第4,121号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー79-

 

私達の多くは、
自分の人生は自分が思っているほど悪くはない”ということを、
ついつい忘れてしまいがちになる。
勝手に妄想や幻想を抱え込んでは、
自分の人生を”ドラマ化”しているようだ。

ドラマでは小さなことも大げさに演出され、
事実よりも大げさになり、
人の意識をそちらに向けようと仕組まれていく。
自分の人生を”ドラマ化”する必要などどこにも無い。
目の前に起きた事実は、
先ずはそのままに素直な気持ちで受け入れ、
それからゆっくりとその原因を追究しながら、
自分自身と向き合っていく

これさえしっかりと「やる」ことが出来れば、
後は、
自分の成長が必然的にその本質に導いてくれる

苛立ちが増して焦りだしたり、
ガチガチに生真面目を演じて、
『”やりたいこと”ではなく「やるべきこと」をやらなきゃだめだ!』と必要以上に気張る必要もない。

自分らしさを忘れずに、
素直に
明るく
正直に

この姿勢で生きていきさえすればすべては必ず上手くいく

第4,120号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー78-

 

『みなさんが”リラックス”するのはいつですか?』
こういう質問を投げかけると、
たいていの人は、
旅行に行った時とか、
この仕事が一段落したら、
試験が終わったら・・・・と、
いま」ではなく”後で”という返答が多い。
つまり言い換えるなら、
それまでは、
ほとんどの時間を緊張とストレスの中で、
時間に追われながら過ごしていることになる。
もっというなら、
人生」そのものを、
物心ついた頃から”非常事態”のようにとらえ、
過ごしている人がいかに多くいるかということだ。

つまり、
私達のほとんどの人、
『”やるべきこと”が無くなったらリラックスすべき』と受け止めている。
そう考えている人の机の引き出しには、
やるべきこと”が無くなることは絶対にないといえる。

リラックス”というのは、
その時その時の「心の持ちよう」でいつでも可能だ。
もちろん、
重要な案件と向き合っている最中だって可能だ。
だって、
リラックス”と「創造力」は表裏一体に存在しているようなもので、
それが証拠に、
以前ブログでも紹介したが、
私の顧問先では会議の名称を変えただけで、
この”リラックス”を多くの人が手にして成功結果を収めている。

 

第4,119号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー77-

 

運転免許を持っている人は、
渋滞に巻き込まれた時、
自分自身の、
心の奥底に眠る”ストレス源”に気付くことがあるはず。
最近の首都高や主要幹線道路の渋滞は尋常ではない。
そこはもう道路と呼べる状態ではなくまるでレーストラックだ。
こんな時こそ、
自分と向き合って語りあってみることだ。
私も若い頃はそうだった(笑。
『人より先に1台でも先に!』
そんなことばかりを考えながら、
隣車線のすき間を狙っては車線変更を繰り返し、
『さっきのあの車より前に来た!』なんて、
愚かなことを考えたりもした(笑。

こんな時こそ、
深呼吸して優雅な気分を意志気意識)することだ。
そのメリットは多い。
自分も含め事故の確率は減る。
ストレスがどんどん減る。
血圧が上昇することもなく理性も働くようになる。
せっかちに運転したところで、
目的地に着く時間が大幅に短くなるわけでもない。

昔、
ロサンゼルスから15号線をラスベガスに向かって走った時。
市内の大渋滞に巻き込まれてしまった。
その時、
車のすき間を見つけてはすり抜け走行していくムスタングが1台。
私は少しだけ自分の気持ちも煽られたようになり、
『あいつに負けるか!』と一瞬アクセルを吹かそうとしたことがある。

でもここで深呼吸して思い立った。
『どうせ急いだところで大差はない』。
日頃は考えるゆとりのないようなことを静かに考えながら、

15号線を進みベガスに近づくと、
ベガスの手前の最後のドライブインで、
なんとあのムスタングがいた。
店の人に聞くとほんの数秒前に来たという。

もしかしたら人生もこんなものなのかもしれない(笑。

第4,118号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー76-

 

世の中で最高に幸せそうに見える人にも”不幸”は隠れている。
幸せな人不幸な人の違いは、
落ち込む出来事の有無とか、
その回数とか落ち込む深さの違いではなく、
目の前に起こる嫌な出来事(現象)、
辛い出来事(現象)をどう受け止めているかの違いに出てくる
さらにその後の”意志気(意識)”の向け方だ。
たいていの人は、
辛いことが起きて落ち込むと、
『よぉ~し頑張らなきゃ!』と腕まくりをして改善行動をすぐさま起こそうとするか、
または、
『どうしよう?どうしよう?』と慌てふためく。
落ち込んだという”現象”を酷く真剣にとらえ、
早くそこから脱出しようと躍起になる。
でもほとんどの場合、
原因追及もしっかりやらないでそういう行動に出ると、
かえって深みにはまり込んでいく。

