求は、
もうフルスピードでその関係を深めていこうとしてしまう。
野菜の栽培でいうなら、
種をまいて、
やっと目が出てきたところを食べてしまうようなものだ。
『直感で決めました!』
『この人で間違いないという電気が走ったんです!』
こういって、
出逢いからわずかな期間で
ゴールインするカップルも多くいるが、
結婚のように、
これから先永く付き合わなくてはならないようなことには、
直感」を幾重にも重ねて検討したほうが良い。
私は死んだ親父に、
妻を紹介し、
結婚の許しを請いに行った時。
こういわれた。
『彼女の欠点は何だ?』と。
だから『もちろん無いよ!』と応えたら、
『そうかもう3カ月待て!」と。
それから3カ月後にまた同じ質問をされた。
その時は、
『一つある。気が強い!』こう応えると、
父は『そうかそれは困ったな。結婚したら治るか?』
『もちろん治るよ!』
そういう私に『そうかもう3カ月待て!』。
またまたそれから3カ月。
父は私に『どうだ彼女の欠点は治りそうか?』と聞いてきた。
私は『たぶん治らないだろうな。でもこういう良いところがあるから結婚したい』というと、
やっと許しが出て、
その場で日取りの予定日をいくつか挙げてくれた思い出がある。
この時の私の答えはすべてが「直感」だった。
何の根拠もあったわけではない。
でもお陰で来年は45年目を迎えることになる。

第3,478号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -50-

 

選択”といえば、
人生では多くの”選択”の場に遭遇する。

進学に就職、
恋愛の時の決断と告白の有無。
そして結婚。
引っ越しなどもそうかもしれない。
自分に大きな影響を与えることなら、
恋人選びや結婚は、
最も影響力の強い”選択行動”といえるだろう。
大昔の女性は、
自分にとってのサバイバルに必要な手立てとして
結婚を考えていたところも多くあったようだが、
「自分らしさ」とか、
「自分の”在り方”」を軸とするなら、
世に言われる、
3高”で相手を決めることようなことはやめたほうが良い。
まず永くは続かない。

結婚というのも、
背伸びをしたり、
自分の持ち味というか、
そういうものを
自分の価値”として売込むようなことも避けたほうが良い。
「相手に尽くす」とか、
「相手のために!」といった意識も捨てたほうが良い。
そういう意識は必ず”見返り”を求める。
」とは、
これは個人的な私の見解だが、
ある意味”エネルギー)”の一種のようなものだと思う。
エネルギーというのは循環して初めて活きてくる。
『俺はこんなに尽くしているのに・・』と感じるようになると、
エネルギーはそこで滞る。
背伸びをせず、
お互いに”やれること”だけを愚直に取組んでいけばよい。
相手に伝わったかとか?
伝わらなければ意味がないなどという意識が働くと、
本来なら、
お互いが”やっることをやる”という目的が、
相手の顔色を見ながら、
いつしか、
その手立て手段)を考えることに目的が変わっていく。
こうなると「」もどこか殺伐としてくる。

第3,477号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -49-

 

日常生活の中でも、
直感」を疎かにしてはならないところがたくさんなる。
でもよく思い出してみると、
その「直感」の多くを無視して
選択行動”を起こしている自分がいるに気付くはずだ。
『これはここが定位置か?』
『部長に確認しなくちゃ!』
『先方にまず電話入れとかなきゃ!』
『一言御礼を言っておいた方がいいなぁ~』
こういうこと良くあるでしょ。
これまさしく「直感」というやつ。
でもその多くを”感情”が邪魔して”選択”しないままになる。
『まぁ~後で良いか』
『面倒くさいなぁ~』
『なんで俺が・・・?』
『この前もやったぜぇ~』
こういう”感情”が、
直感」の情報を無効にしてしまう。
私もそうだったけど、
これを改善する良い方法を、
尊敬する上司に教えられたことがある。
その方法とは、
やりたくないこと、面倒なコトからすぐにやる
これしかない。
10年近くはデスクの上に書いて額にまで入れて置いておいた。
面倒くさいコト代表”は「相手が存在する作業」だ。
承認をいただく。
確認を取る。
返事をもらう。
書類を受け取る、手渡す。
こういう些細なコトでも相手がいることは”面倒くさい”。
次に来るのは、
苦手なコト嫌いなコトだ。
こういうことから逃げてばかりいると、
直感力」というのはどんどんと鈍くなっていく。

