第4,466号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー52-

 

新入社員の最初の配属先などはまさにこの「代理の仕事」といえるかもしれない。
まだ海のものとも山のものともつかない新人が、
それぞれの配属先で、
本領を発揮するまでには少なくとも3年はかかる。
従って、
それまでの仕事は”簡単な仕事”が振り分けられてくる。
ここで試されるのは、
たった一つの能力だけだ。
それは「やる気勇気)」というもの。
長いビジネス生活の中には、
自分の苦手なコト、
過去に失敗して大恥をかいたコトなど、
自分が『これなら自信がある!』といえるものばかりではない。
そんな時に、
逃げずに、
言い訳をせずに、
進取な意識”でそれに向き合っていけるかどうか?
ただこの一点のみが試される。
だから、
新入社員が本配属の時期を迎えると、
私は彼らに必ず伝えることがある。
それは・・・・、
いかなる配属先を命ぜられようとも
謹んでお受けいたします!』と二つ返事で受け入れろ!”と。
これがやれない新人はまず将来の成長を望むことは難しい。
いかに新人で在ろうとも、
お給料をいただいている以上、
『子供の使いじゃあるまいし』と相手に受け止められるようではお話にならない。
それはまるで、
子供がカレーライスの中から、
嫌いな人参と、
大好きなお肉を選り好んで、
嫌いな人参はお皿の隅に取り除いているようなものだから。

 

 

 

第4,465号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー51-

 

多くの人が”の付く役割を軽視するのは、
責任を問われることが少ないと思い込んでいるから
仕事の内容は誰にでもやれること。
しかも、
たいていはそこまで段取りが付けられ、
言われたとおりに出向いて用を足せば終わりというのが多い。
おまけに”代理”だから、
どんな成功結果を残したとしても、
自分の実績になることは少ないことの方が多くある。
これではマイナスイメージがついて回るのも当たり前。
でも、
その”代理”を選ぶ方の立場から、
切り口を変えてみてるとどうだろうか?
前のブログでも記した通り、
どんな簡単な仕事でも、
自分の「代わり代理)」をしてもらうからには、
こいつなら安心と思えるような人でないと困る
万一、
相手に悪印象を残すようなことになると、
その”代理”を任命依頼した、
自分自身の評価も下げてしまうことにもなりかねない。
つまり、
代理の仕事”こそ完璧にやり遂げることで、
お互いの信頼関係が深まることになる。

こういう目の前のチョッとした作業やコトに対してこそ、
出来るか出来ないか?”と悩むのでなく、
結果はどうあれ
やるぞ‼」という進取な意志気意識の持ち主でなければ
組織の中で互いの信頼関係を築き上げていくのは難しくなる

第4,464号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー50-

 

ビジネスの世界でもスポーツの世界でも、
レギュラーに比べると、
が付くだけでその評価が下がるようなイメージがあるが
信用・信頼できない人間にこの””が付けられることは少ない。
例えば、
部長が急病で倒れ、
部長が戻るまでの一時だけ”代理部長”になったとする。
この”代理部長の全てが組織の評価そのものになる
この人の印象が悪ければ、
『この会社は人材不足か?』
『人材の層が薄いんだよなぁ~』と思われるだけに留まらず、
『経営者も何見てるんだろうか?』と比喩されるのが落ち。
だから企業組織は、
”の付く任務を与える時には気を使う。
手短な人に気楽に銘じているように見えても、
信頼感の薄い部下にの付く任務を与えることはまずない
さらにこの””という役割には「テスト」の意味も含まれる。
一度、
自分の代わりに商談や打合せに出させ、
その結果によってはどんどんと自分の仕事を移行させ、
最後には自らの上司に、
『自分の後任は○○君にお願いします』とまでなる。
新入社員が何人も入社し、
その中の誰が使い物になるか?
これを知るには、
誰でもやれるような簡単な作業をやらせることだ。
それを、
誰でもがやらないくらいのレベルでやり通したら
間違いなくその新入社員はモノになる。
それを指示した時点で、
『えっ?私がですか?』とか、
『それをやる意味があるんですか?』などと、
ゴタゴタ言うタイプなら、
まず使い物にはならないどころか、
組織のお荷物になること間違いない。