辛いことや悲しいことが起きても、
心が満たされている人はそうした行動はまずとらない。
なぜなら、
前向きな気分も、
凹んでしまうような気分も一過性のものと解っているから。
幸せを感じられている人は、
『時にはこういうコトもある』と割り切れ、
凹んだ気持ちもやがては元通りになると知っているから。
落ち込み”は次のステップへの一歩。
どんな状況下に置かれても、
やれること」だけに集中して、
無理をしない。
頑張らない。
この意志気(意識)さえしっかりと持っていれば、
夕日が静かに沈んでいくように、
凹んだきもちもやがて緩やかに元の戻っていく

第4,117号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー75-

 

私が通う「ミスタースクール」という、
クラシックバレエのストレッチを通して”体幹”を調整するコミュニティーで学んだことに「呼吸」という動作がある。

呼吸」というと、
多くの人は”息を吸うこと”と思い込んでいるが、
字の通りだ。
まずは「び込む」・
つまり呼子を吹くように大きく息を吐く。
すると意識しないでも自然と次の「う」がやれる

クラシックバレエのストレッチは、
何十というストレッチを組み合わせながら、
一つひとつの”内筋肉”をほぐしながら鍛えていく。
よくTVやステージでもやるような、
バレリーナがクルクル回ったり、
つま先立ちして動くなどはすぐさまできる動作ではない。
先生のお話によれば、
1日10時間以上はストレッチに費やし、
残りの1~2時間でその仕上がりを検証すためにステージで見せるような動きをするという。

そのいくつものストレッチの動きがが一つひとつ変わるたびに、
大きく「呼吸」を繰り返す。

これは日常生活の中でも同じことが言える。
話す前に「呼吸」。
聞く前に「呼吸」。
行動する前に「呼吸
たったこれだけで「忍耐客観性」を高める効果がある。

そしてこれは、
相手を「尊重する」という姿勢にまでつながっていく。
神職が、
大きなおしゃもじのようなものを手に、
身体を90度に前屈し、
神様をお呼びする時の姿勢。
大きく身体を90度前屈させるには、
相当な腹筋と背筋が必要になる。
この動作に入る時、
まずやるのが「呼吸」だそうである。

日常生活の中で、
モノをとる時。
立ち上がる時。
なにかを持ち上げる時。
誰かに手渡す時、
どんな時でも良いから、
行動が変わる時に「呼吸」をしてみることだ。

この「呼吸」が次の動きを大きく変えるキッカケになっていく

第4,116号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー74-

 

人って身勝手なものだ。
自分のことが一番大切で、
自分を一番愛しているのに、
他人からどう見られているかが気になって、
「私は自分はどうでもよい。自分よりも相手が大切」
「相手が喜んでくれれば」
「相手の役に立てれば」・・・・・と嘯く。
そして現状で十分満たされていることに気付けないでいるから、
『もしここの会社でなかったら・・・・』
『もしこの家に生まれたのでなかったら・・・』
『もし・・・・もっと○○な才能があったら・・・・』
『もしもっとお金持ちだったら・・・・・きっと今より・・・』
こうやって自分の欲望だけを膨らませていく。
そして、
そんな欲望はまず叶えられることはないから、
どんどんとストレスだけが生まれ、
欲求不満に駆られ”無いものねだり”の日々が続く。

人生はどこに行っても自分と道連れ”だ」
目の前に起こる”出来事(現象)”の受け止め方がどうあれ、
そんな”受け止め方”をする自分と死ぬまで”道連れ”だ

だったら、
外から内に”影響を受けて生きるのではなく、
自動車の仕組みと同じように、
内から外へ」向かって影響力を発する生き方をした方が良い。
そうすれば、
向こうから急に何かがやってきたら減速して迎えればいいし、
暗く狭い道は、
慎重にハンドルを握って進めばいい。

第4,115号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー73-

 

私が永いこと学ばせていただいている「仏教セミナー」。
ここで学んだことの一つにこんな言葉あった。
それは、
グラスは既に壊れているとみなす
これは世の中の全てのものは常に変化し、
やがては朽ち果てていく定めにあるという意味。
私達の命とてやがては朽ち果てる。
この宇宙の全てのものに”終わりがある”ということ。
木々は種から芽を出し、
青葉に萌えて、
実をつけて花を咲かせ、
やがては枯れて土に返る。
いまは高い地位にいる人も、
やがてはただの人となり死んで行く。
目の前のグラスも、
やがては壊れて崩れ去る時が必ず来る。