第3,476号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -48-

 

思い込み、
惚れ込み、
期待、
信頼、
絆、
こういう”感情”に直結するような考えや思いは、
直感」を遮断してしまうことが多くある。
『この人なら裏切らないだろう!』
『この人ならやってくれるはず!』
こういう思いは誰にでも起きるだろうが、
余り入れ込み過ぎるというか、
自分の中だけで勝手に期待が膨らんでいるような時は要注意。
私にも苦い経験が山ほどある。

感情的行動”は「直感」を妨げる
恋愛や、
過去の嫌な忘れたい出来事などはその典型だろう。
『あぁ~あの嫌な思い出を早く忘れたい!』
「忘れたい!」という”感情”が強く働けば働くほど、
人は忘れられなくなり、
どんどんと心の奥深くに根付いていく。
恋愛もそうだ。
『今はあの人のことは考えないようにしなくちゃ!』と思えば思うほど、
頭からその人のことが離れず、
忘れることができない。
理論では理解できているのだが、
惚れた弱みで、
仕事中も、
運転中も、
直感」が強くダメ出ししてくるのだが、
感情”がそれを無視してしまう。
まぁ!
私にはもう遠い昔のことだが・・・・(笑。

”こうなって欲しい!”という期待と、
”こうしたい!”という欲望と、
直感」で”こうなるような気がする!”、
さらには、
)”の理性」が”こうでなくてはならない!”というのは、
言葉尻は異なるが、
どれも似ている感じがする。
どれが一番良いか悪いかではなく、
どれを自分が”選択”するのか?
その行動の結果も含め、
自分でそれを背負わなければならいことを忘れてはいけない。
これを忘れると、
感情”だけの”選択行動”で動くことになる。

第3,475号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -47-

 

直感」では『これはダメだ!』と感じても、
その場の雰囲気や,
習慣のようなものに流され迷った挙句に、
直感」とは逆の動きをすることがあるだろう。
例えば、
いつもの道を車で走っていて、
『なんかこの先は渋滞していそうだなぁ~』と感じていても、
ついついいつもの習慣で同じ道を行ってしまう。
するとやっぱり大渋滞で、
『やっぱりあそこで曲がればよかった!』と後悔したこと。
また、
理由は判らないのだが、
なぜか今日は定時に起きることが出来ず、
いつもの電車に乗り遅れたら、
災難を逃れたとというケースもあるだろう。
私はまさしくこの経験で、
あの地下鉄サリン事件から逃れることができた。
いつも電車に乗っていたら、
間違いなく巻き込まれていただろう。
日常生活の中でも、
ビジネスの中の考え方や向き合い方もそうだ。
常識と思い込んでいる行動、
習慣となっている行動に流されて、
直感」を無視すると・・・・・
『あぁ~やっぱりなぁ~」という結果になることは多くある。
逆に何となくだけど、
いつもと違うやり方をしてみたら、
いつも違う道を帰ってみたら、
いつもと違う店で呑んでみたら、
チョッと良いことがあったという経験も多くあるはず。

いつもの流れ”とは違う流れを感じたら、
時には、
それを信じて”選択”してみることだ。

第3,474号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -46-

 

昨日のブログでお話しした”焦り”と、
もう一つ、
具体的に気を付けなければならないことがある。
それは”先延ばし”だ。

人の「運命」の流れというものは、
その人その人が、
コトあるごとにする”選択行動”によって方向づけられていく。
だから、
間違っていようが、
まずは”選択”することしかない。
『どうしよう間違っていたら・・・・』
『えぇ~これでいいのかなぁ~』
こんな風に頭で考えているふりをして、
ないもしないのが一番ダメだ。
これでは「運命」の流れが滞り、
生きるコトさせ危ぶまれてくる。
そりゃそうだろう。
もし無人島で何も食べるものが無くても、
『大丈夫かなこれ食べても・・・・』と悩んでいるだけで、
食べなければ、
たとえそれが毒の入ったものであれ、
いずれ死ぬことになる。
まっ通常の生活なら、
自分の取った”選択行動”で、
同じような失敗を送り返したとしても、
その都度、
『なぜだろう?』という疑問と共に、
『改善しよう!』という”意志気意識)”さえあれば、
間違いなく前進することは出来る。
でも、
物事を”先延ばし”にすれば、
その機会は永遠に来ないことになる。
何よりも、
先延ばし”にしても、
いつか必ずその期限は来るということを忘れないことだ。
それ以上”先延ばし”にすると、
もう二度とそのチャンスには巡り合えないかもしれない。