 

第4,463号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー49-

 

他人”を分の中に引き込んだりしない人
他人と争い、
他人より高く、
他人より多く、
他人より早く、
他人より・・・・と、
いつも基準が”他人より”という人と違って、
他人”を押しのけてまで前に出ようとはしない
だから目立つことも少ない。
『俺が!俺が!』と前に出たがる人より、
その出番は少なくなるかもしれない。
でも、
人生はどんな人にも機会チャンス)」は必ず巡って来る
スポーツの世界でいうなら、
代打とか、
代走とか、
レギュラーではなくても、
ベンチの中で自分のやれること」”を愚直に取組む人には、
必ずこれがやって来る。
ビジネスの世界でも同じだ。
○○代理とか、
○○代行とか、
本命が戻るまでの一時つなぎと思われていた人が、
意外な手腕を発揮して難局を乗り切り、
本命を差し置いてその位置に定着するのはよくあること。
むしろ、
目の前の本命の足を引っ張り蹴落としてまで、
自分がそれになり替わろうとする人は、
逆にどんどんと自分の立場を悪くしていく。

 

第4,462号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー48-

 

幼稚性”から脱皮して「大人度」をアップするには、
昨日のブログではまず・・・「ここは負ける」を挙げてみた。
自分の中に他人を引き入れてず
自分自身を見失わずにいくにはまだある。
「退く」もしかり。
「加わらない(群れない)」
「他人の批判に走らない」
「立ち位置を弁える(越権行為に走らない)」
「自分を大きく見せようとしない」
「自慢話ばかりを口にしない」
「素直になる」
こういうスタンスを意志気意識)していれば、
必ず現状打開の手は必然的に打てるようになっていく

私達は、
自分の幸せを確認する術を一つしか知らない人が多くいる。
そのとは・・・・”他人と比較すること”だ。
いつも自分の足元を見据え、
自分にだけ指先を向けて生きていれば、
誰にだって「幸せを感じられる時があるのに、
他人という存在を自分の中に引き込んで
その”他人相手をねじ伏せることでしか
自分自身の心が満たされないというのは、
人として生まれたにも関わらず、
その意義さえもどこかに置忘れ
なんとも悲しい、
気の毒な生き方をしていると人しか言いようがない。

第4,461号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー47-

 

こんな事例がある。
取引先とのトラブルで先方が一歩も引かない時。
相手の要求を呑めばこちらの負けで今後に影響する。
かといって強気に出れば、
この場でこれまでの関係までも崩れかねない。
こういう状況を前にした時、
勝ち負けにこだわる人はニッチモサッチも行かなくなる。
『負けられない』
『喧嘩は出来ない』では打つ手がないと感じてしまうから
ところが、
他人を自分の中に引き込まずに、
冷静に状況を判断できる人は、
ここは平謝りで行こう。負けで良い』と判断できる。
つまり、
他人という相手の言動に惑わされ、
これまでの関係性や、
これからの関係性が全く見えない状態で向き合っていないから
ここは・・・損をしても
トータルで見ればプラスになる可能が生み出せる
サービス業におけるクレームなどなら、
まさに信頼関係を築くチャンスだ。
むしろ、
その対応の有無が口コミでプラスのPRになるかもしれない。
トラブルの対応が気持ちよくて、
契約や関係性が途切れることはまずない

第4,460号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー46-

 