そういう「原理原則」を知っているにも関わらず、
私達は目の前の”現象”としてそれを必死に守り通そうとする。

命もすでに終わっていると思えば静な気持ちになれる。
モノも既に壊れていると考えれば執着もなくなる。
つまり、
目の前の大切なモノも、
突然、
目の前から姿を消すと驚きのあまり悲しくもなるが、
既に無きものと受け止めていれば、
大きな悲しみに囚われることもない。

こういう執着や未練の無駄さを教えてくれている

一度、
試してみると良い。
気に入っているグラスで水を飲む。
その時に、
シンクの前で思わず手を滑らせてそのグラスが落ちて割れる。
お気に入りだろうがそうでなかろうが、
『壊れてもいい』と考える人などいない。
これは無気力になるための処方箋ではない。
物事を”在るがままに受け入れる訓練のようなものだ。
グラスが手から滑り落ちた時を想像しながら、
『あっ!しまった!』ではなく、
『役目を終えた』と降り返る。
そうすると、
壊れたグラスに自然と『ありがとう』という言葉が出てくる。
これは大切な人に対しても同じ。

 

第4,114号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー72-

人はほとんどの人がそうだが、
自分の意見は正しい!』と思い込みを持っている。
そうでなければ、
自分の想いや考えを他人に語ったりはしない。
でもここで、
これもまた私達人間が持つ性というか?
悲しい習性が顔を出してくる。
それは・・・・「他人と比べる」ことだ。
その結果、
自分と合わない意見をバッサリと切り捨てようとする。
人など、
一人ひとりみんな、
育った環境も違えば立場も異なるのに・・・・。
だから私は、
セミナーや講演では必ずこう前置きする。
私の話すことは正しいわけでも絶対なわけでもありません
こう前置きしたうえで、
聞いてくださる人が、
それぞれの立場で、
それぞれの”受け止め方”をした結果に、
一つでも「気付き」を得ていただければそれ以上のことはない。

人の話というものはどんな有名人が語ろうがそういうものだ。
人の「意見”というのは、
社長が語ろうが、
アルバイトが語ろうが、
誰の意見にも必ず気付きキッカケがある。

私もまだまだ人の意見に対して批判することがあるが、
10年前に比べたら半分くらいになった(笑。
これは自分にとっても大きな収獲要因だ。

 

第4,113号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー71-

 

批判”というのは、
それを真っ向から素直な気持ちで受け止めると」消えていく
誰だって、
他人から”批判”されたら、
それは胸に強く突き刺さるものだ。
誰かの第一声の攻撃が来るなり、
眼の色は変わり、
肩に力が入って、
すぐさま自己防衛態勢に入る。

でも、
よく考えてみると、
他人からの”批判”というのは、
自分の意見や行動に対する観察発言にすぎない。
つまり、
自分で見ている自分の姿勢とは異なる目線ということになる。
これに対して、
自己防衛とばかりに反論していくと、
いつしか交し合っている内容は、
本件とは少しづつ離れていき、
”「相手の意見が間違っていることを立証すること”が、
意見交換と思い込んでやっていることの目的」のようになっていく

こんな時は、
相手の意見に対して『なるほどね』と一呼吸置くことだ。
この”なるほど”というのは、
『君の言いたいことは解った』という意味で、
決して同調しているという意味ではない。
実に便利なフレーズだ。
この一言で、
相手も一呼吸おける。
その上で、
相手の意見の中で、
じぶんが気になるところを一つひとつ確認していけばよい。
これも”批判”するのではなく「確認」していくことだ。

 

第4,112号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー70-

 

批判”というのは「悪態」と同じで、
悪い癖”でしかない。

私にも経験があるが、
自分が誰かを”批判”した時のことを思い出してみると良い。
批判”する時の、
その人の気分はいつも同じで、
批判”というのは、
何も話題が無い時の格好のネタでしかない。

組織の中で、
この”批判”を自分がしているか否か気付くには、
一つしか方法はない。
それは、
誰かを批判”した直後の自分の気持ちを検証することだ。
そして、
相手の意見に対して、
それに代わる代案が自分にない時は、
それはもう”批判”でしかないと判断すべきだ

企業組織の中で、
『人手が足りないなぁ~』
『いい人材が採用されないかなぁ~』
『なんでこうトラブルばかり・・・・』
もし、
こんなことを感じることが多くあるなら、
それはおそらく、
日頃の打ち合わせや会議の中で、
意見交換」がされているのではなく、
相手が出してきた意見に対する
批判合戦”がなされていることの方が、
多くあると考えた方が良い

そしてこういう企業組織は、
表面的には定着率が高く、
従業員はやめていないのだが、
隠れたところの「生産性」が低い

人一人の”人生の向き合い方”というものは、
何十人~何百人と集まる組織の向かう先すら、
隠れたところで良いも悪いも、
強い影響を及ぼしてくる