第3,473号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -45-

 

私達は時として、
を誤る”ことが多くなる時期というか年齢がある。
私の経験上から言うなら30代、40代がこの時期だ。
恐らくは人生の中で一番強く「」が働き、
肉体的にも問題が少なく行動範囲も広がっていく。
行動範囲が広がると、
あれやこれやとチャレンジしてみたくなるのは必至。
それは良いことなのだが、
「結果を出したい!」
「それもなるべき早く出したい!」
なぜなら多くのことにチャレンジするから、
その中で自分にとって一番は何かが知りたくなるから・・・。
これは人間の行動真理の基本的なもの。
もう少し具体的にいうなら、
その第一は”焦り”だ。
「早く良い結果を出したい!」
「早く目的を達成したい!」
こんな気持ちが”焦り”を呼び込む。

セミナーではこの点をいつも強く伝えるが、
目的は意識し過ぎないこと
目的意識を強くイメージしても、
私達はそれに向かって自然と行動力が高まることなどない。
事例としてはもっと強く極端な言い方をするときもある。
目的意識は捨てなさい』と。
人生もビジネスも、
一つひとつの積重ね”でしか築いていくことは出来ない
遠い先に在る「目的」を強く意識すると、
間違いなく人は”足元のことを見失う”。

ほら!先人の教えに在るでしょ。
初めチョロチョロ なかパッパ 赤子泣いても蓋とるな!」

第3,472号・ブログ

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「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -44-

 

人生は平穏無事が一番良い
誰でもが願うことだろうが、
まず人生を「平穏無事」に進む人、
進んでいる人(”そう感じている人”はいても実際には存在していないだろうけど)もしいるとしたら、
そういう人は、
肉体以外は、
他に成長しているところは少ないはずだ。
人生は”無難に安全に!”を優先すると、
自分の思い描く理想や、
本心からは遠くかけ離れたものしか手に入らなくなり、
さらに不安は増すことになっていく。
つまり、
無難安全」とは言い切れないということ。

言い換えるなら、
自分の「意志(理想や本心)」があって、
それを達成するために、
何かと向き合った時、
その何かの中に「無難に安全に!」を優先するのではなく、
自分の「意志(理想や本心)」がブレないようにすることの方がはるかに重要な選択キーワードになるということ。
生きていく上で、
私達にはどうすることもできないものはいくらでもある。
『諦めなければ必ず出来る』などといってところで、
出来ないことは出来ない”のだ。
それは精神論だけで、
無理して立ち向かっていくのは「意志力」とはいわない。

私達は与えられた条件の中で最善の努力を惜しまない!”
この「最善の努力」こそが、
私がいつも言っている”やれること”そのものである。
こういうところの”選択”は、
慎重に向き合ったほうが良い。
明るい表情や明るい言葉を使っていると、
周囲をも明るくしていくとか、
「ありがとう!」とたくさん言っていると、
周囲も”ありがたい気持ち”になっていく・・・、
といったような表面的なものに惑わされていると、
選択”を誤ることになり、
修正するのに、
相当な時間とエネルギーを使わなければならなくなる。

第3,471号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -43-

 

私達は、
自分自身で客観的に自分を見ることはできない。
試しにやられてみると良い。
『自分の長所はこうで、短所はこうで・・・・』と語りだしたところで、
ほとんど、
その言葉には自分の願望とか、
虚栄とか、
そういった”感情”が入り込んで邪魔をしてくる。
これがやれる人は相当な修行僧のような人ぐらいだろう。

そんな自分が”客観的に自分を見る”。
つまり、
『あぁ~俺はいま怒りを感じて怒っているな!』
こう自分を客観的に感じ取ることが出来たら、
その、
客観的に感じ取れた自分”というのは・・・・自分?
その怒っている人間は本来の自分ではないでしょ!。
自分ではないはずです。
だって”客観的に見える”のだから。
これが理解できると、
怒り、
恐れ、
悲しみ、
妬み、
恨み、
こういう”感情”を、
意図的に自分から切り離すことが容易になってくる。

是非、
試してみていただきたい。