他人との勝ち負けにこだわる人ほど”幼稚性”が高い。
人生ではこの”幼稚性”を一つひとつ払拭していくからこそ、
そこに成長という記録を残すことが出来る
他人と比べない。
むやみに他人と争わない。
自分の意見と異なることでもまずは受け入れる。
ベストではなくても目の前の”やれること”に全力で取り組む。
こういうスタイルは目立つことは少ないかもしれない。
傍から見ると現状維持のように見えるかもしれない。
いくらやれることをやればよいと言っても負けたら意味ない』という人もいるかもしれない。
でも、
このスタイルは”自分を見失うこと”が少ない
目の前の”出来事(現象)”に振り回されて右往左往することも少ない
他人を恨んだり、
妬んだりして自分自身を見失うことも少ない
つまり、
人生でもビジネスでも「安定したスタンスを維持し易くなる
人が途方に暮れるような出来事と向き合った時
必要になるのはこういうスタンスだ

 

第4,459号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー45-

 

『一度決めたら最後までやり通すのが重要』という人には、
次策の策”というのがマイナス思考に見えるかもしれないが、
これは決してマイナス思考から生まれたものではない。
最初に計画したとおりに進められなくても、
それは決して「目標を諦めたことにはならない
いま選択できる中で最善の手を選んだだけ」のこと。
人生は諸行無常だ。
目の前の状況もどんどんと様変わりし、
その変化に対応していくには、
最初に考えた策だけに心を縛り付けておくことの方が、
はるかにマイナス思考に近いかもしれない。
大切なコトは、
いつも言っているが、
目の前のやれること”」に無我夢中で取組むこと。
誰かに勝つことより、
誰かよりも目立つことより、
誰かから凄いといわれることより、
こういう考え方こそ、
人生において最後まで希望を失わずに生きる、
唯一の方法だと確信している

 

第4,458号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー44-

 

行動心理学でいうと、
他人との争に負けたくない”という意識の強い人は、
一度の失敗や敗北を、
ことさら大げさに受け止める傾向が強い
例えば、
第一志望校の受験などで失敗すると、
もう自分は終わりのように受け止める。
組織内でも、
自分と異なる意見の人には、
ことさら大げさに反対意見をまくしたて、
まるで喧嘩でも売っているかのような行動に出やすい。
つまり、
いつも「自分の中に他人が入り込んでいるから」、
自分自身を冷静に見ることが難しくなっている
傍から見ると、
『なんでそんな態度でまくしたてるの?』と注意を促しても、
本人には自分自身を自覚できていないから、
そういう言葉を投げかけられると、
余計に荒々しい言葉で巻き返してくる。
これはまるで、
駄々っ子が母親におねだりをして、
その望みがかなえられなくて、
荒れているのと同じような精神状態で、
言い換えるなら「大人度」が著しく低下しているといえる

第4,457号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー43-

 

どんな人が考えた案だろうが、
全ての人がベストと感じる案も、
それが正解だったかどうかはやって見なければ判らない
向かい合った問題に対して、
その策をたった一つしかない答えだと思ってしまえば、
その策が失敗した時には諦めるしかなくなる。
でも、
人生に向き合うことに対する答えは一つと決められていることはまずない
何事も、
動かなければ前には進まない。
つまり”何もやらないよりはマシ”ということ。
計画通りではないけど、
何もやらないよりはマシ”・・・この精神で、
いま「やれること」を全力で「やり抜く」。
誰かが、
『そんなことやって何になるの?』
『そんなことして意味あるの?』
こういうことを口にする人がいるが、
私から言わせるなら、
『こういうことを口にする前にサッサと動け!』だ。
人生に意味のあることなど何ひとつ無い
私達が生きていること。
それ自体に何の意味も無い。
あるのは「どう向き合うか?」という、
意義が存在しているだけ
ましてや”やりもしないで”、
その「意味を探し出そうとするその意識の方がおかしな話だ。

意味の無いことに無我夢中になれない人間に、
        意味のあることに無我夢中になれるはずも無し

これはあの諸葛亮公明が残した言葉だ。